天皇家ってどうやって成立したの?Part2

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1朝まで名無しさん
天皇家のルーツについて語りあいましょう。
また日本人のルーツでもOK。

前スレ
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news2/1041470011/
2朝まで名無しさん:03/02/08 00:24 ID:qm/guzpV
2geto
3別スレの343様なわけだが。:03/02/08 00:42 ID:ejtTWMPO
へ〜〜〜い。
おさきに、しつれいしてるYO!!。
ちぇけら〜〜う。
4朝まで名無しさん:03/02/08 00:45 ID:oPLSNAzE
>>前996
考古学者にとって天皇陵発掘は垂涎なんだが、宮内庁が鉄壁なんだって。
守りたい何かがあるみたい。
考古学が塗り変わるような何かが隠されているに違いない。
5 :03/02/08 00:47 ID:friJydNQ
>>995
消去法。

北方からフヨや騎馬民族系が降りてくる前の平穏な時代。

君は、もともとそこの地にどんな人種が住んでたと思うんだ?
九州からみて、本州へ海を越えるよりも、さらに海を越えて四国にいくより
近い、半島西南の地に、弥生人がいなかったと思ってるのか?
国境なんてない時代だよ。
6朝まで名無しさん:03/02/08 00:48 ID:qm/guzpV
>>4
そうだね。日本の考古学発展のためにもぜひとも発掘してほしいよね。
7朝まで名無しさん:03/02/08 00:51 ID:mEmBEtHk
後漢書

韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西、有五十四國。其北與樂浪、南與倭接。

を見ても、馬韓の地(後の百済)に住んでたのは韓人。
8朝まで名無しさん:03/02/08 00:52 ID:ejtTWMPO
ただ、いい加減な薄っぺら調査はやめてもらいたい。
理由は、簡単だ。
土器や人骨を埋めて、ここずっとうちの墓ね。
と過去の権力者は主張したはず。
せめて、当時、掘れないか、さわれない部分まできっちりやってほしい。
9朝まで名無しさん:03/02/08 00:52 ID:qm/guzpV
>>5
どんな人種がいたかといえばモンゴロイドに決まってるじゃん。(W
10朝まで名無しさん:03/02/08 00:53 ID:mL/TY7zH
>6
明治時代に急ぐように比定した墓があるようだ。
そういう場所こそ徹底調査して白黒はっきりさせたほうがいい。
まったく違う部族の墓かもしれんからな。
11朝まで名無しさん:03/02/08 00:55 ID:/XRjx4e4
>>988 :朝まで名無しさん :03/02/08 00:29 ID:ejtTWMPO
>>>976
>ということは、文化は大陸経由でなく、日本から輸出したということになる。
>なぜなら、大陸を起点にすると朝鮮半島経由や中国から東シナ海経由で、日本は
>しんがりになる。
>環太平洋だと、その逆になるわけだ。

>事実、前スレで当時の文化は中国を含め建造物等で類推すると、日本が一番進ん
>でいたことになる。

なんで、こんな結論が出るのか理解に苦しむ。
中国より古代日本が進んでいたわけないじゃん。
12朝まで名無しさん:03/02/08 00:56 ID:NXCf/Iby
>>9
そうだ。
モンゴロイドだ。同種族だ。
13朝まで名無しさん:03/02/08 00:56 ID:mEmBEtHk
親書では、

韓の3国のあと、倭人在帶方東南大海中、とある。分かれてたのね。
1413:03/02/08 00:57 ID:mEmBEtHk
親書じゃなくて、晉書
15朝まで名無しさん:03/02/08 00:59 ID:Lz25Monv
そいや昔サウスパークで、町の成立100年記念とかで子供たちが町の歴史を演劇にしたんだが、
平和に暮らしてたネイティブを白人が銃で撃ち殺しまくるとこからやってたな。

いや、あまりこのスレと関係ない話だが。
16朝まで名無しさん:03/02/08 00:59 ID:qm/guzpV
>>11
禿銅。ウリナラ起源は半万年とわめいてるどっかの国と目糞鼻糞だね。(藁
17朝まで名無しさん:03/02/08 01:01 ID:ejtTWMPO
>>11
前レスを遡ってよく読むべし。

>>中国より古代日本が進んでいたわけないじゃん。
合理的かつ物理的な証拠が必要。
すべては、君の妄想にすぎない。
18朝まで名無しさん:03/02/08 01:04 ID:YgUfN/Tr
>>17
じゃ、なんで漢字を日本で使うんだよ?
19朝まで名無しさん:03/02/08 01:06 ID:OtovRYjR
魏志倭人伝でも

倭人在帶方東南大海之中・・・今使譯所通三十國。

倭人の国には馬韓(後の百済)は含まれてません。

20朝まで名無しさん:03/02/08 01:06 ID:ejtTWMPO
>>18
じゃ、アラビア数字はどうして使う。
中東と日本を比べて、科学技術を比較する必要もないだろ。
21朝まで名無しさん:03/02/08 01:11 ID:YgUfN/Tr
>>20
どうでもいいが、アラビア数字は実はインドが起源なんだがな。
なら鉄器はどうだい?
22朝まで名無しさん:03/02/08 01:12 ID:Tw+eIpZB
「やまとことば」はあっても、文字がなかった日本のほうが文化的に遅れていたのは明か。
漢字を勉強し、それから、独自の平仮名やカタカナを生みだしたんだべさ。
唐に留学生を送ったのも文化を吸収するため。
律令制もあちらの方式を模したもの。
23朝まで名無しさん:03/02/08 01:12 ID:qm/guzpV
>>17
中国ではBC1500年頃に既に殷王朝のような都市文明が出現してますが。
妄想を抱いているのは君のほうじゃないのか。
24朝まで名無しさん:03/02/08 01:12 ID:ejtTWMPO
>>21
日本刀を越せる鉄器がこの世にあるか。
25朝まで名無しさん:03/02/08 01:14 ID:OtovRYjR
ま、日本にも山内丸山みたいな遺跡はあったけど、石造物や城壁がないからなあ。
26朝まで名無しさん:03/02/08 01:14 ID:ejtTWMPO
>>23
じゃ、飛鳥の巨石文化は。
明文法も完備してたらしいぞ。
27朝まで名無しさん:03/02/08 01:15 ID:YgUfN/Tr
>>24
実戦に不向きな日本刀を超える鉄器はいくらであるだろ。
28朝まで名無しさん:03/02/08 01:18 ID:qm/guzpV
>>26
何世紀の話をしてるんだよ。中学の歴史からやりなおせ。
29朝まで名無しさん:03/02/08 01:18 ID:ejtTWMPO
>>27
また、妄想か。
実戦にどう不向きかひとつも書かれていない稚拙な行だが。
すこしは、最低レベルの発言をしてくれ。
つかれる。
30朝まで名無しさん:03/02/08 01:20 ID:ejtTWMPO
>>28
じゃ、科学的に何世紀かいってみ。
小学生以下だな。
31朝まで名無しさん:03/02/08 01:20 ID:Tw+eIpZB
なんかあほらしくなってきたから寝る。
32朝まで名無しさん:03/02/08 01:22 ID:/XRjx4e4
>>26
飛鳥時代は間違いなくB.C.なんだからさあ。

古代の中国を相手にするのは、現代の米国相手にするようなもの。
ヤメレ。
33朝まで名無しさん:03/02/08 01:22 ID:ejtTWMPO
>>31
もう、妄想が尽きたか。君の完敗だな。
34朝まで名無しさん:03/02/08 01:23 ID:/XRjx4e4
さて、1000取りに失敗した紫陽花よ、居るなら出て来い!
35朝まで名無しさん:03/02/08 01:23 ID:qm/guzpV
>>30
妄想にはつきあってられんわ。
36朝まで名無しさん:03/02/08 01:23 ID:ejtTWMPO
>>32
飛鳥時代ではなく、飛鳥。u OK??。
37朝まで名無しさん:03/02/08 01:24 ID:ZbJP9lLz
君達に聞きたい事がある。
どちらの文化が優れているのではなく、
このスレは

天皇家ってどうやって成立したの?Part2

だ。
38朝まで名無しさん:03/02/08 01:24 ID:/XRjx4e4
日本に鉄器が伝わったのも、日本に青銅器が来たのも、中国の
後なんだが...
39朝まで名無しさん:03/02/08 01:25 ID:ejtTWMPO
>>35
どこが、どう妄想か具体的になにもいえないのか。
合理的かつ、科学的になんかいってみ。
じゃ、君の負けだな。
40朝まで名無しさん:03/02/08 01:26 ID:YgUfN/Tr
>>29
お前こそつかれる香具師だな。
槍に日本刀で勝てるのか?
例えば戦国時代何で足軽は日本刀ではなく槍だったのかを
考えてみろよ。
それと刀も基を辿れば中国だろうが。
41朝まで名無しさん:03/02/08 01:27 ID:/XRjx4e4
日本には、青銅器時代がなかった...まとめて、中国から
着ちゃったものな。

ハーっと、中華思想の染み付いた中国に翻弄された、古代日本。
しかし、海があってよかったよ。
ベトナムみたいに侵略されずに済んだ。
42朝まで名無しさん:03/02/08 01:28 ID:qm/guzpV
>>38
ID:ejtTWMPOを相手にするとレベルが下がる。もう放置に限るよ。
43朝まで名無しさん:03/02/08 01:30 ID:/XRjx4e4
>>40
てか、日本刀が、まともに成立するのは鎌倉とか室町時代じゃねーの?
少なくとも、飛鳥時代には無いわな。
44朝まで名無しさん:03/02/08 01:31 ID:ejtTWMPO
>>40
あははははははは。
話をズラすなよ。鉄器だろ。鉄器で日本刀を越えるものなどない。
ちなみに、槍よりこわい弓矢は原始時代からあるぞ。
45朝まで名無しさん:03/02/08 01:31 ID:/XRjx4e4
もそっと、歴史に詳しい天皇擁護派が欲しいものだが。

ところで、天皇どこ逝った?
46朝まで名無しさん:03/02/08 01:34 ID:qm/guzpV
>>45
そうだね。天皇擁護派の天皇家の成立についての詳しい見解を
一度聞いて見たいものだね。
47 :03/02/08 01:39 ID:friJydNQ
中国と文化を競うのは馬鹿げてるよ。

中国は今でいう世界そのもの。国じゃないんだから。
日本と対等に過去の文化を競えるような国は、
もう世界中どこにもないよ。

中華中原と日本列島 は、
古代同レベルの文明があっただろうね
中華は紀元前1000年前に周や殷といった神話の時代が最古だが、
日本は、1万年前から、縄文遺跡が多数出没してる。
ちなみに、土器は日本産が世界最古 1万年級が多数あるなか、
大陸で最古のものは6000年前。 

文字の発明で負けたのが痛いが、相手は国じゃないからしょうがない
48朝まで名無しさん:03/02/08 01:40 ID:/XRjx4e4
>>44
別段、文化財としての日本刀に難癖つける積もりも無いけどね。

成立時期は西暦で1000年程度だと思うよ。
このスレは紀元前〜7世紀とかが中心だからね。
49朝まで名無しさん:03/02/08 01:42 ID:YgUfN/Tr
>>44
ほんとに疲れる。実戦に不向きな理由を説明しろといったから
したんだだろうが。
それと日本刀が鉄器というなら槍も鉄器だろうが。
別に矛でもかまわんぞ。矛から槍に進化したわけだし。
どういう理由で日本刀が最高の鉄器なのか説明しろ。お前が!
50朝まで名無しさん:03/02/08 01:42 ID:24D9Jnfg
「倭の五王」は国内の勢力だと思うが、その中に大和朝廷も含まれているのかい?
51朝まで名無しさん:03/02/08 01:45 ID:/XRjx4e4
>>50
一応古事記とか日本書記の天皇の名と一部同定されている人がいる。

しかし、そこらへんは一系かと問われれば、考古学者達は首を振る
人が多数派を占めるであろう。
52朝まで名無しさん:03/02/08 01:47 ID:/XRjx4e4
>>47
農耕に負けたのは痛くないの?
53朝まで名無しさん:03/02/08 01:51 ID:qm/guzpV
>>51
そもそも天武以前の天皇名は後の時代に追号したものだよな。
リアルタイムで書かれた中国の史書と日本書紀の天皇名を比較するのは
かなり無理があるね。
54朝まで名無しさん:03/02/08 01:52 ID:kssLwhle
>>51
たしかに五王が大和朝廷に連なるかはあやしいね。
記紀でそうしてしまっただけのような気もするし。
55朝まで名無しさん:03/02/08 01:55 ID:ejtTWMPO
>>49
おいおい、ド素人だな。日本刀のイロハも知らないのか。
森や狭いところでどうして戦う。
戦いは、騎馬戦から接近戦も含んでの総合戦だ。
お前は、バカカ!!。槍だけで戦うのか。聞いたことないな。

製造過程と製品としてのアウトプットで越せないんだよ。
よく調べて出直せ。
56朝まで名無しさん:03/02/08 01:55 ID:kssLwhle
天智・天武兄弟以前のルーツはあやふやだから、天皇の歴史は七世紀からということでいいのではないかい。
57朝まで名無しさん:03/02/08 01:55 ID:/XRjx4e4
てか、殷も周も秦も漢も国なのだが....

そして漢の文章に始めて、日本が100くにぐらいに分裂している
状況が出てくる。
日本は文字がないので、その後の三国時代の歴史書にこれまた邪馬
台国が出てくるが、その後百年ほどは中国に記述が無く日本の歴史
が無い時代がくるのである。

そして、大和の政権は5世紀ごろ登場する。
58茄子漫:03/02/08 02:02 ID:paKKVD+J
古代大和の刀は直刀。角度のついた「わらび刀」を使ってたのは、
北方ルートの鉄精錬技術をもってたエミシのほう。
撃剣では圧倒的に反りがあったほうが有利だったらしい。
59朝まで名無しさん:03/02/08 02:03 ID:YgUfN/Tr
>>55
>製造過程と製品としてのアウトプットで越せないんだよ。

結局、君の脳内ソースですかw
「日本刀の鉄器としての優位性」なんて論文を史学会にでも提出しろ。
60朝まで名無しさん:03/02/08 02:10 ID:4YHO9rj0
>>55
「刀と首取り」って本によれば
日本刀は殆ど「倒した敵の首を取る」ことに使うことが主だっだそうです

>森や狭いところでどうして戦う。
大軍を動かせないような場所でそもそも大戦はありません

大体、槍も振れないような場所ってどんな場所なんでしょう?
61朝まで名無しさん:03/02/08 02:11 ID:ejtTWMPO
>>59
結局、なにがいいたいの??。なにも反論できない??。
あははははははははは。

振りは2尺4寸5分から2尺5寸5分。長刀でも2尺6寸か。約2.5kgの鉄の板だ。
世界中の単価を見て回れ。宝飾されていないものでこれ以上、高価な鉄器はない。
戦場の主役は、鉄砲がでるまで日本刀だ。
史学会でもなく中学生でも知ってる初歩の「常識」だ。
あっは、ははははは。のは。
62朝まで名無しさん:03/02/08 02:14 ID:kssLwhle
刀の話などどうでもいいがな。
第一、刀、太刀、剣は違うだろう。
古墳から出土した装飾の剣もあるし。
今のような反りのある日本刀は10世紀頃のものとちがうんかい。
七世紀頃は諸刃の剣。
その前は片方が刃の剣。
63朝まで名無しさん:03/02/08 02:16 ID:qm/guzpV
>>61
日本刀が最強の武器というよりは、最高値の武器ということを主張したかった
ようだな。(W
64朝まで名無しさん:03/02/08 02:18 ID:kssLwhle
そう、昔は刀より槍や弓のほうが武器としては上をいっていた。
「羅生門」で刀と弓を取り替えるシーンは、お馬鹿なのである。
刀など弓にはかなわなかったのだから。
刀が脚光を浴びたのは幕末だろ。
65茄子漫:03/02/08 02:21 ID:paKKVD+J
>>62まったくのスレ違いでもないと思う。古代の争乱の重要なファクターとして、
「鉄の産地」「製鉄技術」の争奪があったことは間違いないと思うし。
66朝まで名無しさん:03/02/08 02:22 ID:ht4Z4DhC
>>61
君はエセ軍事おたくだ。
時代劇の見すぎ。
刀が主流だった時代はけっこう新しい。
昔は槍のほうが強かったの。
刀VS槍じゃ、相手にならんかった。
67朝まで名無しさん:03/02/08 02:23 ID:eD5I5o4N
武士の事 「弓取り」っつうくらいだからな。
68朝まで名無しさん:03/02/08 02:24 ID:ejtTWMPO
少しは、妄想と嘘八百を止めて、昔の合戦でも調べろ。
時代は違うが、元寇や台湾でも戦ってるよく見ろ。

戦った敵方の記述も残ってる。
69朝まで名無しさん:03/02/08 02:26 ID:ht4Z4DhC
>>65
中国より遥かに後の話だべさ。
70朝まで名無しさん:03/02/08 02:27 ID:G1goYxUd
>>68
元寇って・・・
いったい君は何世紀のお話をしているのですか?
71朝まで名無しさん:03/02/08 02:28 ID:qm/guzpV
>>65
製鉄技術に関する話なら興味はあるけど。一匹混じってる妄想兇は
「日本刀は世界一高価」などと意味のない主張を繰り返すだけじゃん。
72朝まで名無しさん:03/02/08 02:32 ID:ejtTWMPO
>>71
だから、製鉄技術も世界一なんだよ。
それも解らずにレスしてるのか。

妄想兇の71は無能・無知がつくな。(ププッ!!
73茄子漫:03/02/08 02:34 ID:Ht6EYGr5
>>69そりゃそうだけど。最初に鉄を精錬→武器にしたのは古代メソポタミア。(中央アジア)
当然ユーラシア由来の技術だが、伝来したルートが西日本と東日本では違う。
権力者にとっては武器の優劣はそのまま戦の勝敗に直結するから、
重要なファクターだといったのです。
74朝まで名無しさん:03/02/08 02:37 ID:vvMJlBH5
漏れも、大王の存在を解き明かす剣の出土の話なら興味深い。
埼玉・行田の古墳から出土の鉄剣からは「ワカタケル大王」の名が刻まれている。
これは日本書紀の「オオハツノワカタケ天皇」=雄略ではないかと言われている。5世紀後半頃と推定。
75???:03/02/08 02:39 ID:dnnCzwIy
ヒッタイトの技術を中国伝来だ、中国伝来だとわめくのもなあ・・・。

76朝まで名無しさん:03/02/08 02:40 ID:hI+YPKVy
>>72
君が言う日本最古の優秀な剣は何なのか記してくれ。
77朝まで名無しさん:03/02/08 02:43 ID:qm/guzpV
もう遅いから寝る。あとはみんなで日本刀フェチの相手をしてやってくれ。
78朝まで名無しさん:03/02/08 02:43 ID:eD5I5o4N
http://www.science-inc.co.jp/meguri/meguri.html
日本への鉄器の導入はBC400年ごろ(縄文晩期)であり、
2世紀(弥生後期)には鍛錬鍛 冶(赤井手遺跡)、3世紀末
(古墳前期)には精錬鍛冶が行われ出した。古墳中期ごろ
(5世 紀)まで 、倭は自前で製鉄できないため度々中国へ
遣使を出して鉄の輸入を懇願したり、 あるいは中国の威光
を借りて朝鮮半島からの鉄輸入を計ったりしたようである。
79朝まで名無しさん:03/02/08 02:45 ID:eD5I5o4N
>>73
中央アジアじゃなくて小アジアだよ多分
80朝まで名無しさん:03/02/08 02:45 ID:HGxDGqZx
>>65
それにしても日本刀の話では時代が違いすぎる
81朝まで名無しさん:03/02/08 02:50 ID:axfDV4t9
>>72
優秀だという根拠を示して。
82茄子漫:03/02/08 02:51 ID:Ht6EYGr5
>>79あ、そだね。出雲の国譲りや、ヤマトタケル伝説も、
産鉄、製鉄技術の争奪を神話化したものと考えられなくも…
う〜ん、そこまで行くと電波か。
83朝まで名無しさん:03/02/08 03:05 ID:m0Mbu3jk
>>61
>製鉄技術も世界一なんだよ
平安後期はともかく、飛鳥時代までは確実に違うぞ。
まさか刀で100人切り出来ると思ってないよな。
近距離じゃ刀が最強(槍も真っ二つ)だが、実戦じゃ役に立たない。刀の主流は江戸時代から。
関が原でも、部隊を火縄銃、弓、槍、刀の順に使う。
最強なんて設定次第で変わるもの、何故なら戦争だからだ、1対1じゃない。
大体いつの話だよ。その頃日本刀でなく、性能の悪い、鉄剣、青銅剣だぞ。
確かに刀の精錬技術は素晴らしい、でも 当時 は無い。OK?

17からおかしいぞ、軌道修正汁!

鉄器の大辞林第二版からの検索結果 
てっき 【鉄器】
(1)鉄製の器具。
(2)鉄製品をよぶ考古学用語。日本では弥生時代朝鮮方面から移入使用したのに始まる。
84朝まで名無しさん:03/02/08 03:07 ID:+Fb7RzLP
朝鮮・中国系のお方がいる予感・・・(w
85朝まで名無しさん:03/02/08 03:16 ID:bWeIToSw
>>84
漏れもそう思います。議論版の人は変です。
こんな事も分からないのですから。
それにしても刀って凄いですね。
南京大虐殺の百人切以上の記録は出来ますか?
86朝まで名無しさん:03/02/08 03:29 ID:ejtTWMPO
>>85
おい。お前。バカ??。
87朝まで名無しさん:03/02/08 03:56 ID:WCA0VlCE
まず興味深い話題から。約6000年前、朝鮮人がまだ満州で鹿の肉を食べて
いた頃、既に西日本の縄文人たちは稲作をして縄文土器で米を炊いて食べて
いたそうです。つまり稲作は弥生時代に朝鮮から伝わったというのは間違い!!
むしろ唐辛子同様に朝鮮に米を伝えたのは日本だった訳です。
あと縄文人は大変な海洋民族でカヌーで朝鮮半島はもちろん、ウスリーや
中国一帯にも行っていたようです。また既に縄文時代中期から縄文人は幾つ
もの部族に分かれていたそうで、縄文人でも稲作農耕と採集の混合型の西日本
と従来の採集生活型の東日本では自然な事でしょう。だから縄文人=アイヌ人
というのも間違い!!
つまり大和朝廷の原形となるものが縄文時代中期には既に存在したと言う事。
そこに2300年前に弥生人が渡って来た。弥生人の頭蓋から当時の黄河辺りの人
の頭蓋と一致するのと、当時中国が戦国時代末期だった事を考えても弥生人の
正体は華北の黄河辺りにいた戦争難民だったと考えます。だから弥生人が
朝鮮半島人であるというのも間違い!!
その彼等をいち早く取り入れたのが原始大和朝廷だった訳です。彼等の進んだ
技術をいち早く取り入れ、日本統一をしていったのが大和朝廷だったと考え
ます。その後、その権力は朝鮮半島にも及ぶようになり、この頃から朝鮮
半島から帰化人が渡来するようになります。実は朝鮮半島から帰化人が渡来し
始めたのは弥生人がやって来てから随分と後の事で、その600年後の紀元後
4世紀以降からであって、数としては弥生人よりも多く渡来したとは思います。
つまり、弥生人と帰化人は実はルーツが全然違っていたという事が大きなポイント。
88朝まで名無しさん:03/02/08 03:56 ID:WCA0VlCE
倭の百済、新羅支配は300年を超える

「魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。 」

300年以上も倭のぱしりをしていた連中が大和朝廷の始祖で
ある、などということはありえない。
8983=85:03/02/08 04:05 ID:bWeIToSw
>>86
オマエ達に対する釣りだよ。
どうだ?どれだけおかしい事言ってるか分かったか?

23が中国の殷王朝 の話をしてるのに、 

       刀      の話題を振る下らなさはこんな感じだ。

いつ日本刀が存在したんだよ?
それにな武器だけが、優秀な    鉄器   ではないのだぞ。
見てみろ、オマエ達のせいで、とうとう御客さん帰っていっただろうが。
残ってるのは、ejtTWMPO のオマエと84だけの電波だ。

せめて87みたいに、マトモな事を言ってくれ。
ここは、 天皇家ってどうやって成立したの?Part2 だ。
90宮内庁:03/02/08 04:14 ID:aL+mQpM9
主な皇族の誕生日
11月28日常陸宮
11月30日秋篠宮
12月1日愛子様
12月2日三笠宮
12月9日雅子様
12月20日三笠宮彬子様
12月23日天皇陛下
12月26日高松宮妃
12月29日秋篠宮佳子様
12月29日故高円宮
1月5日三笠宮寛仁
このように11月末から1月上旬に皇族の誕生日が集中している。
したがって2月が皇族の交尾時期今頃やりまくっています。
91朝まで名無しさん:03/02/08 04:29 ID:QTtr8KvW
>>90
それは宮中の禁忌
  秘密の祭事に触れること・・・
92朝まで名無しさん:03/02/08 04:32 ID:91nDVumH
>>90
いい加減にしろ!
貴様等電波の御蔭で、御客さんゼロなんだぞ。
馬鹿ニュースあたりに帰れボケ!
93茄子漫:03/02/08 04:39 ID:I/ZyLYX9
前スレとか読んでると、大体7世紀成立説が有力みたいだけど、
天智・天武のお母さんって皇極=斉明天皇だよね?
この人はどんな位置付けになるんですか?
94朝まで名無しさん:03/02/08 04:49 ID:voGsggIt
日本人です。刀バカは死んでしまったほうがいいと思いますた。
95朝まで名無しさん:03/02/08 04:53 ID:Gjxa1tKD
>>93
蘇我の傀儡でした。
だから中大兄皇子(天智)が蘇我入鹿を殺したんですよね。
96朝まで名無しさん:03/02/08 05:08 ID:Gjxa1tKD
「日本刀」だって?
ぷぷぷぷぷ・・・・。
日本刀のルーツは平安末期にできあがったのじゃ。
その前は剣じゃろ。
剣には鉄剣と石剣がある。大陸の民族が鉄剣を使って国内の石剣民族を破り制覇していったのだ、
と書くとDQNという声が飛んでくるのだ。
日本刀オタクにあきれました。
日本刀のルーツは平安末期でも「日本刀」と呼ぶようになったのは明治時代だよ。
それまでは刀、太刀と呼んでいたのだ。
97茄子漫:03/02/08 05:09 ID:Yl6yFnb/
>>95ありがとう。でも後の藤原氏が政略結婚で天皇家に絡んでいったのに比べると、
なんか相関関係がウスい気が…大体宮中で暗殺された事自体、
マヌケっぽい気がするんですけど。
9883:03/02/08 05:36 ID:8TfMxj5d
>>96
やっと御客様達が帰ってきた。
日本刀オタクejtTWMPOはもう来ないと思いますので、安心して議論をどうぞ。
多分野太刀も知らない方と思われ。
それにしても17から長い道だったな。
99朝まで名無しさん:03/02/08 05:37 ID:YT5SeStq
>>97
入鹿が皇極天皇をたらしこんでいたという説があります。
入鹿はやりたい放題だったようです。
100朝まで名無しさん:03/02/08 05:40 ID:er6EtHta
馬子と入鹿は、本当の名前だろうか?
101朝まで名無しさん:03/02/08 05:47 ID:xH1z0zoa
天智ちゃんも皇位継承権がある有間の皇子ちゃまをぶっ殺したり、血なまぐさいですね。
で、天智ちゃんの息子の大友のぼっちゃんは、弟の大海人皇子(天武)にぶっ死ろされるでしょう。
なんか凄い血筋。

102茄子漫:03/02/08 05:47 ID:I/ZyLYX9
>>100馬と鹿ですね。でも前貴族の名前みてたら(平安時代ですけど)
割と動物の名前入れてる人多かったスよ。名字忘れたけど、「清虫」なんてのもあったし。
103朝まで名無しさん:03/02/08 05:54 ID:xH1z0zoa
たしかに面白い名前が多いですよね。
入鹿の父は「蝦夷」でしょ。
104朝まで名無しさん:03/02/08 06:01 ID:FnQo0AgL
蝦夷(えみし)という名前は後から付けられたような気もするんだが。
朝敵の名前でしょう。余程恨まれていたと見える。
105朝まで名無しさん:03/02/08 08:13 ID:vUBUNwbE
>>87
>つまり大和朝廷の原形となるものが縄文時代中期には既に存在したと言う事。

その論法でいくと、ここも大和朝廷の原型か?
長江文明 河姆渡(かぼと)遺跡
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-24.html
106朝まで名無しさん:03/02/08 08:31 ID:vUBUNwbE
日本民族主流派の源流は、ここでしょう。↓

http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/inasaku-sosen.htm
107朝まで名無しさん:03/02/08 08:52 ID:WpISmrCo
天智と天武は本当に兄弟なんでつか?
108日本人こそ真の中国人:03/02/08 09:49 ID:NVmZMeQF
中国の秦の始皇帝の時代に不老不死の妙薬を求めて
日本列島に渡ってきたジョフクが神武天皇では?
すなわち日本はもう1つの中国
日本人は中国日本族
109朝まで名無しさん:03/02/08 10:28 ID:DYX0Xa7B
>>108
別に神武天皇が中国人でも日本人が中国人といったことにはならない
と思うが??
110朝まで名無しさん:03/02/08 11:07 ID:WpISmrCo
>>108
時代が全然合わないんだけどなあ…
やっぱ釣りだよなあ、釣り。
111朝まで名無しさん:03/02/08 11:53 ID:vUBUNwbE
>>108

秦(前221〜前206)だから、
神武天皇が、仮にいたとしても、
徐福よりだいぶ後の時代(500年の違い)のようだね。↓


結論だけをいいますと、神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えましても、
神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。

http://home.catv.ne.jp/dd/yamatai/tousennsetu/yasumotosetu1.htm

112朝まで名無しさん:03/02/08 11:55 ID:q4XEzfIN
おまえら記帳に行ったんか?!
113朝まで名無しさん:03/02/08 12:00 ID:vUBUNwbE
114朝まで名無しさん:03/02/08 12:07 ID:vUBUNwbE

こちらの安本年代論批判でも、神武天皇の活躍は2世紀後半。
やはり、徐福とはとは3百数十年の違いがある。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/yasumoto/yasumt2a.html
115朝まで名無しさん:03/02/08 14:32 ID:Xae9Dhjr
>>89 >>96
おい。無能者2人。すこしは、しっかりググってこい。
結論だ。最高の製鉄技術は、当時も今も日本だ。
朝鮮でもなければ中国でもない。
物理的に解っているだけでも、紀元前2〜3世紀には国内で製鉄されていた。
で、その技術の最高傑作が日本刀だ。
そういや、槍が最強とかぬかしてたアフォがいたが
もうハズかしくてでてこれないだろ。
116朝まで名無しさん:03/02/08 14:42 ID:hsjI2Gqh
>>115
78のリンク先読め
2、3世紀ごろ、鍛冶はやってたが製鉄はできなかった。
117朝まで名無しさん:03/02/08 14:49 ID:Ht0clK6X
じょふくとかだったら、名前んかに痕跡を残しているはず。
118朝まで名無しさん:03/02/08 14:50 ID:7Grbtrbo
やはりどうしても「中国が発祥の地にしたい馬鹿」がいる予感(ww
119朝まで名無しさん:03/02/08 14:53 ID:+Fb7RzLP
>>115
そうだな。
鉄の精錬技術を伝えたはずの所で、
どうして日本刀に匹敵するものが産み出せなかったのか、
って謎が残るからな(w
120朝まで名無しさん:03/02/08 15:01 ID:DYX0Xa7B
>>119
小麦粉を伝えた、はずの所で、
どうしてお好み焼きに匹敵するものが生み出せなかったのか、
って謎が残るからな(w
121朝まで名無しさん:03/02/08 15:04 ID:z/VuqyRX
>>115
紀元前2〜3世紀に国内で製鉄が行われた証拠は?
製鉄遺跡は、千引かなくろ谷遺跡が最古だが6世紀後半
だぞ、砂子遺跡で6世紀前半の鉄鉱石が見つかったから
もしかしたら6世紀前半かもしれんが。。。
ちなみに俺は槍最強とはいってない。合戦において槍は
日本刀より重要だといってるだけ。
122朝まで名無しさん:03/02/08 15:11 ID:Xae9Dhjr
>>116
おい、朝鮮人。無能・無知の出来損ないはよく解ってる。
それはおまえが朝鮮人だからだ。
たたらは日本オリジの製鉄法だ。
出雲の旧神殿跡近くから物理的に発掘されている。
紀元前2〜3世紀だ。
これ以前から、製鉄されていたことは、想像にがたくない。
物的証拠をふまえ控えめにいって紀元前2〜3世紀だ。
この製鉄法は、発掘されている世界中のどの製鉄法より
優れているのは周知の事実だが。
123朝まで名無しさん:03/02/08 15:12 ID:jp14TmUF
金正日もろともとっとと殺してしまえ。
124朝まで名無しさん:03/02/08 15:42 ID:Xae9Dhjr
>>121
またまた、朝鮮人かよー。
少しは、合戦を調べろ。つーか、Uはバカ??。
そりゃそーかもな。おまえらゴミ人にはヤリは貴重な財産だろうからな。
おまえらがたぶん朝鮮半島で、ヤリもって動物おっかけまわしてるとき。
稲作やって、刀造っちゃってたからな。しかたないな。

まっ、がんばれよ。土人に毛はえたぐらいの民力で。
アンヤカヤカヤヤー!!。ウッホウウッホウっな。
あはははははははははははは。
125朝まで名無しさん:03/02/08 15:58 ID:axfDV4t9
>>122 >>124
一度病院じゃなくて、強制収容所でオツム改造したほうが、今後のためだと。
126朝まで名無しさん:03/02/08 16:04 ID:1Dv4yfNw
たたらって何?
127朝まで名無しさん:03/02/08 16:04 ID:XDyfl9+2
>>122
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/p02013.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/oldtopics/monosiri/ms1023.htm
とりあえず漏れがググった中では3世紀が限度だ
出雲の旧神殿跡近くの紀元前2ー3世紀というのはなんていう遺跡だ?
128朝まで名無しさん:03/02/08 16:06 ID:LrhHKfc7
それはね、こうのとりが運んできたのよ
129朝まで名無しさん:03/02/08 16:08 ID:fnPJrrfK
>>126
チョソと勘違いされますよ
130朝まで名無しさん:03/02/08 16:10 ID:LrhHKfc7
聖母アマテラスが処女懐胎して生んだのが初代天皇なのだ
131朝まで名無しさん:03/02/08 16:17 ID:48Hif2vQ
江戸時代の鉄の精錬法のことね>たたら精錬
132朝まで名無しさん:03/02/08 16:18 ID:O4Z0Qhqm
>>124

紀元前2〜3世紀に国内で製鉄が行われた証拠は?
この質問に答えろよ。
逃げたのw
133朝まで名無しさん:03/02/08 16:19 ID:RsoO68wT
>>126
日本刀はたたらで造ったんだよ。
134朝まで名無しさん:03/02/08 16:25 ID:WFDuvjMP
日本刀厨よ、せめてグラハム・ハンコックの様に語ってくれ。
日本刀成立はあまり古くないというのが世間一般の常識なんだから。
135朝まで名無しさん:03/02/08 16:34 ID:fnPJrrfK
124とは別人ですが
出雲じゃなくて福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡で
紀元前3〜4世紀のものとみられる板状鉄斧(鍛造品)が出てます
136朝まで名無しさん:03/02/08 16:40 ID:XDyfl9+2
>>135
鉄器がなかったとは言ってないよ。そのころ製鉄技術はまだなかったので鉄は大陸から買って来てたんだって。
137朝まで名無しさん:03/02/08 16:43 ID:fnPJrrfK
>>136
えっと町の発表で製鉄うんちくの機構も存在したそうです
138朝まで名無しさん:03/02/08 16:48 ID:cV/A80nz
 短い刀を腰に差して戦場に出るということは鎌倉時代の下級兵士の間で行わ
れ始めたもので、騎馬武者にしたがって戦場を駆け回るには便利であった。そ
の長さは後世の打刀(うちがたな)よりはるかに短く、大体36cm程度のもので
刺刀(さすが)と呼ばれていた。太刀を佩いた騎馬の武将につき従う兵士は胴
丸姿で薙刀を担ぎ腰に刺刀を差すといったスタイルで、戦場では主に薙刀を使
ったため、刺刀はあくまで補助的な武器であった。
 南北朝時代に長大な野太刀が流行すると、下級兵士たちの使っていた刀剣も
、それにあわせて長いものが用いられるようになった。後の打刀の形に近づい
ていったのである。そうして室町時代には刀身が70cmぐらいのものが一般的に
なる。戦国時代には長柄槍が戦場では一線に立ち、最後の決着をつけるのが打
刀だったため、密集戦では長いものより適度に短いものが扱いやすかったため
である。やがて鉄砲が登場すると戦闘はスピード化し、密集隊形の徒歩部隊に
よるものが中心となり、防具も軽快な野戦用の当世具足が登場する。それまで
太刀を佩いていた上級の武将たちも便利な打刀を用いるようになったのである
139朝まで名無しさん:03/02/08 17:48 ID:q7tUH2Bt
日本刀が史上最も殺傷に利用されたのは日中戦争の時だってさ。(w

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm

140朝まで名無しさん:03/02/08 18:10 ID:6yaaneAJ
>>120
馬鹿だな。
日本刀の鍛え方などは、鉄の性質に関する深い理解がいる。
パンにするか、お好み焼きにするか、ってレベルか。

アフォ
141朝まで名無しさん:03/02/08 19:17 ID:T0Addavf
>>140
馬鹿だな。
メリケンコの練り方などは、小麦粉の性質に関する深い理解がいる。
日本刀にするか、槍にするか、ってレベルか。

アフォ
142朝まで名無しさん:03/02/08 19:52 ID:6yaaneAJ
>>141
たまはがねを日本人以外のどこが利用していたんだ(w
その性質を理解した上で。

だから、アフォだというのだ。

中国人か、朝鮮人だろうがな(ww
143朝まで名無しさん:03/02/08 19:52 ID:F+jmR0rq
本日、東京大学病院を退院される天皇陛下のお見送りをしてきました。
100人近くの老若男女+SPらが東大病院前に集っていたでしょうか。

お車が通り過ぎる時、若い方が「天皇陛下、万歳!」と叫んで両手を振り上げていました。私はと
りあえず拍手しながらお見送りしました。
後部座席右側にお座りになられた天皇陛下は龍岡門につながる道の左右に立つの退院を見送りに来た
人々にゆっくりお手を振り、にこやかに軽く会釈しておられました


           / l、  i
          ,|  |  i!l、
           ,|  ゙| .i| | ヽ、
          ,|   |,i :|  |.
         _,、l-、 1| .:|   |,
       -'‐'"1i !、'i゛ヽ|    |
        l:::|| | /' _,.|    |
        ヽ|i!r'//,,,,,,,,/
         W'""''''''
陛下の一日も早い回復をお祈り致します。
144朝まで名無しさん:03/02/08 19:53 ID:U5vkhe24
http://www3.big.or.jp/~icu/cgi-bin/many/many/
ここ荒らせ!AA張りまくれ!
145朝まで名無しさん:03/02/08 20:44 ID:lNzXjh7F
>>142
だからといって、日本の製鉄が中国大陸より早かったなんて間抜け
な答えを出すなよ。

これだから、洗脳された人ってのは始末におえない。
146朝まで名無しさん:03/02/08 20:47 ID:lNzXjh7F
自分の国への過度の美化は自国をダメにする。

北朝鮮を見てもわかんだろ、結構自由に情報が流れる日本においても
いまだに、自国を冷静に見ることが出来ない人が存在することには、
慙愧に耐えない。
147朝まで名無しさん:03/02/08 20:49 ID:RsoO68wT
>>146
かといって、過度の被虐もなあ。
148朝まで名無しさん:03/02/08 20:52 ID:q7tUH2Bt
>>147
このスレッドのどの部分を指して被虐といってるのだ?
149朝まで名無しさん:03/02/08 20:53 ID:lNzXjh7F
>>147
被虐なんて、私はやってないが?
150朝まで名無しさん:03/02/08 22:58 ID:bP8CPNOF
日本刀オタクは別スレ立てて徹底的に議論すれ!!
このスレは天皇家ってどうやって成立したの?
日本刀で日本を制覇したなんて聞いた事がない。
151朝まで名無しさん:03/02/08 23:22 ID:lNzXjh7F
>>150
日本の成立の議論に負けて、日本刀の話に逃げ込んだヤシをそう
まともに相手にすることもないだろう。

本人も負けたことに気づいて逃亡したでしょ。
152朝まで名無しさん:03/02/08 23:55 ID:oxBlRPlp
じゃ、少し軌道修正して。
神武東征はホントにあったのか?なかったのか?
邪馬台国は大和王朝と関係あるのか?ないのか?
このあたりから話し合うと、少し天皇家のルーツが見えてくるかな。
153朝まで名無しさん:03/02/09 00:24 ID:ItM1rUcx
邪馬台国≠大和朝廷でしょう。
連続性が感じられないから。
154朝まで名無しさん:03/02/09 00:33 ID:b2pCq75P
天皇、皇太子などとっとと殺せ。
155朝まで名無しさん:03/02/09 00:46 ID:emt1LTXB
 
>神武東征はホントにあったのか?

