南京大虐殺はあったの?何万人殺ったの?5万

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703朝まで名無しさん:03/06/04 16:33 ID:GQHZydeW
>>685
>当方の反論に具体的な反論をせずただ自己主張を繰り返しているだけなのは貴兄であり、私
>ではありません。

違います、私の問いに対し、あなたがことごとく問題をスリカエているので、
何ら議論が進行しないのです。
さらに付け足すと、あなた自身の主張も具体性がありません。
具体性の無い主張に具体的な反論をせよ、と言われても不可能です。
704靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 16:50 ID:aFQ3QWp3
>>695
> 第19号文書で、ラーベは日本軍の16万という登記を元に25万〜30万と推計している。
 それについては、19号文書以降30万という数値は現れず、食料要求の為に多めに言った
といっています、登記数16万に対し、以下に子供や一部地区の老婦人が含まれていないと
はいえ30万は明らかに過大です。従って、この時期以降の市民人口についての彼らの認識
は25万です。

> 3者が文字通り三者三様の調査なり推計なりをしてどれも同じ程度の人口となった
> と解釈することに矛盾はないよ。

 いいえ、三月には既に治安がある程度回復しており、それまで城内に避難していた人が
城外の自宅へ戻ったり、城外に避難していた人が戻ってきたりしており、同じ人口を示す
数値ではありません。なお、スマイスの3月下旬人口の認識は抽出調査数に調査できなか
った推計数を加えた25−27万です。

 何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない
ところで行われていたとすれば、それらの数にその虐殺数が現れることはありません。
705朝まで名無しさん:03/06/04 16:59 ID:Z1ROJnMq
>>650
>私は世間で一般に言われる"南京大虐殺"を議論しているのであり、
>それが「大」虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中であり、
>決定的な結論は私自身はまだ出していません。

これはどういうこと?
「『大』虐殺と言えるようなものかどうかについて検討を行っている最中」
というなら先ず自分なりの「『大』虐殺」の定義付けがないとそれはできない筈だが、
だとしたらその「『大』虐殺」の定義を教えて欲しい。
まさか「『大』虐殺とは何か」という結論(定義)すら自分の中に出来てないという意味ではないよな?
706朝まで名無しさん:03/06/04 17:10 ID:Z1ROJnMq
>何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない
>ところで行われていたとすれば、

もういい加減にしろ
707靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 17:12 ID:aFQ3QWp3
>>702
> 泰郁彦であろうと小学生レベルだ、と言いました。
 だったら、その貴兄の論理の妥当性をここで示してください。妥当性を認められない限り
それは貴兄の一主張でしかありません。

 で、前にも申しましたが、貴兄は誤解していますし、その誤解を解く為の指摘を貴兄は無視
しましたね。「分からんのにあったとする物言いをする」がその誤解です。現実には、歴史的
には「あった」ことになっていると申し上げました。従って、「あった」ことが前提になりま
す。また、様々な資料は"南京大虐殺"があったであろうことを極めて強く示しています。

 貴兄の言い分を聞いていると、私は私自身が分かっていないことについては、その全てにつ
いて何も言うことが出来なくなります。例えば、中国古代史についてはよく分からないことが
数多くありますが、分からないので何も言ってはいけないのなら、これらについての話さえ出
来ません。平たく言えば貴兄は私に言論封じをしたがっている、と思われてもやむを得ないで
しょう。言論の自由は私にも貴兄にも認められた基本的人権の一つです。あなたに私の基本的
人権を奪う権利はありません。

> さて質問です。「あなた(靴屋氏)の論理レベルは泰郁彦と同等か?」
 私はその例を、私と同じように「虐殺数を確定することは不可能」だと思っている人の例と
して提出しましたから、その限りにおいて同等であると言えます。私は泰教授の知識や論理レ
ベルについては何も言及していませんから、質問自体に対して答える義務はありません。

 もし、答えないのがすり替えだというのであれば、私が泰教授の例を出した意図をすり替
えたのは貴兄であると前もって言っておきましょう。

708朝まで名無しさん:03/06/04 17:21 ID:qFWN4ruY
あの時、チュン公を皆殺しにしておけば、SARS騒ぎもなかったわけだが。
やる時は、徹底してやらんとな。
709靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 17:22 ID:aFQ3QWp3
>>705
> というなら先ず自分なりの「『大』虐殺」の定義付けがないとそれはできない筈だが、
> だとしたらその「『大』虐殺」の定義を教えて欲しい。

 そうではありません。以前に「大渋滞」とか「大震災」とかいった例を出しましたが、この
例は冗談のつもりで言っているのではありません。これは多くの人が持つであろう印象を指し
ます。

 否定派は、大虐殺という印象を与えるほどの事件ではなかった、という主張をしていると
言えます。このような「大虐殺」という言葉のとらえ方と些かも変わるものではありません。
710朝まで名無しさん:03/06/04 17:25 ID:Z1ROJnMq
>>709
大虐殺の定義がダメなら虐殺の定義でもいいよ
711靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 17:40 ID:aFQ3QWp3
>>710
不法殺害というのは当然含まれるわけですが、戦争中とは言え人道上認められて良いかという
倫理的な側面もあります。

