昭和40年代 福山葦陽高校校長が自殺
昭和45年 5月 1日 府中高校同和主任教諭(36)がナイフで手首を切り自殺
昭和49年 9月 新市町常金丸小学校同和主担者が会議の直後心臓麻痺で死亡 →解同支部長「すまんことをした」と詫びる
昭和51年 4月28日 新市町常金丸小学校同和主任教諭が遺書を残して失踪
昭和51年 4月 庄原市川北小学校校長が自殺未遂 →「差別事象」を根拠に解同の介入あり
昭和51年 5月16日 府中東高校同和推進教諭(25)が山中で首吊り自殺
昭和51年 5月24日 府中東高校同和主任教諭(40)が墓地裏松林で首吊り自殺
昭和51年 7月 1日 福山市教委社会教育課主事 遺書を書いて自殺未遂
昭和52年 3月26日 福山市大成館中学校教諭が自殺
昭和55年 9月 加計高校同和推進教諭(55)が自宅裏山で首吊り自殺
昭和56年 1月29日 福山市桜ヶ丘小学校校長(54)が山中にて包丁で頸動脈を切り自殺
昭和56年 1月31日 本郷町北方小学校校長(52)が校内にてカッターで頸動脈を切って自殺
昭和56年 4月 9日 廿日市町宮内小学校校長(55)が校内物置小屋で首吊り自殺→解同、連日に渡る糾弾
昭和56年11月26日 県教委学校管理課長(元同和教育課長)が自殺
昭和57年 4月11日 五日市町教委同和教育指導課長(51)がナイフで胸を突き自殺
昭和58年10月 5日 沼隈町常石小学校校長がナイフで自殺
昭和60年 2月22日 庄原市山内小学校教諭(25)が山中で首吊り自殺
昭和51年 5月16日 府中東高校同和推進教諭(25)が山中で首吊り自殺
昭和51年 5月24日 府中東高校同和主任教諭(40)が墓地裏松林で首吊り自殺
昭和56年 1月29日 福山市桜ヶ丘小学校校長(54)が山中にて包丁で頸動脈を切り自殺
昭和56年 1月31日 本郷町北方小学校校長(52)が校内にてカッターで頸動脈を切って自殺
昭和57年 4月11日 五日市町教委同和教育指導課長(51)がナイフで胸を突き自殺
昭和58年10月 5日 沼隈町常石小学校校長がナイフで自殺
平成13年 8月25日 大柿町柿浦小学校校長(51)が車ごと海に転落して死亡
平成14年 2月20日 府中町府中南小学校教諭(39)が車ごと海に転落して死亡
平成14年 6月 県立竹原小学校教諭(26)一家4人が謎の心中 →ダム底で発見
平成15年 3月 9日 尾道市市立高須小学校校長(56)が校内で首吊り自殺
平成15年 3月10日 甲奴町小童小学校教頭(45)が自宅で首吊り自殺
「八者合意」といわれる、外部団体の教育への介入を明言した文言を県教委など8者で取り決め、
以後、教育に無関係な団体の介入が始まる。
その後、教育長が変わり、八者合意を破棄を宣言するも「市町村レベルでは有効」と抗弁。そして・・・
平成 8年 6月19日 千代田町教委社会教育課長(48)が山中で首吊り自殺 →解同側関与認める
平成 9年10月 県立広島養護学校校長(53)が海にて変死
平成11年 2月28日 県立世羅高校校長(58)が自宅で首吊り自殺 →県教委、解同の関与あったとの公式見解
平成12年 2月18日 尾道市久保中学校教諭が自殺
平成13年 5月 県立因島高校教諭が自殺
平成13年 8月25日 大柿町柿浦小学校校長(51)が車ごと海に転落して死亡
平成13年11月 県立因島高校教諭が自殺
平成14年 2月20日 府中町府中南小学校教諭(39)が車ごと海に転落して死亡
平成14年 3月 1日 県立三原養護学校校長(55)が自宅で突然死 →自殺との見方も
平成14年 4月 3日 因島市田熊小学校校長(54)が心筋梗塞で突然死
360 :
広島における教育関係者の戦死リスト(コピペ):03/12/30 14:04 ID:RpUh0t8m
平成14年 6月 県立竹原小学校教諭(26)一家4人が謎の失踪 →ダム底で発見、心中と断定される
この事件は朝食が準備されていたり車の中での華族の服装がパジャマの者が居たり、女教師が
死亡日以降に予定を入れていて不自然。女教師一家神隠し事件として有名。
また、たまたま渇水だった為に早く見つかっただけで、例年どおりの天候なら
あと数年は見つかってない
平成14年12月10日 県立油木高校事務職員(50)が事務室の不審火で死亡
平成15年 3月 9日 尾道市市立高須小学校校長(56)が校内で首吊り自殺→教師側と国旗・国歌をめぐり軋轢?
平成15年 3月10日 甲奴町小童小学校教頭(45)が自宅で首吊り自殺
平成15年 4月 県内公立中学校養護教諭が自殺
平成15年 7月 3日 尾道市教委次長(55)が森の中に止めた車の後部座席上方の取っ手にネクタイと
ロープを結んだものにクビを括ってドアを空けて中腰で首吊り自殺 と見られる不審死。
警察は即座に自殺と断定。