北九州勢力の大和への移動は、あったであろう。
だが、現地勢力を征服したというのは怪しいと思う。

邪馬台国は北九州だと思っている。
大和へ移動した勢力は、邪馬台国そのものではないだろうが、
関係はあると思う。
156朝まで名無しさん:03/02/09 01:08 ID:emt1LTXB

大和と福岡県朝倉郡(筑後川中流域)の驚くべき地名の一致。↓

http://home.catv.ne.jp/dd/yamatai/tousennsetu/yasumotosetu3.htm


百済救援の戦いの時、斉明天皇がいたのも朝倉であった。
天皇家にゆかりがあったのかも。

http://www.inoues.net/yamataikoku/tenno/saimei_tenno.html

第37代斉明(さいめい)天皇
 −−−−−
また対外政策では、新羅が唐と謀って百済を滅ぼしたため、
天皇・皇太子(中大兄皇子)らは百済の救済のため九州に赴いた。
太宰府から奥へ入った朝倉の地に、「橘広庭宮」(たちばなのひろにわのみや)
という仮宮を建造し指揮にあたったが、倭軍は唐・新羅連合軍に敗退し、
斉明天皇も朝倉の地で急死する。

157朝まで名無しさん:03/02/09 01:15 ID:xrwzWMVw
普通の考古学者は東征はなかったと思っている。

古事記をまとめる時、あちこちの伝説をまとめるため、作った
お話でしょ。

邪馬台国の所在地に関しては、学閥の問題がり一致していない。
私の素人なりの判断は、九州説だね。
158朝まで名無しさん:03/02/09 01:29 ID:282N3Rke
前スレでちょっと出てきた神代文字とお札だが、こういうホムペもある。
ttp://www.nacos.com/moji/index_c.htm
159朝まで名無しさん:03/02/09 02:41 ID:bOHJVTtK
邪馬台国の時代って、日本だと弥生時代ですよね。
それほど高度な技術はもってなく、三国時代の一国「魏」に朝貢し、認めてもらうとともに文化の吸収につといめていた時だ。
魏の記録に書かれた倭国の「倭」だって、かなり卑しい名だよね。
つまり、貢物はもらっておく、「適当にやって」という態度。日本が米づくりをようやく覚えた時代、すでに中国は三国志の英雄が戦場をかけめぐっていた。そのくらい差があった。
倭人の中で逸早く力を持つのは、当時の魏の文化を吸収した部族だ罠。
それが邪馬台国だったと思われるが、邪馬台国が九州であったのか、大和であったかはわからん。
いずれにしても中国に朝貢し、媚びうっていたのはたしか。
160朝まで名無しさん:03/02/09 03:09 ID:xkzr0oz+
>>159
それはどうかな?(w
161朝まで名無しさん:03/02/09 03:14 ID:gQyYgPPq
133 :陛下の御退院見送りますた。 :03/02/09 03:02 ID:sqFkmq9z
お凛々しい天皇陛下を初めてナマでカブリツキの位置から拝見することができました。
ごちそうさまです。

タカラズカの追っかけをする香具師の気持ちが少しわかりました。
162朝まで名無しさん:03/02/09 03:40 ID:jzFX6pd4
卑弥呼の時代、半島は漢の四郡ネ。
163 :03/02/09 03:52 ID:nKDM3BTp
なんか、洗脳くんばっかだな

ヤマタイ国は朝貢なんかしてないってーの
ヤマタイの跡6世紀ごろまで、中国の歴史書に日本のことが
のってない事について、無教養な話が出てるが、
日本側が暗黒だったのではなくて、
大陸側の大乱の時代だったので、歴史文献がないだけ。
勘違いしないように。

3世紀くらいは、
半島は、フヨが南下して大乱 3韓建国
大陸 漢系が弱体して大陸中が戦乱

列島 何の外圧もなくのんびり建国中
164朝まで名無しさん:03/02/09 04:03 ID:HVJ9uMzl

おめーらみんなバカだな
天皇家を遡ると司馬遷の「史記」に興味深い記述がある
以下引用

「東海をわたりし先に倭の国あり。
そこには前立腺が冒された帝あり。」

史記の時代から天皇家はガンに冒されていたのだ
165朝まで名無しさん:03/02/09 04:30 ID:wv/8xQOj
>>163,>>164
最初の煽り1行は要りません。
166朝まで名無しさん:03/02/09 05:05 ID:zFZt/ylS
どうみても、米作っていた時代、魏はすでに日本の鎌倉時代の文化クラスに到達していたぞ。
倭なんて、屈辱的な名前を付けれて。
167朝まで名無しさん:03/02/09 05:07 ID:uIn0jcLL
まぁ戦争は技術を育むからな。
168朝まで名無しさん:03/02/09 05:07 ID:iyaD/oG5
http://jsweb.muvc.net/index.html
ちょっと一服しませんか?
169朝まで名無しさん:03/02/09 05:10 ID:qgygQseW
朝貢はずっと続いていたべさ。
遣唐使、遣隋使なんか、朝貢してひっしこいてお勉強したんだから。
屈辱の歴史中は皇室はなかったとしたほうがいいと漏れは思うんだが。
170朝まで名無しさん:03/02/09 05:28 ID:TEgjIWxz
だから、天皇の歴史は七世紀頃に始まるのがいいんだよ。
無理して過去の歴史をきれいにみせるのは無理がある。
逆に屈辱の歴史になっちまうよ。
171朝まで名無しさん:03/02/09 05:33 ID:uIn0jcLL
>>170
そういう見方は感心できんな。お隣の国並みのメンタリティだ。
屈辱の歴史だろうとなんだろうと、真実に向けて研究を続けるべきだし、
たとえそれが屈辱的なものであっても、現代日本はそれをひっくり返したんだから
むしろ誇れるではないか。
172朝まで名無しさん:03/02/09 05:43 ID:TEgjIWxz
邪馬台国って「邪馬壱国」って説もあるじゃん。
これは表記上の論議。
「やまとことば」を当時の中国の武官が当て字したんだろう。
今は、「やまたいこく」と読めるが、当時はホントに「やまたいこく」という発音だったのだろうか?
ヤマトコクを聞き違えて邪馬台国と当て字した可能性もある。
また、まるっきり違う発音だったかもしれん。
そのあたりの分析をしている人、情報よろしく。
173朝まで名無しさん:03/02/09 06:37 ID:Qn2cAU/h
誰からも文句がでないくらいはっきりしている天皇でもっとも古いのは、
いつごろのどなたでしょう? 当方、歴史音痴で全く知識がないのですが。
174朝まで名無しさん:03/02/09 07:47 ID:emt1LTXB
>>163

>ヤマタイの跡6世紀ごろまで、中国の歴史書に日本のことが
>のってない事について、無教養な話が出てるが、

「宋書倭国伝」

倭讃 「宋書」高祖(武帝)は、421(永初2)年に詔していった。
倭讃は万里のかなたから貢ぎ物を修めてきた。・・・ 421年

倭珍 「宋書」讃が死に弟の倭珍が朝貢してきた。

倭済 「宋書」443(元嘉2)年、倭済が貢ぎ物を送ってきた。 443年

倭興 「宋書」済が死に倭興が使者を送り朝貢してきた。
462(大明6)年、詔して言った。
「宋書」倭の世子興は歴代の王の忠誠心を受け継ぎ・・・ 462年

倭武 「宋書」興が死に弟の倭武が王となった。順帝の478(昇明2)年、
使者を遣わし上表文を寄せた。 478年

http://www.intacc.ne.jp/~kiya/sehaci/kiya3335.htm

175朝まで名無しさん:03/02/09 08:07 ID:emt1LTXB
>>173

第10代の「みまきいりひこいにえのすめらみこと」(崇神天皇)の存在については、
確実視されているようです。
176朝まで名無しさん:03/02/09 08:47 ID:hVQZqQIl
魏国の使者「ここの地名、うーん、何と言ったらいいのか、、、
魏国の使者「しょうがない。この場所は何と言うんですか?」
邪馬台国の接待人「そりゃ、やまたい。」
魏国の使者「ふむふむ。やまたいこくか。邪馬台国と記録しとこう。」

長い謎が今判明した!邪馬台国は九州にある w
177朝まで名無しさん:03/02/09 11:35 ID:y5FilFm4
>>176
そーなんです。
「倭」という名前もヒジョーに気になるです。
長江流域に倭人がいたと書いてくれる人がいるでしょう。
漢和辞典引いてもらえばわかるけど、「倭」という字はよくない意味なんです。
これは作家井沢元彦の受け売りですが。
だから、倭人というのは差別用語で卑しい民族という意味で、卑弥呼の当て字も実は屈辱的なんじゃないかと。
邪馬台国も「邪」と「馬」と当て字され、特に「邪」は忌み嫌われる字です。
日本の使者の「やまとことば」に魏の役人が当て字したのだか、いいかげんな字を当てたのがよく表われています。
中華思想が強いとはいえ、かなり軽視されていたと思われ。
178茄子漫:03/02/09 12:34 ID:6JrUY4Fh
>>172ヤマタイコクの記述のある倭人伝では、自分とこの王朝を指して
「台」って称してるから、「こんな田舎の国に台なんて字つかえましぇん!」
って変えたんじゃない?表音はヤマタイで間違いないと思います。
179 :03/02/09 13:11 ID:nKDM3BTp
>>174
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/fumi/koten/souwa.htm

朝貢の話より重要なのは、
倭国のエリアっていうのは、
使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
七国諸軍事・安東大将軍・倭国王

西暦350年からー480年くらいまでは、南半島はぜーんぶ倭国圏。
みんな 弥生倭人 が住んでいたんだから当然。

高麗だけは違う(現朝鮮人の祖)

いつも中華本国までいってるのに、倭は半島から技術を学んだ等という
アホは朝鮮に帰ってくれ。 半島は倭国の直轄地。で 
南の韓人は全て倭人種。 
180 :03/02/09 13:18 ID:nKDM3BTp
おっと、失敬
その後の斉でも梁でも
安東大将軍 だから 540年くらいまでは
安定して、極東を収めてたんだね
181朝まで名無しさん:03/02/09 13:50 ID:Ej6n/cJ/
つーか、中華の冊封体制の中では異民族にはロクな名前がつけられて無いわけで。
182 :03/02/09 14:07 ID:nKDM3BTp
その後の100年はたいへん
継体帝の空位状態20年のうちに、
大友が百済に任郡の一部を割譲すると、
ようやく欽明帝の時代で安定するも、
新羅が反乱をおこして、任郡を占領
大和は推古天皇が非常に調子ずいていて、
できたばっかりでナイーブな隋に
「西の皇帝さん元気? こちらは東の皇帝よ」
とタメ関係をはったから大変。

倭の忠実な僕、「百済」が新羅をやっつけると、
新羅はなんと、数百年の倭圏外の高句麗とてを結び、
百済を攻撃。 既に魏は弱体してるし倭も大将軍じゃないので
高句麗は百済を倒す。
その後、新羅の策略でなぜか唐が半島情勢にでしゃばってきて、
663年 とうとう百済が完全滅亡してしまい、
倭圏は完全に分裂。 列島の倭本国は日本国となり、
南半島はこのころ倭人・中国人・高麗人がミックスして
倭人としての名残が消滅していき、
現在の朝鮮人の原型が生まれました。
183 :03/02/09 14:16 ID:nKDM3BTp
なぜ、倭圏の7カ国が仲良くしていられなかったかが
悔やまれる。 振り返ると、
継体帝の時代、新羅と何かあったんじゃないか?
継体帝が帝なら、俺たちはついていけない! って
謀反があったのだろう。 だいたい百済は任那の土地をもれって
優遇されてるし、 あーあー新羅さえ裏切らなかったらなー
184 :03/02/09 14:22 ID:nKDM3BTp
そのご、708年 和同開珎で中国の通貨以外を作った事で、
中華圏から完全独立。 律令で日本の土地は天皇のものであると
定めて、 はい 経済・法律における独立国家日本国のできあがり
185朝まで名無しさん:03/02/09 15:27 ID:/A5uA4uj
おたくらの説だと、やはり大陸から来たんじゃん。
ルーツはやはり・・・。
まっ、それはそれでいいべさ。
186朝まで名無しさん:03/02/09 15:30 ID:2VVMx0+c
>>184
じゃ、8世紀から皇室は始まったということで。
だんだん、新しくなるな。
187朝まで名無しさん:03/02/09 15:38 ID:dSTah0Ly
倭人が中国にいた証拠は全くないよ。
188朝まで名無しさん:03/02/09 15:49 ID:CGTViRXm
>>178
邪馬台は「邪馬壱」だったが、江戸の学者が「壱」を「台」に変えたという話があるぞ。
何故変えたかと言うと、やはり「ヤマト」の発音に近づけたかったかららしい。
邪馬台と大和の発音は中国語で発音が近いのだろうか?
誰か中国人の嫁さんにでも読んでもらって。

>>187
倭人の倭は蔑みの意味だから、相手にされない民族に付けられた俗称なのでは。
189通りすがり:03/02/09 15:49 ID:JIK2kLFv
>>187
朝鮮人学校や 朝鮮の教科書では
・高句麗:満州
・百済:益州(重慶付近)
・新羅:中原(北京〜上海)
・倭:南方(ベトナム)
となっているそうな・・・

(三国志での魏・呉・蜀はどこへ行った〜
 劉備や諸葛亮(孔明)は いずこ〜)
190朝まで名無しさん:03/02/09 15:55 ID:uLrY1su7
大陸の倭人

漢代の書「論衡」

・周の時、天下太平、越裳白雉を献じ、倭人暢草を貢す。(巻八)
・成王の時、越常、雉を献じ、倭人暢草を貢す。(巻十九)

ttp://homepage2.nifty.com/stn/c51rekidai.html

※成王は周の二代の天子で、紀元前1115から1079年の人。
日本では、縄文中期の終わり、縄文晩期のはじめ頃に当ります。
191 :03/02/09 15:55 ID:nKDM3BTp
これまでのどこに、大陸から来たってかいてある?

ちなみに、200年ごろ倭人は自分達を「呉」の子孫と
名乗っていた という中国史書もある。
顔と体に刺青をする風習は、呉人と倭人にのみ共通
してるので、信憑性は高い。

魏志倭人伝のヒミコのところは、ヤマタイ国の歴史をかいてあり、
伝聞当時の事と考える必要はなし、「男が収めたら争いが絶えなく
嫁にいかないヒミコを立てたら、国が安定した」っていう歴史記述。

縄文時代   太陽崇拝 アマテラス神話→(魏志ではヒミコ伝承)
紀元前200年 呉(長江あたり)から弥生人到来 天孫降臨
         半島南部から列島にかけて 倭人(縄文+長江人)
西暦100年  たびたび 中国に朝貢
西暦300年以降  極東域の支配権を確立(安東将軍の地位)
西暦500年代    新羅謀反  
漢書に度々(ヤマト100カ国)の敵として登場する、コックリ(狗奴国)高句麗国
と手を結ぶ暴挙に出る
192 :03/02/09 16:07 ID:nKDM3BTp
史書的な観点でいくと、

東アジアには、
漢族(劉氏が一番偉い)
胡系族や高麗(北方蛮族)
倭人(極東族) が基本的人種わけ、

国の名前を冠する人種分けはしません。
マルマル国も同じく倭族 という表記はでますが、
韓族という表現はありません。

倭人という表現は、非常に広い地域で使われているのですね
193朝まで名無しさん:03/02/09 16:22 ID:uLrY1su7

http://akon.cool.ne.jp/torii/torii.html

鳥居のル−ツ

「古代朝鮮と倭族」鳥越憲三郎著、中公新書
はじめに(抜粋)

ところが同じ倭人の称をもつ部族が中国大陸にもいた。・・・
その倭人の住地を探し求める調査の結果、長江上流域の四川、雲南、貴州にかけていくつもの王国があったことを知った。秦始皇帝、前漢武帝の征討をうけ、多くが滅亡していった。
 −−−−−−−
 −−−−−−−
アカ族では、陸稲の種まきの始まる四月吉日、村の出入り口に門を作る。笠木の上には木製の鳥を数羽載せ、門には竹の”ヘギ”で作った”しめ縄”が掛けられ、
”ヘギ”で編んだ鬼の目がつけられる。
http://akon.cool.ne.jp/torii/tyansn.jpg
http://akon.cool.ne.jp/torii/aka.jpg
194 :03/02/09 16:41 ID:nKDM3BTp
>>193
からの関連ページで
倭人が南三韓を作ったよい説明があるね
http://akon.cool.ne.jp/torii/kanzoku.html



195世直し一揆:03/02/09 16:44 ID:NTeI3Fjd
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ) 
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
196朝まで名無しさん:03/02/09 16:57 ID:ykj9f3yC
時々、ワケわけわからんカキコがある。
特に195のようなカキコは何の意味があるのかわからん。
労力の無駄だと思う。
197朝まで名無しさん:03/02/09 17:10 ID:Ssr72JtG
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/occult/1041186487/l50
ここでも皇室の詳しい事が・・・
198 :03/02/09 17:23 ID:nKDM3BTp
宋の時代、倭の五王として
半島から列島を支配していた、日本であるが、
何故、仲良かったのか?

宋 南宋は、長江つまり呉つまり、倭人の源の国である。
ちなみに、漢字の日本読みは当初、呉読みばかりだったそうだ。
呉読みは、漢字伝来時の中国王朝の読み方ではなく、
長江付近の王朝のみの読み方である。
199朝まで名無しさん:03/02/09 19:40 ID:uLrY1su7

次のは、かなりすごい。考えを変えんといかんかな?

ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/KIN.html
ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/GAZOA.html
ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/GAZO2.html
200朝まで名無しさん:03/02/09 19:43 ID:uLrY1su7
201朝まで名無しさん:03/02/09 20:13 ID:wWQ0QSVB
>>191
あのう、なぜ呉と文法が違っちゃったのですか?
なぜ、呉読みと、訓読みが違うのですか?
202朝まで名無しさん:03/02/09 20:17 ID:A0YrYr1W
>>190
その記事が、倭人が大陸にいた証拠にはならないのがわからないの?
それは、(どこにいるか分からない)倭人が、朝貢したということでしかない。
漢代においては、倭人といえば、「日本列島+半島の一部」に居住、は明らかだったのだから、記事の内容が周代の事は言え、日本列島近辺である可能性が高い。

それから、「倭族」なんてものを持ち出す奴がいるが、それは全くの空想の産物で、そんなものは歴史的に存在していないからな。
203朝まで名無しさん:03/02/09 20:23 ID:HBBg15wH
>倭の五王として半島から列島を支配していた

これ何?
204 :03/02/09 20:39 ID:nKDM3BTp
>>203
あー悪い 意味通じない文だね
倭の五王 として、 半島〜列島にかけてのエリア を支配していた
の間違い。
205朝まで名無しさん:03/02/09 20:42 ID:wWQ0QSVB
なんかあれだよね、へーきででたらめ言える人がまぎれてるね。
206朝まで名無しさん:03/02/09 20:51 ID:b/bO+B85
>>205
そう。倭族なんて、でたらめ以外の何者でもない。捏造、空想、めちゃくちゃな存在。
207 :03/02/09 20:54 ID:nKDM3BTp
>>202
倭人でも倭族でもいいんだが、

結局、南半島や列島に弥生初期の縄文人に、
稲作革命をもたらした移民は、どっからきたのか?
って考えると、
最も有力というか、それ以外考えられないのが
長江周辺のアジアの稲作が最も古くに発生した地域となる。

と同時に、紀元前の呉の滅亡時期と、弥生人(倭人)の発生が
完全に同時期であることを考えると、
呉人が倭人の祖なのか、
呉人と縄文人が融合して倭人になったか
のどちらか。

そして、倭人=倭国 という錯覚を起こすと、極東100カ国の
正しい歴史が理解されなくなる。

だから、判りやすくするために、倭族という言葉を使うのは
良い事だと思うが。


208朝まで名無しさん:03/02/09 20:57 ID:wWQ0QSVB
>>207
だからさ、
>>201
の質問に答えてよ。
なんの回答もなく、トンデモな説をさも解明された真実のような
言い方するのは感心できないよ。
209 :03/02/09 21:02 ID:nKDM3BTp
>>208
知らん。

俺は神じゃないので、ひとつひとつ事実の積み重ね
以外は判らないね。
呉読みのところは、君はそれを事実じゃない という意味で
質問してるの?
それとも、訓読みと呉読みになにか 関係を考えてみたの?

質問に知性がないな
210朝まで名無しさん:03/02/09 21:02 ID:oW5GzN4l
>>207
文化の伝播ってものを理解してないんじゃないか?
稲作の伝播には、確かに「何人かの移動」はあっただろうが、それはイコール「民族の移動」を意味しない。
何より、縄文時代から陸稲の技術はあった。
あとは、水稲の種籾と水田の知識があればいい。
実際に、水稲の伝播にどれだけの人間の移動があったかしらないが、
民族的な移動と考える必要は必ずしもないだろう。

また、倭族ということばは、歴史的に存在していないし、鳥越なんて学者が漢族以外の周辺民族を全てこれに入れてる。こんな怪しい言葉は使わな い方が無難だろう。
現段階で分かっているんじょは、倭人というものが、日本列島近辺にいた、ということだけ。

倭国は、単に倭人が作った国というだけだろ。勿論これも日本列島近辺だけ。
211朝まで名無しさん:03/02/09 21:11 ID:wWQ0QSVB
>>209
あんた、答えられないなら、えらそうに。
>質問に知性がないな
こんなこといってんじゃねーよ。
中国語と日本語は目的語と述語の順番が違うだろ!
根本的に作りも読みも違うよ。

「日本語は孤立語です。」
こんな事実すら、知らんのとちゃうかあ。
212朝まで名無しさん:03/02/09 21:13 ID:HBBg15wH
弥生期に呉人がやってきて稲作革命をもたらしたのなら、
九州とかに呉の文化が発生すると思うんだけどその痕跡はあるの?
213常識くん:03/02/09 21:14 ID:ew9Tm72f
古代の豪族のなかで、もっとも好戦的で野蛮なのが天皇になった。

ま、朝鮮からきたという説もあるがね。そういえば皇太子は典型的な朝鮮顔だ。
214朝まで名無しさん:03/02/09 21:17 ID:oW5GzN4l
>>212
それが問題。弥生期のことを書いた、漢書、後漢書、魏志倭人伝には中国風がないんだよね。
215常識くん:03/02/09 21:17 ID:ew9Tm72f
やっぱり北陸の豪族説が有力かな。
こいつも相当残虐だったらしい。

残虐・好戦的の血筋をひいたヒロヒトが侵略戦争を命じたのは、血筋のせいだろ。
216朝まで名無しさん:03/02/09 21:18 ID:wWQ0QSVB
>>209
なぜ、レ点が必要かよーく考えてみよう!
217常識くん:03/02/09 21:19 ID:ew9Tm72f
>>214
妨害カキコはやめなさい。
218朝まで名無しさん:03/02/09 21:20 ID:oW5GzN4l
>>215
それだと、熊野方面から侵攻した理由がなくなるんだよね。
219朝まで名無しさん:03/02/09 21:20 ID:+4D/gQ8Q
だから「倭」というのは、それほど有力じゃない種族を言ったんだろう。
倭の那国というのは、位の低い国の那という国の意味だろう。
倭人が広範囲に見られるのはそのため。
当時は中華思想が強く、中国が認めていない小国を「倭」と言った。
暫くは受け入れていたが、倭というのは卑屈な言葉なので「和」にし、やがて「日本」としたんだろう。

220朝まで名無しさん:03/02/09 21:20 ID:oW5GzN4l
>>217
はあ? なんですか? オマエこそ妨害は止めろ。
221常識くん:03/02/09 21:20 ID:ew9Tm72f
>>217
キミも妨害野郎です。空気を読みなさい。
222常識くん:03/02/09 21:23 ID:ew9Tm72f
次々と空気が読めない妨害カキコが増えています。

しかもその知識たるや・・ププッ
223朝まで名無しさん:03/02/09 21:24 ID:oW5GzN4l
>>222
オマエの書き込みには知識の1片もないが。鳥越のトンデモ説の信仰者かw
224朝まで名無しさん:03/02/09 21:27 ID:g7jRv4hx
>>219
あのー、
>中国が認めていない小国を「倭」と言った。
中国の歴史書読んだことありますか?
「倭人」という言葉は、半島南端と日本列島の住民にしか使われてませんよ。
大陸方面にはいません。
225常識くん:03/02/09 21:27 ID:ew9Tm72f
ID:oW5GzN4lはオマエ呼ばわりするな。失礼だぞ。
なお私の見解は既に述べたので過去ログを読むように。
226常識くん:03/02/09 21:29 ID:ew9Tm72f
>>224
>大陸方面にはいません。
そんなこと小学生でも知っておるわい、ボケ!
227朝まで名無しさん:03/02/09 21:30 ID:HBBg15wH
>>214
文献もそうだけど、たとえば板付遺跡から出土する遺物と江南地方との
類似性はどうなのかとかね。
228朝まで名無しさん:03/02/09 21:30 ID:BlwyvsD0
>>224
スルーしろ。常識と名乗ってるんだから、手遅れって分かるだろう。
残虐・好戦的が遺伝するなんて凄いよな。
229朝まで名無しさん:03/02/09 21:32 ID:g7jRv4hx
>>227
具体的には?
230朝まで名無しさん:03/02/09 21:34 ID:wWQ0QSVB
しかし、なぜ誰でもわかるトンデモ話を堂々と話す香具師が存在
するのだろうか。
意図的だとするなら、自分のDQNをさらして何を求めているの
だろうか...不思議だ。
231朝まで名無しさん:03/02/09 21:34 ID:HBBg15wH
>>229
類似性が見られれば呉人が日本にやってきた有力な根拠に
なるじゃない。それがあるのかと聞いてるわけ。
232常識くん:03/02/09 21:35 ID:ew9Tm72f
>残虐・好戦的が遺伝するなんて凄いよな。
それが遺伝するんだなー。
233朝まで名無しさん:03/02/09 21:39 ID:l1PhQx+b
>>231
もともと、江南とは照葉樹林帯という同じ植生に属してて、その為に呉とか言う以前から共通性があったかもしれない。
だから共通性があったからといって、呉と直接の関係があるとは言えないだろう。
それより、板付遺跡との共通性とは何でしょうか? あるっていったのはそっちだから。
234朝まで名無しさん:03/02/09 21:46 ID:HBBg15wH
>>233
あるなんてどこで言いました?
呉人が日本に来て稲作革命をもたらしたのなら発掘された遺物との
類似性がないとおかしいでしょう。
235朝まで名無しさん:03/02/09 21:48 ID:l1PhQx+b
>>234
>板付遺跡から出土する遺物と江南地方との
類似性

なんて書いてたからそう思った。
多分ないと思う。
236よっちゃん:03/02/09 21:51 ID:q6AUYu4Z
昔、大本教が「天皇は神でない」と言ったら弾圧で潰されました。戦後人間天皇が
常識になりました。アメリカの指導です。イラクをどのように指導するのかな?
237朝まで名無しさん:03/02/09 21:57 ID:wWQ0QSVB
結局、中国南部って話も傍証すら少ないわけだ。

しかし、弥生人と縄文人の骨格が違うってのは良く見る図ではある。
やっぱ、どこからかの移民はあったのだろう。

少数の移民ともみだけの伝来で縄文人が稲作を始めて、弥生が生ま
れたのでないとすると、やっぱどこから?って話になるよね。
238朝まで名無しさん:03/02/09 22:02 ID:l1PhQx+b
>>237
稲作とは無関係に、半島や大陸からの移民、漂流民なんかはいたと考えても言いと思う。
で当然それは、西日本に来るわけだし、また稲作による人口爆発によって(主に西日本)、弥生的な性質が優勢になったと考えることもできるのでは。
1対1で交わったわけじゃないから、陸稲や採集中心でカロリー効率の低い東日本側の縄文人は比率的に不利になる。
239朝まで名無しさん:03/02/09 22:28 ID:wWQ0QSVB
>>238
淘汰されながらも、ある程度の混血をしていったのだろうかねえ。
半島、大陸、南方からの移民がこれまたバラバラなのだろうか?
240朝まで名無しさん:03/02/09 23:42 ID:u8WkiF7Q
< ;`Д´><天皇はウリナラ起源ニダ!
241朝まで名無しさん:03/02/09 23:46 ID:wWQ0QSVB
>>240
誰もそんな単純なこと言ってませんが?
被害妄想なら、良い病院を探しましょう。
242 :03/02/09 23:47 ID:nKDM3BTp
どうも、倭人を矮小化したい
常識を知らん馬鹿がいるみたいだな
少しは、あっちの小学校じゃなくて、
日本の大学で歴史の勉強をしたほうがいいぞ、

長江から、弥生人が来たっていうのは
ごくごく一般的な有力な説。

その時、文化だけが伝わったか、人種ごときたかで
意見の相違点があるだけ。
これまでは、文化だけが伝わったと思われていたが、
人種ごと伝わったという選択肢もある。
考古学としては、どちらもありえる話。

ちなみに、朝鮮には朝鮮族などという種は存在せず、
高麗系 か中国系 か倭系 だけ。
したがって、もともと住んでいたのは倭系だけ



243朝まで名無しさん:03/02/09 23:50 ID:u8WkiF7Q
>>241
<#`Д´><ウリは病気じゃないニダ! 謝罪と賠償を要求するニダ!
244朝まで名無しさん:03/02/09 23:51 ID:uLrY1su7
>>210

>鳥越なんて学者が漢族以外の周辺民族を全てこれに入れてる。

それは違うでしょう。
鳥越氏は、水稲稲作、高床式建築物、鳥居、入れ墨、貫頭衣とか、
いろいろ共通点をあげてるでしょ。
遊牧民的色彩の強い周辺民族は、これに入らないでしょう。
245朝まで名無しさん:03/02/09 23:54 ID:vUNsuDsp
古代は漢字の読みが呉音が多かったみたいなことを論拠にするから意味不明なのだ。
人種ごと大陸から渡って来たっていうのなら、長江周辺に元いた倭人は亡びたってことだよな。
日本語と似た言葉が全く残ってないわけだから。
246朝まで名無しさん:03/02/09 23:58 ID:uLrY1su7
>>245

>長江周辺に元いた倭人は亡びたってことだよな。

当然、漢族に征服・同化されたということでしょう。
247朝まで名無しさん:03/02/10 00:13 ID:ZlyqE2PK

>>201
>あのう、なぜ呉と文法が違っちゃったのですか?

文法となると、5千年以上前のことになるでしょうね。
呉・越などの国から来た人たちは、文化的には優越していても、
人数的にはさほど多くなかったのかも?
248朝まで名無しさん:03/02/10 00:22 ID:pGQsz+l7
>>242
また来ましたな。朝鮮南部倭人説。
ならば『漢書地理誌』の「夫れ楽浪海中に倭人あり」
と『魏略(魏志倭人伝)』の「倭人は帶方の東南大海中にあり」
をどう解釈する?
249朝まで名無しさん:03/02/10 00:23 ID:ZlyqE2PK

鳥越氏は、倭の古音は「wo」だと、
中山大学の歴史学の先生に、教えてもらったそうです。
一方、「越」も「wo」と読むそうで、「倭人」=「越人」だそうです。
「越」の国を古くは「於越」とも呼んだそうで、この「於」も「wo」。
また、物部系の古代豪族「越智氏」の「越」も「wo」と読む。

結局、倭人とは、越人を同音異字で呼んだもの。
250朝まで名無しさん:03/02/10 00:28 ID:ZlyqE2PK
>>248

その頃には、大陸の倭族は、漢族に制覇されていたからでは。

251朝まで名無しさん:03/02/10 01:13 ID:ZlyqE2PK

倭と越
どちらも、夏の王「相」と皇妃の子「少康」の子孫だと書いてあります。
小康は、一度は滅んだ夏王朝を再興し、夏は後四百年続いたそうです。

ttp://www.mekong.ne.jp/Japan/goetsu.htm

『魏志』倭人伝

男子は(年齢の)大小と無く、皆鯨面・文身す。
古自り以来、其の使いは中国に詣り、皆自ら大夫と称す。
夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪し文身してもって蛟竜の害を避く。
今、倭の水人は好みて沈没し魚蛤を捕う。
文身は亦もって大魚・水禽を厭む。
後稍もって飾りと為せり。


『漢書』地理志

粤(越)の条

其の君は禹の後、帝少康の庶子という。
会稽に封ぜられ、文身・断髪して、もって蛟竜の害を避く。
252朝まで名無しさん:03/02/10 01:22 ID:UluyRrqj
元々国内にいた縄文人が、大陸から新しい文明を持ってやってきた弥生人に東方に追いやられた。
だから、畿内と九州の文化に差がある。
九州が邪馬台国で、畿内は縄文人が建てた大和国。畿内も縄文の文化を徐々に取り入れて勢力を伸ばしていった。
漏れは九州と畿内はまったく違う種族で、王朝は2つあったと思っている。
倭の五王は九州の勢力で、大和国とはなんら関係ないと思われ。

253朝まで名無しさん:03/02/10 01:31 ID:ZlyqE2PK

『漢書』 卷二十八下地理志

其君禹後、帝少康之庶子云、封於會稽、
 −−−−−−
文身斷髮、以避蛟龍之害。
【應劭曰:「常在水中、故斷其髮、文其身、以象龍子、故不見傷害也。」】
ttp://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/kan-tiri2.html


『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳

倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。
 −−−−−
男子無大小皆黥面文身。
自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。
夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。
今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。
諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。
計其道里、當在會稽、東冶之東。
ttp://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gi-toui.html#wajin


こういうのもある。↓

ttp://www.tk4.speed.co.jp/temb/1/yayoi_4.htm

魏略逸文は、女王国に関して、系譜につながりのない「太伯の後」と「夏后少康の子」を併記していますが、魏志は越の祖先という「夏后少康の子(*)」しか引用していません。
陳寿は、邪馬壱国が越人の国であることを明確に認識しています。
254朝まで名無しさん:03/02/10 01:38 ID:NL/4OBNk
ふーん、わこくとだいわこくがあったのか。
255朝まで名無しさん:03/02/10 01:40 ID:ZlyqE2PK
>>211

日本語は、孤立語でなくて膠着語だそうですよ。↓

言語が異なれば、語意(単語)の役割や構文上の制約も異なる。
言語の構文上の性質は、大別して、孤立語、屈折語および膠着語に分類される。
孤立語の言語では、文を構成する語の構文上の役割は、語の並びで与えられる。
屈折語の言語では、語の活用で語の構文上の役割があたえられ、ラテン語がこのクラスに入る。
ところで英語は、孤立語と屈折語の両方の性質を持っているが、
日本語は膠着語に分類される。
膠着語では、格助詞などの付属語が語の構文上の役割を与えている。

ttp://chubun.lite.tamacc.chuo-u.ac.jp/saitolab/forum98/hasegawa_m/text05.html
256朝まで名無しさん:03/02/10 01:43 ID:8anWxRuO
記紀に仁徳天皇陵の記述がないのが気にかかっていました。
ひょっとしたら、今の仁徳天皇陵って、実は違う人の墓で、仁徳は他の部族の長だっのでは。
畿内から鉄器や後期洋式銅鐸が出てないのが非常に気にかかる。
大和朝廷は、比較的新しい王朝だったのではないか。
継体天皇が越から移ったと思われる。それまでの大和は小さな王朝だった。
越はwoかい。


257朝まで名無しさん:03/02/10 01:44 ID:ZlyqE2PK
>>252

しかし、
>>200
のリンク先にあるのが事実ならば・・・。
258朝まで名無しさん:03/02/10 01:56 ID:ZlyqE2PK

次サイトの2.のところを読むと、北陸の「越前」などの地名の由来は、
「越人」の「越」かも知れんと思えてくる。

ttp://www.tk4.speed.co.jp/temb/1/yayoi_4.htm

259朝まで名無しさん:03/02/10 02:39 ID:BNLHcHzK
天皇のルーツは「ユダヤ」である!  キーワード=LOST TEN TRIBES
260朝まで名無しさん:03/02/10 02:55 ID:zi9dSY4T
古事記と日本書紀に書かれている内容の半分以上は、出雲にまつわる話。
当時、天皇家は出雲を征服させるのに苦労したんでしょうね・・・。
天皇=京都→東京への反感は、今でもこの地方ではやたら根強い。
だから首相になったT下は地方にカネをばらまいたし、今のA木は高速道路を作ることに一生懸命。
好きです、島根。出雲、マンセー!
261朝まで名無しさん:03/02/10 03:35 ID:d/zQyNl5
島根は朝鮮のものです。
不当に奪われたものです。
このたびフランスの地図には、朝鮮領と明記されました。
九州は日本領です。
262朝まで名無しさん:03/02/10 05:04 ID:ZlyqE2PK

事実とすれば、もっと話題になって良いと思うが・・・。
画期的な発見のはず。↓

ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/KIN.html

〔金 印〕この金印は、江戸時代、福岡県の志賀の島において偶然発見されたもので、
中国史書「史記」の記述から、西暦57年、後漢の光武帝が漢倭奴国王(かんのわの
なのこくおう)に授与したものとされています。この金印側面には「常根津日子命」
の銘が刻まれていました。常根津日子命は第3代安寧天皇皇子で、「常根津日子命墓、
丙寅年三月十六日薨、御年四十七歳」の墓碑名が、佐賀との県境に近い福岡県糸島郡
二丈町に所在する一貴山銚子塚古墳近傍碑石から得られています。常根津日子命の
生存年は墓碑名等から西暦20〜66年と算定しています。なお、常根津日子命の兄
「師木津日子命」の墓碑名は、奈良桜井纒向勝山古墳近傍碑石から「戊辰年六月十五日薨、
御年五十一歳」(生存年は西暦18〜68年)が得られています。

263朝まで名無しさん:03/02/10 13:39 ID:CbL425IC
 皆さん、これは議論と云うより学会っぽいので、日本史板に立てませんか?
マニアックすぎて、正直もうついていけん。
電波でさえ、それらしく聞こえてしまう(ユダヤは流石に無いって分かるけど)

日本史板
http://academy.2ch.net/history/
264朝まで名無しさん:03/02/10 15:13 ID:CkGCkQ9P
>>262
実は「漢委奴国王」(漢に委ねる奴の国)だったりするわけだが。
265 :03/02/10 15:20 ID:DZUrUn4x
>>263
スレの伸び、書き込み内容とも充実してるのに、
何言ってんの?

 何か不都合でもあるの?
266 :03/02/10 15:32 ID:DZUrUn4x
長江付近は、
現在の地名 蘇(州)なんだよね、
1500年まえにはすでに、蘇だったということ。

蘇我氏は、仏教や華南の文化を取り入れた事で知られるので、
意外と、この地との関連が深いってのは、簡単すぎかなー
思いつきでスマン
267朝まで名無しさん:03/02/10 16:03 ID:4ixZ6wf2
>>265
漏れがついていけなくなってしまったから(W
別の所でやって欲しかっただけ.