 例えば、多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような
場合です。便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例などもそう
ですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、否定派の多くはこれらを中国のせいであって、
日本軍の責任ではない、とか、敗残兵を掃討するのは当然だし、その中に多少民間人が入って
いても軍事的にやむを得ない、というわけですね。
712計算機:03/06/04 17:46 ID:pOvCFOpJ
>>699
俺も細かい話はしてないよ。当時の南京の人口が10万なのか、
20万なのか、30万なのか、40万なのかという話をしている。

そのいずれであっても、15万も埋葬されたというなら人口(の見積もり)
に変化ががあるはずだということ。

>>700
スマイスが言ってるのは「南京【市】の戦前の人口は100万で、陥落当時の
【安全区】の人口は20万〜25万」ということかな。
ちょっとそれは飲めないな。スマイスは3月に抽出調査をやってるんじゃないのか?
で、その結果が「第1表」なんだろ?
というか、文章を素直に読めば「市の陥落当時の人口は〜」なんだから
「安全区内の人口のみ」とは言えないんじゃないかな。

「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には
 南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
 市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。」

ウィルソンに関して俺が言いたいのは「南京に残留している15万〜20万が
安全区に群がった」という部分で、安全区外に散らばってた人が安全区内に
「群がった」と言うこと。人数の正確さは問題じゃない。
クレーガーも同様。「南京に残った全住民が難民区に逃げ込んだ」というところ。
第6号文書も「安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていました」というところ。

城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
713計算機:03/06/04 17:46 ID:pOvCFOpJ
>>701
>> ラーベが20万から25万に「宗旨替え」した(第19号文書)のは推計し直したのか、
> これは既に説明しています。20万という数値は南京市全人口ではなかったのです。ラーベ曰く
>「廃墟になったところに住んでいた人たち=5万人」が安全区内に流入した、というものです。

ラーベが5万増やしたのは1/14の第19号文書が最初だよね。日本軍のデータを元に
推計し直したら25万になっちゃったんでごまかしたの「かもしれないよ」(w
実際の人口は22万程度で2万が「廃墟」にいて「5万単位」で数えれば25万になった
ということもできる。

それに、貴方が書いてるとおり城内外の行き来ができないとしたら南京城内25万(安全区内
20万、区外5万)で意見の一致を見たということになるな。

もし区外を仮に20万だとしたら食料その他はどうしてたんだ?
それに、人口の4/5が脱出したというラーベの記述は?
これもラーベの見積もり違いか?

>>704
25万でOKなら俺は文句はないよ。

> 何れにせよ、市民虐殺が陥落後数週間内に、国際安全区委員会メンバーの目に触れない
>ところで行われていたとすれば、それらの数にその虐殺数が現れることはありません。

目に触れないところに何十万者人がいたことを証明しなければ何の意味もないよ。
被害者が存在してないわけだから。
貴方がすべきことは例えば、「城内の安全区外に20万の人口が存在しており、それは
XXXXに記述されていて、YYYYの理由で安全区に入らなかった。」というように、
まず証拠を出すことだと思うよ。

俺は(なんと肯定派のサイトらしいが)「南京事件資料集」の「南京の人口」を引用
して論理を書いてるつもりだよ。
714朝まで名無しさん:03/06/04 17:50 ID:Z1ROJnMq
>>711 >多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような場合です。

そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。

>>709で思うんだが「大虐殺」とは「印象」であるというなら
あなたが「大虐殺」について検討を行い決定的な結論が出るということが
ありうるんだろうか?所詮印象に対して
715恵也 ◆o4NEPA8feA :03/06/04 18:02 ID:0bERskyS
>>671
>昭和13(1938)年6月1日付の改正令で
(1)「詰襟」を廃止し、開襟にもなる「立折襟」に改める
(2)肩の階級章を襟に移す―などの軍装改正を実施した
>としたわけだから区別は付くだろうね。

このことも問題にしてたんだが、こちらは返答が無いね。
昭和13年5月10日に毎日新聞で不許可になった写真から、立折襟らしきもの
が出てきたんだが。
これが立折襟だとしたら、貴方の理論は間違ってることにならないかい?
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/fukyoka2_1.html
716朝まで名無しさん:03/06/04 18:14 ID:LUTrxF4U
横から突っ込むが。

>>714
> >>711 >多くの民間人に紛れて敗走する中国兵を、民間人もろとも殺害した、というような場合です。
> そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。

あくまで靴屋さんの感覚の問題なので、スルーしたのだろうが
これは当然国際法上は不法行為ではないので注意して欲しい。

こういう場合日本軍が敗走を見逃さなければならない義務を負わない。
717恵也 ◆o4NEPA8feA :03/06/04 18:26 ID:0bERskyS
>>671

