南京大虐殺はあったの?何万人殺したの?2万

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114恵也 ◆o4NEPA8feA
いろんな歴史を 一人一人持ってるよ。
>第2章 老女殺され、反戦脱走決意
 私が脱走を決意したのは、侵略戦争もある程度静まって、家宅捜索に
 出た時のことだ。
 私は上等兵と二人で大きい百姓家に入った。上等兵は左から、私は右
 から入った。するとおばあさんが五カ月ぐらいの赤ちゃんを抱いてい
 て、土間に頭をつけて助けてくれって言うんだ。そのおばあさんが顔
 を上げた時びっくりした。顔の形、輪郭が私のお母さんそっくり。
 とにかく僕は、二人をかめの奥に隠してすぐに飛び出して、上等兵に
 「異常ありません。行きましょう」って報告した。
 庭まで出たら、赤ちゃんが泣いたんだ。「きさま異常ないって言って、
 いるじゃないか」と殴られた。私は「おばあさん歩けないし、赤ちゃ
 ん、敵にならない」と言ったが、「このばあさんは連絡員になる。
 赤ん坊は大きくなったら八路軍になる」と、今度は銃床で殴られ立て
 なくなった。
 それで上等兵が、おばあさんと赤ちゃんをそのままくし刺しだよ。
 悲しかった。あの晩、兵舎に帰って一晩眠れなかった。なんとかして
 逃げようと、反戦脱走を初めて決意した。
 最初、南京で殺した死体を見た時は、この戦争は悲惨だ、なぜ蒋介石
 の軍隊は一人もいないのか。子どもや老人やら女ばっかりだと、蒋介石
 を憎んだね。このおばあさんと赤ちゃんが殺された時、「俺(おれ)
 は、こんな悪魔といっしょにできない。逃げよう」と思った。けれど
 逃げるに逃げられない。
 三八年十月に漢口陥落、私たちは南方へ回されることになり、台湾の
 高雄で待機した。その時に三日間の休暇をもらって帰った。その晩に
 母が発熱、母も父も私の帰りを待っていたように死んだ。その場から
 弟と東京に逃げた。
 これが、皇民化された私が、日本軍隊員として聖戦に行ったいきさつ。
 だから、南京の現場を忘れることができない。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no/f1953.htm