憲法9条は教育勅語と同じ

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69朝まで名無しさん
「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」
これの訳が「ひとたび国家の一大事となれば、正義にかなった勇気を奮い起こし、
国家・公共のために身を捧げることで」となっているが、これは誤読である。
ここで言う「公に奉じ」は「奉公」、つまり、えらい人のためにする、という
意味である。さもなくばその直後の「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という
文とかみ合わない。皇運とは天皇の地位や生活であって、国家はそれを支える
ために間接的に重要であるにすぎない。
もちろん言葉とは発せられた瞬間から発話者の意図を離れて解釈する者に
委ねられる物であるから、どう読もうと自由といえば自由だろう。ただ、
あくまで書いた者の意図に拘るならば、この教育勅語という文章には徹頭徹尾
天皇のためという分かりやすく確かな目的がある。それを無視した議論には、
変なものの混ざり込む余地があろうというものだ。
そうした文脈と関係なしに、ここに挙げられたような善行を勧めたいのであれば
我々が自分の手で新たに文章を起こすべきである。
あと、一つよろしいか。ここで他人を罵倒や軽蔑できるような人間というのは所詮
教育の失敗の産物だと思うのだがどうか。少なくとも「博愛衆に及ぼし」には
当てはまらないだろう。