ここだけ議論板のLVを越えすぎてる。(T.T )( T.T)
難民化してるし、本当は皆どこの住人なんだ?
そっちの方でやったほうが面白くなると思っただけで、
不都合が無ければ別にイイヨ。
268朝まで名無しさん:03/02/10 17:07 ID:sp8Am8Pp
越と倭が音が似てても同祖という根拠にはならんだろう。
越は大部族で支族も多いが名称も違う。それに言語が全く異なるはず。
それから、鳥越は、いくつもの民族から似ているところだけを抽出している。扱い方が恣意的で、東北アジアから中国の南方までが倭族に入れてる。
信用できない。
それから、有名人を祖先に擬するのは良くある話。
269朝まで名無しさん:03/02/10 17:11 ID:sp8Am8Pp
夏の子孫だったら漢族で倭族じゃないだろ? 漢族も倭族なのか?
何度も書くが、倭人と呼ばれてるのは、半島南端と日本列島の居住者だけ。
そうはっきり、史書にかいてある。百済や新羅は、倭人じゃないよ。
270 :03/02/10 17:26 ID:DZUrUn4x
点と線が結びつかないが、

越といえば、継体帝(空白の20年)の出身地
越といえば、蘇我氏のゆかりの地
蘇といえば、大陸どは越や呉のことである。
継体帝の時代から蘇我氏によって仏教が伝来した
271 :03/02/10 17:39 ID:DZUrUn4x
今、驚くべき事実を発見したよ、

倭の五王を、安東将軍の地位におき、
南半島から列島まで倭の支配地として
承認していた宋から陳(中国南朝時代)までの、
中国南朝時代の首都はなんと、「建康」

建康とは、つまり呉や越のあたり長江の下流
つまり、弥生人の祖先の可能性があるところであり
稲作発祥の地であり、当時から「蘇」といわれ 現在の蘇州のことである

倭王の朝貢してたさきをスッカリ長安あたりだと思い込んでいたよ。
272 :03/02/10 17:59 ID:DZUrUn4x
ちなみに、この時代中華南北朝時代と呼ばれるが、

北朝は(鮮卑系)
南朝は(劉氏系漢族) である。

南朝にはありがたく朝貢していた歴代倭王は、
隋の時代、いきなり、「西の天子 東の天子だが元気か?」
とやった事が不思議だったが、 この時代の中華に詳しい人なら
判るはずだ。

隋は北朝(五胡や鮮卑)から続く 反劉氏王朝だ。 中華正当=劉氏が
正当だった時代。その天子に天子の資格を周辺国に認めさせる力が
あるはずがない。

南朝が滅ぶとき、この蘇の王族と 倭国の関係はどうなったことだろう。
そして、倭王もまた、安東将軍の地位もなくなり
中華は鮮卑の時代。 蘇系につくか、隋や唐の北方民族系につくか
大きな争点になっただろう。
その時代が 継体帝から蘇我氏 推古への時代である。
273朝まで名無しさん:03/02/10 18:15 ID:Xhhzf+dl
継体の出身の国は、えつ じゃなくて こし だろ?
しかも継体は5−6世紀だ。弥生人の出身地と何の関係があんの?
274 :03/02/10 18:23 ID:DZUrUn4x
南朝崩壊とともに、倭国に亡命した王族がいたとすればどうだろう。
それはすなわち 継体帝と蘇我氏 以外ありえない

そして、継体帝は、倭王の姉との間に キンメイを作ったのだ。
蘇我氏がいきなり、キンメイの代に、歴史に登場する理由もこれで納得がいく。
キンメイの娘の推古が蘇我氏と、隋帝に楯突くのも道理である。
天子はわれにあり、ということだ。

筋は通っているはずである
275朝まで名無しさん:03/02/10 18:52 ID:5omB1AdM
>>274
アイディアとしてはおもしろいが、もう少し文献上の裏付けが必要だな。
276 :03/02/10 19:00 ID:DZUrUn4x
タイミング的には例えば、

和帝(わてい):皇帝(南齊7代) 488〜502(在位501〜502)

南斉最後の皇帝で、わずか2年で 梁に帝位を禅譲するんだね。
しかも(和帝)
継体帝が 日本で帝位についたのは 504年ぴったりなんだな。

この時代の南朝は王朝が何度もかわり、この50年間で誰が
倭国に亡命してもおかしくない。
しかも、常に「先代が性暴虐でたいへんだった」 という話ばかり
継体帝の前の帝 武列帝 と同じような扱い。
277朝まで名無しさん:03/02/10 19:07 ID:ZlyqE2PK
>>269

>夏の子孫だったら漢族で倭族じゃないだろ?

夏が漢族って証拠はないのでは?
そもそも存在しないという論もある。
殷でさえ東夷だという人がいます。

殷・周が、漢字利用という点から見て、漢族の始まりかな?

もっとも、夏の子孫というのは伝説でしょう。
辺境民族が、中央の高貴な方の子孫と称するのはよくあること。
278朝まで名無しさん:03/02/10 19:57 ID:ZlyqE2PK
>>269

次の本によると、夏は漢族ではなく、
長江下流域にいた稲作・高床式住居等の特徴を持つ民族に
由来するということになる。

http://members.jcom.home.ne.jp/harahara/book/book63.html

『徐朝龍・長江文明の発見』
長江下流に栄えた良渚文化が前22世紀に大洪水で滅亡するのと期を同じくして
黄河文明最古の王朝の夏が成立していることとその文化的な類似性から、
筆者は洪水を逃れた良渚人が夏を建設したという仮説を唱えます。

279朝まで名無しさん:03/02/10 20:36 ID:Zsj/dz93
>>276
その頃の王朝じゃ、王の親族は崩壊したら皆殺しにされる。
和という字の関係をいいたいのかしらんが、倭人や倭国はぞずっと前から使われてます。
280 :03/02/10 20:57 ID:DZUrUn4x
>>279
継体が即位した年代の、南朝の系譜をみたら、
たまたま 名前が和帝 であり
たまたま珍しく、禅譲している ってだけを報告しただけのこと。

倭に傾倒した王として、和帝と呼ばれたとかね
それにしても、その程度の反駁しかできんの?
281朝まで名無しさん:03/02/10 21:03 ID:oLM9hk+H
>>280
たまたま退位したのがいたからといって、
大和朝廷に入ったと考えるアホがいるとは。
282朝まで名無しさん:03/02/10 21:10 ID:pFKWjSrg
継体〜欽明に至る誰かの王の時、「王と皇太子、一族が皆殺しにされた」という記録が百済の文書に残る。
これは何を意味するのか?
知っている人がいたらよろしく。
283朝まで名無しさん:03/02/10 21:26 ID:aA114+lE
>>282
日本書紀の継体紀の分注に『百済本紀』によると辛亥
(531年)に、天皇・太子・皇子が亡くなったという記述
があるが、殺されたとは書いてない。
「辛亥(中略)日本天皇及び太子皇子倶崩薨」

どこぞのデムパが蘇我氏が大王家を殺して実権を掌握した
証拠だとかいってたなあ。。。
284朝まで名無しさん:03/02/10 21:30 ID:sC+E8z75
>>282
それは日本書紀にしかない、百済の歴史書の記述です。
韓国は否定してますw。日本に人質を送ったとかかいてあるから。

古田武彦氏によると、それは、九州王朝の王が死んだ(殺された)記録ではないかと。

>>290
無理矢理即位させられ、無理矢理譲位させられた可哀想な王(中国史ではよくある)。実権など最初からないから、譲位のあとは即殺害。15年の命。
285朝まで名無しさん:03/02/10 21:32 ID:S0BPjIV2
>>283
殺されたとは書いてないにしても、一度に全滅するのは不自然。
疫病かもしれんが、死んだのなら王朝はたいへんだったことだろう。
全部入れ替わったのかもね。
歴史書を読むと、「殺された」と分析を時々目にするよ。
考古学者にはデムパが多いのか、あんたが天才なのか。
286朝まで名無しさん:03/02/10 21:35 ID:0hgNbQKU
>>284

それじゃ、282の記述としっかり一致するじゃん。
287朝まで名無しさん:03/02/10 21:39 ID:sC+E8z75
>>286
意味不明
288朝まで名無しさん:03/02/10 21:58 ID:aA114+lE
>>285
まあ辛亥(531年)がポイントなんだろうね。
欽明天皇の没年は571年であることは諸本においてまず間違いない。
『上宮聖徳法王帝説』によれば欽明天皇の治世は41年、逆算すれば
531年(数え年で数えるから530年じゃないよ)。
『元興寺縁起』によれば、仏教伝来が欽明第七年戊午年で、これまた
逆算して欽明即位の年は、531年。
となると、531年に継体天皇が亡くなったとすると、安閑・宣化も即位
せずに太子・皇子のまま亡くなったことになる。
ここらへんで蘇我・欽明の謀略説がクローズアップ。
289朝まで名無しさん:03/02/10 22:03 ID:aA114+lE
>>285
おっと間違いを訂正。
『元興寺縁起』の説でいえば欽明即位は531年に大王が
亡くなった翌年532年になるか。
それと考古学者にデムパが多いんじゃなくて、古代史マニア
にデムパが多いの、古田とか安本とかはその典型。
290朝まで名無しさん:03/02/10 22:27 ID:ZlyqE2PK

http://www.inetmie.or.jp/~jin/KORY.htm

上(↑)のサイトの記述は真実でしょうか?
真実だとすると、紀元前後にすでに、
日本は、国としてのまとまりがあったことになる。
291朝まで名無しさん:03/02/10 22:32 ID:3Ppgirkz
>>290
富士文書とかじゃ無理。
きっと見つける直前にでっちあげたんでしょ。
292朝まで名無しさん:03/02/10 22:36 ID:3Ppgirkz
>>289
それ以前に古代史の記録自体に矛盾が満ちている。
まず中国側の記録とあっていない。特に7世紀以前は。
で、8世紀以降は急に合い始める。これが変なんだよ。
だから、日本書紀などの記述は部分的にしか信用できない。
293朝まで名無しさん:03/02/10 22:43 ID:ZlyqE2PK

>>291
>>文書はともかく、3代安寧天皇の子供(書記には「常津彦某兄」とあります)
を示す志賀島出土の金印の文字は、本物のではないでしょうか。

http://www.inetmie.or.jp/~jin/KIN.html
294w:03/02/10 22:43 ID:WoC9ARDK
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295朝まで名無しさん:03/02/10 22:45 ID:ZlyqE2PK
>>291

古事記では、「常根津日子伊呂泥命」です。
296朝まで名無しさん:03/02/10 22:50 ID:ZlyqE2PK
>>291

293の「書記」は「書紀」の間違いです。
297朝まで名無しさん:03/02/10 22:52 ID:ZlyqE2PK
 
金印の文字は、真実かそれともフェイクか、それが問題だ。
298朝まで名無しさん:03/02/10 23:18 ID:aA114+lE
>>297
どう見てもフェイクなんだよなあ。
金印自体がレプリカっぽい。
そのサイトの他のコンピュータ画像解析という写真を
数枚見たけど笑える。
特に石舞台には大爆笑。「馬子墓」って何それ。
ttp://www.inetmie.or.jp/~jin/ISHIB.html
299朝まで名無しさん:03/02/10 23:27 ID:5omB1AdM
>>293
何で漢が送った金印に皇族の名が刻まれてるんだよ。(激藁
300297:03/02/10 23:39 ID:ZlyqE2PK

やっぱりフェイクか。
どうも字体が、あまりにも揃いすぎているような気がする。


301朝まで名無しさん:03/02/10 23:46 ID:fbr8DfH6
テレビ局が内容を面白くするため、偽物を海の中に沈め、探検隊が発見する、というような事実が過去にありました。
金印は江戸時代に、お百姓が畑の中からみつけたんだよね。
当時も考古学者がいただろうし、今のテレビ局のバカヤロメみたいな香具師もいたかもしれない。
大発見をして有名人になってという野望。
302朝まで名無しさん:03/02/11 00:04 ID:lnph3l2p
>>288
では、欽明・蘇我は旧天皇勢力だったのでしょうか。
あるいはまったく別の王朝勢力だったのでしょうか。
そのあたりも気になる。
欽明の時に蘇我勢力が台頭したのがキーか。
303朝まで名無しさん:03/02/11 00:04 ID:+MsoS+9T
>>255
211氏の言ってる孤立語というのは文法の話じゃなくて、バスクとか
ハンガリー語とか日本語みたいに周辺に似たような言語がない事を言っている。
304朝まで名無しさん:03/02/11 00:14 ID:lnph3l2p
やはり天智ぐらいから今の皇室の歴史がはっきりしているということで。
建国記念日マンセー。
305常識くん:03/02/11 00:17 ID:/jdPUNMz
>建国記念日マンセー。

ほーらマヌケ右翼が出てきたよ。
306朝まで名無しさん:03/02/11 00:20 ID:P2BAfw4U
これほどの金の無駄と主権在民に反する制度が
いまだに続いているというのが不思議だ。

所詮日本の国民主権主義はアメリカから与えられたものだということだろう。
307朝まで名無しさん:03/02/11 00:21 ID:MHWMq09M
>>305 名前負け
ウヨさんだったら、神武からと書くよ。しかもマンセーとは書かない。よって、チミはアポーン
漏れも天智以前はあやしい歴史なんで、それ以後が正統と思うぞ。
308常識くん:03/02/11 00:26 ID:/jdPUNMz
>神武からと書くよ。
オメーなあ。そこまで書いたら右翼でなく単なるキチガイだぞ。
分かったらひっこめー。
309朝まで名無しさん:03/02/11 00:31 ID:MHWMq09M
邪馬台自体、大和王朝とは別系統という論が主流なのでは。
今は、九州王朝説が注目されていると聞くが。
倭の五王も九州の五王ということか?
310288:03/02/11 00:45 ID:7j9Kfff3
>>302
いちおう継体王朝には、保険として継体・安閑・宣化に
それぞれ応神王朝の仁賢天皇の3人の娘が后になっている。
だから3人の中で、その仁賢天皇の流れを組む皇子が生まれ
れば良かった。
結果的に皇子は継体と手白香皇女との間に生まれた欽明だけ
であった。とすれと継体天皇が殺される必然性は無いのである。
欽明は即位を約束された皇子だったからである。
この時期の大王家のゴタゴタは、皇位継承権の争いというよりも
大王家を支える氏族の争いであった可能性の方が高いと思う。
311297:03/02/11 00:45 ID:jtWe1n/I
九州王朝説は、一般的には、トンデモ説と見られているのではないかな?
部分的には、聞くべき点もあるだろうけどね。
312朝まで名無しさん:03/02/11 00:59 ID:Th+/Ydv1
>>310
三代も大和側の血が皇后側だったわけだ。
なんか、薄くなったような気がするが。
ぎりぎりセーフなのか?
ちょっとでも大和の血が入ればセーフだと、一系というのもあやういね。
313288:03/02/11 00:59 ID:7j9Kfff3
で続きだが、継体を擁立したのが大伴金村であり、
継体朝は大伴が政治の実権を握っていた、しかし
金村は任那の一部を百済に割譲してしまうという
失態を犯してしまう。
そこで期待を集めたのが磐井の乱を平定した物部氏、
物部氏は金村を失脚させ大連として実権を掌握する。
その物部氏と手を組んだのが蘇我氏であった。
物部は連なので大王家の外戚にはなれない、蘇我氏
は臣なので外戚となることができる。
蘇我氏が台頭したのは様々な要因があろうが、物部氏
抜きには、ありえなかった。
314朝まで名無しさん:03/02/11 01:05 ID:7j9Kfff3
>>312
安閑・宣化は継体の子で、母は大和系ではないよ。
それと継体は応神の五代の孫となってるから。。。
315朝まで名無しさん:03/02/11 01:05 ID:lemLcibE
>>311
神武東征は、逃げたとみたほうが自然に見える。
その後も王朝が九州に存在したのだから。遷都ではないわけで。
だから、縄文系神武が、大陸から来た弥生●●勢力に追い払われたという説のほうが納得しやすい。
倭が九州と朝鮮南部にいたというのなら、それが弥生文化を持った勢力だろう。
316朝まで名無しさん:03/02/11 01:10 ID:60agILBR
>>200
コラ!
317朝まで名無しさん:03/02/11 01:11 ID:g4OqvFm6
>>314
ホントに継体は大和系だったの?
越前方面の王朝から迎えいられたいうが。
その頃は、王朝が幾つかあり、大和政権はその王朝の代表が選ばれ成り立っていたのではないか。
継体の王位継承をみると、そのようにも考えられる。
318297:03/02/11 01:16 ID:jtWe1n/I
始まりが西暦紀元前660年な訳。↓

讖緯説では、甲子は六十干支の初めだから物事の始まりであるべきと考え、
天命によって革命(甲子革命)が起こるとされている。
この影響でか日本では甲子の年にしばしば年号の改元が行われている。

また、十干の辛は五行の金気で十二支の酉も金気で
辛酉の年は金と金が重なり合って重く沈むということを
拠り所として、辛酉の年も天命によって革命(辛酉革命)が起こるとされている。
この影響でか日本ではやはり辛酉の年にしばしば年号の改元が行われている。

興味深いのは、根拠のあやふやな日本の紀元節が、この讖緯説の辛酉革命を
拠り所としているらしいところ。
日本書紀にある、「辛酉の年の春正月庚辰朔、天皇橿原の宮に帝位に就く」という
くだりとともに。

甲子革命、辛酉革命は、60年ごとに来ることになるが、
讖緯説ではさらに、六十年を一元とし、二十一元を一蔀(いちほう)とし、
一蔀(1260年)ごとの辛酉の年には大革命が起こると予言しているらしい。

日本で初めて暦を採用したとされているのが604年の推古天皇のときで
そこから遡ると601年が辛酉の年に当たる。
そこから1260年遡った年に大革命があったとして、その年を神武天皇即位と
結びつけたのが日本の紀元節である。
つまり紀元前660年が日本の建国の年であると。
ttp://www.kt.rim.or.jp/~inamoto/essay/shinisetsu.html
319朝まで名無しさん:03/02/11 01:21 ID:+V5t3O8v
架空とされる神武にちなむ建国の歴史っていうのも変ですね。
そのあたりがアバウトが好きな日本人。
320朝まで名無しさん:03/02/11 01:35 ID:c3eezzry
正直、皇紀も2003年にしてくれると助かる。
もうそれに決めようよ。メンドクサイし。
321朝まで名無しさん:03/02/11 03:00 ID:n9i2YkfM
>>320
ということはユダヤ説になる。マンセー。
322朝まで名無しさん:03/02/11 08:15 ID:H4lgoLIR
>>320
あんなキリストの、異教徒の定めた暦なんて使ったら、日本の独自性が失われてしまうぞ。
まして暦は、キリスト教徒にとっては「週末へのカウントダウン」。
ロクなもんじゃない。
323朝まで名無しさん:03/02/11 08:25 ID:Oa4YUZhx
>>320
そんなことしたらゼロ戦がゼロ戦じゃなくなっちゃうじゃないか!
324朝まで名無しさん:03/02/11 11:55 ID:hpipB0CE
>>322
日本の独自性なんてもはや幻想さ。
325朝まで名無しさん:03/02/11 15:32 ID:H4lgoLIR
>>324
天皇制がある以上最低限の独自性は保たれる。
326茄子漫:03/02/11 15:59 ID:4dRLh+fE
西暦(グレゴリウス歴)って60年ぐらい勘違いしてるらしいけど。
327 これが真相だ:03/02/11 16:19 ID:7nF9fG3R
400年代 倭の五王は、代々南朝に朝貢し
      南朝の代々から、7カ国将軍を任命され続ける。
    漢王朝の南朝が乱世となる
502 南朝 斉の 和皇 梁に禅譲
506 越の継体帝位
*これから、100年間 南朝への朝貢の歴史がなくなります。
ところが、とうの南朝はこの後、文化的絶頂を迎えます。
なぜ、朝貢の歴史がなくなってるのでしょうか?
それに反して、新羅や百済は、南朝への朝貢を開始します。
そして、倭国から独立していくのです。

512 大友氏、百済にミナを割譲
526 ,継体大和いり
527 磐井の乱 九州豪族が継体に反発するが平定
538 百済王が仏教と経典を大和朝廷におくる。

*このへん、突っ込むところです。下記にありますが、
百済も新羅も、この後、南朝から仏典をありがたく貰ってきてます。
まるで、日本のために、取ってきてくれてるようです

百済 541 梁に使者を送り博士、仏典、匠を求めて得る 百済ほんき
百済 549 南朝の梁から使者と仏僧到来   新羅本記
新羅 565 南朝の陳から仏教教典が送られる 新羅本気
 
588年  蘇我氏 飛鳥寺建立  
*これが、どうして仏教伝来が朝鮮からってことになるんでしょうか?
仏教は、南朝からでしょ。

百済581 隋(北朝)に朝貢                百済本紀
百済584 陳(南朝)に朝貢                 百済本紀
新羅585 高僧が陳へゆき仏法を求める   新羅ほんき
328 :03/02/11 16:22 ID:THDSc2ca
>>327
最初に平定を成し遂げた王から五代くらいいた、という事になるな、
その記録だと。
329 これが真相だ:03/02/11 16:22 ID:7nF9fG3R
*百済も新羅も、たよりの王朝を、南朝から北朝に変更しはじめます。

589 南朝消滅  隋・唐の鮮卑王朝へ
新羅 594 随が楽浪郡公新羅王任ず      新羅ほんき

この100年、南朝も北朝も無視し続けた、倭王ですが、
南朝(漢王朝系)が 隋・唐(鮮卑王朝)により完全に崩壊すると、
日本の天子 となのり、 以後、隋などにも タメ口になります。

結論 
この500年代の倭に中華南朝から誰から来たってのが一番
合理的な説明なんですね、 蘇我氏 ももちろんね、
呉も越も南京も上海も 中国では今での「蘇」って言うらしいよ
蘇我って、我は蘇だから 

でね、南朝というか漢族正当を意識していた、倭=呉・越の子孫
はね、とうとう、最後の中華天子系の南朝が崩壊したのをみて、

倭から、日本となのり自ら天子になる事を決意して、
以後の天皇家になっていくんだね
330 これが真相だ:03/02/11 16:36 ID:7nF9fG3R
古代天皇家(倭王)の成立は、縄文からのアマテラス神話に譲るとして、

近代天皇家の成立、 つまり
倭から日本へ
王から天子へ

これは、紀元前3世紀から6世紀まで続いた、中華漢族王朝の崩壊をもって
「意識が独立して」 天皇家が成立したって事が結論。
331 これが真相だ:03/02/11 16:51 ID:7nF9fG3R
ちなみに朝鮮
新羅は11世紀の新羅本紀 によれば、
もともと、騎馬民族系の王が半島南に作った国であり、
(これは嘘だと思うけどね)
高句麗は、隋の縁戚の鮮卑系。
したがって、隋や唐( 鮮卑王朝)こそ、が本流で良く、
以後 鮮卑中華文化に吸収されていく。
332297:03/02/11 16:53 ID:jtWe1n/I
>>300

説得されました。納得。
333 これが真相だ:03/02/11 17:06 ID:7nF9fG3R
>>332>>297=>>300
自作自演するほどのネタなの?
334 これが真相だ:03/02/11 17:17 ID:7nF9fG3R
悪い悪い自作自演じゃないね、
297で300 だと 表現してるのね ゴメン
335297:03/02/11 17:29 ID:jtWe1n/I
ごめん。>>334

330 と書くつもりで、間違えて300と書いた。おれってバカです。
336朝まで名無しさん:03/02/11 22:54 ID:H4lgoLIR
>>335
激しく同意!

ごめんよ。 気にしないでね。冗談だから。
337朝まで名無しさん:03/02/11 22:57 ID:x8FJqh9c
>>330
隋が異民族王朝だったので、ああいう書簡を出したという説は前から出てたと思うが。
338いやいや冗談じゃすまないよ:03/02/11 22:57 ID:h0ASPu/g
2ちゃんに冗談は禁物
339朝まで名無しさん:03/02/11 23:00 ID:x8FJqh9c
問題は、7世紀以前の日本側資料と中国側資料とのあまりの不一致。
一致してることといったら、日本に王朝があったことと、朝鮮出兵していた、ということぐらいだ。
王の名前以下、全て違う。
一体この不一致は何が原因なのか?
異国のものだから、というのは理由にならない。8世紀以降の資料が見事にお一致しているから。
340朝まで名無しさん:03/02/11 23:14 ID:6Ybv8xbX
>339
記紀がそれまでの王朝の歴史を改竄したという裏付けではないだろうか。
どうみても、客観的に見た歴史書のほうが信頼がおける。
今の皇室のルーツは、比較的新しい部類の王朝、あるいは一族で、栄光の歴史を欲したのだと考える。
継体から欽明あたりが一番あやしい。
341朝まで名無しさん:03/02/11 23:26 ID:AgtjIN/M
>>339
中国側の史料と日本側の史料は、特に7世紀以前のことは
どちらもリアルタイムに書かれた書物ではないから、相違点
があるのは当然。
342朝まで名無しさん:03/02/11 23:39 ID:+tATUt3z
>>341
リアルタイムどうこうは関係ないと思うが。資料を基にして書いてるのであって、現地人呼んで書いてるんじゃないし。
そもそも、相違点がある、というレベルじゃない。全く違う。似ている点が存在しない、というぐらい違う。

>>340
改竄したのなら、中国書籍に合わせて書くはず。なぜああも違うのか、このことを問題にせず、無理矢理こじつけているのが現状。
343朝まで名無しさん:03/02/11 23:48 ID:AgtjIN/M
>>342
具体的に中国の「史書」と日本の「記紀」のどの部分が
大幅に違っているか指摘してくれないか?
俺はそんなに大幅に違う点は無いと思っているが。
344朝まで名無しさん:03/02/11 23:51 ID:EKIexmgS
>>341
付け加えるが、天皇の系図だってリアルタイムじゃないと思うが、
ほぼ8世紀以降(奈良時代以降)を書いた、新唐書の記述ははぴったり合うが、
7世紀以前を書いた隋書以前の記述は、その時代について書いた日本書記の記述とは全く違う。似たような事を書いていても違う。小野妹子や遣唐使など。
なんでああも違うのか不思議だ。
345朝まで名無しさん:03/02/11 23:53 ID:EKIexmgS
>>343
え? 全然違うだろ? 倭の5王の派遣もなきゃ名前も違う、卑弥呼もない(引用はあるが)。一体どこが同じなのか書いてくれ。
346朝まで名無しさん:03/02/11 23:53 ID:8kGM2+0I
>>343
中国の史書には史上最高の名君武烈帝の記述がありません。(W
347朝まで名無しさん:03/02/12 00:06 ID:lwrj51cM
>>345
倭の五王の記述が記紀に無いのは、中国に朝貢して官位を貰って
いたという不名誉な事実を隠蔽する為に、記紀の編者が無視した
可能性がある。
対等の立場で使いを出した607年は、当然記紀に採用されている。
以上により当然記紀には卑弥呼は登場しない。
この説は記紀研究において半ば常識となっていると思うが。
五王の名前が違うのは中国風に倭王が漢字一文字で名前を称したため。
基本的な年代や五王の相関関係は微妙な違いがあるものの
興が安康、武が雄略はほぼ確定している。
中国の史書では武は興の弟。記紀でも雄略は安康の弟。
348朝まで名無しさん:03/02/12 00:06 ID:EdrOi9k0
http://jsweb.muvc.net/index.html
★ココだ★ココだ★
349朝まで名無しさん:03/02/12 00:21 ID:jfUnZlaD
>>347
ちゃんと読んでるのか?
それじゃ、新唐書以降に天皇の名前が正確に記述されているのは何故なんだよ。一字名称なんて風習は、ヤマト朝廷には無い。一切書かれて無いモノが何故中国側にかかれてるんだよ。
卑弥呼については何故、中国側の史書が引用されてる? 引用するぐらならちゃんと書けばいいK。
官位のことは、学者の勝手な想像だ。官位がまずければ、それを省けば良い話だ。
また、遣唐使と遣隋使の間違い、5王の系譜の違い、その他きりが無いくらい違う。
大枠であっていて、僅かな違いがある場合、解釈の余地はあるだろう(官位がどうとか)。
が、そもそも書かれていることが違うのに、そのような解釈をしても無意味だろう。
350朝まで名無しさん:03/02/12 00:34 ID:Qf3HkR3a
書かれたことが同じってことは、引用である可能性があることを忘れるな
351朝まで名無しさん:03/02/12 00:46 ID:3tq69ATz
日本書紀の場合、引用なら引用と書いてるな大体。黙ってる場合もあるかもしれんが。
352 これが真相だ:03/02/12 00:49 ID:VfKme6ho
全然違う! って さも大きな問題であるかのような
言い方は、おかしいだろ、

魏志倭人伝は、 外伝として東夷の周辺国のことなど参考程度の記述にすぎづ、
伝え聞いた事をまとめたに過ぎない文章。
ヤマタイ や ヒミコ など 音として意味が通る事が奇跡に近い。
どれほどいい加減かは、 邪馬台国の場所がそのままの距離で言えば、
オーストラリアの場所になってしまうくらいいい加減。


宋書では、 倭の五王の事がかいてあるが、
宋書に続く梁書では、すでに5人の王のうち2人の名前が違う。
武にいたっては、梁代に来たようにかいてある。

蛮族緒王の名前がいい加減なのは、いつもの事だよ。
木をみて森をみない、馬鹿どもが!

唯一不思議なのは、推古天皇が男王になってるくらいだね
353朝まで名無しさん:03/02/12 00:51 ID:lwrj51cM
>>349
もしかして古代九州王朝信奉者ですか?
新唐書以降は日本も記紀が成立していたし、実際に何度も
遣唐使がいっていただろ。
一字名称は、何度も言うように中国風に日本が合わせたの。
よほどいい官位が欲しかったんじゃないの?
日本書紀の魏志倭人伝引用は実在の疑わしい神功皇后を実在
したと思わせるために引用された。
その他の相違点は、全く違うというわけじゃないだろ。
354 これが真相だ:03/02/12 00:56 ID:VfKme6ho
記述に違いがある、当たり前の理由は他にもある、

魏志倭人伝は、魏の時代の当代のことを同時代の人間が
記述した文章
宋書や梁書も同じ。5世6世紀の 同時代の記述。

記紀は全く違う。

文字記録方法があったかも定かではない時代の歴史を
およそ口伝が主だろう方法によって、8世紀になって
まとめた書物である。 そんな記紀が
リアルタイムの中華正史と同じだったら、それこそ偽書。
355朝まで名無しさん:03/02/12 01:10 ID:/qV5xJQt
>>352
なんにも分かってないようだが、卑弥呼の時代も文書のやりとりはあったんだけど。中国の使者が実際にきている。あの30国の名称も聞き伝えで書いたのか?w 良い記憶力してるよ。
5王は5王とは限らない。そんな言葉は史書には無いからなw
なあんもわからん奴は出てくるな。

>>353
奈良時代以降には、遣唐使が行ったというが、5王の時代にも何度もいってる。その王の手紙が掲載されてるではないか。
読んだこと無いのか?
日本が合わせたというが、そんな証拠はないし、人名が全く違う。司馬云々の名前も日本側にはない。
「実在の疑わしい神功皇后」というのは、日本書紀編集者の意見かね?w
それは現時点でのあんたの考え(実際は受け売り)。そのあんたの気持ちを先取りして書いたのか?w
実在性を言えば、最初期の天皇だってそうじゃないか。
あの神宮皇后の記述は、やっと中国側に合うものがあったので書いたと思う。

あんたがここに書いたように、なにもかもこじつけですませてるのが、7世紀以前の日本の歴史なんだよ。
一体、中国の史書と日本史で明らかに一致しているところはどこか? 人命でも地名でもいい。全くない。ところが、中国がわの記述は非常に具体的だ、倭王武の上表文のように。そこがおかしいんだよ。
まそれが謎だと思わないなら、頭使う価値は無いよ、キミには。
356珍説武装委員会:03/02/12 01:11 ID:jN89OuII

邪馬台国=邪馬壱国=ジャマイコク=ジャマイカ

邪馬台国はジャマイカだった!
・・・・ジャマイカってどこだっけ?
357 これが真相だ:03/02/12 01:27 ID:VfKme6ho
>>355
何もわかってないのは君。

魏志倭人伝とは、三国うんたら魏国うんたら第29巻うんたら ってのが
正式名称なんだがね、三国史のことが細かくかいてあるんだが、
作者は、統一されてんだよ。 その作者の関心は、東夷になんて全くない。

「実際に中国の使者がいっている・・・」 アホ
作者が行っていないから、それを伝聞っていうんだよ。
使者って何? 倭人伝を書く上で調査にいったと思ってるほど
倭国中心史観なわけ? 実際はこの時代に伝えられている伝聞を
まとめた資料にすぎないんだよ。

少しは、実際の魏志倭人伝の成り立ちを知ってから、ものをいったほうがいいよ

五王が五王とは限らない? 何いってんだかわからんよ、
中国史っていうのは、先代の資料に訂正がなければ、右にならえで
移していくものなのよ、 宋書と梁書はそういう関係。
なんで、5王の名前が 変わるんだ?
それは、適当だから以外に、説明しようがないだろ
358 これが真相だ:03/02/12 01:35 ID:VfKme6ho
しかも、倭の五王の当代時代に、漢文名なんて存在しないだろ、
漢字ないんだから。
漢字の本場国で当て字になった、名前と
 
300年後の日本書紀記述時に伝えられた、名前の漢字名と
どうやったら 一致させられるんだ?
方や、蛮族の王の扱い 方や 天子の尊称 同じわけないだろ
生前名  死後の名前も 天皇は違うんだよ
359朝まで名無しさん:03/02/12 01:41 ID:N4pd7jq7
>>357
>作者が行っていないから、それを伝聞っていうんだよ。

おい、バカ、引っ込め。
じゃあ、何か、正史の記述はぜええんんnぶ「聞き伝え」か?w
まあそういう言い方もあるだろう。いちいち戦場や、タイムマシーンに乗って行った訳じゃないからなw
こういうバカがいるとは思わなかった。
360朝まで名無しさん:03/02/12 01:44 ID:lwrj51cM
>>355
>日本が合わせたというが、そんな証拠はないし、人名が全く違う。

じゃ君は倭の五王は九州王朝の王だったと言いたいの?
長ったらしい日本名を漢字一字で表すんだから違うのは当然だろ。
大泊瀬幼武=武もこじつけか?

>神宮皇后の記述は、やっと中国側に合うものがあったので書いたと思う

それだったら倭の五王の記述も引用するだろ。倭王武なんて時代も
雄略朝でぴったりなんだから。けど記紀に倭王武の上表文は引用さ
れない。雄略は実在が確かなんだから中国の史書を引用する必要も
ない。あの引用は神功紀だから意味があるの。
361朝まで名無しさん:03/02/12 01:50 ID:k3h+jjIm
>>357
オツムが弱いようだから説明してあげるが、「5王」というのは現時点での言い方。そういう言い方をするわけだ「5王の時代」とか。
が、実際に王が5人しかいなかったとは言えない。たまたま、史書に載ったのを見て、5人だと思ったわけだ。
実際には別の王の名前が無理に5人にまとめられて、名前が違ってるという>>352のような意見が出てきた可能性があるうてこと。
わかるか? 6人以上の王の名前が出てる可能性があるんだよ。

>>358
あのねえ、手紙出してるの、遣唐使のずっと前から、多分漢書の頃から。
卑弥呼の時点では間違いなく文書のやりとりはあったわけ。
それから、ヤマト朝廷に伝えられた王の名前と中国側に伝えられた王の名前は一致していると考えるのが当然だ。文書のやりとりがあって、それをもとにして正史は書くしかない。
まさか覚えてそうな奴捕まえてきて書いたと思ってるわけじゃないよな?
新唐書以降はあっている。この新唐書は書かれたのは、奈良時代の300年後。記録によって書くしかないいんだよ。
362朝まで名無しさん:03/02/12 01:53 ID:7pOJM9xv
>>360
神宮皇后は、女性の首長という点で共通性があるからね。
5王に関しては、全く事跡がことなるから書かなかったというだけだと思うが?
それでおかしいか?
363 これが真相だ:03/02/12 01:53 ID:VfKme6ho
ちがうんだって、

魏志倭人伝の記録ってのは、三国で起きた事を
出来るだけ正確にかくことが目的になっていて、
倭人伝の扱いっていうのは、 起きた事を正確にかきます
って記述じゃないつまり、作者の文責 ではないですよ。
伝聞ですよ てことで書いてある外伝なの。
誰が、何の目的で、いつのタイミングで倭国で聞いてきたのか
など、全て適当な文章なの。 判らんやつだなー

本来の正史とは、意味が違うんだって。

さらにいえば、ヒミコの記述は当代に起きた事とすら書いてない。
伝聞の伝聞 のスタイルである。
364朝まで名無しさん:03/02/12 02:02 ID:7pOJM9xv
オマエ何言ってんの?
編集者は、朝廷の記録を元にして書くんだよ。他の記録と扱いは同じ。倭の記録は倭人だけじゃなくて、本紀の部分にも書かれている。
正史の編集者が、勝手に資料の扱いを変えるけにはいかんだろ。
それじゃ編集者としての資質の問題になるぞ。何言ってんだかる
倭人伝の記録、っていうが、それは、紀年体の部分
365朝まで名無しさん:03/02/12 02:03 ID:7pOJM9xv
>>363
>さらにいえば、ヒミコの記述は当代に起きた事とすら書いてない。

年代が書いてあるのを知らないらしい。
366 これが真相だ:03/02/12 02:04 ID:VfKme6ho
>>361

君、なんか誰かの評論の受け売りしてない?
話が通じてないよ、
五王の時代なんて、記述はどこにもないよ、そんなのは
あたりまえだろ。
宋書の中で、 各王代の時の記録に、倭からの朝貢のことが記述されて
それに対する 各王の返答が書いてあるの。

梁書っていいうのは、宋書を引き継いでまとめたものなんだけど、
宋代のことも 書いてあるの。

梁書に書かれた、宋代の時代の倭から王の名前と
そのもとの宋書の 倭からの王の名前が 違うくらい適当だ
といってるの。 

倭の五王なんて表現の話どっからでてくるんだ?

それと、魏志倭人伝の当時、日本には表記文字は存在してないので
文章のやりとりは不可能。 倭の五王 の当代では漢字利用の可能性が極めて低い
ことも判ってんの?

君やばいよ
367朝まで名無しさん:03/02/12 02:06 ID:7pOJM9xv
>>366
あのー、キミオツムほんとに大丈夫?
あの倭王武の上表文は誰が書いたの?
卑弥呼の時代から、文書(表とか檄とか)のやりとりはあったんだけど。
さっさと引っ込みなさい。
368朝まで名無しさん:03/02/12 02:11 ID:GEMx7KAR
>>366
誤植があるのは今でも当たり前。扱いがいい加減だという根拠にはならないけど。
現に、新唐書の天皇名は極めて正確。だけど間違いもある。それだけのこと。長い名前だから簡単に間違いだってわかる。
それから、5王の話は、いわゆる5王以外の王の名前が入ってる可能性があるってこと。1字だから判断は難しい。
369朝まで名無しさん:03/02/12 02:12 ID:QlmCtXjs
【ロマン】日ユ同祖論が真実ならばPart2【妄想】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1018626657/l50

これの前スレを読んでみな。天皇家の真の出自がわかるぞ。
370 これが真相だ:03/02/12 02:12 ID:VfKme6ho
>>364
だから、作者文責 の正史の部分と
倭人伝の内容の記述文責とは 扱いが違うんだって
作者の狙いは、冒頭にあって、中華蛮族の中にも礼を大事にする国が
あって、朝貢にくる とか そんなような話がテーマ
つまり、礼が大事だ って話に、挿入されてる周辺国の逸話話。

魏国の歴史と、朝貢は関係あっても、その国の記述が正確かどうかは
全く関係ないの。

この程度の話は、倭人伝の研究家のHPの半分には出てる常識と思うので
あとは、そのHPを良く見て反駁してくれ。
371朝まで名無しさん:03/02/12 02:15 ID:GEMx7KAR
>>370
またわけわからんこと書いてるな。
>礼が大事だ って話に、挿入されてる周辺国の逸話話。

何いってんだか。正史には周辺国の記録も伝として独立してるんだよ。
倭人伝以外にも周辺国のものがいくらもあるの。
しかも、倭国のことは、中心的記述である、本紀にもかいてある。
キミ、なああんにも知らないでしょ?
372 これが真相だ:03/02/12 02:19 ID:VfKme6ho
>>367

こらこら、糞味噌いっしょにしないように、
武の文は、 その時代に日本の倭王が漢文をかけたという
歴史的な証拠と、俺も評価しているが、それはいつのことだ?
倭の五王の最後 480年くらいの出来ごと。漢字がかけてもおかしくない

それが雄略なら それこそ武も 出てくるだろ

ところで、その ヒミコの時代に 漢王朝と漢文でやりとりしたっていう
話のソースを教えてくれないか?
373朝まで名無しさん:03/02/12 02:19 ID:EdrOi9k0
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
  ◇http://cg.iclub.to/link/ranran1/
374朝まで名無しさん:03/02/12 02:22 ID:GEMx7KAR
>>372
武がかけたんなら記録も残ってるだろ?
日本側にも記録が残ってたというのは確かなんだよ。日本書紀には「1書に曰く」なんて記述がいくらもある。書記の元になった書物もあった。
それらの記録と中国側の記録が全く違うという話なんだよ。
アホはどこか行ってくれ。

>ところで、その ヒミコの時代に 漢王朝と漢文でやりとりしたっていう
話のソースを教えてくれないか?

倭人伝に書いてあるが? 知らない? はあ。

375朝まで名無しさん:03/02/12 02:24 ID:GEMx7KAR
>>374
ちなみに、卑弥呼のあいては漢じゃないんだけどw
376 これが真相だ:03/02/12 02:48 ID:VfKme6ho
で、どこが全くちがうんだ?
武の前の王は、漢字がかけなかったとう前提に
たたせてもらうがね、
それに、武にしろ奏上文くらいは無理しても
自国で漢字を使ってるということにはならない

400年代以前の日本がどうやって記録をとってたと
想像してるのか・・・・ 7世紀記紀の記録と リアルタイム記述の
中華正史のあたりまえの違いを もって君は何をいいたいの?
記紀を否定したいの?


