>>951 日本人は「特に残虐」なのか「そうでもない」のか「他に比べればマシ」なのかが
議題だね。
言い換えると、「南京大虐殺」なのか「南京(普通の)虐殺」なのか「南京事件」なのか
ってことかな。
>>951 証拠の写真1枚すら無い虐殺か。 カッコイィな。
同次元の資料であるかのように恣意性を持って並べられた
>>944-949であるが
実はこれらの信憑性には雲泥の差がある。
先ず
>>948 これは論外
「城壁内で大部分が老人と婦人と子供たちである中国人を一度に三万数千人皆殺し」
こんな凄い事!ベイツもラーベもetc.etc.なんで誰も言及しないのだ!!!。
これはたった1回の伝言ゲームでこれだけの流言が出来てしまうという貴重で恐ろしいサンプルである。
次に
>>945の日誌はニセ写真(満州の馬賊の生首写真)と一緒に
「これが南京大虐殺の証拠です」と提出されたもので信憑性が疑われる。
残りがまともな資料と言えるものである。
(
>>946は聴取したことをまとめたそうであるがまあ良いとする)
そこでわかる結論は既知のとおり、虐殺とは捕虜の処刑があった(しかなかった)ということなのである。
(注:中国軍も日本兵捕虜を処刑している)
なお
>>946 >一 南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
(この数万という表現について一言言いたいがここでは止めておく)
ここに殺害の文字が無いのも重要な点かと思われる。
中国人の数の数え方。
1、10、100万
>>954 >「これが南京大虐殺の証拠です」と提出されたもので信憑性が疑われる。
宇和田氏の日記は泰郁彦の『昭和史の謎を追う』にコピーで載っている。
その問題の虐殺の記述部分だ。
どうやら日記自体は本物らしい。
「これが証拠写真です、写真はありませんが。」てことがあり得ないのと同様、
証拠の日記だっていうんだからコピーの取れる記述部分自体は有るに決まってます。
科学的・専門家による真贋判定はどうなのよ?
958 :
次スレたてまつた:03/12/05 18:18 ID:6tOddQXd
第四師団歩兵第四二連隊の一兵士の従軍日記
二月九日
今日、略奪を行なった寺院にて北斗神拳奥義書なるものを見つける。
どうやら支那拳法の暗殺術を書き記したものらしい。
人体に百八あるといふ経絡秘孔について驚くべきことが書かれている。
チャンコロどもを銃剣で刺し殺すのや銃床での撲殺には飽きてきていたので丁度よい。
なかで北斗懐骨拳といふのを試してみるがこれがなかなか難しい。
仲間と代わる代わる場所をかへ押していると時折ぶるぶる震える。
この辺りかとエイヤとばかり力を込めて指を押し込むと、チャンコロの顔が
歪んだよふでチャンコロは少しイヤイヤといふ仕草をしたがその直後、突然に
全身の骨が後ろへ飛び出し絶命する。
これは面白い。
明日は北斗百裂拳といふのを試してみようとおもふ。
陣中日誌で「チャンコロ」という表現を用いているの
>>945と
>>959の以外に在りますか?