貴方の出した写真は、あまりにも不鮮明
少なくともこのくらい鮮明なら、ひょっとして詰め襟じゃないかなんて言わないよ。
これは東南アジアのようだがね。
http://f3.aaacafe.ne.jp/~hatuki/GSNP02M.HTM
718朝まで名無しさん:03/06/04 18:32 ID:r5Z4XoAZ
>>716 ありがとうございます。

>便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
>などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、

こっちは不法なの??????
だったらこの場合は日本軍は一体どうすりゃ良かったんでしょうね
これじゃ民間人に紛れたモン勝ちですやん
719靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 18:48 ID:aFQ3QWp3
>>714
> そのような場合日本軍は黙って敗走を見逃さなければならない、というわけですね。
 いいえ、私は当時の日本軍を責める、という気はあまりありません。そうではなく、そう
したことはやはり悲劇ではなかったか、我々はやはりそうしたことは起こらないことを望む
のではないか、という意味で言っています。そんなこと言ったら戦争自体がそうなんですが、
言い方を変えれば、不幸にも日本軍は虐殺してしまった、というようなことになるかと思い
ます。

> あなたが「大虐殺」について検討を行い決定的な結論が出るということが
> ありうるんだろうか?所詮印象に対して

 いやそれは、結局は個々人の問題だろうと思います。ただし、事実は事実としてきちんと
認める必要はあると思います。だから、どういうことがあったのかをやはり知る必要がある
ということになるわけではないかと思います。
720靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 18:48 ID:aFQ3QWp3
>>712
> 俺も細かい話はしてないよ。当時の南京の人口が10万なのか、
> 20万なのか、30万なのか、40万なのかという話をしている。

 私の方はそれについては不明であるという立場です。相当程度脱出したはずだから、近郊
農村からの流入があったとしても50万以下かなぁ、という程度の認識しかありません。無論、
これには確かな根拠はありません。なお、埋葬数の話は私自身は今のところする気はありま
せん。

> スマイスが言ってるのは「南京【市】の戦前の人口は100万で、陥落当時の
> 【安全区】の人口は20万〜25万」ということかな。
> ちょっとそれは飲めないな。スマイスは3月に抽出調査をやってるんじゃないのか?
 ですから、記述を読めば分かるように「100万」も「20-25万」も誰の調査か書いてあり
ません。「我々」とあるのはその直後です。スマイスが知っていた数字が単に国際安全区
委員会の認識していた数しかなかった、と私は言っています。おそらく、少なくとも城内
のほとんど全ての人間が安全区に集められていたという認識は変わらなかったのでしょう。

> 城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
 という認識を持っていたことと、彼らが認識し得なかったことがあるということは別に
矛盾しません。
721靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 18:48 ID:aFQ3QWp3
>>713
> それに、貴方が書いてるとおり城内外の行き来ができないとしたら南京城内25万(安全区内
> 20万、区外5万)で意見の一致を見たということになるな。
 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。つまり陥落時にはこの数値が
厳密な意味での下限値ではないということに注意して、25万以上、ということになります。

> もし区外を仮に20万だとしたら食料その他はどうしてたんだ?
 例えば夏淑琴事件の夏淑琴は家族のほとんどが殺されてから一週間くらいその家で隠れて生きてました。
これまた記憶ですが、確か台所に残っていた食料を少しずつ食べて生き延びた、とかだったかな。しかし、
安全区外の状況は今のところ余りよく見えてきません。ただ、中国の云う虐殺地図が仮に正しいとすれば、
城内も城外も相当範囲で、集団虐殺されているようにも見えます。これを敗残兵掃討として行ったのか、
それとも便衣兵容疑の建前でお構いなしにやったのか・・・・

> それに、人口の4/5が脱出したというラーベの記述は?
 これは、100万−20万=80万、という奴です。私は日記の記述などから、ラーベはある面では思い込み
の強い性格だったと見ています。狂信的とも言えるナチ党員でしたし。

> 貴方がすべきことは例えば、「城内の安全区外に20万の人口が存在しており、それは
> XXXXに記述されていて、YYYYの理由で安全区に入らなかった。」というように、
> まず証拠を出すことだと思うよ。
 いいえ、元々は詩論語氏の陥落時人口が掴めれば大雑把な虐殺数の把握くらいは「出来る」、という
理屈に対する反論ですので「出来ない」を示してその理屈を否定したわけです。「出来る」の反対は
「出来ない」ですので、これで十分です。

 他に東京裁判のベイツ証言、マギー証言、ウィルソン証言、下関の3万といわれる死体の軍民比率、捕虜
や敗残兵、便衣兵摘出時の民間人混入、ダーディンの記事に見られる平和になると考えて避難しなかった人
がいた可能性、などなど人口数に含まれていないと考えられる数があった可能性はたくさんあります。何の
可能性もなしに、一点突破風な理屈を展開しているわけではありません(笑)
722靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 18:53 ID:aFQ3QWp3
>>718
> >便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
> >などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、
> こっちは不法なの??????