知らない? はあ   とかいって誤魔化さないように
377朝まで名無しさん:03/02/12 02:53 ID:15xzRzrU
普通の感覚では、
1)記紀は日本の為政者の都合があるから信用できない。
2)中国の歴史に登場する日本は、中国がもともとたいして日本に興味が
 無かったのでいいかげんに書いているので信用できない。

で、両方あまり信用できないってことで良い??
378朝まで名無しさん:03/02/12 02:54 ID:lwrj51cM
>>374
とりあえず五王に戻すけど倭に限らず百済・高句麗も
中国風に名前を改めて官位を貰っていることは知ってるだろ?
例えば百済の蓋鹵王は457年に余慶という名で宋から
任官を受けている。
だから倭王が一文字で自分の名を表すことはまったくおかしい
とはいえない。
379朝まで名無しさん:03/02/12 03:57 ID:vyxsMmPI
倭のエリアっていうのもけっこう肝心になるね。

また、神功皇后が卑弥呼だったという説もある。
その説をたどると面白い。
卑弥呼はカヤ国のカ金首露王の第一王女、妙見(ミヨギヨン)。
邪馬台国は崇神が建てた国で仲哀まで治めた国。その後、妙見すなわち神功が攻め入り征服される。
当初、邪馬台国は越の国(敦賀あたり)で、仲哀は征服されるも婚姻を結ぶ、その後、九州を攻め征服。
諸説あって面白いね。
トンデモと言う人がいるかもしれんが、真実は一つだが、すべて確定させる根拠がない。
もっと色々聞かせてくんなまし。
380珍説武装委員会:03/02/12 04:38 ID:jN89OuII

で、反論が無いところを見ると
邪馬台国はジャマイカだったとゆうことでよろしいか?






・・・しかしオマエラ証明のしようもない事を
よくそこまで断言口調で喚けるな(藁
381297:03/02/12 11:51 ID:9xCz5nW7
日本書紀の雄略記を読むと、たびたび呉国(くれのくに:実際は南朝の宋)に
身狭村主青・檜隈民使博徳らを派遣している。
前者は呉の孫権の子孫だと記録にあったり、後者は阿知使主に子孫とかのようだ。
名前が日本風でないことから、帰化後まもない世代と見られるそうだ。
倭王武の上表文は、彼らが書いたのでしょうね。
382朝まで名無しさん:03/02/12 12:34 ID:lPr10Ttx
隋書東夷伝 倭國より抜粋
…開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩[奚隹]彌、遣使詣闕。
上令所司訪其風俗。使者言倭王以天爲兄、以日爲弟、天未明時出聽政、跏趺座、
日出便停理務、云委我弟。高祖曰「此太無義理。」於是訓令改之。
王妻號[奚隹]彌、後宮有女六七百人。名太子爲利歌彌多弗利…内官有十二等…
其俗 …有阿蘇山
大業三年、其王多利思北孤遣使朝貢。…「日出處天子致書日没處天子無恙」云云。
帝覧之不悦…明年、上遣文林郎裴清使於倭國。…又東至一支國、又至竹斯國、
又東至秦王國…又經十餘國、達於海岸。…「我聞海西有大隋、禮義之國、
故遣朝貢。我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。今故清道飾館、
以待大使、冀聞大國惟新之化。」…
隋書東夷伝 倭國より抜粋
…開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思北孤、號阿輩[奚隹]彌、遣使詣闕。
上令所司訪其風俗。使者言倭王以天爲兄、以日爲弟、天未明時出聽政、跏趺座、
日出便停理務、云委我弟。高祖曰「此太無義理。」於是訓令改之。
王妻號[奚隹]彌、後宮有女六七百人。名太子爲利歌彌多弗利…内官有十二等…
其俗 …有阿蘇山
大業三年、其王多利思北孤遣使朝貢。…「日出處天子致書日没處天子無恙」云云。
帝覧之不悦…明年、上遣文林郎裴清使於倭國。…又東至一支國、又至竹斯國、
又東至秦王國…又經十餘國、達於海岸。…「我聞海西有大隋、禮義之國、
故遣朝貢。我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。今故清道飾館
以待大使、冀聞大國惟新之化。」…
383朝まで名無しさん:03/02/12 12:36 ID:lPr10Ttx
(382の意訳・記紀と併せた対訳)
600年、姓は「あま」名は「たらしひこ」という倭王、人読んで推古天皇
なる人物が隋に使いを送った。それによると倭王は、夜な夜な遊びが過ぎ、
昼間は寝ていて、仕事は弟に任せっきり、まるで2チャンネラーのような
生活をしているとのことだった。隋の文帝は、あきれて「あほ、まっとう
な社会人ならちゃんとしる!そんな香具師には返書はやらん」と諭した。
倭の使いは返書が貰えず、「まあ、夜遊びも習俗・文化なんですけどねえ」
という説得も効を奏さず、情けない国情を取り繕うために、返書は貰ったが
盗まれたことにしちゃおうと知恵を働かせた。
因みに倭王は、男でありながら女装趣味があるらしく、国内では女で通って
いるが、ちゃんと妻もいて息子もいる。屋敷には600人から700人もの女官が
いて、まるでハーレム状態であった。
384朝まで名無しさん:03/02/12 12:38 ID:lPr10Ttx
(意訳続き)
それから7年後、まがりなりにも、官位を定めるなど体裁を繕った倭王は
再び隋に使いを送った。小野妹子と言って、女みたいな名前であるが、
こちらは正真正銘男である。留学生を送りたいという内容の手紙だったが、
うっかり隋のことを「日が沈む国」と表現してしまったため、煬帝は怒って
しまった。翌年、煬帝の怒りも治まったらしく、家来の裴清を倭へ派遣した。
倭国は長崎の辺までは倭国ではなく、福岡県から東から倭の属国が連なって
いる。倭国本体は、近畿地方と阿蘇山周辺が直轄齡で、まるでかつての
東パキスタンと西パキスタンのような国である。両刃使いの倭王は裴清に
会い次のように語った。「いやあ、私の国は海の端っこの田舎もんで
世間知らずっちゅうか、礼儀っちゅうか、そんなもんに疎いんですわ、
勘弁してちょ。どうも我が国の政治家は、失言が多いもんで、ほんまに
恐縮しとります。今後はお宅らとお付き合いさせていただいて、先進的と
いいますか、そんな文化的なもんをとりいれて世界のニッポン、いや倭国
を目指して発展していきたいんで、ひとつよろしくたのんます」
385朝まで名無しさん:03/02/12 22:32 ID:aAV65g2h
>>376
倭人伝を読んだことがないなら、もう発言するな。
武の時に書けたことがわかったとして、どうしてその直前の時代に書けないということになるわけ?
あんなに長くしかも修辞まで使った文章が書けるなら、その前から書けてるよ。
文書をやりとりしてたんだよ、倭人伝の頃から。読めば分かるはずだが?
386朝まで名無しさん:03/02/12 23:26 ID:zgdx0wm1
>>385
しかし5世紀以前の考古資料からは倭が文字を使っていた
証拠が見つかっていない。
今のところ最古のものは江田船山と稲荷山の鉄剣の銘文
だけだろ。しかもどちらも雄略朝(倭王武)だぞ。
武の上表文は渡来人が作成したものだろ。ただ全く漢字
(中国語)を理解していなかったとも思わないが。。。
387朝まで名無しさん:03/02/12 23:32 ID:AhCuxD9P
>>686
金石文だけで判断できないだろう。稲荷山のだって最近見つかったわけだし。
誰が書いたにせよ、卑弥呼の時代から中国に文書を出していたのは事実。
一人でも分かる奴を連れ来れば伝わるだろう。
子供だって漢字は覚える。
通訳などは、少なくとも前漢の頃からいたわけ。
388朝まで名無しさん:03/02/12 23:32 ID:AhCuxD9P
土器に書いた文字はあったが。
389朝まで名無しさん:03/02/12 23:44 ID:0K8cKU7J
天皇家も琉球王朝を見習って解散したらいい、現代にふさわしくない。
390朝まで名無しさん:03/02/12 23:50 ID:LoaLQ8S6
>>389
そうだな、琉球王朝に敬意を表して、5年間天皇家を入れ替えて
みっか?

ある意味、彼らの王朝を潰したのは本土の責任なんだし。
391朝まで名無しさん:03/02/12 23:52 ID:zgdx0wm1
>>387
>「文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ」
ここ指して文書のやりとりと言っているのか?
これは中国側の文書を伊都国が女王国に届けているという意味で、
別に文書のやりとりをしていた証拠ではないだろ。
それと土器に書かれているのは文字であって文章ではない。
そういうのはものまねであって文字を使っていた証拠にはならない。
392朝まで名無しさん:03/02/13 00:00 ID:BHdW8NeQ
>391
>文書を伊都国が女王国に届けているという意味で、
別に文書のやりとりをしていた証拠ではないだろ。

キミは、「文書を届け」てもそれは、「文書のやりとり」ではない、と言いたいのか? 日本語は大丈夫か? それに他にもあるぞ。良く読めw

393 これが真相だ:03/02/13 00:08 ID:BpLBDJ2r
なんだ、一晩たってきても、
漢文を、魏とヤマタイが交換してたなんて
ソース ないじゃないか、
君、一説を通説であるかのように語らないように。

倭王武の漢文は、日本考古学の常識なんだが、
それをもって、200年から500年まで日本国内で漢文を
使ってたと思ってる学者は、誰一人いないよ。

発掘ずみの古墳から漢文が発見されたことなんてあるのか?

394朝まで名無しさん:03/02/13 00:11 ID:2hw9YNWH
>>392
お前こそ日本語大丈夫か?
その文章のどこに「give and take」が成り立っている?

>「友達の家に土産をもって遊びに行きました、後日
>別の知人を通してお礼の手紙を受け取りました。」

上記の文ではたして手紙のやりとりがあったと言えるか?
395朝まで名無しさん:03/02/13 00:13 ID:201uFz4Z
>>389
江戸幕府の禁裏抑圧策さえ二百年しか保たなかった。
19世紀に入ると朝廷の権威は誰が画策したわけでもないのに回復した。
幕末には日米和親条約さえ勅許が必要になったぐらい実権が回復した。
現代に相応しい云々なんて、僅か戦後五十余年しか経っていないで片腹痛い。
何れ又、皇室の権威は回復するさ。日本人のDNAに染みついているからね。
396朝まで名無しさん:03/02/13 00:17 ID:UR+2OM3v
>>395
あなた、DNAの意味判って使っているのか?
生物学0点だな。
397朝まで名無しさん:03/02/13 00:20 ID:SUa6dvzX
>>394
こらこら、オマエが倭人伝を読んで無いのは明白だw
「やりとり」があったという明白な言葉が倭人伝の中にいくつもあるんだがw
大体、中国の側から「だけ」文書を出すなんてことがあるわけないだろうが。下のモノが先ずだすんだよ。
ま、ゆっくり読め。

398 これが真相だ:03/02/13 00:25 ID:BpLBDJ2r
まあ、この日本の古代も漢文記述能力があったに違いないと
思ってる奴は、自分でソースを提示する力なんてないんだよ、

これがソースだ、と言えば、それを否定されたら終りだからな、
いっぱいある とかいって誤魔化してる厨房なんだよ。

少なくとも、倭の五王の時代に当代の記録を漢文でとってた と断言できる奴は
だれもいない。 したがって、 中華正史と 記紀の記録差に食い違いがあるのは
当然と考えるんだよ 普通は。
399朝まで名無しさん:03/02/13 00:30 ID:45uPmi9U
ここで、倭国側から文書がいかなかったと思ってる奴は、バカ。
何も知らずに原典にもあたらず、受け売りをしているだけ。
一つだけヒントを上げよう。
あの有名な武の「手紙」、あれは、”「表」を上る”と原文にはある。
多分、こんなことも知らないだろう。「詔」は知ってるかな、さすがにw
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>>395
「その時歴史が動いた」バカはっけん。

天皇が生かされたのは権力がなかったからに決まっているジャン。
天皇直属の部隊が存在したら、昔に滅ぼされていた。
寡黙に位階のしきたりを守っていてこその存続だったのさ。
402朝まで名無しさん:03/02/13 01:04 ID:K0Bz1k3z
393,394,398のアホコンビはまだ沈んだままかw
「表」は見つかったか?
もう30分待った。これで終わりだ。倭人伝や宋書良く読んでなw
403朝まで名無しさん:03/02/13 01:13 ID:ySBst6/Q
>>399
正始元年の上表だろ。
倭も弥生中期より本格的に朝鮮・中国と交易しているんだから
後期にもなればある程度、漢文を理解し書けるものがいただろう。
また渡来人も本格的に応神代に入ってくる。
その渡来人の力によって倭王武の上表はなされたのであろう。
問題は卑弥呼の時代、どれほどの漢文能力があったかだ。
>>399は、例えば「卑弥呼」なり「邪馬台」なる語を倭の側から
漢字にあてて魏に説明したと思っているのか?どうよ。
404 これが真相だ:03/02/13 01:15 ID:BpLBDJ2r
思い込みの激しい奴はほっといて、

俺の極めて2chらしい説、
「蘇我氏は、南朝 呉・越 の出身だった」
を煮るなり焼くなりしてくれないか、

蘇我氏の謎、
・なぜ、継体帝の後から突然大物として登場できたのか不明である。
・なぜ、継体前の五王のころまで、朝貢して臣下の礼をとっていたのに、
蘇我氏系の皇族(推古、聖徳)になり、北朝の隋に臣下の礼をとらずに、
こちらも、天子 などと名乗ったのか?
・なぜ、蘇我氏は南朝文化(仏教・律令・漢文)に精通していたのか

この謎は、蘇我氏が南朝出身であればすっきりするのだ。
この説を推進するポイントは、
1・倭の五王がせっせと、朝貢していた 宋の都とは、建康つまり呉や越
 実は中国ではこの地方のことを「蘇」というのだ。
2・南朝が、仏教の中心地であった(百済もここから仕入れる)
3・南朝は漢王朝として、北朝(鮮卑)の隋と敵対していたのである

倭の五王の頃からの交流で、蘇の地方からも豪族級が来たと考えるのは
容易な話である。

この説は否定できるだろうか?
405386:03/02/13 01:22 ID:ySBst6/Q
ID変わったか。
だから漢文を理解できないとはいってないよ。>>386参照。
どれほどの漢文能力を卑弥呼の時代倭がもっていたかが
疑問だといってるわけ。
現に考古資料では3・4世紀の倭の側の漢文資料が全くない。
ここらへんをどう考えているわけ?
406 これが真相だ:03/02/13 01:36 ID:BpLBDJ2r
>>405
大人としては、
自らはソースひとつ出さずにムキになってる厨房を
これ以上、追い込んでも意味がないと思うので、
放置したほうがいいって。
407386:03/02/13 01:47 ID:LZcs19Yk
>>406
いや、俺は結構楽しんでるよ。久々に勉強になるし。
それと彼の持論ってのを聞き出したいんだよね。
何か古代九州王朝説なんかなあって思ってる。
蘇我氏に関しては、また明日かな。もう寝るし。
408朝まで名無しさん:03/02/13 01:47 ID:0jR1CMmC
>40
刀の御先祖は中国じゃなく
中東のダマスカスだよ
中国に硬軟合わせた刃物なし
409朝まで名無しさん:03/02/13 01:51 ID:0jR1CMmC
>404
俺蘇我氏族の末裔
おれも実は同じ事を考えてた。
非常に面白い仮説だと俺も思うよ。
410 これが真相だ:03/02/13 02:22 ID:BpLBDJ2r
>>407

了解です。 聡明な人ですね。
見習います。

>>408

以前みた、平安期?の中華貿易の内訳の資料で、
日本から唐への輸出品の代表的なものに、刀 というのが
ありました。 
当時から 刀剣の加工力は日本が優れていたようです。

>>409

それはすごい、蘇我氏が説どおりなら漢族、
もしもそれが劉氏だと、中華皇帝の血筋ということですね(冗談)

この説どおりなら、
古代天皇家としての権威と
漢族王朝復興を企む蘇我氏という 
2つの権威系統があり、500年代は蘇我氏がのっとりはじめるが、
大陸の騒乱に巻き込まれる事が真っ平だろう、大和王朝が
蘇我氏を追い出し、大陸モンロー主義を貫き、古代天皇家としての
権威で国家形成する方向に、もう一度戻る というのが
大化の改新 という 事も 想像できる。  



411朝まで名無しさん:03/02/13 04:38 ID:UR+2OM3v
>>410
大化の改新ってさ、別に蘇我氏は滅んじゃいねーって。
滅んだのは蘇我宗家のみだっちゅうの。
412 :03/02/13 05:05 ID:zTmDm9fz
>>411
曽我兄弟の仇討ちとかね。
冗談。鎌倉時代だから。

生き残ったと言っても、藤原君の時代が続き細々とした蘇我家でした。
413朝まで名無しさん:03/02/13 05:59 ID:tJqjiYQq
>>412
蘇我氏が滅んだのは、壬申の乱だって。
414 これが真相だ:03/02/13 19:25 ID:Fd2YBg48
蘇我氏南朝説に立つとね、

500年代 南朝絶好調
527年 継体帝の大和入りになぜ、九州が氾濫したのか?
  継体帝は倭王の系譜なのか?
このころ、 蘇我氏台頭 
530年終りころ 欽明帝に 自分の娘を嫁入りさせる事に成功

まだまだ、南朝は絶好調!

572年 敏達天皇即位 (石姫皇女 純倭系)の王子
     蘇我氏への仏教攻撃 585年崩御しちゃった。

586年 用明天皇即位 (蘇我稲目の孫) 仏教かぶれ。
588年 蘇我氏日本初の仏寺建立
589年 南朝(漢王朝)が北朝(隋)に併合される。

南朝つぶれちゃったよ、どうする蘇我氏
592年 推古天皇即位
でも、時代は蘇我氏だからね、このまま突っ走るよ

北朝の隋なんかの、天子なんか認めるもんか!
うちの倅が天子です。推古

隋から唐へ、北朝(反漢族)元気です。 
なんと新羅が北朝に仲間入りしました。
「南朝があったころは朝貢してたくせに!
そういやーお前ら先祖に、隋や高句麗と同じ北方だもんな
抵抗ないんだろ!」
南朝は、百済と倭が守るよ(BY 蘇我氏)
続く
415 これが真相だ:03/02/13 19:38 ID:Fd2YBg48
舒明天皇です。
推古のおばちゃん、南朝びいきだったんです。
でも、時代は北朝。唐とも仲良くしないとね、
僕のおじいちゃんは、敏達天皇といって、反蘇我だったんです。
蘇我には後押しされたけど、蘇我の血は入っていません。

さーて 唐とも仲良くしないと 
第一回遣唐使も派遣します。百済や新羅や高句麗とも仲良くしますよー
ハッキリいって、蘇我(南朝)の人たちは時代がわかってないです
僕の嫁 (皇極)や 息子(天智・天武)は、きっと 蘇我と縁をきってくれるでしょう。

416 :03/02/13 19:44 ID:FVd2AGzD
413/414 かなり面白い。

でも、そうすると継体帝も南朝かもしれないねー キンメイで倭王の系譜とつながるので
天皇系には変わらないけど、 継体が南朝の皇子だったら蘇我氏が台頭するのは
よくわかるよ
417 これが真相だ:03/02/13 19:48 ID:Fd2YBg48
やっぱり、そう思う?

記紀記述のころは南朝なんて存在しないし、
漢朝と唐の違いなんて、全く理解できない時代だろうからね、
蘇我氏が何故、こんなに登場するのか 記紀記述者も
理解できない時代になってるんだと思うよ。



418 :03/02/13 19:56 ID:FVd2AGzD
うん、継体帝が都入りしたとたん、九州が反乱を起こしてる
これは当時最大の騒乱だったわけでしょ、
仁徳陵や雄略陵を作るくらい安定していた倭王の時代、
継体帝に反乱するっていうのは、相当な原因があったと
思うね
419 これが真相だ:03/02/13 20:13 ID:Fd2YBg48
不思議なのは、
400年代、南朝にあれほど朝貢していた倭国が、
500年代、南朝に全く朝貢しないんだよ
南朝時代は、500年代文化の絶頂期で仏教が盛ん。
百済も新羅も みんな通いはじめる。

だから、 斉から梁に変わった時502年ごろの斉の王朝から、
王族が、倭に渡ったとみるのが面白いと思うのだ。
前の王族が、次の王朝に朝貢にいくわけがない。

日本書紀からは、越前の国 男大?王を迎えたとあるが、
この越は、南朝の蘇 の越の事と考えてみるのだ。
ちなみに、記紀のころ、越といえば越前の国の事がったことだろう。

さらに、南朝の系譜でいくと 宋は劉氏(漢正当)だがその後はどうも
劉氏が途絶えてしまう。歴史ロマンとしては この劉氏が5代に渡って
朝貢していた 倭に逃亡して渡っていたとするのが最大級のロマンとなる。
420 :03/02/13 20:23 ID:FVd2AGzD
いや、そこまで言うなら、武烈天皇が残酷だったという記紀の記録が
当然何かの資料に書かれてるとして、その記録が実は宋代の記録と
似ている事のほうが問題だと思うね、宋代も性残酷な前王の記録が
たくさん出てくる。 その辺の歴史がこのころ日本に持ち込まれ、
記紀のころ、参照された とみるべきではないの?
421朝まで名無しさん:03/02/13 20:29 ID:neqwFYas
>>419
南朝の王族が日本に来たとして一体どんな力を持てると思ってるわけ?
軍団引き連れてくるのは無理なんだよ、当時の航海術では。東シナ海は渡れない。偶然漂着するぐらい。
しかもそれ以前に倭国は半島に攻め入るだけの軍事力があった。
大体、斉の王族は殺されてる。当時は皆殺しが基本。
無理な話。
422 これが真相だ:03/02/13 20:32 ID:Fd2YBg48
というと、武列以前の記紀の記録は、
中華帝の歴史を無理やり、日本の歴史に混在してるというの?

その可能性はあるよ、漢文古文の記録の出典が
国内記録か華南での記録か、区別する事は記紀のころは
不可能だろうからね、

混在はあるでしょう。
423朝まで名無しさん:03/02/13 20:34 ID:neqwFYas
>>422
アホじゃないの。
当時の記録は調べ尽くされていて、記紀の記述のどの部分が、中国のどの文書からの引用かは分かってる。
直前に成立した隋書からの引用さえある。
アホなこと書くんじゃないよ。
424 :03/02/13 20:42 ID:FVd2AGzD
>>423
アホはあんたと思うよ、 隋書の引用と、5世紀の倭の国内記述とは
話が違う。8世紀の人間が、5世紀の漢文をみて正確に中華と国内の記述と
区分けできたと思う方がおかしい。中華のできごとを国内のできごと
と思い込むことは容易に想像できるよ。
425 これが真相だ:03/02/13 20:45 ID:Fd2YBg48
>>421
そーか、偉大な宋書が書かれている場合は、
常に正しいわけね、前の王は残虐だったのでみな殺されてしまいました。
ちゃんちゃん  おめでたいね
>>423
単純な頭の奴登場か・・・
426朝まで名無しさん:03/02/13 20:46 ID:9G6Yv/fc
>>424
一体どういう頭の構造しているのかしらんが、
キミは、漢文を書いた切れ端が、表紙も無く、バラバラに落ちていたとでも思ってるのか?
当時、文書類は貴重品だ、どんな文書にも表題や作者名がある。
一体、中国と日本の文書が区別できないとは、どういう妄想だよ。
427朝まで名無しさん:03/02/13 20:48 ID:pnlEfS05
>>425
何にもしらないとからそういうことを書いてるんだろうが、
その当時の王朝は、前時代の王族や関係者は皆殺しにしている。
その手の話はいやというほどある。少しは歴史書を読もう。
428 :03/02/13 20:52 ID:Cli8l/xz
>>421
>当時の航海術じゃ、東シナ海を渡れない。
ホンマ?!
429 これが真相だ:03/02/13 20:56 ID:Fd2YBg48
>>421

そのおめでたい、断言形はどっから沸いてくる?
呉は、三国史でも有名な海洋国だよ。 蘇州の歴史をみてごらん、
紀元前から、アジア一帯に渡航していました。 っていうのが
彼らの誇りなんだよ。

倭も同じ。白村江の戦いでやられた軍船は400隻だったっけ?
朝鮮とはまるで違う海洋力があったのよ

当然、陸地からの移動もたやすいな。

「どんな力があるっていうの?」 って何?
先祖代々の朝貢先から、帝クラスが倭にやってきたら
倭王はひっくり返ると思うがね、
430朝まで名無しさん:03/02/13 20:59 ID:JWEpCXTg
>>428
何隻かで入って、1隻でもたどり着ければいい、という航海ならできただろうけど。
日本から中国への使いも、平安時代からだし。奈良時代には朝鮮半島ルート。
その頃日本に来ようとした鑑真が、東シナ海直通ルートで来ようとして、
何度も遭難して、12年?もかかったのは有名な話。
少なくとも軍団引き連れて来るのは無理。
王族が亡命しようとして来る可能性はあるが、東シナ海に乗り出すくらいなら、
大陸を南方か奥地にいくんじゃないの。
431 :03/02/13 21:01 ID:FVd2AGzD
>>427
またソースなし君ですか?

その程度の知識は誰でも持ってる上で、
「みんな殺されました」ってのは記述の定番だから
あてにならない って思ってんだよ

だいたい、漢族の劉氏がどれだけいると思ってんの?
馬鹿じゃないの? 
432朝まで名無しさん:03/02/13 21:06 ID:BYs4LcLV
>>429
こらこら、オマエは、白村江に、東シナ海ルートで入ったと思ってるのか? 頭の中身入れ替えてこいw
東シナ海を軍団で渡った例を出して見ろ。
433 これが真相だ:03/02/13 21:07 ID:Fd2YBg48
>>430
逆は大変だったと思うがね、
黒潮があるから、南から北は呉の海洋力があれば
十分にありえる話。
大陸経由も、勿論普通にあるだろ

軍団? いやご一行程度で十分
434朝まで名無しさん:03/02/13 21:08 ID:BYs4LcLV
>>431
ソースを見ても何にも分からなかったアホかw
漢族の劉がどれだけいたのか、ソースを出せw
で、その内のどこかで乞食や農民やってて、見つからなかった奴がいたとして、
そいつらも日本に来ると力を持つのか?w
435朝まで名無しさん:03/02/13 21:11 ID:BYs4LcLV
>>433
で、可能だったという根拠は、オマエの妄想か?
奈良時代以前はほとんど無理だったてのは、歴史が証明している。
平安時代でも、3隻に1隻とかその程度の確率でしか行けていない。
しかも狙った場所じゃなくて遠く離れた所に漂着したり。
こういう常識をしらないバカしかいないのか?
436(××):03/02/13 21:14 ID:oc5svU8Y
>>433
王族がその権力を行使できるほどのまとまった団体で渡航しなければ意味がないでしょう。
三々五々じゃあ意味がない。
とすると、大型船建造技術が不可欠。
いくらなんでもそれはムリでしょう。
鑑真和上が身をもって教えてくれてます。
437 :03/02/13 21:17 ID:FVd2AGzD
>>434
ソース? 君は劉氏は全員殺されている って断言したいんだろ
その記述を出せといってんのよ。殺されていないなんてソースはあるわけないだろ
小学生みたいな奴だな、劉氏って紀元前300年からいるんだよ、
中華全国の諸侯緒王は全員 劉氏だった時代が500年続いたんだよ
劉備げんとく なんて、いきなり僕は劉氏ですって ど田舎から
立身出世。 宋代の王朝で、前の王族が殺されたくらいの話と
漢の王朝の流れをくむ 劉氏が全員抹殺されるのとは
月とすっぽんの違いがあるんだよ

まあそれより、必ず全員抹殺されるなんて おめでたいソースを早く見せろよ


438朝まで名無しさん:03/02/13 21:21 ID:vP+h6bsw
>>437
中国史の本を少しでも読んだものなら常識だけど?
そんなことも知らない奴が、ソースを出せとはおこがましいw。
倭人伝や、宋書読んでも意味が分からない奴が言う言葉か。
顔洗って出直してこいよw
439朝まで名無しさん:03/02/13 21:25 ID:XPrSDkve
>>立身出世。 宋代の王朝で、前の王族が殺されたくらいの話と
漢の王朝の流れをくむ 劉氏が全員抹殺されるのとは
月とすっぽんの違いがあるんだよ

>>427では、劉氏全員だなんて書いてないが?
王族とその関係者だろ?
妄想ですか?
440 これが真相だ:03/02/13 21:29 ID:Fd2YBg48
>>438
って、その書き方は、昨日の厨房だろ、
相変わらず、自分ではソースを出さずに、馬鹿いってるな、

437 の奴の方がよほど筋が通ってる。
おまえが全員抹殺された っていいたいんだろ、
早く、そのソースをみせろよ
倭人伝とか宋書とか の話をしてたのは俺だろ

おまえはどーして、無能さを吼えていつも誤魔化すんだ?
少しは、「○×の資料によると、その説には矛盾があります」
とか書けないの?

そしていつもお前の吼える常識は、当たり前以前の話で話にならん。
441朝まで名無しさん:03/02/13 21:31 ID:l0dh/Ebd
>>435
時期にもよるだろ。年がら年中荒れてるわけでもない。
それに、無理して突っ切らなくても、点在する島を
経由して沖縄から台湾、台湾から中国も行ける。
陸路だと、原始時代の未開の朝鮮人と顔合わるからいかないだろ。

>>430
たぶん日本行きを申請して許可がでなかったので12年かかってたはず。
日本に来るときは確かに難航・難破し目がみえなくなったらしい。
442朝まで名無しさん:03/02/13 21:32 ID:tMPDxEEd
>>440
その当たり前の、「上表」なんてことも知らない奴がまた出てきたw
王族とその関係者が皆殺しにあった、なんて中国史の常識だ。
和帝が日本に来た、なんて妄想を書いた奴もいたが、そいつは殺されてる。当たり前だが。
殺されずに日本に来た、という証拠を出してくれw
443朝まで名無しさん:03/02/13 21:33 ID:tMPDxEEd
>>441
>たぶん日本行きを申請して許可がでなかったので12年かかってたはず。

こういうバカもいるのか。
444朝まで名無しさん:03/02/13 21:34 ID:ZFKuOHFF
天皇スレっていっぱいあるうえに、年がら年中連続してあがってくるね。
担当のバイトさんがいるんだろうか。
共産党はレーニンの墓参りでもいけばいいのに。


445 :03/02/13 21:36 ID:FVd2AGzD
>>439
それなら、予定調和な質問だ。
劉氏王朝は、当時の中華ではこの南朝王朝だけになってしまったが、
宋代の初代だけが、劉氏なわけじゃない。この劉氏が殺されて
劉氏の部下が後を継ぐことになるが、劉氏を冠する王族が
全員抹殺されるなんてことは、ありえない。
劉氏として、別の地に移動する王族がいても不思議はない。
446朝まで名無しさん:03/02/13 21:38 ID:EcGSIXn7
鑑真は4回目でやっとたどり着いた。
しかもその到着先は沖縄。
その前3回は遭難。ほとんど命がけ。これは平安時代でも変わらない。
成功確率は、スペースシャトルの100分の1以下。
遣唐使の一行も天候を見て行っているが結果は散々。
簡単に季節を選べばいいなんて、先人に対する冒涜以外の何者でもない。
謝れ!
447朝まで名無しさん:03/02/13 21:40 ID:h1aZM+tj
>>445
で、前時代に王族でなかった劉氏が「王族」と呼ばれる理由、それから、
そいつらが日本に来て尊重される理由は何かね?
448 これが真相だ:03/02/13 21:42 ID:Fd2YBg48
>>442
君の場合は、知識や性格の問題じゃなくて、
知能の問題かもしれんね、
昨日は、 放置した方がいいよ と結論を書いてしまったが。

荒らすのはやめて欲しいなー
449朝まで名無しさん:03/02/13 21:42 ID:l0dh/Ebd
>>446
いやだよ〜〜〜ん。
単に航海方法がバカってことでしょ。所詮中国人だし。
450朝まで名無しさん:03/02/13 21:45 ID:h1aZM+tj
>>448
ま、常識程度の知識すら知らない連中が歴史の話してるとは思いもしなかったんだよねw。
妄想膨らますのは結構だが、あまりにも無茶苦茶なこと書いてたら、いつでも訂正するからそのつもりでなw
451朝まで名無しさん:03/02/13 21:46 ID:h1aZM+tj
>>449
日本人も遭難してるってことが飲み込めないバカが1匹いるな。
452朝まで名無しさん:03/02/13 21:52 ID:l0dh/Ebd
>>451
いやさ、だってヨット1隻で太平洋横断できるわけだし。
記述だから、記述だからだけでは、合理性と物理的根拠のない論拠じゃん。
記述がすべての統計値をあらわしているとは到底思えない。

ささ、みなさん。バイキングとか漏れ様にあやまれ。
453朝まで名無しさん:03/02/13 21:53 ID:h1aZM+tj
>>452
消えろ。
454朝まで名無しさん:03/02/13 21:56 ID:l0dh/Ebd
>>453
あ〜〜あ。
なんの、論理的説得の展開もできないのか。
朝鮮人っぽい。くっさぁあ〜〜。
455 これが真相だ:03/02/13 21:57 ID:Fd2YBg48
劉氏というのは、漢の初代が、劉氏以外が王になっている土地があれば
皆で責めるべし。 ってお触れを出して以来、
漢族の王朝や諸侯は皆劉氏になってしまった。それが漢王朝。
この当時の劉氏のカリスマぶりは三国史でも有名
劉氏というのは、中華の天皇家のようなもの。

倭の五王の代、代々7カ国安東将軍 の地位を 劉氏からもらっていた。
そこに、劉氏の王族が来たら、軍隊なんてなくても丁寧にもてなすのは
当然のことだと思うがね、その血統は垂涎ものだから王として迎えたいと
いっても不思議はないんじゃないか?

ちなみに、これは可能性を言ってるのであって、昨日も蘇我氏のところ
で書いたが、 「この説を否定するだけの論拠があればしりたい」
という事。否定できない場合でも歴史の真実とは当然断言できない。

遣唐使や遣隋使の例もあるので、海路できたという事もありえるが、
陸路でもありえるのは勿論である。
456朝まで名無しさん:03/02/13 21:58 ID:h1aZM+tj
記述例を母数にして十分でしょ。
457 :03/02/13 22:03 ID:FVd2AGzD
>>450
いや、馬鹿はこない方がいいよ、知ってる常識が幼稚すぎるから。
みんなお前が知ってる程度のことは百も承知で、いろんな考えをぶつけてるの。
その空気がわからない馬鹿が、真剣に書き込んでも、周りからは荒らしてるくらいにしか
見えないよ
458朝まで名無しさん:03/02/13 22:09 ID:l0dh/Ebd
ちょっと、スレの趣旨から外れるが。
なんで??。つーか、正確でなくていいから母数とは何サンプル指してる??。
記述例以外膨大な航海量はあると考えて差し支えないとは思うが。

要するにノンストップの直進だけが航海ではないだろう。
ただ、これを否定するのが文献だけというのはどーーかな。
459朝まで名無しさん:03/02/13 22:13 ID:SzDWSQj8
>>455
陸路で北朝、朝鮮を通ってかい? 無理じゃないの、王族ご一行じゃ。

それに、みんな劉氏なら、何も斉の崩壊時に限る必要は無かろう。
そもそも、斉の崩壊と継体のなんたらが一致するってことが発端だろ?
そのためには、斉の王族じゃなきゃ整合性はないんじゃないの?

ま、初めから妄想に過ぎんからどうでもいいが。
460朝まで名無しさん:03/02/13 22:19 ID:UozZISPW
>>458
文献だろうとなんだろうと、成功例がかなりの割合であった、というのを出せよ。
歴史を論じるのに、確実な文書金石文などをもとにしないで、何をもとにするわけ。
妄想かいw

>>457
おいおい「百も承知」ときたかw
「上表」の意味も、王族の皆殺しも、東シナ海の状況も知らなかったオマエらが何言うの。
武王以前は倭国は文書を出さなかったとバカ言ったのはオマエ?w
もう反論の根拠は、文書類以外に求めるしか無くなってるってのにw
ま別に妄想もたまにはいいがね。
少しは、歴史をしってからにしろw
461朝まで名無しさん:03/02/13 22:19 ID:S6/rsETA
斉の王族は劉氏ではなくショウ氏のはずだが。
462 :03/02/13 22:21 ID:FVd2AGzD
>>426
長く、あらされてしまった。ここから返事。
それが当然と思ってるところが落とし穴なんじゃないかなーーと


というのは、中華の正史にあたるものは日本では、帝記のころからじゃないと
記述したという話も出ない。にもかかわらず、5世紀以前のことが
記紀に登場しているのだから、断片的な漢文を集めていると思う。
中華の漢文を手本に、先祖のことを書く事もあったかもしれない。
300年たって、そのころの記述をまとめて記紀を書くにあたって、
その歴史の幾つかに、中華の歴史が混ざっていても不思議はないと
そういう意見には同意できると思ったまでだ。
463朝まで名無しさん:03/02/13 22:25 ID:9G6Yv/fc
>>462
あのー、漢文が「断片的に」混じってるのはいいんだけど、
それの出典は分かってたはずだ、ってのが1点。
帝紀には一体そこまで書かれていたのか分かっていない、つまり、
神武以来何らかの記録、あるいは口伝(これがバカにできない)があったはずだってのが1点、
中国史が混じってるって根拠がない、ってのが1点、そんなところ。

これで、落ちる。
464 これが真相だ:03/02/13 22:30 ID:Fd2YBg48
>>459
混乱させて申し訳ない。

斉の最後の皇帝が和帝であり、丁度 梁に502年禅譲しているので、
継体帝の可能性があるな と書いたのは、かなり前のレス。

ところが461がおっしゃるように、和帝は劉氏ではない。
そこで、その後のスレでは、さらに、宋代から斉にかけての劉氏の王族の
どこかで、劉氏が倭にきたとしたら それこそ面白いなー と
別途、書いたのだ。

もっとも可能性が高いと個人的に思うのは、
蘇我氏

年度が近いので面白いなと思うのが
和帝→継体 

これだったら、大変なことだーと思うのが
劉氏→ 継体


465朝まで名無しさん:03/02/13 22:39 ID:l0dh/Ebd
>>460
まあ、もちつけ。
要するにこういうことだ。朝鮮半島〜満州〜中国と寄港しながら行ったら
北回りでいけるだろ。貨物を馬車で運ぶより楽だろ。
その逆に、沖縄回りでもいけるだろ。時期がよければ。
たぶん。商船とかはあったと思う。
全航路ではなく、分割して就航してたかもしれない。
文化、経済の交流はあっただろ。

確かに、記述に残ってる直行便は、きつかったということだろ。
じゃ、なぜ危険を冒して朝鮮半島や沖縄をとばして、直行便でなければなら
なかったかということの方が大事なことだろ。

これだけを取り出して、海路がすべてきつかったいう論拠に合理性は薄いと
思うのだが。
466 これが真相だ:03/02/13 22:49 ID:Fd2YBg48
>>465

そうそう、行こうと決断したら、行けるんだよ。
なんたって、5回も倭王からの朝貢が来てるんだから、
当人ご一行が、行けないと判断するわけがない。

まあ、あれだよ 新羅だって倭国の遅れること150年、
550年くらいに南朝に朝貢してるんだよ。
そのくらいのとき、百済には確か南朝側からも坊さんがいってるはずだ。
467 これが真相だ:03/02/13 22:55 ID:Fd2YBg48
とにかく、
宋書・梁書 百済ほんき 新羅ほんき から判るのは、

南朝の建康との、行き来は6世紀初頭、 極めて極めてポピュラーだった
という事。 このポピュラーぶりを知れば、南朝崩壊、もしくは劉氏存続が
危ぶまれた時代、 南朝から倭国にやってくる一団がいない 可能性の方が
よっぽど薄い。

468 :03/02/13 23:15 ID:FVd2AGzD
>>463
記紀の継体帝の前の武列帝の記述が、
性虐待で残酷な帝で殺されてしまう という記述になっていることから、
それって、宋書にある代替わりに書かれる先代の記述に瓜二つだなー
と思ったから。武列帝あたりの記述がなんで同時代の宋書に似通っているのか?