当時日本兵の間で陣中日誌を書くのが流行っていてそれは高尚な書き方をするのが流儀だったようだが
そこで「支那兵」「支那人」と記さずに「チャンコロ」ってやっちゃうとそれがぶち壊しになるんです。
961 :
朝まで名無しさん:03/12/05 21:17 ID:YBA7FaD1
>>960 当時は中国人に対する蔑視意識が強く「チャンコロ」と呼ぶのが流行っていて
「チャンコロ」という表現が日誌に書かれていても不思議ではないんだが。
ttp://www.jca.apc.org/nmnankin/news11-2.htm 3.日本軍による加害の証言
近藤 一さん(81才、桑名市)
昭和15年に招集されて山西省に従軍し、最後は沖縄戦でも戦った元日本軍兵士近藤一さんは、
日本兵が中国で犯したさまざまな残虐行為を自らの生々しい体験や目撃したことを交えて証言しました。
初年兵教育における訓練として中国人の刺殺を体験し、斬首による中国人の処刑を目撃させられると、
人を殺すことを罪悪と感じられなくなり、加えて中国人を"チャンコロ"と呼んで蔑視する根強い差別意識が下地となって、
兵士はさまざまな蛮行を行うようになったと語りました。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~ymasaki/shirosan.htm 私の父は従軍経験はありませんが、父もひどい差別主義者で中国人などの密航などの犯罪があるとすぐ
「チャンコロどもは皆ごろしてしまえ」等と平気で言います。聞いていて、同じ人間としてすごく胸がむかつきます。
教育の重要性が身にしみました。人間の性質は年が経つと変えられないのでしょうか。
>>961 中国人は、日本兵を殺したはずだが、
罪悪感を感じて苦しんだ、という話はついぞ聞かないね。
963 :
朝まで名無しさん:03/12/05 21:45 ID:YBA7FaD1
>>962 まぁ日本兵は中国人にとって「侵略者」だったんだからそれも当然だ。
むしろ罪悪感を感じない日本人は、同じ日本人として恥ずかしいな。
>>963 >同じ日本人として
_, ._
( ゚ Д゚) ガシャ
( つ O. __
と_)_) (__()、;.o:。
>>963 そういう問題では無い。
当時、日本兵にとって中国人ゲリラは敵だったんだから、
心理的な条件は同じ。どっちも敵だ。
でも、中国人は人間として、戦争の残酷さを自省することは
無いんだな、と思うわけ。
だからチベットであんなことや、
文革であんなことや、天安門であんなことをできるのだなー
966 :
朝まで名無しさん:03/12/06 00:27 ID:hb00Wy2H
>>965 そういう問題なんだが?ほんと屁理屈だけは一人前ですね。
日本兵は中国人にとって「侵略者」だったのは否定できない事実な訳だし、
では聞くが、例えば北朝鮮が日本に攻めてきて自衛隊が応戦して敵を殺しても、
その自衛隊員が、「中国に侵略した元日本兵」と同程度の罪悪感を感じなきゃならんのか?
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/4717/senseki/03.html 日中戦争をこそ反省すべき
何故別々の検討にこだわるかと言えば、私はこれらの中では、日中戦争を一番重視するからです。
重視の理由は犠牲者の数の問題です。
犠牲者の定義について正確な提案は出来ませんが、この戦争に関連して殺された中国人は、一千万人を越えるといわれています。
日米戦争の犠牲者は、日本人の3百万人に、アジア諸国及びアメリカ兵を合計しても、中國の犠牲の数分の一でないでしょうか。
日本兵の戦死については、中国人から見れば、自業自得の要素があるが、中国人の犠牲者は、どこからみても非業な死という以外にないのです。
このように莫大な死者を出した原因は、まったく日本にあります。
何故ならば、日本が中国に進出しなければ、このようなことは全く起きなかったのです。
中国人(漢人)も中国人(女真族)を侵略(反乱という表現の方が正しいんだろうけど)してますね。 というか国の概念が今と違うからなぁ。誰が住もうが、誰が支配しようが、正当性求めるのが無理。それが中国の大地。
968 :
朝まで名無しさん:03/12/06 00:41 ID:48pDvziO
>>968 テロは悲惨だね。アメリカのイラク戦を肯定するために貼り付けたんだろうが、そうはいかん。
970 :
:03/12/06 00:47 ID:qLK9U37D
まだやってんのか、飽きないなホントにw
>>966 の方へ、国民党と八路軍の内戦についてはどのような評価を? 一般民衆(漢人・女真族・朝鮮族)にはえらい迷惑だったと思うのですが?
972 :
朝まで名無しさん:03/12/06 01:21 ID:hb00Wy2H
>>971 なんかさっそく話を逸らし始めたみたいですが(苦笑
侵略者を撃退した被侵略者が、侵略者が被侵略者を虐殺したのと、
同じ罪悪感を感じねばならない理由をさっきから聞いてるんだが?