 無裁判でやった、というのが少なくともハーグ陸戦条約規則に抵触します。


723計算機:03/06/04 18:55 ID:pOvCFOpJ
>>715
どの写真のことを言ってる?
http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NMFOTO02.html
なのか、それ以外のヤツか?
真ん中の銃剣で刺してる写真は詰め襟に見えるな(捕虜(?)の肩を
支えてる日本兵)。
http://www.sjwar.org/Pows-e.htm

どちらにしても「蘇州」で撮影された写真なんだから、南京大虐殺の証拠にはならない。

陸軍軍服の歴史
ttp://village.infoweb.ne.jp/~fwgi1767/jyosetsu1.htm

上のサイトには5式軍衣はないので以下を参考に(w
ttp://www.yuri.sakura.ne.jp/~right/gunpuku/gunpukugallery/file/japarmy.html
724朝まで名無しさん:03/06/04 19:02 ID:8Vf5OzcY
>>722
裁判(弁護士無し簡易裁判)やってもやらなくても結果は同じ(死刑)だけどな
725朝まで名無しさん:03/06/04 19:03 ID:GQHZydeW
>>707
>だったら、その貴兄の論理の妥当性をここで示してください。妥当性を認められない限り
>それは貴兄の一主張でしかありません。

いつまで逃げる気だ?泰郁彦「が」小学生レベル、と言っているのではない。
「具体的に何も分からんのに虐殺あった、と言うなら(それが泰郁彦でも)小学生レベル」
と、何度も言ってるだろうが。これに妥当性を認めない、というなら
「具体的に何も分からないけど虐殺あった」という論法は(靴屋氏的に)アリなんだな?
じゃあ「具体的に何も分からないけど虐殺無かった」もアリか?
YesかNoで答えられる質問に、いつまでウダウダ逃げ回ってんだよ?

あと、泰郁彦が「お前同様」具体的に何も分かってないかどうか、は別問題だ。
お前さんは泰郁彦の文章の一部に「神のみぞ知る」という発言があるのを引用しているが、
それは泰郁彦が「具体的な事は何も分かってない」という事ではあるまい?
秦:「本当に正確な数字は分からないが、3〜5万程度」
靴屋:「人口も被害者数も具体的には分からないが、虐殺あった」
前者と後者が同じレベルかどうか、それすら分からんのかお前は?

>貴兄の言い分を聞いていると、私は私自身が分かっていないことについては、その全てにつ
>いて何も言うことが出来なくなります。

「何も」言うな、とは言っとらん。
分からんのに「あったという前提で語る」のがおかしい、と言っているのだ。
そしてお前は前提付けの根拠を「世間一般」としたが、
具体的に世間一般ではどう言っているのか全く提示しておらんな。
お前さんは、世間一般の事すら分からんのではないのか?
726計算機:03/06/04 19:05 ID:pOvCFOpJ
>>717
是非鮮明な写真を貼ってくれ、君の貼る写真は小さいか不鮮明かのどちらかだ。
だからわざわざ俺が大きい写真を探してきて貼ってる(wこのやりとりを自分で
追ってみれば分かる。鮮明な写真期待してるよ(w

>>靴屋
悪いけど、今日はこれまで、>>720以降は明日に。
727朝まで名無しさん :03/06/04 19:11 ID:O1yt4irk
そもそも民間人と兵士の区別は実はそれほど難しくはないのです。
中国兵士たちが、衣服を略奪していたのは、もっていなかった
ためです。自分のものではないものは体にあわないことが大半で、
みればたいていわかります。略奪して人のものを着ていた貧民もいたでしょう
から、やっかいなところはありますが。日本兵はかなり時間をかけて
調べています。民間人が兵士に間違われたという例は、非常に少ない
と思われます。
728朝まで名無しさん:03/06/04 19:12 ID:LUTrxF4U
>>718
> >>716 ありがとうございます。
> >便衣兵容疑者摘出中の民間人の混入をほとんど無視して全員殺害した例
> >などもそうですが(こちらの方は不法殺害容疑になるが)、
> こっちは不法なの??????
> だったらこの場合は日本軍は一体どうすりゃ良かったんでしょうね
> これじゃ民間人に紛れたモン勝ちですやん

ここの前スレあたりで議論になったポイントです。不法かそうでないか両論
あります。

現在では厳密に言うと不法です。南京当時不法であるかどうかで議論になって
います。
ただし、これが厳密に守られたとされる状況は私は知りません。
729朝まで名無しさん:03/06/04 19:15 ID:GQHZydeW
>>711
710は俺じゃないけどさ、虐殺の定義を聞かれているのに、なに関係無い話してんの?
さっさと「これこれこういう状態が虐殺と言える(と思います)」というように
答えを出してあげなさいよ。君はいつも問題をずらすんだね。
それともあれか、人口問題や被害者数の話と同様に
「虐殺とは何なのかは分かりません、でも虐殺あった」ですか?(笑)
730朝まで名無しさん :03/06/04 19:18 ID:O1yt4irk
当時の中国において、民間人と兵士が一緒に逃げるということは
ほとんど考えられません。敗走中の軍閥軍の兵士は、略奪をする
のが常でした。また、勝手に人を徴用してしまいます。近寄るなど、
とんでもないことだったのです。蒋介石は近代化をおしすすめ
ていましたが、そう簡単に改革はすすみませんでした。軍閥軍を
統合して、国民軍にする努力がなされていたのです。このような
実情をしらずに、問題を論ずることはできません。知識不足の方が
多すぎます。当時の中国を把握していない人が知ったかぶりをして
問題に触れるのはやめていただくようにお願いします。
731靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 19:18 ID:aFQ3QWp3
>>725
> いつまで逃げる気だ?泰郁彦「が」小学生レベル、と言っているのではない。