継体帝そのものが南朝だとは思わなかったが、南朝の代替わりの記述を記紀は真似してると
思ったんだよ。

継体帝自身が南朝ってのは、発想として飛びぬけ過ぎてるがね
469 :03/02/13 23:45 ID:ClHh8DD4


470あれ:03/02/13 23:48 ID:ClHh8DD4
同意 同意 

蘇我にしろ仏教にしろ継体天皇にしろ、それが新羅や百済系という話よりは
ずっと納得がいったよ。 つまり天皇家には、漢王朝の血も入ってるって事だろ、
どうりで、上海や台湾の奴らに親しみがわくはずだ。
471 :03/02/13 23:50 ID:FVd2AGzD
台湾は違うでしょ 
472朝まで名無しさん:03/02/13 23:59 ID:DJQjyVNI
表敬訪問で来てそのまま居座ったとふと思った。
473朝まで名無しさん:03/02/14 00:02 ID:Y0JKB3XD
【考古】ソロモンの秘宝探し最終段階に 徳島
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1045063567/

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474 :03/02/14 00:02 ID:Xf/6ZF5n
どうせ、記紀で捏造すつのなら、まったく別の王朝だったと記紀に書いたほうが純血にみられたかもしれないね。
今の皇室のルーツは大陸からやってきたとういう説が濃厚だな。
農耕のためにやってきたのかな?
475 これが真相だ:03/02/14 00:10 ID:Dnutq7Qw
そうなのだ
仏教の伝来については、
日本国民の多くが相当誤解してると思うね、

百済や新羅で仏教が発展して、その後、日本に伝わったと
みんな思い込んでる。
ところがギッチョン。

百済や新羅が、南朝にせっせと仏典をもらいにいったのは6世紀半ば。
(新羅ほんきや百済ほんきといった、彼らの歴史書に書いてある)
倭国と全く同時期に、仏教が伝わったといっていい。
百済王が仏典を持って倭にやってきたのは、手に入ったものをそのまま、
まず、倭王に見せにきただけといっていい。

どう考えても、倭国は南朝からたくさんの文化を教わりましたって事であって、
それを、さも朝鮮が日本に文化を教えました などと言うのは許せんね
476 :03/02/14 00:28 ID:pUh5AUkw
>>474
前述ですが、わたしは捏造なんて意識はなかったと思いますよ。
単純に、大陸系氏の先祖の記述漢文を参照に国内の歴史と思って書いた
事があったんじゃないかと思うのです

というのは、記紀のころはすでに、
天皇の権威を高める必要のある時代ではないのです。
捏造説を唱える人が誤解しているのは、記紀には
あまり天皇の権威を高めるような記述がないってことです。
むしろ、藤原一族がいかに天皇家に貢献してきたかに捏造のポイントは
あるでしょう。天皇そのものより、周辺氏にとって自分の先祖の扱いこそが
一族の命運を握るのです。 300年も前の国情には実は知識がないって事です。
現代の人が、古代の記述に一喜一憂してるとは夢にも思ってないんじゃないでしょうか
テーマは、自分達氏の先祖のポジションです。
477584:03/02/14 00:33 ID:PXqL3HGj
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478朝まで名無しさん:03/02/14 00:35 ID:JTEJxzk3
竹巻ならバラバラにして輸送してもおかしくはないと思ふ。
479 :03/02/14 00:42 ID:Fg3gRaG1
>>476
というか、ほんの少しの捏造じゃなくて、他の王朝の歴史を大和朝廷の歴史としてしまったことと、
実在しなかった天皇を無理してつくりあげてしまったのがおかしいと言っているわけで。
480 これが真相だ:03/02/14 00:44 ID:Dnutq7Qw
>>472
面白いね、それあるかもしれん。
ある日の家来
「○×様ー、斉がなくなって梁になっちゃいました
どうしましょう、帰りますか?」
「うーんきっと殺されるなー 。。。。よし、おまえら倭の奴らには黙ってろよ」

それからそれから
「倭王よ、ワシの娘を嫁にやるよ」
倭王「えー、それは有難いなー ぜひもらいます。お父さん」
それからそれから
「倭王よ、実は大陸に帰るとこがなくなったんだが・・・」
倭王「お父さん、何を水臭い、日本にいて僕を助けてください」

ってな
 
481 :03/02/14 00:55 ID:pUh5AUkw
>>479

倭に古代王朝があったのは間違いないのですから、8世紀の彼らが
犯した間違いは、捏造ではなくて、古代の漢文から大陸の王朝の話などを
自分達の王朝のことと思って、書き加えていたんじゃないかということです。
捏造というと、それを意識していたということになりますが、
倭の王族が古墳の代から続いているのは間違いないですから、それを
権威付けする目的であえて捏造する必要もなく、
大陸の王朝は単に勘違いして挿入した話が多いのではという
程度です。 
記紀が意識的に捏造したとすれば、それぞれの氏の先祖のエピソードです


482472:03/02/14 01:09 ID:eVxpgdhv
>>480
敢えて正直に言うと、感情的には従えない論なんだが、 面白い。
古代の常識を覆すのは、寧ろ君の論かもしれん。発掘などで裏付けが取れればいいんだが。
続けてくれ。 否、「また続けて下さい。」
483朝まで名無しさん:03/02/14 01:19 ID:Y0JKB3XD
【考古】ソロモンの秘宝探し最終段階に 徳島
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1045063567/

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484 これが真相だ:03/02/14 01:25 ID:Dnutq7Qw
うーん有難う!!!

>>414 >>415

も読んでね。 継体だととっぴすぎるので、蘇我氏に焦点をあててるんだけど
欽明帝から、蘇我系 と ノン蘇我系に分けるとね、
北朝に対する態度 と 仏教に対する態度 
がわりと綺麗に分かれるのね

これをね、中華南朝の北朝への吸収の事実を受け入れられない
蘇我一族の抵抗と悲哀 と見たのね
485 :03/02/14 01:52 ID:pUh5AUkw
継体南朝(越)説をつぶす事を考えると、

斉の最後の皇帝が なぜ(和帝) と呼ばれたかが、
倭とは関係なく唯の偶然だ というのを証明すればいいんだよね

これは容易そうな気がするなー 
でも即位たった2年で梁に禅譲というのは、何があったんだろう
詳しい人いない?
486 :03/02/14 02:25 ID:pUh5AUkw
和帝は、梁初代武帝に譲位すると、自動的に自分と一族が殺される事
がわかって譲位してるね。当然その後死んだことになってる。

残れば死がわかりきってるので後がない、
和帝と一族一万人皆で倭に旅立ったとしてもおかしくはないな
487 これが真相だ:03/02/14 04:03 ID:Dnutq7Qw
いや、継体が和帝と決めてるわけじゃないよ、
このころの誰か、
継体にはまりそうな奴いないかな って探してるだけだ。
蘇我氏南朝は確信をもって説として書いてるが、

継体が南朝の王族というのは
完全に歴史ロマンの話である。 どうあがいても証明できなければ
確信するほうがどうかしている。

やはり、劉氏の方が面白いので、宋 劉氏最後のエンペラー
順帝というのもロマンとしては捨てきれないなー
確か、478年に倭の武王から朝貢があった翌年、斉に禅譲させられるんだ
この時13歳。 武は11歳の順帝に「高句麗が酷いから、帝の力で助けてくれ」
って、特別な書を出すんだね、

この順帝が、「よし、僕が 倭国に軍を率いて助けに行こう」
とその案にのって、建康を後にして そのまま斉の高帝から逃げ切ったというのが
真実の話だ。 
これは、日本書紀では、大伴氏が越に、跡継ぎとして迎えにいった 
継体帝という話になったというのは言うまでもない。 


488朝まで名無しさん:03/02/14 09:42 ID:lewohEvC
実は明治天皇という方は滅んだとされる熊野南朝朝廷の子孫なのです。
孝明天皇のお子として誕生された祐宮(明治天皇の幼少の名前)は
孝明院が暗殺されたあと、薩摩長州により密かに闇に葬られ、
ほそぼそと続いていた熊野南朝の子孫が彼らによって担ぎ出されました。
ですからあの有名な明治天皇の肖像画は孝明院の実子としての天皇では
なく熊野南朝末裔の子孫としての明治帝なのです。熊野南朝は後亀山院
の末裔です。
明治の大御代は北朝と南朝の交代劇でもあったわけです。
現在の皇室は系譜上では北朝閑院宮流ですが、書かれなかった謎の系譜が
あるのです。
489 :03/02/14 13:18 ID:pUh5AUkw
なんで、6世紀になって南朝への朝貢がなくなったんだろうね
確かに、歴史ミステリーだね。
5世紀の倭の大王の時代と、6世紀の継体帝から欽明帝の時代
何か変わったのは確かだね
490 :03/02/14 13:23 ID:pUh5AUkw
そういえば大王級の古墳って、どの天皇で終わるの?
491朝まで名無しさん:03/02/14 22:04 ID:7dFoNijZ
>>468
キミらほんとに、なあああんにも分かってないんだねえ。呆れるのを通り越して、可哀想になってくるよ。
前の王朝の最後期の王を悪く書くのは、史記からの伝統、というか、そうじゃなきゃ、「革命」の理由がなくなるでしょ。ほんとにアホだね君ら。

>>481
あのね、倭国の事は中国の歴史書にも載ってるの。
一体どういう頭の構造してれば、中国と日本の記述が区別出来なかったと思うのか・・・
いつもキミが勘違いしまくってる状況を、他の人に当てはめないでね。
492まあ、靖国訴訟でも(大阪 地方裁判所):03/02/14 22:44 ID:k4PXiCqo
2003年2月14日(金).掲示
                      
                      大阪地方 裁判所.民事3部 合議2係 「乙」

   次の 事件について、 傍 聴 券 を発行します。
   つきましては、傍聴を希望される方は、下記の日時.場所へ ご集合ください。

 傍聴券を発行する事件: 平成13年(ワ)11468号.ほか 靖国参拝 違憲 確認等 事件

 原告:Sほか

 被告:@小泉純一郎,A 宗 教 法 人 「靖国神社」 ,ほか

 公判期日:2003年2月17日(月).13時30分〜. 使用法廷:202号法廷(本館 2階)
        
                 記
傍聴券配布の場所:当日の 12時30分〜13時00分.裁判所 「北玄関」西入り口.付近

 パ ソ コ ン 抽 選 に な り ま す

13時00分から パソコン抽選を開始し、すぐに、会場 付近に 掲示します。傍聴券配布枚数 は 29枚です。
493 :03/02/14 23:20 ID:t1rL2LY2
>>490
古墳の比定はいい加減らしい。
特に仁徳天皇陵など、あの界隈にこれほど大きな墓を持つのは仁徳天皇しか考えられない、というような適当な理由で比定されたようです。
第一、本当に墳墓なのかも科学的に証明されていない。
違う人の墓だったら、比定した人や管理する人は呪われちゃうよね。
実はそのようないい加減な感覚で比定された墳墓って多いのが実情。
それを国費で管理していいのかよ、と声を大きくして言いたい。
494朝まで名無しさん:03/02/14 23:23 ID:tewfBoj2
>>493
呪われるもなにも、墓泥棒に掘り尽くされているよ〜。
まあ、考古学者が掘れば、なにか取り残しから判るかもね。
495朝まで名無しさん:03/02/14 23:26 ID:oPZj+Myy
小泉さん朝敵征伐のための、
治罰の綸旨の発給を天皇に願いでてください。
496 これが真相だ:03/02/14 23:27 ID:Dnutq7Qw
>>491
相変わらず、ワンオクターブ低いねー
前言ったろ、知識の問題じゃなくて君の場合は知性の問題だって。

そんなことあまりにも判りきってるので、もっと奥の深いことを言ってると
思うんだよ、普通は。 いわゆるズレテル奴 って奴だなお前は。
良く毎度毎度、わかりきった事を恥ずかしげもなく・・
あーお前の相手は、くだらないからやめよ
497 これが真相だ:03/02/14 23:35 ID:Dnutq7Qw
日本書紀に古墳の事は書かれてないのかな?

おら、知ったかぶりくん、お前の知識の出番だ
書かれてるか 書かれてないか 答えられるか?
498朝まで名無しさん:03/02/14 23:36 ID:t04BRhlS
>>494
宮内庁が天皇家の出自に関する証拠を隠滅するため副葬品を持ち出した
可能性もあるな。
499朝まで名無しさん:03/02/14 23:47 ID:tewfBoj2
>>498
多分宮内庁なんぞが出来る前にもぬけの殻だと思うよ。
500朝まで名無しさん:03/02/15 00:07 ID:T2/phnVW
>>496
また出たか、「判りきってる」、「もっと奥の深いこと」か。昨日は「百も承知」だったが。
キミ、鏡を見ながら自分書いたこと反芻してみなさい。
それで、恥ずかしいと思わなかったら、キミは日本人じゃない。
キミはチ(略
501MONNASHISUN:03/02/15 00:19 ID:Jaqx3cmT
別スレでの天皇制についての結論

・天皇は国民に利益をもたらさない。

天皇制廃止のメリット
・皇居に使われる毎年300(?)億円の税金を削減
・首都圏に街がひとつ増え、生産活動が増える。=莫大な税収
・また、現皇居付近にビルを建てることが可能となる。
・道路や電車がもう少し使いやすくなる。
・首都圏の土地代、家賃が下がる(かも)

天皇制廃止のデメリット
・ギネス記録停止。
・アラブに尊敬されなくなる(?)。
*外交はもともと不可

・・・ほんとに必要?
502807:03/02/15 00:33 ID:iq7Yqi1U
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503 :03/02/15 00:51 ID:sPb420aj
>>498
今上天皇と皇太子は、ルーツに関して非常に高い関心があるらしい。
どうせなら、発掘のプロジェクトチームを組んで、徹底的な調査をすればいいと思える。
504 これが真相だ:03/02/15 01:18 ID:gAsXXsMH
>>500

少なくとも、
君が何を馬鹿にされてるか気付く事はないだろう
って事は判ってるので、君には反省は促さないよ。
君、真性だからね

この程度の話、君じゃないと、偉そうに書けないよ

前の王朝の最後期の王を悪く書くのは、史記からの伝統、というか、
そうじゃなきゃ、「革命」の理由がなくなるでしょ


それより、早く >>497を教えてくれよ バカだけど 記紀は読んでるんだろ
505 :03/02/15 02:02 ID:TsK8jjVM
>>504
同意。
前の別王朝の栄光は邪魔。
自分らが建てた王朝を飾ることに躍起になるべな。
506朝まで名無しさん:03/02/15 02:32 ID:TsK8jjVM
今の天皇の歴史はやはり、天智以前は不透明。
ということか・・・・・・・
507朝まで名無しさん:03/02/15 02:40 ID:oX3sU6xI
>>506
天智も実は不透明とか聞いたことがある。
508朝まで名無しさん:03/02/15 02:44 ID:U3/jc2xj
>>507
天智と天武はオヤジの種は同じらしいが、母親は違うらしい。
それぐらいしかしらんが、どのような不透明さかな。
509朝まで名無しさん:03/02/15 03:24 ID:3ZE+cBaI
>>508
聞いたのは天智は百済王族系で天武は全く別の系統の豪族とか言う話です。
510朝まで名無しさん:03/02/15 03:27 ID:U3/jc2xj
>>509
そういった話もあるんだね。はじめて知りました。
511朝まで名無しさん:03/02/15 03:42 ID:1QFL+ful
>>510
言葉に言葉を重ねて適当に検索してたらふと見つけました。
荒らされてHP閉鎖されると勿体ないのと
可哀想だというのもありまして検索キーはご勘弁を。
デンパ説はデンパ説でそれなりに面白いので。

あと、倭人はムーの子孫とかもありました(W
512朝まで名無しさん:03/02/15 03:48 ID:U3/jc2xj
天智は有間皇子も殺しているんだよね。
けっこうライバルを抹殺している。
皇室の成り立ちは血なまぐさいね。
513朝まで名無しさん:03/02/15 03:55 ID:Utbm5MCl
南北朝の頃に、足利尊氏が、賤民である“河原乞食”を北朝の天皇に勝手に仕立て上げだ。
その河原乞食が今の皇室の始まりです。
従って、建国記念日由来の神武天皇と、今の皇室とは、血筋が繋がっていません。
南朝由来の真の皇族は日本のどこかにひっそりと暮らしています。
514朝まで名無しさん:03/02/15 04:01 ID:U3/jc2xj
>>513
光厳って河原乞食? 初耳。
なんか、今の計画倒産詐欺みたいなことやるか?
河原乞食が綸旨を書けるか?
まあ、光厳があやしいことは確かだが。
515朝まで名無しさん:03/02/15 04:27 ID:Utbm5MCl
天皇が同時期に二人居た南北朝の時代を巡って、
20世紀前半の大日本帝国の頃から、南朝と北朝の正当性についての激しい議論がありました。
大日本帝国政府は、明治・大正・昭和の各天皇などの今現在の皇室の家系が北朝由来にも拘わらず、
なぜか南朝を正統視致しました。
日本の第二次世界大戦の敗北後、裕仁の戦争責任が連合軍(占領軍)で検討されている時期に、
「南朝の天皇の直系の子孫だから皇位継承権が我にある!」と名乗り出た人々が居ました。
516朝まで名無しさん:03/02/15 04:31 ID:Utbm5MCl
>>514
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、
歴史はノンフィクションでは無く、単なる物語に過ぎない。
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、
歴史は権力者の都合の良い様に書き換えられる。
517朝まで名無しさん:03/02/15 04:39 ID:U3/jc2xj
足利尊氏が光厳を擁立し北朝を、後醍醐が吉野に逃れ南朝を。
後に、交互に継ぐことを条件に統一したんだよね。統一は後小松天皇の時だったか。
今の天皇が北朝系だと、血は薄いな。
後醍醐の方が正統だっただろう。
518朝まで名無しさん:03/02/15 10:45 ID:gwxxxYrI
>515
有名どころでは「熊沢天皇」ね。
519朝まで名無しさん:03/02/15 18:06 ID:TDdugFW8
>>517
後小松は足利義満の息子だっていう説があるよね。室町時代の足利氏を
見ていると殺された将軍はいるわ(義教、義輝他)多くの武勇伝を持つ将軍は
いるわ(尊氏、義輝)、絶対的権力者はいるわ(義満)、
無気力将軍はいるわ(義政)、力はないのに政治力だけで
世渡りした将軍はいるわ(義昭他)で、まるでそれまでの天皇家の歴史を
凝縮したって感じだな。血は争えんか…?(w
520朝まで名無しさん:03/02/15 19:22 ID:E21bnAkY
>519
その可能性はあるね。
将軍家は、より高い権力を望むため、皇室と血縁関係を望んだね。
平清盛などが良い例。
521朝まで名無しさん:03/02/15 20:22 ID:Utbm5MCl
南北朝の疑惑により万世一系は神話(捏造)である。
522 これが真相だ:03/02/15 21:35 ID:gAsXXsMH
三種の神器 偽造だから 北朝は認められない。
というのが、代々の皇統論争の主題 じゃないの?

北朝一世が皇統をついでいない
っていうソースは、誰の説?
523 これが真相だ:03/02/15 22:00 ID:gAsXXsMH
この時代の武将は清和源氏 系 で
皆、清和天皇の子孫 
ー 源義家ー 義康(足利) 結局日本は皇族中心社会
524朝まで名無しさん:03/02/15 22:13 ID:30XtxCtz
ところで、楠木正成(字合ってる?)は、
皇居に銅像が建ってるんだっけ?
そんなに、天皇家に尽くしたって言えるの?
525朝まで名無しさん:03/02/15 23:00 ID:xgX5T8j6
>>522
もちろん三種の神器の真贋問題もある。
しかし、万世一系を主張するなら、血も大きいだろう。
526朝まで名無しさん:03/02/15 23:07 ID:Utbm5MCl
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、歴史は真相では無く、単なる物語に過ぎない。
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、歴史は権力者の都合の良い物語として書き換えられる。

幕末・明治維新までも、写真や、ましてや写実主義的絵画さえも、日本には存在し無かった。
皇位継承権を有する子供を、どこぞの子供に、すり替えて、後に天皇にさせても、
陰謀首謀者以外には、誰も判りやしないだろう。

歴代の天皇・皇族の墓を掘り起こしてDNA鑑定する事自体、タブーに成っているからな。

天皇・皇族とは話のネタが尽きない存在、英国王室みたいに、もっと芸能人化すれば良いのに。
527朝まで名無しさん:03/02/15 23:41 ID:+CFX3OqS
無茶苦茶になっったねこのスレ。
ま、アホの妄想で続いていた訳だが。
基本の知識も無しに古代に乗り出しちゃいかんよ。
出直せ、バカ共。
528朝まで名無しさん:03/02/15 23:53 ID:bbma6etR
526
>>歴史は権力者の都合の良い物語として書き換えられる。
同意


529朝まで名無しさん:03/02/16 00:01 ID:4Ca1kpgS
天皇は権力者じゃなかったんだけど。
530朝まで名無しさん:03/02/16 00:03 ID:O3y0QOFA
紀記神話は世界に誇る第一級の日本古代資料だと思うのだが、それを否定するバカがいるんですか?
531朝まで名無しさん:03/02/16 00:06 ID:4Ca1kpgS
このスレはウスラバカ的妄想マニアのすくつ
532朝まで名無しさん:03/02/16 00:12 ID:P5dFZPlJ
>>530
ギリシャ、中国、エジプト、イラクが笑うからヤメレ。

確かに、アングロサクソン米国よりは古いが、世界的に見ると
それほど古いわけでもない。

中国文明の末端に位置したに過ぎないのだよ。
533朝まで名無しさん:03/02/16 00:13 ID:pKrg5UHg
>>530
残念ながら日本神話はいろんな他民族の神話のパクリなんだけど。
534朝まで名無しさん:03/02/16 00:32 ID:eVuggqSa
>>533
様々な所に伝わる古来からの伝承などもパクリなわけだな(w


いくらなんでもアホじゃないのか、お前は?
535朝まで名無しさん:03/02/16 00:40 ID:uqFBNH0w
>>529
同意。
天皇直属の軍隊がなかったから生かされ続けた。
権力志向が強くなると他から鉄槌がくだされた。
今も権力はない。
ええじゃないか!!
536朝まで名無しさん:03/02/16 01:20 ID:P5dFZPlJ
>>534
文化ってのはねパクリ合いながら進んでゆくものだよ。

日本の記紀も、キリスト教の聖書もパクリだらけだ。
537朝まで名無しさん:03/02/16 01:23 ID:x8w/nFAa
>>536
では具体的に記紀の神話でどこがパクリなのか指摘してくれ。
538朝まで名無しさん:03/02/16 01:36 ID:APOvtptI
>>532
どの程度古いって、何故分かってるのか教えてくれ。
539 これが真相だ:03/02/16 01:49 ID:fnqioM/9
このスレはね、

天皇家を誇れるような結論が、気に入らない。
記紀が誇れるような結論が、気に入らない。

って、おバカちゃんがいっぱいいるんだよ。

否定する結論を導くために、すごい勉強をしてるところが特徴なんだけど、
そのエネルギーはどっからでるんだろうね
肯定する結論を導くんなら自然な感情として可愛げもあるんだけどね

ちなみに、俺の場合は総大なロマンにつなげたいんだな
540朝まで名無しさん:03/02/16 01:56 ID:APOvtptI
知識より妄想、が539の主張です。
541朝まで名無しさん:03/02/16 02:02 ID:dg2VxDWC
>>540
正鵠を得ているので、爆笑したよ!

知識より妄想、日本人も朝鮮人を馬鹿に出来ないな。
>>539は、日本併合前の李氏朝鮮の王族を自慢する鮮人みたいなもんか?
542朝まで名無しさん:03/02/16 02:04 ID:EkCPkwlJ
>>539
それを具体的にいうと、
朝鮮人=社民党=創価学会ってことですよね。
543 これが真相だ:03/02/16 02:14 ID:fnqioM/9
ロマン最大級

日本太陽神話=長江文明の太陽神話
弥生人= 秦から逃げてきた呉&越人→倭の大王へ
天孫降臨  =紀元前100年 呉(蘇)に、天子の劉氏一族がやってきた
         (呉で実際おきたこと)
継体帝&蘇我氏= 500年 南朝(蘇)からやってきて倭の大王と融合
記紀= 倭の大王から続く天皇家の系譜に、
 呉の一族の話(長江文明の太陽神話+天孫降臨)等
(継体や蘇我氏の持ち込んだ漢文)が、倭の大王の歴史に融合。
漢文による呉での古代神話は太陽神話や鳥

天皇家= 正当なる倭の大王の系譜に、南朝からの豪族(王族)が加わる 



544朝まで名無しさん:03/02/16 02:21 ID:D+W5Q0JP
>>543
これが真相だ  って言うのは良いのですが

・・・・・
学会にでも出てみませんか?
推論だけの真相では「噂の真相」以下ですよ。

こんな状況証拠ばかりじゃ、
発掘しまくって自分で見付け測定しないと、
真相なんて分からないと思われ。
545 これが真相だ:03/02/16 02:23 ID:fnqioM/9
>>542
遊び心にかけるのが、共通点なんだな

狭い知識しかないから、
妄想、事実を知らない としか反発できないんだな
546 これが真相だ:03/02/16 02:34 ID:fnqioM/9
>>544

噂の真相以下・・・・ガーン
そういう人生をおくりたいねー
蘇州の太陽神話と 日本の太陽神話
呉への高祖劉邦からの劉氏氏族への派遣の話 と 天孫降臨

このへんの関連は、調べてみたいなー 
547朝まで名無しさん:03/02/16 02:45 ID:Fq/75fHM
真相がどうかとか、そういうのはどうでもよい。
天皇家は5000年から1万年、続いていると俺は推測するが、結局答えは出ないだろう。

現在、中国、朝鮮半島は日本を貶めることに力を削いでいる。
なぜなら天皇の権威が落ちれば日本は結束力を失う。天皇の元に結束し、敵に立ち向かうパワーは全世界の恐れるところだ。世界でも稀な真に純粋な愛国心だから。
北朝鮮の核兵器はあれが崩壊して朝鮮が統一すれば、日本は”イラク”になる。
アメリカは強者を優遇する国家だ。

天皇を貶めるのは敵国しかない。そのようにしかならないが、反論ある?
548朝まで名無しさん:03/02/16 02:52 ID:kHsgjWvu
>天皇家は5000年から1万年、続いていると俺は推測するが、
オイ、>>547、頭は大丈夫か?どこか打ったのか?
俺は心配でならぬ。相当深い病に罹っているようだ。
549朝まで名無しさん:03/02/16 02:52 ID:eVuggqSa
>>547
まだそれじゃ浅いね(w

更に古い。
550 これが真相だ:03/02/16 02:52 ID:fnqioM/9
天皇や古代日本のロマンは、それだけで面白いんだよ、

そういう政治的配慮で考えてはいかんな、
左に偏って無意味に貶すバカも多いがその逆もしかり。

あれは、ただ純粋に楽しむもの
551朝まで名無しさん:03/02/16 02:55 ID:dg2VxDWC
>>550
だったら、コテハンを、「これがロマンだ」に変更しろや。
「これが真相だ」だから、叩かれるんだよ。
552 これが真相だ:03/02/16 03:06 ID:fnqioM/9
それは、おまえが、
歴史=真実 だと錯覚してるからだろ、
歴史=全てロマン なんだよ
553朝まで名無しさん:03/02/16 03:20 ID:Fq/75fHM
>>548

あんたは極めて不勉強だ。いわゆる記紀はスタンダードなわけだが。
今の学界や教科書でスタンダードと決められているものにも果敢に挑んでみろよ。
夢やロマンというのは現実を楽しむ、人生を豊かにする、国を護るというような良い目的のためにはいくら使ってもいいんだ。
あんたは狭量すぎる。それが今の日本を苦しめる根本でもある。
554朝まで名無しさん:03/02/16 03:32 ID:dVMGKOuQ

 天智と天武は兄弟ではない!! 真説・壬申の乱

 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/jinshin.html

555 これが真相だ:03/02/16 04:23 ID:fnqioM/9
>>554

兄弟じゃない結論、    文の筋は通ってる。
天武天皇=新羅の王子  
   
   さすが朝鮮人、無茶苦茶な結論をもってくる

渤海の話   中国の殷はフヨ(朝鮮の祖先国)の属国だったと、
         常識のように語る様は、さすが朝鮮人。

歴史の穴を探してくるところは大変面白いが、
その穴を朝鮮人で埋める習慣はなんとかしましょう。 
556 これが真相だ:03/02/16 04:56 ID:fnqioM/9
おいおい、しかも

調べたら、天武天皇の誕生日 631年じゃねーか 
崩御55歳だっつーの 
557朝まで名無しさん:03/02/16 06:02 ID:o9PZiGSJ

 天皇は朝鮮人です。
 
 http://www.st.rim.or.jp/~yujifuru/night/back/0120.htm

558朝まで名無しさん:03/02/16 06:03 ID:o9PZiGSJ
559朝まで名無しさん:03/02/16 23:13 ID:AUl5qHkt
>>556
>調べたら、天武天皇の誕生日 631年じゃねーか 
>崩御55歳だっつーの

一体何の資料に基づいて崩御55歳なのかと。。。
天武天皇65歳崩御説を知らないのか。
『一代要記』『興福寺略年代記』などは崩御65歳。

560朝まで名無しさん:03/02/17 03:04 ID:ZK0T8amA
聖武と長屋王の頃の歴史も不透明で、入れ替わったのではなんていう説もあるわな。
561 :03/02/17 03:16 ID:e1bwhILP
>>559
普通の人は知らないだろ、天皇を否定する情報に長けてる
君らが特別なんだよ。
つまり、2つの年齢の資料が存在するんだろ、
562 :03/02/17 03:42 ID:e1bwhILP
天皇を否定する事に情熱を傾けていて
それ以外が目に入らないんだよな、
都合よすぎだっつーの


「「一代要記」は天智天皇の崩年を五十三歳としていることである。
これなら天武天皇より三歳年長で兄弟の順を疑う理由はなくなる。
また本朝皇胤紹運録は五十八歳とするので、さらに八歳もの年長となる」


さらに言えば、先代の資料と、後代の資料に違いがあれば、、
それは単なる後代の間違いって事で片付けるのが普通なんだが、
天皇否定派は、それを持って先代資料捏造説を妄想するから
始末が悪い 
563 :03/02/17 04:22 ID:e1bwhILP
天武天皇の特徴としては、

蘇我氏を打った兄と敵対していた
古事記編纂に当たっては、蘇我氏を復興させる
謀反犯人の孫 蘇我系(ジトウ天皇)復活
漢王朝大好き=南朝派=反(北朝 隋・唐・高句麗・東北系)
  非漢王朝の唐なんて興味なし。
日本神話の復興と編纂

564 :03/02/17 04:44 ID:/N27XReB
「結局わかりませんでした」という本があるね。
タケシが最先端の科学者と対談して書いた本。
古代史の現時点での結論は「結局わかりませんでした」じゃないの?
古代史でメシを食ってる連中は、正直にそういえばいいのに。
あ、それを言うとメシが食えなくなるか。。。
565朝まで名無しさん:03/02/17 04:54 ID:ey1tEdYi
倭国(ヤマタイコク)と日本(ヤマトノクニ)は当時別の国だった。
倭国(ヤマタイコク)のあった場所は九州。

朝鮮に勢力を伸ばしていた百済・倭国(ヤマタイコク)同盟。
しかし、唐が新羅と同盟したことにより
新羅・唐同盟 対 百済・倭国(ヤマタイコク)同盟 の白村江の戦いがおこる。
日本(ヤマトノクニ)は新羅・唐同盟に協力、百済・倭国(ヤマタイコク)同盟を挟み打ちにした。
566朝まで名無しさん:03/02/17 05:08 ID:ey1tEdYi
白村江の戦いに勝利した新羅・唐同盟は
百済領(朝鮮半島)全部と倭国領(九州)の一部を獲得。
日本(ヤマトノクニ)は倭国領(九州)の一部を獲得。
日本(ヤマトノクニ)は属国となった倭国領(九州)を統治するために
太宰府を設置した。

倭国(ヤマタイコク)の王は新羅・唐同盟の捕虜(8年間)となった。
倭国領にいた新羅の将軍が、日本(ヤマトノクニ)との関係を深めるために
天智天皇の娘を嫁にし皇族となり、後に天武天皇になり、うまく日本(ヤマトノクニ)を乗っ取った。

567朝まで名無しさん:03/02/17 06:03 ID:A1F7AIuP
>>566 これは朝鮮の反日歪曲歴史・・・

( ´,_ゝ`) プ
568朝まで名無しさん:03/02/17 06:04 ID:r9bkpFl4
そういやあ、後醍醐天皇の評判は悪いね。
評判が悪いんで、今の皇室は北朝系をなのっているのなかな。
まっ、統一された時の天皇が北朝の後小松だったからということだろうが。
それにしても、足利尊氏は気の毒だ。
後醍醐天皇ってスケベの代名詞みたいな人だったんだろう。
女食いまくりで子供を40人近くこしらえた。
性こそ菩提という立川流を信仰し、好色一代男みたいな天皇でした。
だから、それを追放した尊氏は偉いんだ。
戦中、戦前の皇国史観のいい加減さを後醍醐にみることができるぞ。
569朝まで名無しさん:03/02/17 06:22 ID:jG75O7pY
九州の邪馬台国と畿内の大和朝廷は別だよね。
神武の東征の真実は、縄文人が弥生文化を持った大陸人に追い払われ、東に逃げたんだよね。
7世紀頃まで別王朝として存在したんだよね。
570朝まで名無しさん:03/02/17 06:36 ID:ey1tEdYi
そう、倭国(ヤマタイコク)と日本(大和朝廷)は別の国だったんだよ。
で、白村江の戦いで、日本は新羅・唐に協力して、倭国と百済を打ち破った。
勝利によって獲得した新しい領土を統治するために九州に太宰府を設置した。

そして、蘇我氏を外来人、天武天皇も蘇我氏と関係の深い外来人と考えると、
天武が蘇我氏を復権させたことや
天武系列の天皇が、天武系列以外の天皇が祭られているところに祭られてないことなどの謎に、
一本の筋が通るね
571朝まで名無しさん:03/02/17 06:55 ID:/IDxDcF+
上の通、拙者共之目前に於いて
恐れ多くも聖租の御盛業に対し奉り、如此大不敬の所為を犯し
遂には国家の安危にも可相係事件にして、即内乱おも可相生次第に付き、
其現場犯罪の廉のみ録載し、証告仕候也。
               明治十四年十月十二日
「讒謗律第二条により処分するを充当」
「恐れ多くも尊厳を犯し奉り、以て衆庶をして反意を、惹起せしむる等」
一月以上一年以下の重禁錮に処し、五円以上五十円以下の罰金を附加す。
572 :03/02/17 14:08 ID:e1bwhILP
蘇我氏は、反北朝系
天武天皇も、反北朝系 唐と一度のやりとりすらしない

新羅が北朝系なのは言うまでもない。

天武が日本を作ったのなら、天武の編纂を命じた古事記またその後の子孫の
作る日本書紀には、色濃く 新羅礼賛がのるはずだが、実際は逆。
記紀で最も悪い国 が新羅。 
百済王族は、日本に亡命してくるのだが、親新羅政権に来る事を亡命とはいわず、皆殺される。

天武が新羅系ってのは、ブッシュがイラク人だというくらいばかげた話。

また日本が九州を平定したのが8世紀なら、記紀に隠すことなく
堂々と記述すればいいだけのこと。東北が同じ全くナンセンス。
九州平定の戦いは527年が最後。 大王稜は、九州から北陸まで
同等に見られ、西日本全体が倭国は疑いようもない。

百済と倭国も、倭人の国だが当時は新羅も倭人の国だった事だろう。
倭人のように、新羅人などという記述は登場しない。
新羅に住む北方系(高句麗や隋や唐)が対北方融和戦略で中枢を握ることとなり、
倭人系の百済や日本と敵対色を強めていったのが、この時代。
11世紀朝鮮に捏造された歴史とは、
新羅や百済も国が違えど倭人の国だった事実。








573 :03/02/17 14:12 ID:e1bwhILP

上、百済王族が、 新羅系に言ったら殺されていた事だろう。
という事ね
574朝まで名無しさん:03/02/17 20:20 ID:OrtQpAuV
新羅を倭人の国とあいている文書があったら挙げてくれ。
中国史では、倭人は半島南端と日本にしかいない。
「倭人の国」には百済新羅は入っていない。こんなことは常識。
575 :03/02/17 21:06 ID:e1bwhILP
散々、前出だが、
倭人の国は100カ国くらいあるので、
倭人は国の名前イコールではない。
百済や新羅は、新興国家名であり、
では、古代中国史では、
そこに住んでいる原住民は何人といっているのか?

住んでる、高句麗人や中国人は現地人ではない。 他に中国史では
新羅や百済は、何人が住んでいると指しているのだ?
このあたりは、古代から 高句麗と倭国で陣地をとりあっていた
領域なのだ。

ちなみに、唐代により新羅では冠位が唐式になった。
唐というのは、北方民族である。

新羅とは、倭人系と北方系の混合政権だったが、
南朝が滅び北朝の代になると、北方系が政権を握ることとなり
日本に反逆。 以後、唐の文化にあわせ北方民族の国になってしまった。
11世紀の朝鮮初史書には、当然だが新羅はフヨ族が半島南岸に6つの村から作った
国となっている。 これこそが改竄という。


576朝まで名無しさん:03/02/17 21:15 ID:NhNIEdYq
倭人が新羅を作ったっていう証拠を挙げろよ。
倭人の国は日本列島以外は、半島南端にしかないんだよ。
577朝まで名無しさん:03/02/17 21:22 ID:IQyrgXCT
倭人在帶方東南大海之中、・・・今使譯所通三十國。
狗邪韓國・・・次有支惟國、次有烏奴 國、次有奴國、
578朝まで名無しさん:03/02/17 21:23 ID:DEX/8kC2
「天皇は要らない」という結論ありきで話すから。年間たったの300億であんな外交効果を発揮できる機関はない。皇室は感じもいいしな。若無職のひがみだ
579朝まで名無しさん:03/02/17 21:27 ID:xHRshkFg
「倭国」の意味知ってる?
劣等国という意味だよ。
「倭人」の意味は劣等民族。

勘違いしている人が多いけど
「倭国」というのはもともとは国の名前じゃないよ。
中国大陸にも「倭国」と呼ばれていたヤマタイコクとは別の国があるし。
580朝まで名無しさん:03/02/17 21:29 ID:IQyrgXCT
卑弥呼だって、こういう字なんだから、別にどうでもいいよ、チョン>>579
で、中国大陸の「倭国」の根拠挙げてくれ。
581 :03/02/17 22:01 ID:e1bwhILP
いやー みんな概ね あってるよ結論ちがっても。

古代史において、倭人っていうのは

中国人以外で、、
北方民族(高句麗人や胡人)でなく、
日本列島や半島に住んでる人種の事。
日本列島がその母体である事は良く知られ、倭国と呼ばれた。
半島を北方系と倭人系で取り合うのが半島古代史なんだね。

新羅人や百済人なんて区分けは存在しないのね、
宋には、倭国王は、倭と百済 新羅 など 7カ国の将軍であると
認められているんけど、 7カ国が倭人の国だったてことだね。
武は順帝に、高句麗が7カ国の人民に残酷な行為をするって訴えてるように
高句麗だけは別。  



582朝まで名無しさん:03/02/17 22:14 ID:muk3VqTU
でたらめ言うな>>581
倭国の軍事権に「百済」を含めた所に無知が表れたな、ボケw。
百済は入ってないんだよ。理由はよく考えろ。
またその軍事権の範囲は時代によっても違う。

もう一度言うが、倭人の国に、百済新羅は含まれていない。
583朝まで名無しさん:03/02/17 22:57 ID:zqLI8nJi
>>581
例えば有名な478年の倭王武の朝貢だが、自ら倭・百済・新羅・任那・
加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称して任官を求め
たが、結局百済を外されて六国諸軍事安東大将軍に任命された。
百済王は倭国王よりも格上の鎮東大将軍に任官されていたから、当然
倭国王が百済の安東大将軍を自称しても任官されるはずがない。
とりあえず、南朝に対しての倭王の任官は常に高句麗・百済より下の
立場での任官だったことをお忘れ無く。
584朝まで名無しさん:03/02/17 23:23 ID:zqLI8nJi
>>581
それと>>575の質問に答えとこう。
>百済や新羅は、新興国家名であり、
>では、古代中国史では、
>そこに住んでいる原住民は何人といっているのか?