>>966 「ゲリラ」というのはかなり問題だよ。
自衛隊員の例で言えば、応戦する時にBC兵器を使用したり、
ホロウポイント弾を使ったり、ましてや民間人の格好をして
応戦したならば、「「中国に侵略した元日本兵」と同程度の
罪悪感を感じなきゃならん」だろう。
>>966 どちらが屁理屈かはROMしてる人が決めるだろうよ。
当時、統一中国は無くて中国は内戦ばっかりしてたわけだが。
日本は一応満州族の為に満州国を再建してたわけで
他国の紛争に口出してしまった状態だな。
日本も拠点が欲しかったからだな。
漢民族は満州を取り返そうとしてたみたいだが
とりあえず満州族にとっては漢民族も侵略者だったよ。
もともと満州を滅ぼしたのは漢民族だからね。
ところで罪悪感の話は、
>>962の話からだけど、
これは中国の言い分だけが喧伝されていて、
一方的であるという根拠として言ったことだよ。
それに対して当然だと言ったから、
当然とは思えないという話だ。
侵略者は、南京大虐殺を捏造されてもだまっていろと?
975 :
朝まで名無しさん:03/12/06 04:30 ID:Hcd9cTHt
>968
貴様ここにもコピペか?
訴えられたくなかったらいいかげんやめろ
>>972 話を逸らしているのはあなたの方。
侵略云々の理由はさておきこのスレは南京大虐殺の有無を語るスレです。
>>976 世の中、純粋な悪とか正義なんて存在しねぇんだよ。
人類の歴史は戦争の歴史。
「ボクは被害者です。被害者でしか無いんですー」
こんな世迷い事をいちいち聞くのがバカらしいってお話。
戦争については、とっくの昔にケリがついてる。
半世紀前の当事者連中の被害者感情を 「代わりに訴えてあげる」 ?
アホかと。
第10軍参謀・吉永朴少佐
「二、三日してから作戦上の任務で下関に行きました。揚子江の埠頭に
相当数の中国軍人の死体が水浸しになっていました。」
−相当数というと、どの位ですか。
「正確にはわかりませんが数千はあったと思います。」
−南京では大虐殺があったと言われていますが。
「私は南京大虐殺はなかったという信念を持っています。
中国市民は逃げ足が速く、ほとんど逃げています。
残っていたのはわずかです。」
上海派遣軍・岡田酉次少佐
−虐殺があったと言われてますが。
「あの南京攻略戦を見ていますと、中国軍の中には女がいました。
私も女の中国兵が倒れているのを見ています。また、敗残兵と
言っても抵抗するものもいたし、便衣隊というものもいて、これらが
やられるのも見ました。これらの屍があとで虐殺と言われたのでは
ないでしょうか。」
上海派遣軍参謀・大西一大尉
−第16師団の中島師団長の日記に「捕虜はせぬ方針なれば」とあり、
これが捕虜虐殺の証拠だといわれていますが。
「これは銃器を取り上げ、釈放せい、ということです。中国兵は
全国各地から集まっていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
−上海派遣軍の中で虐殺があったという話はおきませんでしたか。
「話題になったことはない。第二課も南京に入ってからは、軍規・
風紀の取り締まりで城内を廻っていました。私も車で廻った」
松井軍司令官付・岡田尚
−入った時の南京の様子はどうでした?
「市内中軍服、ゲートル、帽子が散乱していました。これは
凄い数で一番目につきました。」
−虐殺は見ていなくとも、話は聞いてませんか。
「捕虜の話は聞いています。下関で捕虜を対岸にやろうとして、
とにかく南京から捕虜を放そうとしたのでしょうね。
その途中、混乱が起きて、射ったということは聞きました。」
第10軍参謀・谷田勇大佐
−南京城内の様子はどうでした?
「軍司令部が南京城内に入ったのは14日のお昼直前、11時30分
でした。中華門から入ったが、付近に死体はほとんどなかった。
・・・下関に行った時、揚子江には軍艦も停泊しており艦長と
会見した。この時、埠頭の岸辺には相当数の死体があった。
千人といったが、正確に数えれば千人以上あったと思う。
2千人か3千人位か。
軍服を着たのが半分以上で、普通の住民もあった。」
第10軍参謀・金子倫介大尉
−南京城内に入った時、南京の様子はどうでしたか?