 いやー、正直逃げたいんですよ。私は南京事件の議論そのものに集中したいですから(苦笑)

 まぁ、お言葉は有り難く忠告として受け止めてはいます。実際、よく分かっていないという
のは事実です。言い訳を許してもらえるなら、売り言葉に買い言葉になって、こちらもそういう
反応になりがちというのはありますからね。

 何れにしましても、いったん興味を持った以上は、出来る限りの真相・真実が知りたい、とい
う気持ちで取り組んでいます。実際のところ、肯定的な立場によりがちになってはいますが、
結果として「南京大虐殺」はなかった、という結論になってもそれは構わないと思っています。
無論、今のところ、そういう結論にはならないだろうという、ある程度の確信はありますが。

 というわけで、ごまかしに見えるかも知れませんが、そろそろお許し願えませんでしょうか。
732朝まで名無しさん:03/06/04 19:21 ID:LUTrxF4U
>>718

個人的には、処刑を決定した仕官に軍律裁判の判決権(通常部隊長のみに与えら
れるが、命令によって部下に委譲できる)を与えたとみなすという解釈を支持してい
ます。

実際、このような例がほかになかったかというと、満州の山賊討伐では、指揮官が
裁判なしでの処刑権を与えられていますし(これは明文化されてます)。この場合
仮に山賊が降伏しても即時処刑は問題ないわけです。

南京の場合、便衣兵は、国際法の保護下に無い、敵対勢力ということでしょう。
ちなみに私はハーグの23条はハーグの保護対象である民間人にのみ適用され
ると判断してますので(佐藤解釈)このような判断をしています。
733靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 22:14 ID:aFQ3QWp3
>>724
> 裁判(弁護士無し簡易裁判)やってもやらなくても結果は同じ(死刑)だけどな

 であったにせよ、していないのですから、違法ということには変わりません。否定派との最低
限度の「虐殺」に関する定義は「不法殺害」にて一致していると思いますので、違法であれば
これは虐殺になります。
734靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 22:15 ID:aFQ3QWp3
>>727
> そもそも民間人と兵士の区別は実はそれほど難しくはないのです。

 東京裁判 ベイツ証言
  或る場合では日本の将校が中国人に向って斯り云ふことを言ひました。若し君達が以前支那の兵隊で
 あり或は中国軍隊の為に労役に服したことがあるにせよ、若し今此の労働奉仕団体に進んで参加するな
 らば、さう云ふことを総て忘れて上げようと言ったのであります。斯くの如くして一日の午後で南京大
 学校内より二百名の健康な人間を拉致し、直ちに何処かへ伴れて行って、同日夕方、安全地帯内の他の
 地域から同様な手段を以て拉致した人間と共に射殺したのであります。

区別どころか・・・・ですね。命令はこうでした。

  南京城内掃蕩要項
  上海派遣軍 第9師団 歩兵第六旅団長秋山善兌少将より
  一、潰走せる敵は、大部ぶん便衣に化せる者と判断させるるをもって、その疑いある者はことごとく
    これを検挙し適宣の位置に監禁す

  一、壮年は全て敗残兵又は便衣兵と見なし、全てこれを逮捕監禁すべし
735靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 22:15 ID:aFQ3QWp3
>>729
> 710は俺じゃないけどさ、虐殺の定義を聞かれているのに、なに関係無い話してんの?
 いいえ、私は定義することには余り意味がない、と主張しています。そもそも、虐殺に
定義はありません。これを定義してしまうことは、何れにせよ恣意的なものになります。
どうしてもというなら辞書で十分でしょう。

ぎゃくさつ【虐殺】 名)スル
          むごい方法で殺すこと。
          「一般市民を―する」    三省堂提供「大辞林 第二版」より

 一応、「不法殺害」は否定派も認めていると思いますし、最低限度の一致点はこれで良い
と思います。
736靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 22:15 ID:aFQ3QWp3
>>732
 私は佐藤和男の解釈は支持しません。といっても具体的にどこか指示できないかと云われ
ても、以前時々見ていた佐藤和男の解釈が載っているサイトを忘れてしまったので、具体的
には云えませんが。

> 南京の場合、便衣兵は、国際法の保護下に無い、敵対勢力ということでしょう。
> ちなみに私はハーグの23条はハーグの保護対象である民間人にのみ適用され
> ると判断してますので(佐藤解釈)このような判断をしています。

