>>528 1.日本軍(特に陸軍においてはなはだしいが)において、兵の教育が過酷であり、
往復ビンタや過激な制裁が横行し、次第に上官の命令を絶対に聞くという態勢になった。
2.軍の内務班や兵営にいる限り、上官の非常な圧迫下にあり、
エネルギーがいつでも外に向かって解放されるようになっていた。
3.いつでも死を覚悟するように教育され、実際にもほとんど無益・無効な白兵戦に押しやられ、
自暴自棄になっていた。どうせ死ぬんだから何をやってもいいやという気持ちになっていった。
4.陸軍は補給をほとんど無視した軍隊であった。
そこで食料・燃料などの生活物資の一切を中国の民間人から徴発するという態勢になっていた。
むこうも食料を奪われたら命をつなげないので必死に抵抗した。そこで徴発の場面から徐々に暴行が常習化した。
ところで戦闘場面と異なり、徴発では下級兵士が上官の目を離れて自由に振る舞える唯一の場であった。
徴発の場では、物資の略奪とともに婦女暴行が頻発した。
5.強姦は一応陸軍刑法でも重罪であったが、親告罪、つまり相手が訴えなかったら、捕まらなかった。
相手の訴えを出来なくするためにほとんど必ず、強姦後殺人の形をとった。
6.下級兵士は中国人の前では強大な絶対者として振る舞うことが出来た。
警察による抑止や相手に武器など抵抗手段がなく、完全に相手を自由に痛めつけられる状況にあった。
7.上海の戦線が開かれるに及んで、なめてかかった日本軍は次々と壊滅に近い大きな戦死傷者を出した。
中国軍の死にもの狂いの抵抗は、中国憎しという逆恨みの感情を起こし中国人を
ひどい目に遭わすことをなんとも思わなくなった。
8.中国東北部ら「満州国」を作り上げたが、その過程では日本支配に抵抗する中国人を徹底的に殲滅した。
そのとき得られた捕虜は銃剣殺、斬殺された。
新兵教育のため生きた的として活用され、銃剣殺、斬殺に対する心理的抵抗感が次第に麻痺して行った。