魏志によれば、百済・新羅地方は当時は馬韓・辰韓と
呼ばれていて(知ってるだろうけどね)、それぞれ馬韓人、
辰韓人ね。当然倭人とは区別されているから、あまり
いい加減なことは言わないように。
585朝まで名無しさん:03/02/17 23:25 ID:BcUNgXU7
無理矢理、朝鮮半島に日本人が居たことにしたい香具師はいったい
何を狙っているの?
586581:03/02/18 00:12 ID:mwRMrJmg
百済の事って、そんなことは百も承知で書いてるんだけどね。
587朝まで名無しさん:03/02/18 00:18 ID:7j2CIRR4
魏志倭人伝にはこう書いてある。
九州にある劣等国(倭国)の名は、邪馬壱国。(邪馬台国とは書いてない)

当時、九州にあった国の名は邪魔壱。邪魔壱の首都の名がヤマタイ。
邪馬壱(ヤマ壱)と日本は別の国。
 

 
588ツTツWツP:03/02/18 00:19 ID:mwRMrJmg
>>587
バカは引っ込め
589朝まで名無しさん:03/02/18 00:39 ID:BDmNDl5O
漏れも不思議に思うんだけど、「壹」は「臺」の誤りっていうのの根拠ってなになの?
590朝まで名無しさん:03/02/18 02:00 ID:1Ik4uBEe
中国側の歴史書の表記が時代によって違い、
一の古い字と台の古い字が似ているというようなことじゃなかったか。
壱表記の方が前の史書なので、邪馬台国の「台」は誤りという論争だべさ。
591 本との581:03/02/18 03:36 ID:XgpmA6Im
zqLI8nJi

失礼失礼 そうでした。
百済が入ってないのは判っていたんだけどね
まあ、百済を含めてくれよ と言ってたということですね
正確さにかけましたね、失礼
ただし、君の言っている、百済の方が上だったからというのは
何をソースに判断してるんだい? 
百済もまた、南朝に別途朝貢に行っていたため、百済だけは
百済王として認められていた というのが 一般的な話ではないのかい?

>>584
なるほど、君の立場は「馬韓人 辰韓人」 という独立系の人種がいた。
という説なんだね、 それゆえに、それは倭人ではないと・・・・
では、同じ理由で、その人種は、北方のフヨ系の人種でもないのだね
南半島だって、列島と同じく弥生人から発展した稲作人が紀元前400年から
いるのだから、その弥生人系=倭人 と呼ぶのが自然なのではないかい?
それとも、新羅や百済の3世紀には原住弥生人は皆殺しにされてしまったのかい?
 何故、この考えが大事かといえば、韓国でのルーツ教育では、
彼らは満州や渤海方面だといってるからだよ。 つまり彼らがどの程度この時代に
このエリアに住んでいたかは、未確定なんだよ。けれど東日本の残る日本と違い、
原住弥生人を追い立てる場所はない全員抹殺したのか混合していったのか
どちらかだろ。








592 ・皇:03/02/18 03:47 ID:M2Zq+Yqm

大仏作った天皇誰だっけ?が、ヤベー資料ぜんぶ燃しちゃったんじゃなかたっけ?

遺伝子的にわ日本人わ雑多だが、しいてゆえばバイカル湖あたりの椰子らが近いんだよな。
天皇家と日本人の平均遺伝子わどんぐらいズレてんのかね?天皇が「後から来た客」なのか。

日本語わ、使ってる文字わ周辺国と似てても、文法構造が似てねーのわなぜ?

あと、長江文明って黄河文明よか古いってハナシだが、それと古代日本の関係わ?

なんで日本の自国による歴史記録わ唐突にショートク太子の時から始まんの?

九州が倭の中心だったころ、倭は西日本と南半島で、東日本は倭でわなかった。
その後、西日本と東日本が大和になったってコトでいいんかい?

縄文人の身体的特徴が南方系なワケわ?椰子らわドコから来たん?
593 ・皇:03/02/18 04:28 ID:M2Zq+Yqm

まず南方系の特徴をもつ縄文人が、当然南から来たとしよう。
世界最古の土器わ縄文式土器だとゆうが、アムール川近辺でもっと古そうな弥生っぽい土器が出たとゆう。
バイカルーアムールー東日本ラインに世界最古の土器文化があったとしよう。

まず縄文人が南から来て、狩猟採集用の縄文式土器をつくり、
そこへ、縄文より古くからあった弥生式土器と弥生人が北から来て、
そこえ米が長江から来た。
狩猟採集から農耕にシフトすることで、煮炊きの土器が大量に必要とされ、
生産効率と熱効率に優れた弥生式土器をつかう弥生人が台頭。
米わ南方系の作物だから北九州ー南半島メインだが、作っていたのわ北方系の弥生人とゆうことになり、
結果、このあたりで農耕をフックに国家群が誕生。
稲作技術の向上により米の北限が進むムーブと、半島に高麗が来て押し出されるムーブがリンクして、
国家群の中心わ北九州から瀬戸内の突き当たりの畿内へ。
中国に近く律令国家の概念を知っていた南半島の弥生人が、北九州ー畿内移動のムーブを主導し、
天皇家はその弥生人、解釈によっては帰化人の群のなかのどれか。
畿内に定着すると同時に、文字による歴史記録が、主に帰化人の日本支配を正当化するために始まる。
孤立語である日本語の成立もこのあたり。異なる物がクロスすれば新しい物が生まれ、
この時点で海に囲まれた孤立国家になることで、それが特化醸成されていく。
同時に、縄文人は南九州と北日本へ追いやられる。

すげえ妄想だな(藁
まあ日本わ東の果てだからな。いやでも吹き溜まり交差点にわなるわな。
594朝まで名無しさん:03/02/18 04:32 ID:WU22xVab
倭という字が差別的だということに気付いた日本人は、「和」と名乗るようになったんだとさ。
で、大日本帝国のように、「大和」としたということです。めでたし、めでたし。
「やまと」は当て字だろう。「あすか」みたいなもの。
595朝まで名無しさん:03/02/18 05:43 ID:g6Jn7WsU
>>592
それまでの王朝の歴史は言い伝え。口伝だったんだろう。
文字を覚えてやっとまともな記録を残せるようになったのがショートク君の頃かな。
596朝まで名無しさん:03/02/18 06:04 ID:q/YtwDzr
597 :03/02/18 14:52 ID:XgpmA6Im
朝鮮という字が差別的だと気がついた韓国人は、「韓国」となのるようになったんだとさ。
598朝まで名無しさん:03/02/18 16:28 ID:Dg5wi2iN
確かに天武って謎が多い人物だな。
現代だって聖なる白頭山生まれの首領様が
実はウラジオストック生まれだったなんてこともあるのだから、
ましてや1000年以上も前の出来事なんて、その手の話には事欠かんだろうなあ。
ま、真相は闇の中なんだろうけど(w
599朝まで名無しさん:03/02/19 00:09 ID:im3RrCaG
金一族は、今は将軍さまだが、先は「天皇」名乗りそうだな。
世襲制のあさましさ。
600朝まで名無しさん:03/02/19 00:11 ID:aV2OEE8e
>>591
主な将軍の官位序列
車騎将軍(第二品)−−−高句麗王(四六三年)
四鎮将軍〔鎮東将軍〕(第二品)−−−百済王(四五七年)
四安将軍〔安東将軍〕(第三品)−−−倭王(四七八年)

倭王は百済・高句麗よりも将軍の序列は常に下である。

倭人=韓人=弥生人については、かなり複雑などで次レスで。
601朝まで名無しさん:03/02/19 00:14 ID:wkyrnTPQ
魏志倭人伝(3世紀)によると
・女王ヒミコがいる邪馬壱国は倭国の中心国(首都)。
・倭国は、朝鮮半島の南部(邪拘韓国)から本州まで。
・倭人の文化は非常に独特。

倭人の容貌や文化は、中国大陸・朝鮮半島の民族の容貌や文化と全く異なっていた。
倭人の文化には、全身イレズミなどがあったが、
なぜか倭人の文化は7世紀までに消えてしまっている。

なぜ倭人の文化は消えたのか?

3世紀から7世紀の間に、中国大陸・朝鮮半島からの侵略者が、倭人の文化を葬り去った。
と考えるのが妥当。

3世紀から7世紀の間に、さまざまな民族が日本列島で覇権争いしたんだろうね。
だから、6世紀以前の歴史ははっきりしない。

日本語の文法が独特なのは、消えた倭人文化の名残り。
602朝まで名無しさん:03/02/19 00:37 ID:RQ+5Ha3k
日本、天皇の歴史というのはかなり古く、今現在発見されている世界最古の文献(古事記)以前に既に成立されているものだから、その事実を誰も知る事は出来ません。
なので、アレコレと勝手な妄想で詮索せず、伝統を受け継ぐことが現代日本人の勤めだと思う。
603朝まで名無しさん:03/02/19 00:41 ID:ajVgHCgu
>>602
世界最古はウソだ。
604朝まで名無しさん:03/02/19 00:41 ID:8ejsP4QQ
>>602
間違った歴史を受け継ぐのが正しいとはいえないだろう。
解明していくことこそ大事。
そうじゃないと、北朝鮮のようになってしまうべな。
605朝まで名無しさん:03/02/19 00:56 ID:jc3tSI9t
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、歴史は真相では無く、単なる物語に過ぎない。
タイムマシンが実用化されて居無い以上は、歴史は権力者の都合の良い物語として書き換えられる。

しょせん、万世一系は作り話だろう。
将軍や関白などの権力者達が我が子を天皇家の養子にして皇位を継がせても可笑しくは無い。
少なくとも南北朝は怪しいな。
天皇陵などの歴代の天皇・皇族の墓を掘り起こして、今現在生存中の天皇・皇族も含めて、
DNA鑑定をしてもらいたいものだ!
606朝まで名無しさん:03/02/19 01:04 ID:8ejsP4QQ
>>605
天皇陵の比定もかなりいい加減なんで、宮内庁は嫌がるらしい。
おそらく、殆どつながらないでしょう。
607朝まで名無しさん:03/02/19 01:10 ID:8CeEMyOy
>>602
権力者に都合のよい歴史を捏造することが日本の伝統とは思わないね。
608朝まで名無しさん:03/02/19 01:31 ID:sK4V7Ic1
蘇我馬子=聖徳太子説好きなんだよなぁ。根拠ないけど(w
「和(倭→和)をもって尊しとなす。」が別の意味で響いてきてさ。
609朝まで名無しさん:03/02/19 01:36 ID:YeOQzGkn
倭という字が嫌で「和」にしたんだよね。
大きな和で「大和」。ヤマトという国が政権を奪取したんで「大和」を当てたのかな。
日本書紀では「日本」をヤマトと読んだね。日本武尊(やまとたけるのみこと)。
610(××):03/02/19 01:44 ID:QehcFqpn
>>607
伝統かどうかは別にして、
往々にしてよくあるお話ではあります。
611とーほくの資産家:03/02/19 01:47 ID:/N+izcPp
先日、伊勢神宮で火災がありましたが「神器」は、どうなったのでしょう。
612木瓜 ◆y44ThDkTRc :03/02/19 01:53 ID:ENPx5nao
三種の神器のうち二つは壇ノ浦に沈みました。
今あるのは模造品です。
613朝まで名無しさん:03/02/19 02:00 ID:YeOQzGkn
>>612
レプリカで継承しつづけたんだよね。
威力がないよね。
614とーほくの資産家:03/02/19 02:03 ID:L8xbf52v
少なくとも「オリジナル・ユダヤ」の皆様は「隠している」と思っているの
ではないでしょうか。
615朝まで名無しさん:03/02/19 02:10 ID:YeOQzGkn
南北朝分断の際も、偽物問題が浮上したんだよね。
レプリカなんだから、偽物も何もないが。
本ものとされる1点は何だっけ。
その1点さえ、あやしいよね。
616 :03/02/19 04:28 ID:iQb0mqLn
>>600
そんな、アホな解釈をしてる奴いるの?

武は宋から 安東大将軍 に格上げされてるよ 大将軍は第一品
さらに、六国軍事がついてるだろ、方面司令官の地位もあるんだよ

さらに斉と梁からは、それぞれ 鎮東大将軍 をもらってる。
6国+鎮+大 だよ

百済より遥かに上だよ。 それより百済と倭は 同盟関係にあり
百済滅亡まで続く兄弟だったわけだからいいではないか
 
617 :03/02/19 04:41 ID:iQb0mqLn
日本が、中華圏から独立したのは、
高句麗の方が序列が上な事にキレタ という説もあるが、

漢王朝圏(漢・隋〜宋) 百済 倭
異民族王朝圏(五胡〜隋・唐) 高句麗 新羅

の漢王朝が消滅したからだよ。
618危機タケル:03/02/19 05:13 ID:jK/98+B2
倭を「やまと」と読んだか否かはわからんが、
古事記のヤマトタケルのみことの表記は「倭健命」。日本書紀だと「日本武尊」。
古事記と日本書紀は同時期に発刊されたが、表記や内容に差がある。
漏れが思うに、古事記は元々あった歴史書に加筆訂正を加え編纂された書で、日本書紀は7世紀にまったく新しく編纂された書だと思う。
倭健命の倭は古い表記。その後、日本に変えた。だから日本武尊。
ただし、倭がヤマト朝廷の創った日本に適合するとは限らない。倭を名乗っていた古い王朝の歴史を自分の王朝の歴史にするために、倭さえ「やまと」と読ませるようにしたかもしれない。
古事記は幻の帝記ではないか?蘇我氏邸とともに燃やされたという・・・。
倭を名乗っていたのは、やはり九州の王朝かもね。
619危機タケル:03/02/19 05:25 ID:tjAw3ZzA
言葉足らずでした。
帝記は燃えたことになっているが、後にそういうことにして、古事記として生まれ変わったと考えられる。
620名無しさん:03/02/19 07:31 ID:uftPKKf+
民族学者の鳥越憲三郎の本によると、
倭人てのは、もともとが中国の長江上流に幾つも王国を作って
住んでた人々みたいよ。
中国の「論衡(ろんこう)」って本に、紀元前1000年の、
周代初頭の記事として、長江での倭人がでてくる。

氏によると、日本や朝鮮半島の倭人は、その長江の倭人が
アジア各地に広がって移り住んだ人々の一部で、
稲作と高床式建物という同じ文化的特質を持ってるそうだ。
ヤマタイの太陽神信仰みたいなのが、最近遺跡の
大発見が続く長江文明にもあったらしい。

おまえら現代の国境線を元に、倭人は朝鮮にもいた、
いや日本だけだとか、視点が小さいですよ。
古代に現在の国境は無いんだよ!
621朝まで名無しさん:03/02/19 07:35 ID:NcIDtKpQ
>>620
今は現代ですよ!!プ
622名無しさん:03/02/19 07:42 ID:uftPKKf+
>>621
古代史を現代の国家意識で語るなってことだよ。茶化すな。
623kg:03/02/19 08:11 ID:udcIH6F7
>>620
禿同です。
倭は古代の日本、っていっても西日本や半島南部の沿岸に住んだ人々を
古代中国人がソウ呼んだのだ。
古代には国境は無いし、国の概念は無いから、半島、大陸などと日本列島
は自由に行き来した。
624 :03/02/19 11:03 ID:iQb0mqLn
>>620
おまえ、ここ10個くらいのレス読んで、判断するとは
視野がせまいですよ。

このスレの30%がその話です。
「これが真相だ」さん 中心
625朝まで名無しさん:03/02/19 11:20 ID:/2w1njTz
>>624
「これが妄想だ」に感化されるとは、なんと愚かな。
626朝まで名無しさん:03/02/19 11:44 ID:1dpLsZwI
>>616
あのね武官最高位の大将軍って位は、その上に何も冠さないの。
今までの中国史上第1品の大将軍になった人物はそういないよ。
それと何度もいうけど官位において倭王が百済王より上の任官をうけたことはない。
いい例が武の502年の最後の任官、この年は高句麗・百済も同時に任官されてる。
梁書帝紀
>天監元年夏四月戊辰、車騎將軍高句驪王高雲、進號車騎大將軍。鎭東大將軍
>百濟王餘大、進號征東大將軍。鎭東大將軍倭國王武、進號征東將軍。

これをみれば明らか
高句麗王−−車騎将軍→車騎大将軍
百済王−−−鎮東大将軍→征東大将軍
倭王−−−−安東大将軍→征東将軍

倭王は百済王よりも格下扱いだったの。
627 :03/02/19 12:28 ID:AFojQ4iK
そんなことがあったなら、
武は相当キレタだろうなー
百済に八つ当たりしたって記事はないの?


天監元年夏四月戊辰、
車騎將軍高句驪王高雲、進號車騎大將軍。
鎭東大將軍 百濟王餘大、進號征東大將軍。
鎭東大將軍倭國王武、進號征東將軍。

こう読めばいいの?


628 :03/02/19 12:30 ID:AFojQ4iK
記紀に、倭王朝貢の話がないのは
当然という事か・・・・
629朝まで名無しさん:03/02/19 13:12 ID:MnM5Ntil
訂正および補足
×倭王−−安東大将軍→征東将軍
○倭王−−鎮東大将軍→征東将軍

高句麗・百済・倭が南朝より代々官位を受けていたわけだが、百済と倭に
限っていえば、百済は代々鎮東大将軍(420年から)で序列は第二品、
倭は安東(大)将軍で第三品(438年倭王珍)。
第二品の百済王が百済諸軍事百済王である以上、第三品の安東将軍の倭王が
百済の諸軍事を冠した将軍になれるわけがない。
479年に倭王武が鎮東大将軍になっているから、ここでようやく百済王に
並んでいる。しかし502年(上記)では、またしても倭王−征東将軍で
百済王−征東大将軍で百済よりも下になった。
ただし、実際の力関係は倭の方が上であったのは確か。
百済王の弟が人質として日本に取られるぐらいだから。。。

>>627
読み方はそれでいいよ。
百済に八つ当たりしたというよりも南朝への遣使をそれ以降しなかった。
630朝まで名無しさん:03/02/19 19:15 ID:9iFtq+Zk
>>620
バカか。
長江流域に倭人が住んだなんて根拠は全くないんだよ。
鳥越の捏造。
論衡にもそんなことは書いてない。
631朝まで名無しさん:03/02/20 00:34 ID:Z+A6DeG0
倭から抜け出せないね。このスレ。
632朝まで名無しさん:03/02/20 01:00 ID:DpUo3ZYb
結局、天智・天武天皇以前のことはよくわかってないからね。

卑弥呼・台代(3世紀後半)から天智・天武天皇(7世紀前半)までの間に、
半島・大陸にいた沢山の民族が日本列島に侵略してきて、勢力争いをして、
日本の歴史のネツゾウ合戦をしたみたいだからね。
だから、天智・天武以前の歴史はよくわかってない。
633朝まで名無しさん:03/02/20 01:06 ID:XwMQle1n
まず文書や遺跡、金石文などによって確認されていること、単なる仮定想像を分けなければならない。

倭人が中国大陸に居住していた・・・確認されてない
百済新羅は倭人の国・・・・・・・・明らかに間違い
天皇は朝鮮系・・・・・・・・・・・確認されてない
天皇家は中国南朝系・・・・・・・・電波の類
倭人は呉または越の同族・・・・・・確認されてない
武王は雄略帝・・・・・・・・・・・確認されてない

倭国(倭人)は半島に出兵していた・確認済み
邪馬台国時点で倭国は文字が使えた・確認済み

634朝まで名無しさん:03/02/20 01:10 ID:eTNuZUcg
>>632
日本が侵略された、という明らかな根拠は無し。
635朝まで名無しさん:03/02/20 01:18 ID:DpUo3ZYb
状況証拠から蘇我入鹿が天皇だったことはほぼ間違いないが、
蘇我入鹿は天皇ではないとなっているのは何故か?
また大化改新で蘇我入鹿を天智天皇が殺した時、
天皇系譜が燃えてなくなってしまったのは何故か?
天智天皇が歴史をネツゾウしたのではないか。

天武天皇の時代に書かれた記紀(「古事記」や「日本書記」)に、
卑弥呼と台代が登場しないのは何故か?
天武天皇が更に歴史をネツゾウしたのではないか。

倭国の王にあたるのは椎古天皇と聖徳太子のはずなのに、
600年〜607年の随書に、
倭国の王の名前は姓はアメ字はタリシヒコと書かれているのは何故か?
椎古天皇と聖徳太子は存在しなかったのではないか。

636朝まで名無しさん:03/02/20 01:27 ID:DpUo3ZYb
ちなみに

蘇我入鹿は白済人。
天智天皇と共に蘇我入鹿を殺した藤原鎌足は唐人。
天武天皇は新羅人。

という説があります。
637朝まで名無しさん:03/02/20 01:29 ID:eTNuZUcg
>>636
全て想像の類。
倭国の従属国や敵国の人間が、倭国の中枢にいるとは?
638 :03/02/20 02:54 ID:ACic/TLg
まず文書や遺跡、金石文などによって確認されていること、単なる仮定想像を分けなければならない。

倭人が中国大陸に居住していた・・・確認されてない
百済新羅は倭人の国・・・・・・・・
                   倭国・百済・新羅 とも、フヨ系の王朝という意見がある。
                   原住民は、どの国も農耕弥生人と思われるが、半島では時代を増すごとに
                   北方系および、中国系が増加していったのに対し、
                   倭国では弥生人+縄文人+北海道系ツングースである。
                   百済新羅は 弥生人=倭人と解釈すれば、倭人が多数いた国である。
                   なと、韓人という 種は存在しない。
天皇は朝鮮系・・・・・・・・・・・・・・朝鮮系という意味は不明である。
天皇家は中国南朝系・・・・・・・・確認されてない
倭人は呉または越の同族・・・・・・魏志倭人伝にみる特徴は同じである。
武王は雄略帝・・・・・・・・・・・・・確認できないが、その解釈においては7世紀以前の登場人物の全てが確認できない
倭国(倭人)は半島に出兵していた・ 確認済み
邪馬台国時点で倭国は文字が使えた・ 確認できない。 
639 ・皇:03/02/20 04:32 ID:S5bT/dZu

天皇が半島系だとゆうより、
もともと日本の原型わ南半島・北九州・西日本にまたがる地域だった、とゆうことかね?
縄文を日本の原型と考えるなら、今の日本とほぼ同じ地域だが、椰子らかなり他人だしな。

ちなみに日本列島に限ってわ縄文人が先輩のようだが、地球上に発生したのわどっちが先よ?
てゆうか、縄文人と似た椰子らわ他の周縁地域に居たのか?
アメリカインディアンわ縄文と弥生のどっちに近い?
東南アジアー長江文明ー縄文ーアイヌのハナペチャモンゴロイドと、
バイカル湖ー黄河文明ー弥生ーインディアンとゆう醤油顔モンゴロイドとゆう系統化わマチガイ?
縄文や弥生の人骨のDNA調査とかされてるのか?

ちなみに、当然のよーに日本古代史の前提になっちょる魏志倭人伝の邪馬台国のくだりわ、
ほんとにそれほどの史料価値があんのか?誰がどうゆう経緯で最初に持ち出したんだ?

日本の歴史記録はショートク太子の頃から唐突に始まったワケだが、
どーみてもショートクから大化の改新、大仏あたりで決定的な焚書があったよな。
宮内庁が掘らせないナンチャッテ天皇陵を暴けばナニが分かる?
640 ・皇 :03/02/20 04:32 ID:S5bT/dZu

まあ北九州の倭と畿内の大和は、民族的には近いが政治勢力としてはやや遠いだろ。
思うに、南半島ー北九州ー西日本が倭=原日本で、
そんなかで、黄河に近い南半島に居て律令国家の概念持ってた豪族連中が、
高麗ー高句麗ーコリアに押し出される形で畿内に本拠を移した。まだ倭の勢力が半島に残ってた頃な。
最初わだれが主導してたのか知らんが、少なくとも天皇家の直前までわ蘇我氏が主導だった。
これわまあ殷のちゅー王みたいなモンで、周の文王だっけ?がやったように、
悪役にされて天皇家が後から取って代わった。

それ以前に、南半島ー北九州ー西日本が倭と考えると、
もともと遺伝子的にわバイカル湖に居たはずの日本人わ、
バイカル湖ー沿海州ー半島経由で来たのか?
だがバイカル湖ーアムール川ー北東日本ラインもなんらかの形であったハズ。
世界最古の土器文化がこのラインだからな。
ただそれわ、民族でわなく文化の移動だったとも考えられる。

さらにそれ以前に、東南アジアー長江文明ー縄文ラインのハナペチャモンゴロイドわ、
発生したのわビルマ、タイ、ベトナム、カンボジアあたりの熱帯雨林適合体として。
国家や文明のテイを成したのわ、それよかちょっと自然に細工が必要な長江エリアに来た連中。
駄菓子菓子、日本に来ちまった連中もいる。
このハナペチャ系モンゴロイドわ、その後北方適合体の醤油顔モンゴロイドに南に押し戻されるが、
アイヌわどちらかとゆうと逃げそこないで、人種的にわ熱帯雨林適合なのに北に逃げちまった。

妄想終了
641 ・皇:03/02/20 04:35 ID:S5bT/dZu

それにしても、各論と総論の落差が激しいスレだな
642朝まで名無しさん:03/02/20 05:47 ID:49yPKE8B
>>635
名前と呼び方を古代中国の様式を取り入れているなら、
蘇氏馬子は蘇ノ真子若しくは蘇皇真子?
蘇氏蝦夷は蘇ノエ御子?
蘇氏入鹿は蘇ノヒルコ?

中・大兄
中・鎌足

う〜ん、あやしい。。。と妄想に耽って考えると皇位継承権のなかった者達が
祖師王朝を歴史の闇に葬ったと考えられなくもないかな?
天皇という中国式の呼び方に変えたのも蘇氏馬子ではないのかと
下衆の勘ぐりをしてみると妄想は果てしなく続く・・・

643朝まで名無しさん:03/02/20 05:51 ID:FXp5/rvl
>>642
蘇我氏の名前は後で全部変えた可能性はないか?
天智以降の皇室にとっては嫌な存在なので、蝦夷とか馬子とか、変な名前にしたのと違うか。
それを記録した。
644朝まで名無しさん:03/02/20 06:41 ID:GGiS5mhr
日本語の下手な発言者が多いスレですね。
645朝まで名無しさん:03/02/20 14:43 ID:5IGWk2IG
>>639
邪馬台国時点で文書が書けたのは倭人伝を読めばわかる。
それ以前、奴国にも金印が下賜されているのだから、文書作成がせきたはず。

蘇我氏の名前はあとで変えられたのはまず間違いないでしょう。
646 :03/02/20 14:57 ID:g6H/En9g
邪馬台国の時点の漢文使用は、
前スレで、随分やりとりがあったようだが、
個人間のののしりあいになって、結論がでてないよ。
 江戸時代、日本が英文を使ってなくても、米英から英文の手紙が
来て、通訳を通じて意味を理解させられ、
こちらの交渉文は、英語で記載したものをあちらに提出した 
同じような事がおきたくらいじゃないの


蘇我氏は、名前が変えられたという雰囲気はへんな名前から
推測できるのだけど、馬子 入鹿 はそれほど悪い名前なのだろうか?
「蝦夷」 だけが悪い名前のような気がする。
本当に悪役にするなら、当時の天皇家の家系図から蘇我氏を
抹殺するはずでは?
647朝まで名無しさん:03/02/20 15:10 ID:BKwuWcAW
天皇はいいもん食ってるの?
648 :03/02/20 15:32 ID:g6H/En9g
蘇我一族の

登場以前、 漢王朝の臣下 で 倭王
登場以後、 対等の天子 で 天皇

蘇我ってなんなんだ?
649朝まで名無しさん:03/02/20 15:33 ID:mXjwdDP7
蘇我氏の残党への見せしめ、という意味もあるのでは>>646
馬子って馬の子だよ? 韓子とかも。鹿に入る?とか。
高麗、蝦夷なんて、よそ者の名称を付けてバカにしたんじゃないの。

文書だけど、邪馬台国からは「上表文」が提出されてるからね。
通訳がどうとかいうけど、言葉なんて覚えようと思えばできるでしょ。特に読み書きだけなら簡単。小学生だってできる。
取りわけ、倭王武の上表文のような手慣れた感じの長文が書けるなら、それ以前から慣れていたはず。
文書の配達を司る役人までいたぐらいだから、できなかったはずはないだろ。
650朝まで名無しさん:03/02/20 15:35 ID:mXjwdDP7
大きな権威を持っていたから、それを引きずり落とす、という意味もあっただろう>>蘇我氏の件
651朝まで名無しさん:03/02/20 15:40 ID:Cb7a7n8t
付け足しだけど、厩戸の皇子(字はあってるか?)という名称も気になる。決して良い名前じゃない。
652朝まで名無しさん:03/02/20 16:01 ID:eESFM0Dn
>>642-643
面白いです。
卑弥呼時代から天智時代までの間に、多くの倭国文化が消えて無くなっている。
・全身刺青の習慣が消えて無くなった。
・神代文字(倭国独自の文字)が消えて無くなった。漢字の使用がはじまった。
・天皇の呼びかたが、倭国式の「スメラミコト」から大陸式の「テンノウ」に変わった。

天智天皇と藤原鎌足を唐人とするば、この時代のさまざまな出来事をうまく説明できる。

・蘇我氏の名前に変な字が使われた。(大陸風)
・645年大化改新の時、それまでの天皇系譜が燃えて無くなってしまった。(焚書?
 焚書は大陸風。焚書があったので日本の歴史はこの頃から唐突にはじまっているのか。)
・藤原鎌足の政策、公地公民制確立・律令制整備・宮城建設。(大陸風)
・天智天皇・藤原鎌足の親唐路線。
・太宰府。(唐風)
・663年白村江の戦いで、倭国・百済は、唐・新羅と戦争をしたにもかかわらず、
 なぜか天皇・藤原と唐が友好関係を保っていたこと。
653朝まで名無しさん:03/02/20 16:01 ID:eESFM0Dn
大化改新で百済系の蘇我入鹿が殺害された時、
日本は、唐系の大和朝廷と百済系の九州の二つに分裂した。

白江村の戦いで唐・新羅と戦ったのは、百済系の九州。
唐系の大和朝廷は、唐・新羅に味方。
つまり白江村の戦いとは、唐・新羅・大和朝廷連合軍 対 百済・九州連合軍 の戦い。
百済・九州は敗戦。百済は滅亡。

唐が九州に太宰府を設置する。
この頃、唐は、異民族を管理支配するために督府という機関を各地に置いている。
日本書記には「筑紫(九州)都督府」という言葉がでてくるし、
「671年捕虜になっていた筑紫(九州)の王が帰国した」と書かれている。
(663年白村江の戦いの時捕虜になつた九州の王が帰国した。)

671年 唐と新羅が対立関係になる。
672年 壬申の乱 (新羅系の天武天皇が、唐系の天智天皇を殺害)
天武天皇は親新羅路線。唐には使者を一度も送っていない。
654朝まで名無しさん:03/02/20 16:19 ID:383TnPAw
>>653
なら、遣隋使を遣唐使と書いた訳は?
655 :03/02/20 17:43 ID:g6H/En9g
面白いが2つ説明がたりないよ、

1・風土が変わった中で、7世紀におきたと断定できるのは
  律令の事と、大宰府のこと。他は、4世紀、5世紀 6世紀
  いずれで起きてもおかしくない。

2・天武が新羅系統なら、その後の記紀にはまず新羅をたてるはず。
  残念ながら、記紀は新羅が一番悪者。 蘇我の比ではない。
656 :03/02/20 18:18 ID:g6H/En9g
檜隈という土地がある。

記紀には、雄略天皇は
史部(ふみひと、朝廷の書記官)の身狭村主青(むさのすぐりあお)と
檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)を寵愛し、
たびたび海外へ使節として派遣したとある。
雄略朝12年4月に二人を呉に派遣してしたとき、
二人は呉国の献上した手末(たなすえ)の才伎、漢織、呉織および衣縫の兄媛・弟媛らをつれてきた。
これらの呉人を檜隈野においたので呉原(くれはら)の地名が起こったという。

檜隈氏、身狭氏、川原氏、呉原氏などと呼ばれた。
後に東漢(やまとのあや)氏と総称されるようになる渡来人である。
この東漢氏と結託して勢力を伸ばしてきたのが蘇我氏である。
継体帝の子、宣化天皇は即位して536年、
檜隈の廬入野(いおりの)にその宮居を定めた。

つまり、この時点から 日本を呉系渡来人の移民がのっとっていき、
突然の文明開化を迎える事となる。
657朝まで名無しさん:03/02/20 18:23 ID:6eEmSSbv
結託したというだけじゃ、渡来人とは言えない。
658 :03/02/20 19:17 ID:g6H/En9g
(題名)その気になっていた奴ら。

現代人から見ると笑い話なのだが、
・東漢氏は
その先祖を、漢の高祖劉邦であり、
霊帝のひ孫が「阿知使主」(応神帝の時渡来)。という事

・秦氏は、
秦の始皇帝の子孫

面白いのは平安時代においても、本気で周囲に吹聴していて
当の子孫もすっかりその気だったという事である。

漢王族の子孫を自認する彼らに、
日本は裏からリードされていたわけである。
東漢氏は、倭王から遣唐使までの国使は全て東漢氏であり、文筆業を支配し、
かつ、武力においても、暗殺業から征夷大将軍まで 東漢氏である。

最後に、目の上の蘇我宗家を見捨てたことから
 蘇我氏の名前をバカにした記述ができたのも彼らだろう。 
659 :03/02/20 21:39 ID:g6H/En9g
漢氏と秦氏はどっからきたか?

(313年 楽浪郡 の崩壊)
楽浪郡は、漢王朝の武帝によりの中国領土である。
紀元前100年〜313年まで
朝鮮の北半島は、中国の領土であった。
楽浪郡は、北方民族高句麗に313年領土を奪われ消滅する。
その中国人達は、南に追いやられる。
多くが、百済に避難する。

広開土王 の石碑から
391年から404年 その高句麗と倭は、
南半島(百済と新羅)の植民地権利について戦争しているが、
まさに、
漢氏秦氏ともに、応神帝の代(半島で高句麗と争ってるころ)
に日本に、集団で渡来しているのだ。(記紀)

高句麗に故郷を破壊された漢族が、百済へ逃げさらに、日本にやってきたのだ。
彼らによって、日本の古代史は近代化する




660朝まで名無しさん:03/02/20 21:58 ID:HZ0rXws5
渡来氏族は技術や知識を利用されただけだろ。政権中枢に入った奴はいるか?
彼らが来た時点で既に豪族があり政権が出来てたのだから、軍事力を伴って来ない限り政権を担うことは無理だろう。
661 :03/02/20 23:54 ID:g6H/En9g
>>660
外交や文化は、
中国系渡来人にリードされてきた と解説しているだけですよ

例えば、書県 といえば、東漢氏ですが、
都市設計や法隆寺なども彼らが、棟梁です。
南朝の様式なので、東漢氏の中でも、
雄略帝の時に呉から来た技師の子孫ではないかと思われます。
662 :03/02/21 00:15 ID:9AsqA2iu
失礼
書直県ね

蘇我氏は、飛鳥寺建立にあたり、百済の威徳王から技師を呼び寄せ、
東漢氏に統括させたのね、 当時百済は梁代南朝と交流が深かったのです。
663朝まで名無しさん:03/02/21 02:41 ID:0ViYy7Mi
陛下は天照大御神の子孫であらせられる。以上。
664朝まで名無しさん:03/02/21 06:00 ID:vQjyPY/g
陛下はどうみても人間。
神懸りはヤメレー。
665朝まで名無しさん:03/02/21 06:41 ID:0ViYy7Mi
>>664よ、寂しいこといわないでくれ。
666朝まで名無しさん :03/02/21 07:30 ID:8Pee4U1y
外国のトップにとって日本に来る価値というのは天皇にあえるということ
フォード大統領が訪日したとき天皇に会って震えたというのは有名な話
今のブッシュの親父は宮中晩餐会でゲロはいた それをみていた黒人の護衛艦が
天皇の前でテーブルをとびこえてブッシュを抱えた
CNNの放送でこれをみたアメリカのインテリ層が、「なんて無礼なんだ、アメリカの恥だ」
歳をとってるやつはだめだとなってクリントンがでてきたんだ 
2000年もつづいた伝統は日本にしかない、そして外国の元首があいたいのが天皇陛下だ
外国人のほうが日本のすばらしいところをよくわかっていて、日本人は気付いていない
というのはさみしいことだと思う

667 :03/02/21 11:30 ID:9AsqA2iu
古代日本史の理解 のポイント

■1・ 最大の渡来人氏 東漢氏 が 「百済系」 と表現されてきた問題。

実際には、彼らののその殆どが漢人(中国漢族)である。
ルーツは4つ。 1・高句麗により313年に滅ぼされた楽浪郡(北半島)の漢人
2・同じく楽浪郡の漢人であるが、一旦百済を拠点とした上で、200年を経て渡来
3・長江下流の呉から 宋代よりの交流により やってきた漢人
4・呉と密接に交流していた百済に渡った 呉(南朝)の漢人

■2・ 記紀やその元となる記録や伝記は、東漢氏 だけが担当しており、
東漢氏 に都合よく 歴史が作られていくこと 彼らには倭国の古代より
呉の古代伝承も同等だっただろうこと

■3・ 自称 漢王朝の末裔 という彼ら 東漢氏が 倭王の代から平安まで
外交文書をつくり、 外交員(遣隋使など殆ど)となり、 中華の状況を帝に報告し、
外交方針をコントロールできたこと。

■4・ 漢王朝が滅び半島の百済も滅んだ時、漢族が安心して住める場所は倭国だけに
なってしまった。という事




 
668朝まで名無しさん:03/02/21 15:24 ID:yv3iNFG7
飛鳥時代には倭人も十分漢文作れてますが。
それ以前は口伝があるし。
669朝まで名無しさん:03/02/21 16:06 ID:8Yi6IS/O
記紀には、雄略天皇は
史部(ふみひと、朝廷の書記官)の身狭村主青(むさのすぐりあお)と
檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)を寵愛し、
たびたび海外へ使節として派遣したとある。

飛鳥より100年まえには既に、東漢氏が 書記官
670 :03/02/21 16:49 ID:8Yi6IS/O
百済 もとは初代部族名 「伯済」
この時代、伯済 と言えば、
魏の車騎将軍 伯済 であり つまり漢民族である。
なぜか、フヨ民族ではないか? となっているが、楽浪郡崩壊の時代背景からみても
漢族である。

671朝まで名無しさん:03/02/21 18:01 ID:4EYs8HXs
>>669
それは漢人ですか?

>>670
連想ゲームですか?
672 :03/02/21 19:16 ID:8Yi6IS/O
東漢氏で有名な 漢人です。
檜隈 というのは、当時の漢人の居住区のことです。
彼らは、自称 漢の高祖の子孫です。(大ボラでしょうが)
雄略が武帝であるという定説に基づけば、 
宋に上表した時の使いであり作文した漢人です。
673 :03/02/22 01:54 ID:t0Tc9RjY
倭の大王家 の権威を 漢人達も認めたところがすごいんだな。
神代からの王家の歴史にけちをつけなかった。
674朝まで名無しさん:03/02/22 02:01 ID:k29d6j7s
>2000年もつづいた伝統は日本にしかない、そして外国の元首があいたいのが天皇陛下だ
>外国人のほうが日本のすばらしいところをよくわかっていて、日本人は気付いていない
>というのはさみしいことだと思う

ものめずらしいだけだろ
中国ならパンダ
オーストラリアに行けばコアラ

同類だ
675 :03/02/22 02:31 ID:t0Tc9RjY
良く考えてみると、 2000年担がれ続けてるカリスマってのはなんだろうね、
古事記に書いてある伝承なんて、まるで意味なくて、
もっともっと古いかもしれないなー
でも、古墳の数からして、日本ではマックス2200年くらいでしょ、
それじゃーツマランのよね、 紀元前3000年クラスの文明の時代から
続くためには、 長江文明しかないか・・・さらに 夏王朝や出目金の出土した
謎の文明なんとか・・

 そこまで 天皇系譜がさかのぼってこそマニア。  
 いつ中国からやってきたかだねー
676朝まで名無しさん:03/02/22 04:26 ID:6Iqo1em+
>>673
「権威」というのは誤認識。
朝貢した国をある程度大切に扱ったにすぎない。
677朝まで名無しさん:03/02/22 05:02 ID:0VeL8nqf
>>635
>倭国の王の名前は姓はアメ字はタリシヒコと書かれているのは何故か?