「南京に入ったのは13日か14日だと思います。城内では1人の
死体も見ていませんし、1発の銃声も聞きませんでした。」
第9師団 歩兵第18連隊 第36連隊 第6中隊分隊長山本武
この朝(十二月十九日)風聞するところによると、こんどの南京攻略戦で、
抗州湾に上陸した第六師団(熊本)が、南京の下関に於いて、
敵軍が対岸の浦口や蕪湖方面 に退却せんと揚子江岸部に集まった数万の兵達を、
機関銃掃射、砲撃、あるいは戦車、装甲車などによって大虐殺を行い、
白旗を掲げ降伏した者を皆殺しにしたというので、軍司令官松井大将が
「行軍にあるまじき行為」と叱り、ただちに死体を処理せよとの厳命を下し、
毎日六師団が死体を焼却するやら、舟で揚子江上に運び捨てているなど、
現場は実に惨憺たる状況である、と言う。
物好きにも、わざわざ遠く下関まで見物に出かけた馬鹿者がいるらしい。
『一兵士の従軍記録』 P103 (1985年、安田書房)
歩兵7連隊 第3機関銃中隊 田中義信 陣中日記
十二月十四日
―南京城内の市街戦
一、午前八時整列、城内掃蕩の為出発、敵最後の陣地攻撃す。
一、首都南京も遂に我軍の手に入り、あわれ八十八師軍は西門の彼方で最期を消したので有る。
一、今日の戦闘は実に面白かった。
一、支那軍の野戦病院も見学した。
一、午後九時、真黒暗の城内市街を約二里半位帰隊行軍。
一、支那軍の屍は山を築き、血河をなして、兵器は皆捨て、馬はすて、道路上は実に無残なる近影で有る。
一、五百余名の支那軍捕虜兵を第八十八師の営庭で銃殺及び刺殺。
十二月十五日
一、午前七時半出発。
一、支那第八十八師軍兵舎の附近で第三大隊は駐警す。其の後警備隊形に有る。
一、午后十時起床、支那軍捕虜兵、千七百名余名銃殺す。
一、陸戦隊警備地付近にて、見る間に屍は山となり、揚子江は血河流屍の流失で(二字不明)寒さはぞット身にしむ?
一、血生ぐさき江流の絵巻は寒風深夜の風に何処の彼方に消え行く。 十二月十六日
一、真黒暗の支軍の銃殺終りて、帰舎時に午前六時。
一、西門城の屍を乗越え、拂暁に到着。
一、午前中は休養。
『北陸史学』第49号(2000年2月13日)
>>961 普段「チャンコロ」と呼んでいたかを問うているのではありません。
高尚に書くのが流儀であり、他の日誌はおしなべて「支那兵」「支那人」が用いられており
>>945以外に「チャンコロ」という表現を用いている陣中日誌が無いとしたら
それはかなりあやしいのではないかと思ったのです。
(贋作者が差別感を出そうとするあまり思わず「チャンコロ」と使ってしまった)
それで陣中日誌で「チャンコロ」という表現を用いている日誌は
>>945のもの以外に在りますか?
と尋ねたのです。
>>984 陣中日誌は、部隊の公式記録みたいなもので、兵士が個人で付ける私的な日記とは違います。
ん?
士官が部隊のために任務で書く陣中日誌と、そこいらの平兵士の個人的な日記は全然別物だろ。
陣中日誌って何だと思ってんだ?
987 :
984:03/12/06 17:24 ID:qakErtGt
>>985 公式記録にチャンコロはありえないと思う
これも日本軍あれも日本軍
*****************************************
パラオの国旗は、どうして日の丸とデザインが似ているのか。それ
には深いわけがある。オアラオはドイツの植民地だったが、第一次
大戦下、この地域の戦争でドイツに勝った日本は、戦後、国際連盟
からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを求められ
た。日本はたくさんの移民をこの地に送り、産業、教育、文化の発展
に大きな功績を残した。第二次世界大戦後、この地域を占領したア
メリカは、日本文化の影響を徹底的に破壊した。南洋神社は取りつ
ぶされた。校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされた。
しかし、パラオ人は、心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本
人を敬い、日本統治時代を懐かしんでいる。その証拠にパラオ人の
八割は、その姓名のどちらかをに、日本式の名前を付けているとい
われる。中略
1994年、パラオはアメリカから独立した。独立にあたり国旗を制定
することになり、国民の間から一般公募した結果、日の丸をもじっ
た今のデザインに決まったというわけである。ただし、パラオの国旗
の満月は、日の丸の旗の太陽とは違って、中心からすこしズレてい
る。日本に失礼だからと、わざと中心をはずしたのだそうだ。これ
はパラオの人たちの慎み深い態度をよく表している。
