映画「コンクリート」上映中止問題6

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「事実」とやらの検証は他の人が散々書いている様だから、
私は君の質問にだけ答えよう。

> 誰もが、事実と確認できないはずの事を、事実だとして公開する事は
> 「表現の自由」で許されますか。

答えは"条件次第では許される"だ。

裁判の為の記録映像、「華氏911」の様に明確にドキュメンタリーを謡った
映画や著作、歴史学書などでこれをやる事は絶対に許されない。
正確に言えば「公開は出来るが製作者の作家生命はそこで終わる」という所かな。

一方でもともと創作である場合、創作の余地があり作家の想像力がそこを
埋めたと「見たものがはっきりと認知できる」状況にある場合は、作家の
「これが事実だ」という言葉は「これが事実だと私は思う」に自動的に変換される。
字義通りに事実と信じ込むものがいるのは相当の子供か相当の馬鹿だろう。
そうした場合は、当然許容されるべきだし、実際許容されても来た。

キリストの磔刑に関する物証は殆ど残っていないが、それを「事実に忠実に」
描き出す事はできるし、証明できないから磔刑を描くべきでない等というものも
いないだろう。そういう事だ。

「コンクリート」に限らず、実録というジャンルはそうやって状況証拠の隙間を
想像力で補填することで成立する「物語」だ。
そのお約束を受け入れられない者が、全く別種の定義を無理に当て嵌めようとしているのが、
例えば君の挙げた様な事例ということなのだよ。

脚本家の世迷言は忘れたまえ。あれは我が身可愛さで支離滅裂になっている。
もともとこの映画がどういう立場に立とうとしたかを考えると良いだろう。