阿毎(あめ),字は多利思比孤(たりしひこ)は
句読点の間違いで
阿毎多利(アマタリス→アマテラス)
思比孤(すひこ→すいこ)ではないかと思う。
ただ隋書に男帝だと書かれていることは謎のままだけど。
678朝まで名無しさん:03/02/22 05:11 ID:0VeL8nqf
ついでに
太子の名前は利歌弥多弗利(りかみたふり)という件は
は和歌弥多弗利(わかみたふり→わかんどほり)で名前ではないらしい。
ttp://www.nagaitosiya.com/lecture/0150.htm
679 :03/02/22 13:21 ID:t0Tc9RjY
蘇我氏+東漢氏 
彼らが、「日本の王は皇帝である」 という時代を作ったのは間違いないね


あと、推古天皇の代が、隋から見て男帝だったとされている理由。
記紀で改竄されたのだ。  すなわち 推古は皇后にすぎない。
夫である男帝がいたと考えるのがシンプルではないか?
しかも皇統ではない王であったからこそ、記紀ではこの王を抹消したのではないだろうか?
後の記録では推古が 天皇となり 独身を通した事としたのだ。

皇女の夫、皇統外の男が天皇として振舞ったのだ。
蘇我氏であろう
680&:03/02/22 13:29 ID:8zOYTFWN
ウヨのお坊ちゃま諸君は
どうしても天皇家の出自を半島でなくて
中国としたいらしいね(w
だけど古墳の出土品が半島のモノと類似してたりして
半島出自が学会では暗黙の了解だよ。
明言すると右翼の脅しがうるさいからね。(w
681 :03/02/22 13:45 ID:Eseb2A2l
紆余なら、天皇家の出目は日本のままにしたいんじゃないの?

古墳の出土品が半島のものと類似・・・・ ポカーン
半島はそもそも 倭国の植民地だったので問題なし。

右翼の脅し?・・・ あのー・・彼らの大半は朝鮮人ですが・・

そもそもチョンの妄想は、楽浪郡さえ朝鮮なんだから(藁
682朝まで名無しさん:03/02/22 14:16 ID:fQ7cvjXK
アマテル・スイコなんて名前はないんだけど。
そんな語呂合わせなんて、どうにでもできる。

半島でも、中国でもないよ。半島の可能性なんて先ず無いし、中国なんて電波。
683(××):03/02/22 14:29 ID:IMni/qFo
>>680
ただし、考古学的には韓国のものは日本のものより新しいことの方が多い。
つまり逆に日本から来たものとも考えられる。
出土品の似ていることはこの論争の決着には繋がらないんだよね。
念のため、私は朝鮮起源説を支持している者ではあるのですが。
684 :03/02/22 15:14 ID:t0Tc9RjY
天皇の出目よりむしろ、ハッキリしたのは、
日本に影響を与えた渡来人は、漢人だって事だな。

=文化朝鮮起源説のインチキぶり=

朝鮮と百済 → 人種も文化も全く関係ない、百済は倭国に近い
百済と渡来人 → 渡来したのはそのうちの漢人(楽浪系と呉系)
百済も → 南朝の朝貢土産を倭にスライドしてもってきただけ。

何段にも渡って論理の虚構をつくるのが彼らの手だね
685朝まで名無しさん:03/02/22 18:27 ID:VkwVZd5G
>>684
あなたの意見は意見として、何一つ証明されていない事をまるで事実
のように書き込むのは問題だね。

結局は判らないってのが現状なのだから。
あなたのように、韓国、北朝鮮が嫌い、嫌いの怨念で何かを書いても
しょうがないでしょ。
本来考古学なんて希望的観測や先入観は排除されるべきものだよ。
686朝まで名無しさん:03/02/22 18:54 ID:fQiZWX4Y
じゃ〜、今現在の天皇家の起源を、
足利尊氏が建武の新政を潰した以来同時期に天皇が二人居た南北朝を
終わらせた足利義満にしよう!
足利義満の“真の直系の子孫”が今現在の天皇家である。
ちなみに、足利義満は日本国王として当時の中華文明の核である明に
朝貢貿易を行っている。
2ちゃんねらーの中で、「俺こそが南朝の直系!皇位継承権は俺にある!」
と言う奴居るかな?名乗り出たら、おもしろい!
687朝まで名無しさん:03/02/22 19:01 ID:VkwVZd5G
>>686
でも、足利の系統は、暗殺されたり織田信長に追放されたりして、
その後、豊臣秀吉の傘下に入った。

豊臣秀吉方はこれまた徳川家康に滅ぼされた。

徳川は薩長土肥に負けた。

薩長土肥も、次第に自由民権運動に押されて国会を開くまでに到った。
男子による自由選挙まであったのだ。

その後、日本は米国により占領されマッカーサーがGHQ司令官として
君臨したが、トルーマンだったか誰かに、更迭された。

そして、サンフランシスコ...で現代に到るわけだが。
688朝まで名無しさん:03/02/22 19:16 ID:fQiZWX4Y
>>687
「足利義満が自分の子供を天皇家に養子として出して、
実子に皇位を継承させた」と言う話は、
歴史小説のネタとしてはおもしろいでしょう?

今の天皇・皇族を見ていると、
「血(遺伝子)が繋がった本当の親子?他家からの養子?」と思ってしまう。
韓国と日本で文化的に大きく異なるものの一つが、
「血(遺伝子)が繋がって居無い人に家を継がせる」と言う養子制度。
689朝まで名無しさん:03/02/22 19:19 ID:svJMuM2l
人類は火星から移住してきた。だから天皇の起源も火星。
690朝まで名無しさん:03/02/22 20:56 ID:Eseb2A2l
何!
691681:03/02/22 21:05 ID:Eseb2A2l
>>685
おいおい、朝鮮人の妄想に、その台詞をいってやれよ、
君の先入観と違う結論に対しては、きちんと 
ソースをもって反論しようね。
692朝まで名無しさん:03/02/22 21:47 ID:HiV6+A+p
>>691
>そもそもチョンの妄想は、楽浪郡さえ朝鮮なんだから(藁

それをいうと琉球が日本の領土というのも妄想になるのだが。。。
693朝まで名無しさん:03/02/22 21:51 ID:cNDv3IMe
>>692
それはどうして?
薩摩藩がきっちり支配してたけど。
694681:03/02/22 22:05 ID:Eseb2A2l
>>692
意味がわからないが、キチンとこたえよう。

楽浪郡ていうのは、漢王朝の正式な版図で、
約400年に渡って、朝鮮半島の北西部にありました。
漢王朝直轄地ですから、住んでる人は中国人です。
ところが、五胡時代 漢王朝は無くなり異民族が華北を支配すると
漢人の住む楽浪郡あたりは、異民族フヨ族の高句麗に支配されてしまい。
400年に渡り、半島の北半分を支配してきた中国人は、
南の百済の方に移住する事となりました。

ここまでは、教科書的な歴史の事実です。

さて、韓国人は、楽浪郡の文化は朝鮮人の文化である と言っています。
そこで、私は突っ込んだのです。 
 おい!それは純粋に漢の文化だろ!

古代琉球が日本の文化という人はいないでしょう。
現在は日本の領土というのは当たり前なので、
否定の意図になってないのですが・・
695朝まで名無しさん:03/02/22 22:16 ID:HiV6+A+p
>>694
>楽浪郡ていうのは、漢王朝の正式な版図で、
>約400年に渡って、朝鮮半島の北西部にありました。
>漢王朝直轄地ですから、住んでる人は中国人です。

煽りにのってくれてありがとう。
漢王朝が支配していたから中国人ですか?
では、当時楽浪郡にいた民族は漢民族か?んなことないだろ。
696朝まで名無しさん:03/02/22 22:35 ID:+JW9Hojh
西域にも郡置いてなかったか?
勿論住んでた圧倒的多数は、いわゆる胡人だよな。
697681:03/02/22 22:40 ID:Eseb2A2l
いや、幾らでも釣ってくださいな

即 ソースを出せないのは残念ですが、
史書に、楽浪郡の庶民のこともあります。
高官は死ぬと故郷に墓を作るが、庶民は楽浪郡に墓をつくらなければならない。
というようなものもあります。

不明のソースは置いておいて、紀元前1世紀からの漢族の支配地で400年。
紀元前1世紀以前に住んでいたのは何人でしょう。
それこそ、推測すらできませんね、
「そこには倭人と同祖の原住民が住んでいた」という妄想と同レベルになってしまいます。
縄文土器のような古い遺跡もない地域です。 
常識的に考えれば、誰が住んでいたかわからない地域です。
さて、そこに漢直轄地が400年にわたってできたとしたら、
そこは漢と呼ぶのではないですか?常識的に漢人が開拓した土地
と後世は理解しますね、

ところが、韓国人に言わせると、
楽浪郡は紀元前から独特の文化がある朝鮮人の土地だそうです。

6世紀からの歴史が明確になる日本でも、紀元前1世紀の事をはっきり言ったら、
狂人君と思われてしまうことを思い出してから韓国人の戯言を吟味してください。
笑うでしょ。
698朝まで名無しさん:03/02/22 22:41 ID:va0VMTP7
>>694
君らの理屈だと朝鮮総督府に統治されていた人々は皆日本人といいたいのだろ。
それにしては「元」日本人に冷たいのね。
699tr:03/02/22 22:43 ID:JGnuk5Io
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700681:03/02/22 22:49 ID:Eseb2A2l
>>698
比較するなら、
北海道だな、200年しかたってないがね
アイヌの皆さんは殆どいないだろ、

漢王朝は、遺跡もない地域を、400年支配したんだよ。
楽浪郡に漢族以外の原住民がどれだけいたっていうんだね?

ちなみに、楽浪郡は半島全域を指しているわけではないよ、
それなら、灯台のような直轄をおいて 地域と原住民を 
漢のエリアといっていたという理屈も成り立つ。
しかし、北西の一定の地域を楽浪郡と決めていたのだから
そのほかの地域の原住民の地域とは明確に区別していたってことなんだよ。
意味がわかるかな? 原住民がを支配しただけなら 半島全域を楽浪郡と
言えばいいってことだ。
701 :03/02/22 23:12 ID:t0Tc9RjY
東漢氏は、氏も漢族であり、 自称も漢族。
伝えた文化も南朝の漢文化。 

百済について
百済そのものが漢文化の国だが、
史書によるとその構成員は、 中国人 高麗人 倭人 
百済人という人種は存在しないんだよな

高麗人はフヨであり北方民族なので、もともと半島に住んでいない。
中国人は楽浪郡からの人びと
つまり、倭人が原住民ってことに帰結する。

列島の倭人は、倭国と日本を作るんだけどね。
半島の倭人は後の世で新羅高句麗のフヨ系に吸収されちゃうんだね
702681:03/02/22 23:15 ID:Eseb2A2l
>>701
そうだよ あなたが返事しなよ もう寝る
703朝まで名無しさん:03/02/22 23:59 ID:7pQB9ykt
>>700
単に統治できるところ郡と称しただけでしょ。住人の違いじゃないんでは?
漢の支配地には、漢民族しかいなかったとでも?
郡の統治が終わった後は漢民族は一体どうしたの?
704朝まで名無しさん:03/02/23 00:01 ID:cohpt2x1
>>701
>史書によるとその構成員は、 中国人 高麗人 倭人 
>百済人という人種は存在しないんだよな

「隋書東夷伝』を指していっているのなら、それは間違い。
百済の条
>其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中國人

この読み方は百済人の他に新羅・高麗・倭・中国人が混在している
という意味。

その証拠に同じく新羅の条では
>故其人雑有華夏、高麗、百濟之屬、兼有沃沮、不耐、韓之地。
>其百濟人、自海逃入新羅、遂王其國

として百済人の存在を認めている。ちゃんと全部読めよ。
それとも他の『史書』ですか?
705朝まで名無しさん:03/02/23 00:18 ID:zgdoTXDR
「中国」ってこんな昔からある呼名だったのか、しらなんだ目から鱗だ。
706朝まで名無しさん:03/02/23 00:52 ID:dFk0+ocv
「中国」という言葉が清末にできたとかいうデマを飛ばした学者がいますね。
707 :03/02/23 01:32 ID:7YKM3Jl5
>>704
それは、百済人というのは、新羅 高麗 倭人 中国人 がいる
って解釈の方が自然では? 

新興国なのだから特徴のある人種例えば、「朝鮮人」
というユニークな人種の存在が認められていたというのなら、
百済人等の新興国家名で人種わけするはずがない。
「百済国は、朝鮮人の他に高麗人 倭人 中国人がいます。」 と書かれる。 
それがないって事は、ユニークな人種とみなされていなかったんだよ。
ブラジル人 アメリカ人 と同じ使い方

708朝まで名無しさん:03/02/23 02:43 ID:4iIfgqog
>>682
もっと合理的な反証を出しなさい。揶揄するだけなら誰でもできる。
隋書と記紀の矛盾点を巧く説明できる証拠を出さない限り電波説にすら敗北ですよ。
アメノタリスヒコの尊と呼ばれていた有力な豪族の証拠を出せれば大人しく引き下がりますよ(w
それと記紀若しくは隋書原理主義者は元から宗教だから議論に加わらないように。
そういう人は進化論を否定して聖書が正しいと思っていればそれで宜しい。
>>682にもわかるように言えば、サメの歯を「天狗様のツメ」として拝んでなさいってこった。
709朝まで名無しさん:03/02/23 03:05 ID:cohpt2x1
>>707
漢文で「A雑有B」とある場合。だいだいが「Aの中にBが混じる」と
日本語訳をする。
となるから大前提としてAの存在があって、それ以外にB、C、D」
となるんだが。「雑有」の用例でぐぐってみたけど、これが解りやすい
かな、同じ『隋書』からの引用だし、
>隋の開皇元年(581)に文帝は七部楽を置いたが、『隋書』音楽志(巻15)に、
>又雑有疏勒・扶南・康国・百済・突厥・新羅・倭国等伎。
>とあり、主要な七部楽以外に、疏勒・扶南・康国・百済・突厥・新羅・倭国などの伎楽が混用されていた。

ttp://www.econ.keio.ac.jp/staff/murakosi/ciengakugagaku.html
710バカ:03/02/23 03:38 ID:5Gif2wB/

まあアレだ、天皇家だろーがパンピーだろーが、
何千何万年前からの遺伝子を受け継いでいることにわ違いない。
いまんとこ、200万年前のアフリカ大地溝帯に居た一匹のメス猿が、
全人類共通の祖先らしいがな。
つーわけで、天皇家の起源わ200万年前のアフリカ!
〜終了〜

冗談だよバーカw
ただ、ここわひとつ視点を変えてだな、時代を逆に遡って
「今の天皇のほんとの祖先わいったい誰なんだ?」
とゆう視点で検証してみてわどうか?
具体的にわ、例えば、平成天皇の前立腺が余ってるハズだから(笑
それを、歴史上の有名人で遺体や遺骨が残っている椰子と、
遺伝子レベルで比較すればいい。奥州の藤原なんてミイラ残ってんだろ?
もちろん、縄文人や弥生人、半島人の化石との比較もしたいし、
仁徳ナンチャッテ天皇陵の中の死人とも比較しなきゃな。
711 :03/02/23 03:53 ID:7YKM3Jl5
>>709
非常に丁寧な、レス有難う。
結論や意見は違うのでそれは明日として・・感謝

目からうろこの事実。
17世紀初頭、
日本列島には3000万人の人口
同じ時期、あの広大な中国の人口はわずか6000万人
朝鮮半島の人口は、当時300万人程度

古代の歴史を考える時、人口の先入観はとらなきゃいかんな
と思ったよ
712朝まで名無しさん:03/02/23 03:57 ID:UKIGk7NN
>>710
そればできれば様々な事実も分かってくるだろうけど、
同時に御神体でもあるから、簡単には行かないんだよ。

それから、あまり飛ばさないように(w
一応これでもその道の紆余な方の信条には気を使って
発言してるんだから(w
(ある人達からは全然してないと猛烈な反発を受けそうだがね。)

713訂正:03/02/23 03:59 ID:UKIGk7NN
それば ×
それが ○
714 ・皇:03/02/23 04:40 ID:5Gif2wB/

しまったコテ間違えた。折れわバカじゃない、・皇だ

いや、配慮わわかるが
むしろ、天皇をもっと気軽にユーモアのセンスで扱うべきだと思うがね
以前学生のころ、ゼミのアホ教授に「天皇制わシャレである」とゆったら
青筋たてて激怒してたけど、まあ某サヨ私大なんでしゃーねーけど、
天皇ってさ、賛成にしろ反対にしろ、みんなすぐムキになるじゃん。
それがいかんつーの。
そんなだから、ウヨだのサヨだの40年前の議論してる低脳どもが、
自己アイデンティファイのために安直に天皇をダシにしちまうんだよ。

共産主義が滅びたらソ連も崩壊した、民主主義が滅びたらアメリカも滅びるだろう。
だが、日本わナニ主義とも心中しない。
天皇とゆうナンの思想的実体もないボケ老人を、うまく仮想アイデンティティにして、
そんとき世界で一番優れた思想や制度を、しなやかに無節操に取り入れることができた。
それが日本の強みであり、天皇制の正しい利用法なんだよ。
なのに、天皇についてムキになっちゃったら、
天皇制とゆう世界に類を見ない仮想アイデンティティ制度の「うまみ」がねーべ?
まあ、明治維新とか太平洋戦争とか、ここ1〜2世紀の間に
天皇についてムキにならざるを得ない出来事があって、その後遺症だな。
715 ・皇:03/02/23 04:47 ID:5Gif2wB/

つまり天皇とゆーのわ、世界に類を見ないファジーなアイデンティティ形成制度であることで、
日本のしなやかで無節操な生き残り戦略を支えてきたのだよ。
だから、事実わ事実できっちり追求し、ナンチャッテ天皇陵も暴きつつ、
「天皇さんわアマテラスの子孫だっぺ」とゆう“シャレ”をゆうだけの
ユーモアのセンスとゆうか心の余裕も持っておくのが、これからの天皇ちゃんとの付き合い方だろう。
わかったかね諸君
716朝まで名無しさん:03/02/23 04:53 ID:jqIfjcGK
古い地図を見ると、せやんけワレーの河内国に「百済郡」という地名が見られる。
百済人が多く住んでいたのか。
そういえば、秦氏は百済系じゃなかったか。
717 :03/02/23 05:03 ID:7YKM3Jl5
百済系 て表現が曲者。

応神帝の時に、百済から連れてこられんだけどね
本人達は、秦の始皇帝の子孫と言ってるように、
楽浪郡崩壊に伴う 漢人  

百済から来たから、朝鮮人と思ってしまうところが問題なんだね
当時の百済は、南朝の漢人圏そのものだね
718朝まで名無しさん:03/02/23 05:15 ID:2piYunDt
そのシャレがいいかげんつまらなくなってきたんじゃないの?
シャレいってる本人は安泰というのもアホ臭いし。>バカ
719朝まで名無しさん:03/02/23 05:16 ID:2piYunDt
つまらんな。じゃな。
720朝まで名無しさん:03/02/23 10:12 ID:0sgeOkTh
>>708
日本と半島の関係は、少なくとも4世紀以降は日本側が優勢。
従属国として半島側を扱い、それは7世紀までは続く。
人質を取っている劣勢側の国から、指導部を迎える国なんかいない。
なんらかのトリックやクーデター紛いのことも無理だろう。他の豪族が黙っちゃいない。半島攻撃の主勢力のはずの豪族には、あらゆる意味での優先権がある。
これは、記紀を書き換えたと可能性があるとか言うこととは全く別問題。
中国や好太王碑の記述なんだから、否定できない。
また3世紀以前には倭人は半島系とは区別されている。

中国からの指導部の来訪なんて資料に無いし、そもそもその動機が無い。
こんな東の果てに危険を冒してまでくる理由はなし。
半島在住の漢人の可能性も、上記の理由でなかろう。
ただし、白村江で敗れたあとの状況についてははっきりしたことは分からないが。
が、もしここに書いている電波系の主張のように、漢王朝の血統が尊重されてのことであったなら、その手の話が残されてないのは矛盾している。
その正統性を主張するために、堂々と何々皇帝の子孫と名乗れば良い話しだから、無理。
721朝まで名無しさん:03/02/23 10:19 ID:YrnNQamZ
>>691
私には朝鮮人の歴史を語る人は知らないものでね。

さて、あなた先入観、恣意的を認めるのだな!
722朝まで名無しさん:03/02/23 15:08 ID:CDXr2r5k
船虫はけーん
723朝まで名無しさん:03/02/23 15:17 ID:+5F4p+P8
2、3世紀頃に日本に渡って来た中国の技術者の一族、という説が有力。
日本には技術が入ってくるのが遅れたので、
この頃技術を持っていた者が有力者になったのは納得できる。
しかし、宮内庁はそれをなんとしても事実にしたくないから、
歴代天皇の墓を調べさせないじゃん。
向こう側の対応からしてバレバレ。
724朝まで名無しさん:03/02/23 15:18 ID:+5F4p+P8
>>723
スマソ。
朝鮮だった。
725朝まで名無しさん:03/02/23 15:25 ID:6nE+2EQU
>>723
中国の始皇帝の命令により、不老不死の薬を探しにきた方術師、という説もあるが。
726朝まで名無しさん:03/02/23 15:28 ID:SKXRsfDP
>>723
「有力」てのはキミの脳内でって意味だよね。
倭国はそれ以前から朝貢して金印まで貰ってる。
そのころ、朝鮮に有力な部族っていたのか?
2,3世紀に入ってきた技術って何?
史実から離れた妄想に逃げるのはあの民族の習慣だって知ってはいるけど。
727朝まで名無しさん:03/02/23 15:41 ID:YrnNQamZ
>>726
横スレ悪いが、2、3世紀と言えば、当時のより進んだ稲作技術や
冶金技術じゃないの?
728朝まで名無しさん:03/02/23 15:51 ID:oY5IsMHP
>>727
「より進んだ」稲作技術が、「2,3世紀に」、「朝鮮から」入って来たという根拠は?
以上「」で括った3点について答えて。
729 :03/02/23 15:55 ID:7YKM3Jl5
>>720
その主張は概ね 正しい。
大王家は、少なくとも古墳時代から営々とあり、
記紀の編纂者もわからないほど、歴史が古かったね。

ただし、大王家は、南朝に朝貢していたので 中華体制に入っていた。
歴史にその「天皇としての独立性」を表したのは、
600年を超えて、隋にこちらも天子という主張をはじめたときから 
と見るのが妥当ではないか?

では何によって、 天子になったのか?
0・ 南朝(漢王朝がほろび)東アジアから漢王がいなくなったときに表明された。
1・ 蘇我氏の血族天皇の時代 にそれはおきた
2・ 蘇我氏の力の源は 東漢氏といわる
3・ 東漢氏は 雄略帝のころ呉から来た技術者が移り住んだ土地の氏の総称。
   古くは、応神帝の代、楽浪郡の崩壊で漢人が彷徨う南韓征伐にいったおり、
   百済からつれてきた漢人の集団である。 (自称 漢の高祖の子孫)
   (百済系 というのはそれを持って言われているが、以上の事実によりそれは
    漢人と断定できる)
4・ 朝廷での文書 作成も東漢氏 教育も東漢氏

この事実から推測されるのは、 朝廷は漢人の漢王朝思想の洗脳を受け
南朝滅ぶのを見て漢人は、日本の倭王を 天子として認めたということだ。
これは、漢人からみても日本の倭王のレベルは、中華の天子は勝るとも劣らない
歴史と力を持っていると判断したのだろう。
記紀のもとになる伝承もまた東漢氏により書き留められていたと想定されるが
それは、倭王の神代からの伝承を、漢人に認めていたと想定される事である。
応神や雄略の代につれてこられたこと。 応神の祖先が神に繋がること。
漢人が倭王の神聖を認めていたからだ と私は思う
730朝まで名無しさん:03/02/23 15:58 ID:Ul0Co/We
>>728
2、3世紀かどうか知らないが、奈良盆地で徐々に耕作できる
土地の種類が増えてきたことは証明されているよ。

また、鉄器、青銅器が海を越えてもたらされたの常識でしょ。
731朝まで名無しさん:03/02/23 16:29 ID:stR5201P
>>730
「鉄器、青銅器が海を越えてもたらされた」、これじゃ答えになってない。鮮人がそういう技術を持っていたのなら、なぜ倭国に負けた?
奈良盆地での「耕作できる土地の種類」とは何? 湖だったのが干上がっただけだろ?

>>729
天子を称したのは、鮮卑が隋を建国したからでしょ。同じ立場になったって思っただけ。
732朝まで名無しさん:03/02/23 17:06 ID:KkQHVJO3
>>731
あのう、海戦で新羅+唐に負けたのは大和朝廷の方なんですけど...
あなた日本史知らない...あそう。

湖が干上がっただけでなく、灌漑技術の進歩もあったよ。
湿田→乾田へもね。
733朝まで名無しさん:03/02/23 17:13 ID:oY5IsMHP
>>732
あのー、2,3世紀の話なんですが。
唐に負けたからなんでしょうか?

>技術の進歩もあったよ。
それが鮮人の技術に拠るものだという根拠は?

やっぱりキミはあの卑しい妄想癖のチ(ry
734朝まで名無しさん:03/02/23 17:18 ID:ptNDxGRT
>>733
あなたは、朝鮮には優越感を持ち、中国には敬意を持っている人
なの?

歴史をそういった先入観で見ても面白くないよ。
735朝まで名無しさん:03/02/23 17:25 ID:iWVIc5iQ
>>734
別に?
736朝まで名無しさん:03/02/23 17:28 ID:QYM4OKV5
つーか中国も朝鮮もウン(略
737朝まで名無しさん:03/02/23 17:29 ID:ptNDxGRT
>>736
だからそんな先入観で歴史を見るのは間違いだって。
738朝まで名無しさん:03/02/23 17:34 ID:WHQrt4q8
遺伝子調べりゃいいだろ
と思いマスタ
739エノキ ◆aATpbJGovQ :03/02/23 17:38 ID:LaJJ9/7A
↓のスレで、神武天皇BC660年即位説を唱える馬鹿が暴れています(w

http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/kova/1044894814/l50
今日は建国記念日なわけだが・・・

83 :名無しかましてよかですか? :03/02/23 07:13 ID:fhJ1r2+m
>>74
>しかしここで現行2・11を擁護してる人って、誰一人として「BC660年2月11日
>に神武天皇が即位したのは事実」とは主張してくれないんだねえ。そんな日を

え? そうなの? じゃ漏れがそう主張するよ。

89 :名無しかましてよかですか? :03/02/23 14:48 ID:eqD4t4Pg
>>88
「BC660年2月11日に神武天皇は即位していない」って証明してくれ。
740朝まで名無しさん:03/02/23 17:40 ID:6nE+2EQU
>>737
歴史はフィクションですよ。 

数ある事件の中から何を選ぶか。そこには先入観が入り込む。
それをどう評価するか。そこにも先入観が入り込む。

フィクション。

741朝まで名無しさん:03/02/23 17:54 ID:OtEGQQd0
「西暦57年 倭の奴国王が光武帝から印綬を与えられた」と後漢書に書かれている。
また、九州で発見された金印には「漢委奴国王(漢から全てを任せられた奴国王)」と彫られている。
このことから、1世紀頃の倭を代表していた勢力は奴国だとわかる。
「奴国」は一般的にナコクを読まれているが、
「国」はラと読めるらしい。「奴国」でナラである。

魏志倭人伝では、
「奴国」は伊都国の近くにあり女王国に従っている国。
「拘奴国」は女王国に従っていない国。
となっている。

「拘奴国」は一般的にクナコクと読まれているが、「国」はラと読めるので、クナラとなる。
「クナラ」は古いナラ・旧ナラという意味だと思われる。
女王国が勢力を伸ばしたとはいえ、奴国は漢から金印を与えられた大国である。
奴国の勢力は、少なくとも拘奴国と奴国に残っていたはずである。
奴国に拘った人々が女王国に従わない国、拘奴国をつくったのである。
742朝まで名無しさん:03/02/23 17:55 ID:OtEGQQd0
魏志倭人伝には、女王卑弥呼は、混乱した倭を安定させるための代表である。と書かれている。
当然混乱した倭の中で、一番大きい勢力は奴国だったはずである。

魏志倭人伝には、
・伊都国にある戸数は千余戸。
・伊都国には代々の王がいて女王に従っている。
・魏からの使者は皆伊都国に留まる。
・邪馬台国より北にある国々は、伊都国の一大率が治めている。
と書かれている。
なぜ千余戸しかない小国 伊都国がこれほどの力をもっていたのだろうか。
おさらく倭の一番大きな勢力である奴国の代々の王が伊都国にいたからである。

魏志倭人伝には、
卑弥呼の姿は殆ど誰も見たことがない、卑弥呼はまじないをしている。
伊都国の一大率のことを皆恐れている。魏からの使者は皆伊都国に留まる。
と書かれている。
引きこもり的な生活をしながら まじないばかりをしている卑弥呼に実務ができはずがない。
実際の政治は、伊都国にいた奴国の代々の王家がおこなっていた。
ということになる。

そして、伊都国にいた奴国の代々の王家こそ、天皇家の祖先と思われる。
魏志倭人伝によると、女王国と拘奴国は戦争をした。
結果どうなったかはよくわからないが、
大国奴国系の勢力である
奴国(ナラ)は幾内に移り住み奈良(ナラ)をつくりヤマト朝廷をつくった。
拘奴国(クナラ)は朝鮮半島に移り住み百済(クダラ)をつくった。
倭国と百済が長い間友好関係にあったのはこのためである。
743朝まで名無しさん:03/02/23 18:13 ID:p28/9w/H
>>741
「国」がラと読めるとは、どこの言語での事でしょうか? 少なくとも日本語ではない。
仮に、ナラとよめたとすれば中国側では、奴羅国とでも書いたでしょう。

また「クナラ」が「古いナラ」なら、ク=古い ですか。それは何語ですか? まさか中国語の「古」の音読みとかw どうしていきなり中国音が。

>>742
どうしても、倭国とあの民族を結びつけたいようだが、ちゃんと政務は卑弥呼の弟が執ったってかいてあるでしょ。

アホクサ。妄想捏造民族。
744 :03/02/23 18:25 ID:7YKM3Jl5
中華>朝鮮 について
 さっきから、先入観がどうのこうの言う奴がいるが、
おまえの妄想と事実が違うからといって、それを先入観といわないように。

倭国は、漢の影響は受けた事はあっても、朝鮮の影響を受けた事は 
一ミクロンもないのよ。 あっ一ミクロンだけあるね、
(飛鳥寺の配置は、楽浪郡崩壊後の高句麗で先例のある寺の配置と同じだった。)
745朝まで名無しさん:03/02/23 18:31 ID:ptNDxGRT
>>744
>飛鳥寺の配置は、楽浪郡崩壊後の高句麗で先例のある寺の配置と同じだった
そう、よく勉強したじゃん。
飛鳥寺、法隆寺、その他奈良の初めのころの寺院は朝鮮からの技師が
焼いた瓦でできている。

文化はパクリ、模倣によって伝播する。

現代の日本語なんて米国語イッパイ入っているし、古くはポルトガル
語の影響もあったりする。

それ自体は悪いことじゃないよ。
746朝まで名無しさん:03/02/23 18:34 ID:jSf6sxZM
>>753
やまとことば。
天皇は、スメラミコト。
1、2、3は、ヒ、フ、ミ。
なだらか(平地)・なぐ・なだらかは、ナ。
国は、ラ。
旧は、ク。
奴国、平野にあった国だから、ナラと呼ばれたんでしょうね。

>政務は卑弥呼の弟が執ったってかいてあるでしょ。
正直、魏志倭人伝にはそんなこと書いてありません。
漫画かなにかに書いてあったんですか?(w
747朝まで名無しさん:03/02/23 18:40 ID:Fk7B8DMV
>>746
キミ病院行きなさい。
倭人伝も読む必要なし。

>国は、ラ。
根拠いえ、バカ。

>旧は、ク。
中国音がどうして出てくるんだよ。
748 :03/02/23 19:17 ID:7YKM3Jl5
>>745

ほら、すぐ調子に乗って虚構をつくる。
そこで「朝鮮」という文字をもってくるから、
反発をくらうんだよ

正しくは、蘇我氏が百済王に頼んで、漢性を持つ技師を数年呼び、
東漢氏を棟梁とするチームで 飛鳥寺を作った っていうのが正解。
そもそも、百済は南宋から仏教をリアルタイムに学んでいる時期。
それを、さも朝鮮に先行文化があって、それに遅れて日本が学んだとしてるという虚構を
信じ込まされてきたのが戦後教育なんだな。

南朝ー百済ー倭国は 同文化ラインであり 
同時代制を帯びて仏教文化を共有してきたところ。 
さらに、東漢氏は何度も前出だが、漢人。
高句麗で前例がある配置と一緒 とはいえ、
そこは元 漢王朝が400年栄えた場所なんだよ 
749朝まで名無しさん:03/02/23 19:24 ID:SH+eUoMA
>倭人伝も読む必要なし。
漫画を史実だと思ってる厨。
卑弥呼の弟が政務って、手塚の火の鳥でしたね(藁
750ある年寄りから:03/02/23 19:58 ID:zNPrOS0M
>>749
そうかあ?
手塚が火の鳥を書く前から弟の話聞いたぞ!
751ある年寄りから:03/02/23 20:05 ID:zNPrOS0M
http://www.inoues.net/yamataikoku/nyumon/wa12.html
ほれ!

>>749
あなたこれどうするの?
752朝まで名無しさん:03/02/23 20:05 ID:SemTU1QO
>>749
おまえが火の鳥しか読んで無いことの証明w
倭人伝にかいてあるのに。大バカw
753朝まで名無しさん:03/02/23 20:11 ID:SemTU1QO
こっちでもいいんだが、読めるなら
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/gi-toui.html
754朝まで名無しさん:03/02/23 21:09 ID:Bvc5Y5VP
>>753
「有弟佐治国」

弟がいて政治を助けている、というのは誤訳。
弟はサチ国にいる、が正解。
755朝まで名無しさん:03/02/23 21:25 ID:oPQ/tEl+

嫌韓なんて明治の頃に大陸に植民地を求める
時の大義名分のために作った虚構だよ。
それをまともに信じて古代史に
まで求める人がいるのか。ヤレヤレだな。
756 :03/02/23 21:40 ID:7YKM3Jl5
>>755

このスレでは、誰ひとり、嫌韓などと言っていないが?

しかも、明治のころの大義名分?って相当妄想がスパークしてるね
757朝まで名無しさん:03/02/23 21:42 ID:oPQ/tEl+
>>756
朝鮮は好きですか?
758朝まで名無しさん:03/02/23 21:54 ID:ulsGASFj
オトサチ国か? デサチ国?
どっちにする>>749
759757:03/02/23 22:04 ID:MUjh/kuw
>>756
「返事がない。ただのしかばねのようだ。」
760朝まで名無しさん:03/02/23 23:22 ID:jVkYnxMC
倭国の倭は蔑みの意味。
邪馬壱(台)国の邪も汚い言葉。
卑弥呼の卑も卑しい。おそらくは、「日」と日本側は主張したいところだろう。「日弥呼」というように。
中国側は明かに差別していたね。当時。
ワケのワカらん小国と思っていたんだろう。
761朝まで名無しさん:03/02/23 23:30 ID:zNPrOS0M
>>760
まあそうだろ、中華ってくらいだからさ。
日本は当時トンデモへんぴな場所であった。

殷、周、秦、前漢の時代日本は...だものな。
762 :03/02/24 00:11 ID:3v3Ir67/
>>761
日本には、1万2千年前から続く世界最古の
集落地域ですが? 

魏帝は後は 鮮卑に 中華を乗っ取られたんだんだよ
「鮮卑」よりは「倭」の方がいいだろ

ちなみに、「倭」の語源が蔑みってのソースをくれよ
763朝まで名無しさん:03/02/24 00:27 ID:PZKWSgJN
>>762
集落とか言っても、採取生活でしょ?
農業とは認められていないよ。

倭って漢字そのものが意味を持つのよ。
これ漢字の特徴、あなた日本人?漢字理解していないみたいだけど。
764朝まで名無しさん:03/02/24 00:50 ID:zoSv8EVH
>>763
横やりを入れるが「倭」という字は、差別語というわけではない。
したがう・従順な様子、つつしむさまといった意味だから、簡単に
言えば人が委ねる様子を「倭」という。
漢風にいうと礼儀をわきまえている、ということだから意外にいい
言葉かも。
765 :03/02/24 00:56 ID:3v3Ir67/
>>763

アホ?
同一地域に1万年間集落が発展してきた地域が
アジアのどこにあるんだ?
東アジア最大の人口集積エリアが日本列島

倭 って漢字が蔑む意味を持つって
ソースを早くだせよ
766朝まで名無しさん:03/02/24 01:20 ID:zoSv8EVH
>>748
>正しくは、蘇我氏が百済王に頼んで、漢性を持つ技師を数年呼び、
>東漢氏を棟梁とするチームで 飛鳥寺を作ったっていうのが正解。

しかし崇峻天皇元年に百済から来た技師の名前はどう見ても漢人に
は思えんぞ。「たらみだ」とか「もんけこし」とか。
それと元興寺の伽藍配置は本家中国には見られず、高句麗に見られ
るっていうのをどう考える?
767 :03/02/24 04:15 ID:3v3Ir67/
確かに、高句麗は、日本より150年早く仏教を取り入れているので
漢人以外の仏師がいてもおかしくない。

ただし、仏教様式の分析系では、百済式 新羅式 高句麗式
などと、日本中心史観になっている。
日本にだけは、百済式 新羅式 高句麗式 梁式 北式
が入ってきたというのだ。 日本式はないらしい アホか
仏教は、当時最先端の共有文化でそれぞれの国が日本と同様
周囲から仏師を共有している。
日本を中心に、それぞれの国の様式を国別にわけて
それが成立すると思っているところがバカ。
とくに、500年代後半は、新羅、百済とも
南朝、北朝から 仏典、僧侶、建築 を 輸入しているのだ。
三国史記 をみろ 彼らも当時努力してるのだ。
それは同時代的に日本に入ってきているだけである。

ちなみに、漢人かどうかわからないその名も漢人だろう
例えば 「止利」 その飛鳥寺の仏像を作った有名な
百済人の仏師だが、もともとは司馬氏であり中国人である。
768朝まで名無しさん:03/02/24 06:03 ID:T2z5JwdB
>>765
チミのような物言いは好かれないよ。
と一言釘をさしておく。
倭人というのは中国の中枢国の外側に置かれた民族をさして呼ばれたので散在している。
中華思想で、外様は蔑視されていたと言ってもいい。
古くは揚子江以南地域にいた民族を倭人と呼んでいたが、彼等は水人だったために流れにまかせて各地に散った。
以後、騒乱の元となる民として蔑視されていた。
前漢当時、内蒙古や旧満州方面にも倭があり、南朝鮮にも倭という国があった。
偏狭地域の難民を含め、あるいは政治力の及ばなかった水人居住地域の蔑称であったというのが通説。
日本の辞書引いてもそういうことは書いてない。
せいぜい「したがう」とか「つつしむ」ぐらいで濁されている。屈辱的な言葉だから。
日本は昔、その意味をよく認識していなかったので、「大倭」などと自ら名乗ってしまった歴史を持つ。
急ぎ、倭を「和」と変え「大和」とした。
769朝まで名無しさん:03/02/24 08:04 ID:LqJCKWWJ
倭は「人」と「委」の合成であることは字を見ればわかるわな。
「委」は、禾と女の合成。禾は禾本科植物のことで、麦や稲のように穂の頭が垂れる植物の象形。
それに女が加わると、「従順」「従う」という意味になる。それに人偏が付くと隷属的な意味を示します。「うねうね」とか「くねくねとしなを作る」という意味となり、良い言葉のニュアンスなどみあたりません。
礼儀をわきまえるなどというものではなく、胡麻擂りポーズを意味します。
768も言っているが、中華思想が強かった時代のことだ。
蔑視される民は多くいても当然。
自分たちは違うと言っても、中国側はお構いなしにひどい名を与えていた時代だ。
770朝まで名無しさん:03/02/24 11:52 ID:o++UayPX
>>741-742の続き。

「奴国」はナラ、「拘奴国」はクナラ、と読む。
ナは、なごやか・なぐ・なだらかのナで、平地。
ラは、こちら・あちら・我ら・むらのラで、
事物方向場所などおおよそ同じような立場にあるものを指す言葉で、国。
クは、くねる・きゅう・おくのクで、急に曲がっているところのことで、
奥にあるものは古いものなので、きゅうという言葉が旧という意味をもつようになって、旧。

ちなみに、楢(ナラ)の木の語源も同じで、楢は日本の平地(ナ)に普通に分布している(ラ)。

熊本県の公式サイトによると熊本のマには平地という意味がある。
つまり、ナ(奴)が なまって マになったのである。
それから、熊本県の南部には球磨郡というところがあって、
キュウマ(球磨)と書いてクマと読むそうだ。
やはりクにはキュウ(旧)という意味がありそうである。
771朝まで名無しさん:03/02/24 11:53 ID:o++UayPX
ナが なまって マになった・・
おそらく熊本・球磨(クマ)こそ拘奴(クナ)国のあった場所なのであろう。
球磨は、神話の舞台になっている。

「大和のヲスノミコトが、球磨の熊曾武(クマソタケル)兄弟を殺し、皆から日本武(ヤマトタケル)尊と呼ばれるようになった。」
という神話である。

ヲスノミコトには大和の年少の男という意味があり、
「曾」には一代前の祖先という意味がある。つまりこの神話は、
「日本の一代前の祖先にあたる国は拘奴国である。
大和の年少の男は、拘奴国の兄弟を殺し、日本武(ヤマトタケル)と呼ばれるようになった。」
と読むことができる。

この神話を信じるなら、日本の一代前の祖先にあたる国は邪馬台国ではなく、
日本の一代前の祖先にあたる国は拘奴国(邪馬台国の敵国)。ということになる。
772朝まで名無しさん:03/02/24 12:00 ID:Szwj8Dho
タイホー、 ツーホーシマスタ、祭りキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

ヴァカな>>1が本名まで書いて(w 皇居にテロ予告しますた

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
皇居にサリン
http://live2.2ch.net/test/read.cgi/news/1046051988/1
1 :金 :03/02/24 10:59 ID:FFDT5Eux
撒いたら面白い
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
773朝まで名無しさん:03/02/24 12:01 ID:o++UayPX
ついでに、、
現代韓国語では国のことをナラと言うらしい。
だからチョンは、奈良の語源は韓国語のナラである、と主張しているが、
逆である。
ナラは古代のやまとことば。
現代韓国語のナラ(国)の語源はやまとことばのナラ(平地にある国)である。
774 :03/02/24 14:09 ID:3v3Ir67/
>>768
偏狭の地に住んでいる 人を指した言葉だから→ 差別語の意味があった
て事だろ。   字意に蔑の意が入ってるとならないだろ 

日本人が韓国人を蔑んでいたから、以降 韓という言葉は蔑みを意味するようになった。
というのは、別に 韓 という言葉に蔑みが入ってる って理解したら アホだろ
日本人が勝手にバカ言ってるだけ。

>>769
説得力がまるでない解説なのだが?
その程度のこじつけを断言系で語って恥ずかしくないの?