 いいえ、便衣「兵」であったかどうか、という論点があります。南京で安全区から摘出された
便衣兵容疑者は、武装していませんでした。武装しているのが見つかったら殺されてしまいます
し、安全区の民間人にとっても大変危険な状態になりますので、国際委員会のメンバーなどに
よって武装解除させられていました。

 しかし、そもそも安全区委員会は、日本軍に対しこれらの敗残兵を人道的に取り扱うよう要請
し、日本軍も人道的に取り扱う旨、文書で了承していたのです。

 つまり、安全区からの(当初の12/14〜16の)摘出は、敗残兵として摘出したのであって便衣兵
容疑者として摘出したのではないと思われます。そして、12/17の宮様入城に間に合わせる為に
このときに摘出した敗残兵容疑者を全員殺害してしまったのです。掃蕩要領は敗残兵か便衣兵
ということですが、これを区別していた形跡はありません。

 しかも、多数の民間人を含んでいたと想定されます。別レスで示したようにまったく関係の
ない民間人がほとんどかも知れなような場合でさえ、殺害していた疑いが濃厚です。文民分離
が主眼だというのであれば、その観点でも到底無視し得ない大きな問題があると思いますが。
737朝まで名無しさん:03/06/04 22:32 ID:21ndPTVc
>>553

> それくらい日本軍は圧倒的だったようだ。
>日中双方にとってこんなにあっけなく陥落するとは
>思ってなかっただろう。

関係ないけど、
日本軍は中国軍はド弱いと思っているので、
陥落など簡単だと思っていたと思うよ。
中国軍は日本軍が来るとすぐ逃げる軍隊だったしね。
実際、近衛首相も南京政府を相手にせずとしていたし、
陸軍も相手はソ連だとしていたし。



738朝まで名無しさん:03/06/04 22:32 ID:cdKVCT2y
>>731 靴屋
>そろそろお許し願えませんでしょうか。
ということは
「具体的に何も分からないけど虐殺あった」 という論法を止めるって事だな?
つまり 「よく分かっていないというのは事実です。」
だから二度と 「虐殺あった」 と言わないって事だ。
739靴屋(ですます調) ◆DH9Ep4fU/w :03/06/04 23:16 ID:aFQ3QWp3
>>738
> だから二度と 「虐殺あった」 と言わないって事だ。

 いいえ、貴兄が仰っておられるのは「大」虐殺の筈です。虐殺自体を否定する研究者は、
私の知る限り極めて少数かいない、と思います。

740恵也 ◆o4NEPA8feA :03/06/04 23:28 ID:tZZHK1rs
>>723
>真ん中の銃剣で刺してる写真は詰め襟に見えるな(捕虜(?)の肩を
>支えてる日本兵)。

そいつかと思ったが、チョッと違うようだ。むしろ一番下の一番右。
立折襟には見えるが不鮮明すぎる。
襟の形で、捏造写真と断定するのはどうも俺の好みじゃない。

昭和13年、以前に立折襟がまったく無かったという証明も必要だし
その頃の、鮮明な写真が手に入らん。
この程度がヤットコサだ。
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/fukyoka1.html
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/fukyoka2_1.html
741朝まで名無しさん:03/06/05 00:31 ID:VDHgg5Ml
侵略は歴史の事実} Shanghai Dragon
中国軍のエリート特殊部隊の隊員となって、日本軍に占領された 1937 年の上海を舞台に、
極悪非道を繰り返す日本軍とその指揮官を滅するために活動をすることになります。

ーデモー
http://www.3dgamers.com/games/shanghaidragon/
ftp://3dgamers.in-span.net/pub/3dgamers3/games/shanghaidragon/shanghaidragondemo.zip
ftp://ftp4.3dgamers.com/pub/3dgamers/games/shanghaidragon/shanghaidragondemo.zip
http://downloadsx-2.planetmirror.com/pub/3dgamers/games/shanghaidragon/shanghaidragondemo.zip
ftp://ftp.sunet.se/pub/pc/games/gamershell//demo/shanghaidragondemo.zip
http://english.epiegame.com/download/shanghaidragon/ShanghaiDragonDemo.zip
742朝まで名無しさん:03/06/05 10:01 ID:zl9zVEQ6
・・・
743朝まで名無しさん:03/06/05 10:29 ID:0ve1sDPd
[今いるところは天津であるが、毎日天津より南西の二十里位の所の列車警備に行くので
 すが、実弾がビューと音立てて走って来るのですこぶる気持ちが悪いよ。(中略)天津
 でも毎日毎日便衣隊が我々の手に捕われるのですが、道路上で皆銃殺してしまいます。
 幾日も幾日も置いて紫色にくさった様を見て、初めは食事もとれませんでした。しかし
 今は何とも思いません。故郷の方でも相当騒いだことでしょう。天津の戦いは、大きな
 建物は我が空軍の為に全部破壊されまして見るも哀れな姿です。今いるところは金坊と
 いう会社である。此の会社でもやられて非常なる損害を受けたそうです。]

