>>867 :裏 ◆tR9ZGB/URA :04/02/09 03:33 ID:KoKYySsA
外国勢力を排除すると言う意味での攘夷という考えは幕府首脳も倒幕側首脳も無理だと考えていただろう。
しかし、朝廷、世論は外国勢力を排除すると言う意味での攘夷を考えていただろう。
ここで、幕府は具体的に攘夷反する開国を行っている。
そのため倒幕側は朝廷、世論を見方にする手段として開国をした幕府を糾弾する為にことさら攘夷を強調したのだろう。
そういう意味では倒幕側は攘夷という言葉を利用しただけであろう。
こで二つの議論の焦点が浮かんでくる。
@明治維新後にも続く西欧列強の影響を回避する思想はどこから来るのだろうか?
A倒幕期に世論と朝廷が持っていた攘夷の思想はどこに行ってしまったのか?
裏氏は@は尊王論から、Aは切り捨てられたと考えているのだろう。
しかし私としては@を尊王論だけから得られるものでは無いと思う。
それは、尊王論の柱は天皇の権威を復活させる思想であり国内の政治体制を決めるモノだからだ。
尊王論は主眼を外国勢力との関係に置かれているのでは無い。
攘夷思想こそ対外的な関係を決定する思想であり、攘夷思想が形を変えて@の思想に変化したと思う。
つまりAは消えたわけではなく、@の思想に受け継がれていったのではないだろうか?
歴史にIFは無いがあえてIFを語るとしよう。
明治維新において攘夷思想が無く尊王思想しかなかったら明治日本と列強の関係はどのようなものだったろう。
私は外国勢力の介入を許した立憲君主国になったのでは無いかと思う。
外国勢力の介入を排除するのに攘夷思想は大いに機能をしたのではないだろうか。