パラオの国旗は、日の丸は侵略のシンボルではないこと、かつて
日本の統治下にあった国で、日本の日の丸を模した国旗がつくられ
るほど、戦前の日本と日本人はアジアの人たちから尊敬されていた
ことを教える実物教材である。
*****************************************
公式記録にチャンコロは当然ありえないとして、
従軍日記でもその文体からしてチャンコロは確かにかなり不自然だ。
さっき調べたところ南京虫大虐殺の間違いだったことが判明しました
992 :
朝まで名無しさん:03/12/07 05:41 ID:ow3G2Plh
これも日本軍あれも日本軍
*****************************************
ttp://www7.plala.or.jp/uminarido/page157.html 多少歴史、特に昭和史を少しなりともかじっている方にとっては周知の事であろうが、
アメリカ軍を破った日本は「フィリピンに対し、何もしなかった」のだ。いやそれどころか、
占領者として驕り高ぶり、度々「徴発」と称して食糧や物資、あげくは人間まで略奪し、
経済観念も何も無い軍政は天文学的なインフレを招来させたのである。
「スペインやアメリカは、ただ搾取するだけではなく、それなりの恩恵ももたらしてくれた。
しかし一体、日本は自分達に何をしてくれたというのだ?」
「謙虚さ」を持たず、ただただ軍の威光をかさに自分達現地の民を見下す、我儘で野蛮な民族。
・・・・・・これが当時の「日本人に対する彼等の本音、評価」であった。
ttp://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/apwar/1994sekai.html また、ルソン島南部リパの虐殺事件やマニラ市街戦における虐殺事件など、婦女子を含む非戦闘員に対する
日本軍の残虐行為が戦争末期に多発したこともフィリピンの戦争被害の大きな特徴であった。
米極東軍に登録したUSAFFEゲリラをはじめとする抗日ゲリラの掃討に苦慮した日本軍が米軍再来を前に
戦闘員・非戦闘員の区別の無い粛清をはかったことが主な原因であったが、それだけでは説明のできない、
日本軍将兵の道徳心の崩壊と狂気の結果と言わざるを得ない事例も多い。このほか戦争末期には、
敗走する日本軍の食糧強奪による山岳少数民族の飢餓や日本軍による人肉屍食の被害なども発生した。
また、3年にわたる日本軍占領下(1942-45年)でも、多くのフィリピン人がスパイ嫌疑などによる
弾圧・粛清の犠牲となり、「民生への重圧を厭わず」を原則とした日本の占領政策(転作強制、米徴発など)
のもとでフィリピン経済は壊滅的打撃を受けた。
*****************************************
993 :
とーほくの資産家:03/12/07 05:47 ID:DcmVTf0f
とーほくでは中国人も朝鮮人もチャンコロと呼んでいましたが
実物を見たことがある人はほとんど居ませんでした。
黒人はクロンボとよんでおり「刑事コロンボは黒人だ」と思って
いたとーほく人は多かった。
それだけ他民族をバカにしていたのは間違いない。
994 :
朝まで名無しさん:03/12/07 06:26 ID:TKA5ityj
994
995
996
997
998
999
1000 :
:03/12/07 06:38 ID:ow3G2Plh
>>973 結局、君の意見が屁理屈に見えるのは、
侵略される側の立場を何も考えようとしていないんだよ、
君の意見だと例えば、強盗が民家に押し入ってそこの住民に思いのほか激しく抵抗されたら、
その強盗が、そこまで抵抗するのはルール違反だやりすぎだ等と怒ってるようなもんですな(苦笑
>>974 それは建前で、漁夫の利とばかりに植民地にしたんだからね日本は。
>満州族にとっては漢民族も侵略者だったよ。
満州族にとっては日本軍の支配を取り除いてくれる開放軍だったかもしれんがな。
>侵略者は、南京大虐殺を捏造されてもだまっていろと?
捏造だと決まってないでしょ、完全否定できないならだまっているべきだね。
それこそ南京大虐殺については、とっくの昔にケリがついてる話だが?
それを今更蒸し返して右翼はなにをやっているのだろうね?他にやることあるだろうに・・・
>>977 そういった論理で侵略者は、いつも侵略される側の立場を無視してきたというのも歴史だがね。
>>984 だから
>>945は日誌ではなくて「日記」なんでしょ?
なにか問題は?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。