[このころは毎日、保定永定河近くに自動車にて残兵狩に出ています。今いる自分等のと
 ころから近いので、自分等の夜も安心するように毎日出ていくのです。毎日五人や十人
 くらい殺して帰ります。中には良人も殺しますが、何分気が立っているので、いる者は
 皆殺しす。哀れな者さ、支那人なんて全く虫だね。]

[杭州から南京まで百里の余りも毎日毎日行軍で苦労したよ。全くこの時ほど国のために
 はこんな苦労もするのかと思ったよ。米なぞも都合悪く、汽車の便もないので内地から
 来ず、毎日生塩に南京米の腐ったようなものを食べて十日も暮らしたよ。]

744朝まで名無しさん:03/06/05 10:30 ID:0ve1sDPd
[自分等のいるところは此の城外である。城外でも揚子江の沿岸で中国銀行。家は五階
 であるが、三階までは焼けている。自分等のいる隊は乙兵站部で、隊長は青木少佐で
 あって良い人です。兵站部は食糧等の分配をして各部隊にやるところである。揚子江
 を船で来る全全部の荷物が自分等の所に来るのです。沢山な荷物を五十人足で歩哨に
 立つのでなかなか苦労は多いよ。去年の三十一日まで支那兵の捕まえたのを、毎日揚
 子江で二百人ずつ殺したよ。川に、手を縛って落としておいて、上から銃で撃ったり
 刀で首を切ったりして殺すが、亡国の民は実に哀れだね。まるで鶏でも殺すような気
 がするよ。十二月二十七日の夜は、兵站部に食糧を盗みにきたので七人捕まえて銃剣
 で突き殺したが面白いものだったよ。全く内地にては見られない惨状だよ。]

[平和になった南京市には南京市民が続々と帰ってくるよ。来てもだね、夜が来ても寝
 るところも無し。此の寒さにふるえて死んでいく者も一日に何百人ですよ。哀れな支
 那人ですね。]

[俺達の居る南京地方は、此の頃は暖かになりました。一週間前は雪が降っていたが、
 此の頃は毎日春だよ。襦袢一枚で毎日暮らしているよ。もう支那兵の死人が暖かになっ
 て腐るので、悪臭が鼻を切るように匂ってくるよ。全く戦地だね。揚子江の隅には死
 人の山で□の如くだよ。一寸内地の人が見たら驚くね。腐ってどろどろになって居る
 よ。]

 第三師団第二陸上輸卒隊の一兵士による軍事郵便から

745朝まで名無しさん:03/06/05 10:49 ID:P+OcFQ5M
祖父が言っていたが、日本軍による南京大虐殺はなかった。
捏造だ。
中国軍による、日本軍に濡れ衣を着せる為の虐殺はあった。
746朝まで名無しさん:03/06/05 11:00 ID:VIu6hI+o
>>745
日本外務省、「日本軍による南京での殺人・略奪行為は否定できない事実」

日本の外務省スポークスマンの沼田貞昭氏は19日、当時の日本軍による南京
における殺戮(さつりく)行為は否定できない事実であると語った。

上記は、沼田貞昭氏が新華社の記者によるインタビューに応じ、語った言葉で
ある。沼田氏は、旧日本軍が1937年南京に侵入し、一般市民を殺害し、略奪行
為を行なったことは、否定できない事実であり、政府によるこれらの認識は、集
会を催した団体の認識とは異なっていると表明し、以下のように強調した。

日本政府の歴史認識に関する考えは、日本の村山富市元内閣総理大臣が
1995年8月15日の談話において明らかにした、「我が国は遠くない過去の一時
期に、植民地的統治と侵略によって多くの国、特にアジア諸国の人々に極めて
大きな損害と苦痛をもたらした。我々は、この歴史的事実を謙虚に認め、ここ
で改めて痛切な反省と心からの謝罪を表する」という言葉と変わっていない。
現在に至るまで、日本政府のこの考えには、いかなる変化もない。

「人民日報」 2000年1月20日1面
ttp://fpj.peopledaily.com.cn/2000/01/20/newfiles/a1020.html
747朝まで名無しさん:03/06/05 11:08 ID:P+OcFQ5M
>>746
漏れの祖父は戦時中、教師として台湾にいたんだ。
嘘は言わない人だ。
748計算機:03/06/05 11:21 ID:lwJzg+F0
>>720
スマイスは以下のように書いてる。

「南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、
後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。
市の陥落当時(12月12〜13日)の人口は20万から25万であった。
我々が3月に行った抽出調査で報告された人員を50倍すれば、すぐさま
市部調査で表示されている22万1150人という人口数が得られる。
この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表したもので
あろうし、住民の中には調査員の手の届かぬところに暮らしていたものもあった。」
(これ原文(英語?)ないの?)

これは、「陥落当時の南京市の人口は20万〜25万であった。我々の抽出調査の結果を
50倍すれば22万1150となるが、これは住民総数の80〜90%だろう(つまり実人口は
24万5722〜276436)し、調査漏れもあった」ということだろ?
「突っ込むんだったら第1票の注を見ろ」って書いてるわけだから、それと矛盾する
ことを書くわけないだろ?

