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朝まで名無しさん:
当時の外務省東亜局長石射猪太郎が敗戦直後の1950年に読売新聞社から刊行した回顧録『外交官の一生』は、
とくに「南京アトロシティーズ」の一項を設けて、軍とともに南京に入った福井総領事代理や、
岡本上海総領事からの報告で、日本軍の掠奪、強姦、放火、虐殺の情報を知って慨嘆したこと、
石射が三省局長会議(外務省東亜局長と陸海の軍務局長)でたびたび陸軍側に警告したこと、
広田外相からも杉山陸相に軍紀の粛清を要望したことを述べている。
そしてこの事件を「南京アトロシティーズ」と呼んだとした上で、「日本新聞は、記事差止めのために、
この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直に千里を走って海外に大センセーションを引き起した。
あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、
大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼讃するのみであった」と書いている。
石射猪太郎の1938年1月6日の日記には、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、
掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼之れが皇軍か」
と書かれている(『石射猪太郎日記』中央公論社、1993年)。