いろんな歴史を 一人一人持ってるよ。
>第2章 老女殺され、反戦脱走決意
私が脱走を決意したのは、侵略戦争もある程度静まって、家宅捜索に
出た時のことだ。
私は上等兵と二人で大きい百姓家に入った。上等兵は左から、私は右
から入った。するとおばあさんが五カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いてい
て、土間に頭をつけて助けてくれって言うんだ。そのおばあさんが顔
を上げた時びっくりした。顔の形、輪郭が私のお母さんそっくり。
とにかく僕は、二人をかめの奥に隠してすぐに飛び出して、上等兵に
「異常ありません。行きましょう」って報告した。
庭まで出たら、赤ちゃんが泣いたんだ。「きさま異常ないって言って、
いるじゃないか」と殴られた。私は「おばあさん歩けないし、赤ちゃ
ん、敵にならない」と言ったが、「このばあさんは連絡員になる。
赤ん坊は大きくなったら八路軍になる」と、今度は銃床で殴られ立て
なくなった。
それで上等兵が、おばあさんと赤ちゃんをそのままくし刺しだよ。
悲しかった。あの晩、兵舎に帰って一晩眠れなかった。なんとかして
逃げようと、反戦脱走を初めて決意した。
最初、南京で殺した死体を見た時は、この戦争は悲惨だ、なぜ蒋介石
の軍隊は一人もいないのか。子どもや老人やら女ばっかりだと、蒋介石
を憎んだね。このおばあさんと赤ちゃんが殺された時、「俺(おれ)
は、こんな悪魔といっしょにできない。逃げよう」と思った。けれど
逃げるに逃げられない。
三八年十月に漢口陥落、私たちは南方へ回されることになり、台湾の
高雄で待機した。その時に三日間の休暇をもらって帰った。その晩に
母が発熱、母も父も私の帰りを待っていたように死んだ。その場から
弟と東京に逃げた。
これが、皇民化された私が、日本軍隊員として聖戦に行ったいきさつ。
だから、南京の現場を忘れることができない。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no/f1953.htm