★ オ ウ ム の 麻 原 彰 晃 は 朝 鮮 人 ? ★

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122朝まで名無しさん
1995年.平成7年
3月22日 捜査当局がオウム教団施設を捜索した際、麻原個人の金庫から、約七億円の
現金とともに十キロの金塊(時価約一千万円)が発見された。この金塊には刻印がなく、
再鑑定の結果、93年の脱税事件で金丸事務所から発見された無刻印の金塊とほぼ同一
の規格、品質であり、同じ高炉で精錬されたものと分かった。
4月23日 オウム真理教村井刺殺事件で、村井を刺殺した徐が犯行直前まで住んでいた
家の所有者である女性の姉とかつて同居していた相手は、実は北朝鮮の大物スパイ、
辛光洙(シンガンス)であった。

■北朝鮮・拉致事件関連年表
http://boboro-web.hp.infoseek.co.jp/bd203histry.htm
123朝まで名無しさん:03/08/29 03:09 ID:7SOuX1YB
北のスパイ・辛光洙とオウムの接点

オウムの北鮮とのコネクションは早川が仕切っていたが、そのうちに村井が担当するように
なったらしい。 村井×早川という教団内部の権力闘争で、結局、村井は北鮮(=北の工作
員の早川)に口封じで消された。 村井を殺した徐は日本名「田中」として在日朝鮮人二世と
して群馬県高崎に生まれた。早川とは親密な関係があった。 徐は北のスパイ・辛光洙(原
さん拉致で指名手配になった大物スパイ)とも北の支援者が経営するスナック等で接触し
ていた。 そのスナックは石川県穴水町にある。ここは北の工作機関の一大アジト。拉致や
原発攻撃に絶好だからだ。 徐はチュチェ思想研究会にも加入、総連の大物幹部とは東京
で同居もしていた。 一方、国松警察庁長官銃撃事件の容疑者のひとり林泰男は1957年。
東京小平生まれ。北朝鮮国籍。その後、帰化。石川県穴水町に転居。 祖父母(北朝鮮国
籍)は北朝鮮の工作船の日本側支援メンバーとして公安の重要監視対象者。 その後、
祖父母は北朝鮮に帰国。辛光洙とオウムの林泰男との接点はいくらでも出てくる。
124朝まで名無しさん:03/08/29 03:24 ID:7SOuX1YB
またオウム真理教教祖の麻原彰晃被告と教団幹部の林泰男被告が在日二世であること
も、世間ではあまり知られていません。「週刊現代」平成7 年 5 月 27 日号の中で栗本
慎一郎衆議院議員(当時)は、麻原被告の父親は朝鮮から日本に渡ってきた人物だった
ことに言及しています。ジャーナリスト江川昭子氏の裁判傍聴記録でも、林被告の父親が
朝鮮人であることが明らかになっています。(オウム真理教と北朝鮮との間に、何らかの
関係がある可能性も指摘されています。教団幹部である村井秀夫を刺殺した徐裕行という
在日韓国人が、在日の北朝鮮出身者が作る主体思想研究会の一員であったこと、麻原が
北朝鮮を何度も訪れていること、信者の車から押収されたフロッピーには、ハングルで
記録された情報が存在していたこと等、一連のオウム真理教事件に、北朝鮮が関与して
いたことを思わせる事実がいくつも確認されています。また韓国情報部は地下鉄サリン
事件について「宗教団体単独では実行できない」という分析をしています。

No.6 朝鮮総連が行なってきた活動の実態
http://www.google.co.jp/search?q=cache:gFEgeyuNqm0J:posting.hp.infoseek.co.jp/2/2_A_URA_10.pdf+%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%80%80%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%80%80%E8%BE%9B%E5%85%89%E6%B4%99&hl=ja&ie=UTF-8