>> 城内の人はほとんど安全区に集められていたということね。
> という認識を持っていたことと、彼らが認識し得なかったことがあるということは別に
>矛盾しません。

そんなこと言い出したら議論にならないよ。
「誰も(委員会もプレスも)認識し得なかった分の人達が誰も認識し得ないように
虐殺され、誰も認識し得ないように埋葬した」という論理か?
749計算機:03/06/05 11:21 ID:lwJzg+F0
>>721
> 一月中旬以降の大雑把な数としては、そう見る他ないとは思います。
ということは(少なくとも城内の)虐殺は1月中旬以降は起こってないというわけだね。

> 例えば夏淑琴事件の夏淑琴は〜残っていた食料を少しずつ食べて生き延びた〜
12/13から01/14まで残っていた食料で生き延びたということか?ラーベは「廃墟にいた
のは5万」と書いてるが、貴方は10万20万と思ってるわけだろ?違うの?
「5万じゃなくて6万だ」というのなら俺はそれでOKだよ。

>私は日記の記述などから、ラーベはある面では思い込みの強い性格だったと
見ています。
それなら「日本軍は残虐だ」というのも彼の思いこみだろう。

> 他に東京裁判のベイツ証言、〜可能性はたくさんあります。
可能性は0にも100にもならない。だから「可能性は常にある」。その可能性の蓋然性、
妥当性、論理があるかどうかが問題。
貴方は俺や詩論語さんの言ってる人口論に対して「その統計値は間違ってる可能性が
あるから信用できない」と言ってるだけで、正かるべき人口や間違いの原因(証拠)を
あげていない。「市長の【20万】という発表が頭に残ってるだけ」という論拠もない。

逆に言えば、人口がある程度正確なら10万人単位の虐殺など無かったという論を否定
していない。
750計算機:03/06/05 11:22 ID:lwJzg+F0
>>740
>そいつかと思ったが、チョッと違うようだ。
これはどういうことかな?
君は誰に言われて「そいつかと思った」の?

俺が詰め襟だと判断したのは以下の写真で襟元に階級章(ボタンみたいなの)が
付いてるように見えるから。立折襟なら階級章はないはず

>襟の形で、捏造写真と断定するのはどうも俺の好みじゃない。
襟の形だけじゃない。
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/crime%20scene.htm
を読めば(少なくとも君以外の人は)南京大虐殺の証拠にならないことが分かるはず。
751計算機:03/06/05 11:23 ID:lwJzg+F0
ごめん。抜けがあった。

詰め襟だと判断した「以下の写真」はこれ。
ttp://www.sjwar.org/Pows-e.htm
752朝まで名無しさん
私が親しかったある人は、南京でのことだけは口が裂けても言わないような感じがあり、
結局、語ることもないままにこの世を去った。いや、戦争のことはよく話した人だった。
ほとんどが苦労話だった。もちろん、敵を殺した話も出てきた。口癖は「戦争だからな」
と必ず最後に言うことだった。私はそうした話を聞くのが好きだった。というより、彼の
話すことを聞くこと自体が好きだった。そして興味津々に「へ〜それでどうしたの?」の
ように色々な話を聞き出すのだった。ところが、私が彼の話を聞いていて「ふーん、それ
どこの話?」と聞いたら、後にも先にも多分そのときだけだったと思うが、口籠もった
ように「中国の南京というところだ」といって、そのときは確か何か用事があるようなこ
とを突然言い出して、話を打ち切ってしまったのだ。その後、どういうきっかけだったか
忘れたが、そのときのことを思い出して「南京てどんなところだったの?」と唐突に訪ね
たことがあった。けど、彼は聞いていなかったふりをしたのか、全然関係のない話を続け
たのだった。その後も戦争体験の話は散々聞いたのだが(同じ話の繰り返しが実に多かっ
たが)、ついに南京の話は聞くことがなかった。彼の死後、数年経ってご婦人が亡くなら
れ、遺品を整理していると、いわゆる陣中日記というのだろうか、メモ帳のようなものが
数冊見つかった。私はあの戦争の話をしてくれた彼のことを思い出して、懐かしむように
そのメモ帳を読んだ。パリパリと音を立てるその古いメモ帳を慎重にめくりながら。だが、
その内容は、彼が私に語っていたことと、その印象がまったく違うものだった。そして
南京でのことも書かれていたのを見つけた。詳細とは言い難い簡単な内容ではあったが、
彼が幼い私に決して話さなかった理由の一端を見たという気がした。いわゆる南京大虐殺
の証拠といえるほどには大したものではなかったが、おそらく貴重な資料の一つにはなり
得ただろう。しかし私は、彼の意向を尊重することに決め、これを世間に公表するという
気には結局なれず、墓の前で一冊ずつ全て燃やしてしまった。これを研究調査している人
には大変申し訳ないなとは思ったが、悩んだ上での結論だった。