南京大虐殺はあったの?何万人殺ったの?14万

このエントリーをはてなブックマークに追加
6 
否定派の良く使う「トリック」

※「南京に20万しかいなかった」という「トリック」

そもそも、陥落直前後に市内を一軒一軒調べて人口を正確に調査したという記録は無い。
人口を調査して20万という数字が出てくるのは、陥落2ヶ月後に安全区の人口を調べた時が最初。
つまり、それを否定派は”陥落直前後に南京市全体の人口が20万だった”とすり替えているわけ。

そもそも、神様でもあるまいし陥落直前後の混乱した状況で正確に20万人だとわかるわけがない。
だいたい、戦死者がどれだけの数になるかもまだわからないのだからね。

「当時の人口は20万人」と皆さんが聞いたら、南京と言うのは20万人都市だったのか。と思ってしまいませんか?
実は事件のほんの一年前の調査で人口100万人以上もの大都市だったのです。
それが事件後避難民が戻ってきて数年経っても60万人程度にしか人口が回復しないのです。
では、余った40万人はいったいどこへ行ったのでしょうか・・・ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル


※南京の人口が20万→25万に【増えた】という「トリック」

この「増えた」5万人というのは、実は安全区外に残っていた一部住民が、
後に日本軍の侵攻により区内に「避難」して来ただけなのである。
それを南京市内の人口が「増えた」という事にすりかえているだけ。

城外から南京市に戻ってくる市民がほとんどいないことは、
南京攻略軍の司令官であった松井中将が占領地行政の問題点として雑誌記者に語っている。
昭和12年12月末の時点で、松井司令官は日本軍の占領した南京や蘇州に一般市民が戻ってくるのに1ヶ月はかかると見ている。
東中野修道が昭和13年1月になって南京安全区の人口が25万となったことを根拠に
「市外から南京市に市民が戻ってきた」と主張していることが成り立たないことが判る。