「倭の漢字には、蔑みの意味が 入っていた!」
ってのは 捏造 だった と決定してよいか?
775朝まで名無しさん:03/02/24 16:07 ID:h90q8aDv
>>768
>前漢当時、内蒙古や旧満州方面にも倭があり、南朝鮮にも倭という国があった。
偏狭地域の難民を含め、あるいは政治力の及ばなかった水人居住地域の蔑称であったというのが通説。

妄想人間か? ソースを原文で出せ。

中国人は周囲の異族を卑字で表したって常識をまだ分かって無い奴がいるのか?
大概の民族名や総称名には、ケモノや虫を指す字が入っている。
人偏の倭は卑字には違いないが、まだましって所だ。
東方の民族には礼が残っている、なんてことを確か孔子も言ってただろ。
776朝まで名無しさん:03/02/24 18:47 ID:f+d0xEeP
まあ、結局じゃ見下されていたのはたしか。
倭人側は一所懸命に朝貢しても扱いはそんなもの。
馬鹿日本人が朝鮮民族を見下してるのと同じだ罠。
777朝まで名無しさん:03/02/24 19:00 ID:RBUUNdRN
中国が異民族を見下すのは、中華思想による観念的なもの。
日本人が鮮人を見下すのは、卑劣さ愚劣さを実体験してのもの。
778朝まで名無しさん:03/02/24 19:18 ID:sslaY0I7
2ちゃねらーは救いのない難民のようで。
さらばじゃ。
779朝まで名無しさん:03/02/24 19:35 ID:Fl2bBEVh
おい、おまえら
世界にはエジプト文明とか、黄河文明より
すごいのがあるだろ
日本と中国のことなんてどうでもいいよ
780朝まで名無しさん:03/02/24 20:26 ID:xur2S4w0
関東大震災と敗戦という2大国難時に日本人を襲撃した
781朝まで名無しさん:03/02/24 20:37 ID:X6OHJjM6
>>779
メソポタミア文明やインダス文明も凄いです。

沖縄県の海底には古代の地球温暖化による海面上昇で滅びた
未知の古代文明があると説を唱える人々がいますね。
782 :03/02/24 20:40 ID:3v3Ir67/
あーそれは、世界最古の土器を生産していた
アムールから縄文土器の文化ですね。

縄文文化には、さすがの倭王もかないません
783 :03/02/24 20:43 ID:3v3Ir67/
なんだよ 倭の説明なしに、逃げんのか778

倭人という呼び名が、アジア全域にある って話が
妄想なのかソースがあるのか はっきりしろよ!
微妙に気になるんだよ
784 :03/02/24 21:02 ID:3v3Ir67/
韓国人を見下してなんかねーよボケ!
敵として認めて恐ろしい奴らだと思ってんだよ!

ちなみに、韓国の歴史感はこのスレの妄想レベルを遥かに凌駕してるんだよ
奴らの想像力はすごいよ

まず、百済は、大和と遼東と南朝 と 連なっている 大文化圏を形成していた
    新羅は、九州・中国東北満州から北朝にかけて  大文化圏を形成していた

半島は、それぞれの文化圏のぶつかり合いの場所でしかも、本当の首都は
それぞれ 百済と新羅にあった という 総大なドラマを信じてる奴が
歴史学者の中を筆頭にごまんといるんだよ

日本に影響なんてもんじゃない、中国そのものをリードしていたのが半島なんだよ
785朝まで名無しさん:03/02/24 21:10 ID:KLGXlW5W
そうかここで書いてる奴はまだ良心的な方だったのか。
いじめちまったよ。スマソw
786朝まで名無しさん:03/02/24 21:22 ID:KLGXlW5W
倭人が日本近辺以外にいたという証拠は全くないはずなんだが、
広まってるよな。鳥越以前にそれをやった学者がいるんだが誰だったかな。
787朝まで名無しさん:03/02/24 21:41 ID:iZHbFuAm
>>783
778ではないが、倭人が日本だけを指す呼び名ではないと主張する
香具師の根拠は
1.『論衡』(後漢代1C頃)
 >周の時、天下太平、越裳白雉を献じ、倭人鬯草を貢す。
 >成王の時 、越常雉を献じ、倭人暢を貢す。

越裳・越常は江南の越民族、鬯草・暢は南アジア原産のにおい草。
ということでここでの倭人は南アジア人らしい。。。

2.『後漢書』鮮卑伝
 >倭、善く網捕するを聞き、是において、東のかた倭人国を撃ち、
 >千余家を得たり。

内蒙古の鮮卑族が東の倭人を攻めた(178年)、日本はモンゴルの東
ではないので、この倭人は別種族らしい。。。
788朝まで名無しさん:03/02/24 21:53 ID:x08X7fHk
>>787
まず、越と倭人が近くにいたとは書いてない。
朝貢があったことを示す文だから、むしろ方角は違った方がいいだろう。
鬯草については実態はわからないのじゃないか?

倭人が北朝鮮、黒竜江あたりに進出してたら方角の問題はクリアするんじゃないか?
4世紀には高句麗とも戦っていたから、おかしくはないだろう。
789朝まで名無しさん:03/02/24 21:58 ID:FAwU/9zv
天皇って人間だろ、切れば血が出るし、死ぬよな。天の皇子でも何でもないのに
なんでわしらの税金たんまり使ってんの?実際なんであの方達が広い邸宅や
ただで暮らしてんだか、学校ではきちんとおしえてくれなかったんだよな。
なんであの方達が「天皇」一族って呼ばれて、われわれ平民と違うんだね。
早く答を教えてくれ。
790朝まで名無しさん:03/02/24 22:10 ID:OYBxl0iA
お金持ちの子供は、そうでない子より恵まれてるだろ?。
大地主の子は、そうでない子より恵まれてるだろ?。

天皇は日本の創始者か、それとも日本国のオーナーかな?。
791朝まで名無しさん:03/02/24 22:24 ID:X6OHJjM6
日本列島が未開の地だった大昔、
当時文明があったシナ大陸から追い出された一族が、
日本列島にたどり着いて、日本列島の先住民に対して
中華文明の技術を見せつけて、
「どうだ凄いだろう!なぜならば私は天から降りてきた神なのです!我を信じよ!」と宣言して、
文明を知らぬ日本列島の未開の先住民がこれにいとも簡単に騙されてしまった。
これが天皇制の起源です。
悪く言えば、無知な人々を騙した、要するに詐欺ですな。
792朝まで名無しさん:03/02/24 22:27 ID:6p0XTCVv
>>791
妄想は日記にでも書け。

>>787
成王之時,越常獻雉,倭人貢暢。幽、?衰微,戎狄攻周,平王東走,以避其難。至漢,四夷朝貢。

漢にいたりて、四夷朝貢す、って言うんだから、周の時は2方面(南と東)しか朝貢して来なかった、って意味じゃないの?
793tr:03/02/24 22:29 ID:sNjeF0iu
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794朝まで名無しさん:03/02/24 22:32 ID:iZHbFuAm
>>788
論衡は書かれたのは後漢代だが、倭人朝貢の記事は周代だから紀元前1000年ごろ、
当時は縄文時代だからなあ。。。
縄文人の航海力を否定する気はないが、わざわざ周王朝に朝貢するメリットもない。
鬯草については指摘の通り、実際はよく解っていない。たぶん南アジア原産のにおい草
であろう、と言われている。
後漢書も倭人が中国東北部にまで2世紀の段階で進出していたか、となると疑問。
実際、後漢書では倭人は楽浪海中だからねえ。
上記の2つの記事を踏まえて、鳥越あたりは、倭人は江南の異民族の「百越」の一つだ、
っていう説を主張するよね。
795朝まで名無しさん:03/02/24 22:50 ID:oYqswRzt
同じ「倭人」と言う言葉を使って、異なる実態を指したと考えるのは無理があるのではないか?
本文に「倭人は・・に在り」と書いておいて、異なる倭人をいきなり書くというのは、信じられないことではある。これを差し置いて、他にも倭人がいた、と平然と書いた、と想定するのは、想定する側に無理を感じる。

縄文土器が黒竜江沿いに残されていると言うことだし、縄文時代の朝貢が全くなかったとは言えないのでは。陸稲栽培の技術は多分中国から伝わったのだろうし、交流はあっただろう。
また孔子が東夷について知っていたと言われるが、その時代は6世紀?頃だから、縄文時代に東夷についての情報はあっただろう。確か、筏に乗る、とか言っているから陸地では無く、海中を考えたのでは。
796792:03/02/24 22:56 ID:oYqswRzt
自己レスだが、
戎狄攻周、とあって、いわゆる西戎と北狄が周を攻めた、というわけで、
つまり周は、東(倭)と南(越)からしか信望を得ていなかった、という異臣で、
バッチリなんだが。
797792:03/02/24 22:57 ID:oYqswRzt
異臣→わけ
なんでこうなったのかしらんが。
798名無しさん:03/02/24 22:59 ID:W+U5XKrU
一部の人々は、「倭人」を日本人と解釈するから
ワケわからんくなるのでは?
同じ文化的特質を有しており、中国や日本や朝鮮、
東南アジアにまたがって居住が認められる
アジア系の一種族ってことだろ? 
799792:03/02/24 23:03 ID:oNYvceXD
別にそういうわけじゃないよ>>798
倭人の確実な居住地は日本列島近辺しか、文書ではたどれない、ということなんだけど。
仮に似たような民族が中国大陸にいたとして、何故それが「倭人」なのか。
普通、違う名称でよぶだろ? 倭人がそんな大勢力だったって証拠は全くないのに、あえてそう呼ぶことがおかしい。
800名無しさん:03/02/24 23:11 ID:W+U5XKrU
それから「倭」は良くない意味だが、鮮卑とか、狗奴韓国とか、
漢民族が他の民族を卑小に呼んでいたのは有名。
中国大陸にいた他の民族もひどい呼ばれ方で、倭国に対して
だけだと思ったら大間違い。
中華民族の自己中心的ないやらしさ、差別感がよくでている。
801名無しさん:03/02/24 23:16 ID:W+U5XKrU
>>799
あえてそう呼ぶことがおかしいって、「論衡」に対して言ってるの?
「論衡」では倭人が大勢力なんて書いてないのでは?
長江近辺にいた越人を、漢民族が同じ発音の「倭」を使って
卑しめて書いたのでは?
802名無しさん:03/02/24 23:22 ID:W+U5XKrU
普通の言い方=>漢民族の悪口表記
「日巫女」 =>「卑弥呼」
「越人」  =>「倭人」
みたいな。
803792:03/02/24 23:32 ID:WiUUnfut
>>802
「そう呼ぶ」じゃなくて「そう主張する」かな。
まず、「倭人」と呼ばれる大勢力が中国大陸から日本列島に居たという証拠は無い。
またもしそのような民族がいたなら、もっと頻繁に歴史に現れた だろう。
ところが、日本列島以外の可能性wぽ持つ「倭人」の記事は極めて少ない。
だから、そのような存在を考えること自体おかしいいんじゃない か、って事なんだけど。
また古代において、広い地域で、単一の特徴を維持して同一の名前を持つということは、難しいのではないか?
キョウドや、センピのように大部族に発展しない限りありえないのでは?
普通、異なる地域でことなる首長の支配下にいれば異なる名称で呼ばれる はず。
「倭人」の名称の出現のしかたは、大部族と考えると奇妙だと思う。
804朝まで名無しさん:03/02/24 23:44 ID:/acFYn0b
>>799
だから、倭人というのは、特定の種族を指すのではなく、認められていない民をそう呼んだにすぎない。
「流民」とか言うだろう。だから、散見できるわけ。

倭とういのは随分後世まで残り、海賊を「倭寇」なんて呼んだだろう。
海賊は礼儀正しいかい?
805朝まで名無しさん:03/02/24 23:48 ID:oPzs8kIT
>>804
>だから、倭人というのは、特定の種族を指すのではなく、認められていない民をそう呼んだにすぎない。

だから、その証拠はないんだよ。「倭人」がそのように使われた、という証拠がない。そんな記述などない。
僅かな「倭人」についての記述を、根拠と結論にしている。
その説は想像の産物なんだよ。
806名無しさん:03/02/24 23:55 ID:W+U5XKrU
漢民族が「越人」を卑しめて「倭人」という表記で記録したのでは?
807朝まで名無しさん:03/02/25 00:03 ID:qzgK0ORN
>>806
論衡の記述は並んでおり、そのように考える必要はないだろう。

後漢書では、センピとの間の関係だからそのように考える必要はない。

異族の名称は大概卑字だよ。「倭人」だ出るたびに侮蔑の感情を込めたというようにの読めない。只の異族の名称に過ぎない。
808朝まで名無しさん:03/02/25 00:41 ID:PlpOCc8p
じゃ、正解を書くね。

「倭」は、日本人を指す言葉。
「倭寇(ワコウ)」と呼ばれた海賊の中心は日本人。

「倭」に蔑みの意味にあるか?
「委」は目下の人に使う言葉で、対等の立場とは見てない。

ただ「倭(ワ)」は、割れる・別れる・分けるのワで、
異民族・異文化・外人というニュアンスはある。
809朝まで名無しさん:03/02/25 00:44 ID:gDPTBjIC
倭寇とわざわざ呼んだのは、蔑みだろう。
810 :03/02/25 00:54 ID:0cn4s5Cg
倭人は異人種だ。
異人種には卑しい言葉が使われていた。
だから 倭 は卑しい言葉に違いない。
中原に倭がいた記述があるが、卑しい言葉である倭を関する異人種が
中原にいるはずがない。
・・・て
おまえら、知能指数 低すぎないか?
根拠と結論が一緒だって

倭は一文字表現で 中華では本来異民族に一文字表現は使わん

■越 呉 倭 に 共通する特徴は、 
魏志倭人伝にある 全身刺青だろ
稲作のDNA起源の同一だろ
長江文明 が 太陽崇拝だろ

倭人が中原にいて、異民族の特徴をもってると思うか?
漢族と同族にしかみえないだろ

811朝まで名無しさん:03/02/25 01:04 ID:tIwEs5zJ
>>764
倭には衰えるといった意味があると聞いたが?

>>765
おらが、村は日本一だああってか?
見苦しいよ。
812朝まで名無しさん:03/02/25 01:11 ID:tIwEs5zJ
過去、自分の国を中華と読んだ尊大な民族が、日本のような中華
にとっての辺境地域をして尊敬の意味を持つ言葉で表すわけも無
いと思う。

ギリシャのバルバロイだの、世界共通の傾向すら認められない、
なんて一体何故?
813名無しさん:03/02/25 01:13 ID:9L1nlmC7
>810
何を言いたいのか良く判らないんだけど。ちゃんと勉強してる人は、
倭人は、黄河流域にいた漢民族とは違うという解釈だと思うけど。
漢民族からしたら異民族で、黄河(中原)文明より古い長江文明を
担っていた人々の一部。ということで、OK? 
814 :03/02/25 01:16 ID:0cn4s5Cg
大体、紀元前1000年前のことを記述した史書だろ、
おまえら、事実だと思ってるのか?
 
「周王に 倭と越から 朝貢にあった」

って 表現から読める最も重要な事はな、
1世紀の漢の感覚では、
朝貢にくるような隣国として東の民 「倭」 と 南の民 「越」
が相応しい ってことだろ、 北と西は危険なんだよ
1000年前から、東に倭 南に越 が当然いたんだろう って思われてるのも
重要。1000年前に朝貢にくるくらい文明度があったろう と記述できるくらいの
文明度が高い思われてるのもポイント。
どこにあったかじゃなくて、 倭 の扱いが重要なんだよ。
そして、 千年前から登場してたと錯覚するくらい普遍的な東方の民 として
「倭」という一文字が受け継がれてたってことだろ。



815朝まで名無しさん:03/02/25 01:16 ID:gDPTBjIC
>>812
同意。
だからと言って、日本人が熱くなることもないだろう。
中国側の観方なんだから。
実際、卑屈にならんほどひどい国ではなかっただろう。
文化は中国に遅れていたとしても。
816 :03/02/25 01:26 ID:0cn4s5Cg
>>812
おまえは、 昭和20年代のような教育うけてんな、
中華ってな、地域の事だろボケ!
中華と同じく 中原 ってのもあるんだよ

中原を制したものが中華を制す ってことで、

大陸の各民族が争うってことで、中華民族なんて人種は存在しねーの
民族優位を表す表現だと勘違いしてるバカが!
中華思想ってのはそういう意味な 

817名無しさん:03/02/25 01:35 ID:9L1nlmC7
何だか話しがかみあってないね。別に漢民族が倭を含めて
異民族を卑しい漢字で表現していたからって、
それは漢民族の傲慢さの証しであって、
他の民族が気にするようなもんじゃ無いから、自分は全然気にならないのだが。
818 :03/02/25 01:50 ID:0cn4s5Cg
だ・ーーか・ーーーら

倭 に卑しい意味が込められてるってソースを出せよ!
から はじまったんだよ
その常識、本当にそうなのか? って話だ。
すると、あるレスはこういう、
「倭は異民族なので異民族には差別語が使われてるのが普通」
あるレスはこういう、
「倭は、文字を分解すると、人にゆだねる、女性的な、言う事を聞きなさいてきな・」

それだけ? それだけのソースで 倭は卑しい意味が込められてるとか
常識化させてんの? おかしいんじゃねーの? おまえらアホ?

って 段々 ふつふつとキレテしまいました。

漢民族が傲慢もなにも、漢はそんなこと言ってネージェネーか
むしろ、 東には蓬莱の国が・・・   東夷には礼節の国が・・・
東夷にも礼節の残るくにがあります・・  東には黄金の国が・・・
1000年前の祖先の周王のもとには、 東から倭もかけつけました。
どこをみたら、悪い話があるんだ? あ?

鮮卑 みないな 卑しい と表現されてるならまだしも 

一文字漢字で表現されてる東の民に悪い意味なんてねーよ というのが結論だ!
819名無しさん:03/02/25 02:07 ID:9L1nlmC7
>818 
中国語=>英語のネット翻訳機にかけると、
倭奴国の、倭=Dwarf(背の低い小人)
     奴=Slave (奴隷) と出てきますが、何か?
あと、言い方が感情的すぎ。中華系の自己弁護としか取られないよ。
820 :03/02/25 02:14 ID:0cn4s5Cg
その中英辞書 を作った中国人を 殺すべきだな

感情的・・・ 「倭にはきっと悪い意味が込められてるんだーーー」
って 自虐的文化人の香りがプンプンするんでね感情的になるんよ
821名無しさん:03/02/25 02:32 ID:9L1nlmC7
>820
だから話しがかみ合ってないのよ。異民族を卑称で呼ぶのは
漢民族のゴーマンであって、呼ばれた諸異民族側の問題では無いわけ。
それを言われた側が貴殿のように過剰に気にすることこそ、
真に自虐的態度だと思うのだが。
822朝まで名無しさん:03/02/25 02:35 ID:DS6/3yMX
>>820
だから、古代の文明の輸出国はみんなそんなだったんだって。

日本は間違いなく当時は文明、文化の輸入国だった。
それがそんなに悪いことなのか?

文明、文化はパクリで伝播し、伝播することにより、また広がり
発展してゆくもの。
日本はその文化の伝播の最辺境であったため、古代では遅れたか
もしれないが、朝鮮ほど強烈な中国の影響は受けずに済み、その
後の利点ともなった。
沢山の大陸の侵略事件からも、かろうじて防げたしね。
823朝まで名無しさん:03/02/25 03:02 ID:7ln+In82
委(倭)侘という古語がある。
万葉集にも出てくるが、外敵という意味。

倭寇というのは八幡船とも呼ばれた海賊船。
ともかく日本人から見ると、なんだと思うことだが、向こうの地では平気なんだな。そういうこと言うことが。

ソース出すも何も倭の字は隷属な屈辱的な意味と大学の史学で習ったが、何か?
824 :03/02/25 03:08 ID:0cn4s5Cg
>>821
まずおまえ、
「人をバカにする奴がバカ」 って逃避して 
バカにされても怒らない人生送ってきたのか?

・・で、文明大国の中国様だから 僕らのことを蔑んだに違いない?
それは、中国様の傲慢さの問題?

おまえの思考回路の問題 だろ 

>>822
次君、
そもそも、漢人は倭人を蔑んだ表現をしていないだろ、
ぱくり? どっからその話になるんだ?
何言ってんだおまえは?

異民族なら
蔑んだ表現をしてるはずの中華が、何故、倭にはあまりしてないんだろう?
普通は、学術的興味がそっちに行くんだよ。

倭 ってのが、本来の語源に悪意があるかないかで、色んなことが見えてくる。
俺が怒ってんのは、中国じゃなくて おまえらの自虐的態度。




825 :03/02/25 03:16 ID:0cn4s5Cg
>>823
大学でならった?おまえは、教科書だけよんでればいいよ

さっきから倭寇 て言ってるが、 それがどう蔑んだ根拠になるんだ?
元寇 なら 元、
倭寇 なら 倭   本当に倭人かどうかは別として
海の民、倭人が恐れられてたってことだろ、 倭に悪い語彙が入ってる事にならん
826朝まで名無しさん:03/02/25 03:22 ID:83YsfClQ
醤油でも出すか。
倭人というのは背の低い人を指すは○
背の曲がった小さい人をもいう蔑称。身体的欠陥を指摘した2ちゃねらー好みの蔑称に思えるが・・・。

827朝まで名無しさん:03/02/25 03:25 ID:35Q6v1j0
5cg君は学校へ行って史学じゃなくて、国語を習うと理解するかもね。
828 :03/02/25 03:32 ID:0cn4s5Cg
>>826
それは、倭人の特徴 によって形成された 後天的 蔑意 な!

倭 に蔑意が込められていたとはならん。

倭に悪い意味が込められていたと錯覚した、言語学者がいたなら
そんな理由っによる間違いってことか?
829朝まで名無しさん:03/02/25 03:38 ID:35Q6v1j0
古文書の「脱文解字」に倭の意味が出ている。
>>769に書いた人の通りみたい。
830名無しさん:03/02/25 03:41 ID:9L1nlmC7
>827 単なる釣り師じゃないかと思えてきた>ID:0cn4s5Cg
それに日本の右翼のフリしてるけど、絶対中華系右翼だよ。
日本人が中華に悪いイメージ持たないように懐柔のための情報工作
してるんじゃないかな。ODAもあるし。
831朝まで名無しさん:03/02/25 03:43 ID:YPKVllHT
まあ、聖徳太子あたりに感謝するんだな。
十七条憲法の冒頭に「和」を使っているだろう。
832 :03/02/25 03:50 ID:0cn4s5Cg
はじめてまともなソースがでてきたね、ありがと
がしかし、 検索かけても デネーナ 残念。

つまり 人偏 に 稲穂 に 女  ね 
おー まさに、日本だな

で、 蜀や魏 は  どうなってるんだ?

虫が住んでる国と、  なよなよ隷属的な鬼か? 気持ち悪いな   
833朝まで名無しさん:03/02/25 04:16 ID:elhS/pTA
「倭寇」という言葉はもともと、主に九州に住んでいた倭人の海賊を指す言葉。
実際に倭人(日本人)が海賊をしていたから、それを倭寇と呼んだ、それだけのこと。

「わ」は、分ける・別れている、のわ。
「わ」にはもともと、外・外のもの・外の文化・異民族、という意味がある。
だから、外敵を「わ」と呼んだとしても全く不思議ではない。

異民族という意味がある「わ」に「倭」という字をあて、
「倭」を日本人を指す文字とした。

倭の「委」は、自分より地位の低いの人に使う言葉だから、
対等の立場にあると思っていなかったのは明白。
漢は倭のことを目下にみていたことになる。
834 :03/02/25 04:29 ID:0cn4s5Cg
こらこら、 おまえの妹はその口調で騙せても、
俺は、おまえをいつも立ててやれる妹じゃないんだって

そのありがたい話の ソースや出典を出せよ
せめて、 倭の 中国語のどのあたりの発音が 「わ」だったかとかくらいはな。

「倭の「委」は、自分より地位の低いの人に使う言葉だから、
対等の立場にあると思っていなかったのは明白。」

ハイハイ  魏を大きくしてみよう
835 ・皇:03/02/25 04:33 ID:+AGj0TVe

それわどうかな
836朝まで名無しさん:03/02/25 05:20 ID:4UQjoQRQ

人がうなずく「倭」は卑しいが、魏は鬼がうなずくほど強いということになるから、悪い言葉ではない。
人がうなずいてはダメなの。
鬼を屈服させるわけだから。そこまで読まないとダメだね。
837朝まで名無しさん:03/02/25 05:28 ID:E6zHxGcb
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http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
838朝まで名無しさん:03/02/25 05:32 ID:4UQjoQRQ
倭の話しは飽きたので、次に行きましょう。
「越」という名がでてくるでしょう。
日本にも「越」の国が出てきて継体天皇の出身地。
越の国も一つの王朝だったのではないかと思えるが、どうだろう。
九州の北部にも王朝があり、出雲は大和に吸収されたとはいえ、ある時期まで王朝があったような気がする。
このあたりのことを詳しく教えてくれ。
特に越(今の敦賀あたり)王朝が興味深い。
839 :03/02/25 05:58 ID:0cn4s5Cg
>>836
よくまー 恥ずかしげもなく、
話を翻すね

人がうなづくなら まさに 「礼の国」 ってことだろ。
そろそろ、諦めたほうがいいんじゃないか?

委 は 下の奴にしか使わないじゃなかったのか?
なよなよ した とか言ってた奴もいたな

それなら、 魏はなよなよした従順な鬼 ってことだろ
何が「鬼がうなずくほど強いだ」 アホか


委 を 稲穂か礼節 を表す とすれば、 魏もなっとくだな
840 :03/02/25 06:02 ID:0cn4s5Cg
>>838

継体帝が越なら、
継体帝といっしょに政権に登場した、蘇我氏の 「蘇」は

中国では 越のことだよ   越、呉  蘇州
841朝まで名無しさん:03/02/25 06:04 ID:np2hVtw2
>>839
中華思想も判らん人に歴史を論じてほしくないね。
こんな人が登場するから、見るのが鬱になるんだ。
842朝まで名無しさん:03/02/25 06:17 ID:pGM1B6PJ
>>840
それなら、大陸系の王朝が越にあったということになるね。
中国系なのかな?
今も残る神社は、ミマナヒコ神社とかシラキ神社など、朝鮮大陸系の神社と思われるものがあるが。
843朝まで名無しさん:03/02/25 06:22 ID:qT3vSOQr
>>839
頭を下げるのは礼儀を意味するだって。
笑いが止まらん。
よしてくれよ。腹がよじれる。
844朝まで名無しさん:03/02/25 06:34 ID:+YLaEXab
漏れが持っている「広漢和辞典」には、
倭は「従う」「うねって遠い」「みにくい」と出ているぞ。
倭という字は醜いという字を含むので、「和」に変えた説が正しいと、多くの学者が言っているが、「礼儀」にこだわるのは何故だろう?
井沢元彦の「逆説の日本史 封印された倭の謎」にも、同じようなことが書かれている。

845朝まで名無しさん:03/02/25 06:50 ID:+YLaEXab
844だが、
醜いという字を含む→×
醜いという意味を含む→○
846でも:03/02/25 08:07 ID:fiWO06Ey
0cn4s5Cg
の説もなかなか面白いね。一応実証的だよ。
へりくだるってことは自らを卑しく仮定するようなものだろうから、
礼儀や礼節と無関係でもないだろ。
二人称ではあるが両方の意味があってもいいようにも思えるが、、、。
847朝まで名無しさん:03/02/25 09:20 ID:lejiwG/B
新説というより珍説なので、ここでとどめておくほうがいいな。

倭は当て字だが、わざわざ卑しい文字を選んでいることに着目してほしい。
卑弥呼、邪馬壱国、耶とかね。

君たちは逝ってください。
848 :03/02/25 11:10 ID:0cn4s5Cg
あらあら、 
「そもそも、その常識って ソースはなんなんだ?」
から発展してるというレスという事は、
現代の辞書に載っていたり、
様々な現代解説にあったり
大学で教えていたり
という前提に対して、ソースを検証する姿勢にあるんだが?
一部、「そんな事もしらないのか?」 的 延髄反応が終わらない奴がいるな?

俺のその質問は、その常識を否定する事にない。ソースをもとめているんだな。
ソースをしらずに、この最も重要な 事象 を丸々信じ込んでる姿勢は
そもそも、学問的姿勢といえず、自虐史観そのものだからな。
849 :03/02/25 11:33 ID:0cn4s5Cg
すると、次の四つの答えがあった

・ (異民族には、卑語が 使われていたので、 倭人の倭は卑語である。)
  これは、倭が異民族として本当に異民族として扱われていたのか
  また、敵対したい異民族に対しても必ずしも卑語を使ったのかを 検証したい
  という学問的姿勢からは、根拠と結論が同じであり意味を持たない。

・ (背の低いものの意味)
  それは、倭人の特徴 によって形成された 後天的 蔑意 と解釈できる。
  この説明ではむしろ、のちの学者が 倭を卑語 と解釈してしまった
  誤解の背景の説明になる。 倭寇 も 元寇と同じであり 倭に先天的な
  卑意があったことにはならず、むしろ誤解の説明だ。


・ (委 は、しな垂れた稲科を表しなよなよする女性的 という事で 卑しい言葉。)
   稲科・女性・人  に分解されるのであれば、むしろ古典的な倭の特徴を現しており
   卑語と解釈する必要はない。
    
・ (委 は、目下の物しか使わない言葉である。)
   魏は 拡大すると、 委 を左に持ってきているが? という質問をさせてもらった。
   すると、 翻って、「 委に鬼の場合は、 鬼さえ頭をたれるほど強い」と来た。
   この反応は、子供の反応だろう。素直に間違いを認めるべきである。

以上である。 私の新説、珍説 という話があるが、 私の説など交えていない。
ひとつひとつを丁寧に検証してるまでである。
850朝まで名無しさん:03/02/25 11:48 ID:tGwTTNbl
委→やわらかく曲線を描く
鬼→丸く大きい

魏は「まるく盛り上がって高い」「広大な」という意味のようだね。
851 :03/02/25 11:50 ID:0cn4s5Cg
以上、総合すると、 「倭」 にそもそもこめられた 蔑意 として可能性があるのは

3の、「稲科など頭をたれる植物」 を 蔑視 と 解釈することだけである。
しかし、 東方の礼の国 という言葉があるように、 それは蔑意 と結論づけできない。
謙譲、礼の美徳は、古典的な漢文化である。
「魏」 が左側に 委 をもってきてる事からみても 卑語であることはありえない。
それに 人がついたら、むしろ その特徴をもつ人々と解釈できる。

結論は、 倭 が 卑語ではない。もしくは その根拠が見つからない。 という事である。
珍説ではなく、単純に卑意が見つからない というのが結論だ。
852朝まで名無しさん:03/02/25 11:53 ID:tGwTTNbl
>・ (委 は、しな垂れた稲科を表しなよなよする女性的 という事で 卑しい言葉。)
>   稲科・女性・人  に分解されるのであれば、むしろ古典的な倭の特徴を現しており
>   卑語と解釈する必要はない。

「古典的な倭の特徴を現しており卑語と解釈する必要はない」と言っても何の意味もない。
古代中国で「なよなよする女性的」な態度が卑しいもののそれと考えられていたのであれば、
それはやはり卑語だよ。

太っている人間にデブと言ったら、それはやはり卑語だろう。
「その人の特徴をよくあらわしているので、卑語と解釈する必要はない」と誰が考える?
853 :03/02/25 11:59 ID:0cn4s5Cg
すると、倭人というのは、鮮卑 の総称される 異民族 という認識ではなく、

中華中原に古くから認知されており、
漢民族からみると、 「倭」 という一字表現を与えられた
一民族 という認識だった という説が成り立つのである。
854 :03/02/25 12:07 ID:0cn4s5Cg
>>852

なよなよする女性的 と解釈されたとするのは、恣意 である。
君は、「その恣意 があったとすれば」 という前提で卑語である  と論述してる。
魏の左側に使われているように、その恣意の解釈は不適当と考えれば
その結論にはならない。
855朝まで名無しさん:03/02/25 12:11 ID:tGwTTNbl
あと、蜀っていう国名についてだけど、
これはやっぱ虫を含んでる訳であんまりいい意味じゃなさそうだね。
ちょっと調べてみたら、劉備の蜀建国からかなり遡った春秋戦国時代、
四川省のあたりに蜀っていう侯国があったらしい。
公国でなくて候国だし、当時の四川省あたりがド田舎だったことから、
そういった「卑語」的な国名をつけられていてもおかしくはないね。

で、劉備は後に蜀を立てるんだけど、それは単に昔から蜀と呼ばれている
地域に国を立てたから「蜀」としただけで、特に卑語としては認識していなかったのかも。
うろ覚えだけど、正式には蜀自身は「蜀漢」という言葉を使ってたんじゃないかな?
それなら「蜀地方にある漢」という意味で、しっくりくるんだけど。
856朝まで名無しさん:03/02/25 12:18 ID:tGwTTNbl
>>854
うーん、ちょっとかみあってないな。
俺は、
>古代中国で「なよなよする女性的」な態度が卑しいもののそれと考えられていたのであれば、
と仮定した上で、「倭は卑語である」といったまでだよ。
0cn4s5Cgだって、そのように解釈されていた可能性まで認めない訳ではないでしょ?

仮にそのように解釈されていれば→卑語
そのように解釈されていなければ→卑語ではない
ということを言ったまでであって、たいしたソースもなしに倭を卑語だと
断定した訳ではない。

ところでやっぱり
「その人の特徴をよくあらわしている→卑語と解釈する必要はない」
という考えはやっぱりおかしいと思うんだけどどうかな?
857朝まで名無しさん:03/02/25 12:30 ID:tGwTTNbl
「倭夷」とか「倭奴」という言葉があるらしいけど、
こういった言葉の出典がどこか分かる人ませんかね。
「倭」という表現が使われはじめた当初から
「倭夷」「倭奴」といった言葉が使われていたとすれば、
「倭」が本来的に卑語であったと言ってもよさそうだけど…。

夷ってのは東夷、南蛮、西戎、北狄という中華の四方を囲む異民族のうち
東の異民族を指す言葉だし、奴なんてそのまま奴隷だもんね。
858 :03/02/25 12:38 ID:0cn4s5Cg
>>856

なよなよ 女性的 と書いたのは、 「前出にこういう説明も出てきた」
という4つのうちの一つの意見表現をそのまま掲載したまで。

その後の説明で、委 の漢字分解するとそう解釈できる というのが根拠となった。
つまり、もともと 「なよなよ女性的」という
恣意解釈が 存在した事にはならない。
「稲穂というなよなよした植物 と 女性によって構成されている」漢字
という意味までが公正な見方である。

それを、蔑視に解釈した上で、それを根拠に蔑視されていた というのも
根拠と結論がいっしょだといっているのだが

判ってもらえるだろうか? 
最後の質問は、 倭に卑意がこめられたのは 後天的か否かの話?
それとも、 頭をたれる人 という特徴を 悪意と取る必要がない という話?

859 :03/02/25 12:44 ID:0cn4s5Cg
その文章の中にすでに答えがあるのでは?

倭夷  東夷   東が卑語 とはならないでしょ
倭のやろう 倭の奴隷 倭の王 倭の聖人 倭の海賊 倭の脅威 倭の賊

それを詰めていっても、倭そのものの卑意の話にはならないよ 
860朝まで名無しさん:03/02/25 12:50 ID:tGwTTNbl
恣意解釈恣意解釈って・・・
「稲穂というなよなよした植物 と 女性によって構成されている」漢字
を「なよなよ女性的」な意味の漢字と解釈することのどこが恣意?
そのように解釈する合理性は十分にあるでしょうが。

それと根拠と結論が一緒ってのはどういう意味?
トートロジーだと言いたい訳かな?
1.異民族には蔑称が使われているという事実がある。
2.日本人は異民族である。
3.倭という漢字からは「なよなよして女性的」という好ましからざる意味が読みとれる。
123を総合的に考えると、日本人は倭という蔑称で呼ばれていた、と推定するのが普通でしょ。
敢えてそうでないと考えるのであれば、それなりの根拠をしめすべきだと思う。
861朝まで名無しさん:03/02/25 12:53 ID:4TCW2obE
>>849
しつこいというか・・・。頭悪いとは言わんが閉口。

中華思想は、権力の及ばない地域の民を蔑視していたことをいう。
この思想は日本にも受け継がれている。大和朝廷に従わない民を夷敵と言っただろう。
のちに南蛮とかも言った。日本はそのあたりも真似ちまったわけ。

倭に礼儀の意味があるなんて考えることがどうかしている。
それを証明するソースがあったら聞きたいものだ。
862朝まで名無しさん:03/02/25 12:58 ID:tGwTTNbl
>>859
東夷→東の野蛮人

倭夷→腰の曲がった背の低い野蛮人?
  →礼節をわきまえた野蛮人?

さてどっち?
863 :03/02/25 13:18 ID:0cn4s5Cg
>>860 頭悪すぎで話にならん
>>861君は頭悪い

倭が異民族として本当に異民族として扱われていたのか
また、敵対したい異民族に対しても必ずしも卑語を使ったのかを 検証したい
とあるだろう。 
「倭は異民族であったから卑語 だ」 という結論では意味がないんだよ。

 このスレッドのタイトルは何だ? ”天皇家ってどうやって・・”だ。
すると、倭人の出典 倭人の渡来説 に必ずあたる。このスレッドの過去そうだ。
では、漢における古代の倭人は、異民族なのだろか?
また 敵として扱われてきたのだろうか? 
という視点が一番先に来るだろう。

鮮卑 明らかに敵意を表現している言葉なので外敵と認識されていたことが明らかである。
倭   倭はどうだろう? そもそもいわれているように 蔑意が込められてる字なのだろうか?

国を表すのか、人種を表していたのか、偏狭の地という一般名称もこめられていたのか?
一字体という事は越や呉 と同じレベルの 人種わけだったのか?

という疑問から出発してるのだ。 
「中華思想では異人種には卑語が普通」など という話ではないの
 
864 :03/02/25 13:27 ID:0cn4s5Cg
>>862

どちらでもないだろ、
倭という国の野蛮人
倭が東と同じく 固有名称として存在していれば、 
倭の●● という漢文のならびなだけ。

倭の語源に、どんな礼節な意味があっても、使われた時点で
固有名詞化していれば、筆者は意識しない。

野蛮美国 とあっても 野蛮なアメリカが美しいわけじゃない。 
 
865朝まで名無しさん:03/02/25 13:28 ID:cHx09CEg
平家 壇ノ浦で滅亡  この時天皇家も滅亡したのでないの?
戦時中 素朴な質問をしたこの少年は頬が腫上がるほど
殴られたそうです。   触れるべからず
866朝まで名無しさん:03/02/25 13:37 ID:tGwTTNbl
>>864
だから俺は最初に
「倭という言葉と倭夷という言葉が使用されはじめた時期が同じであれば」
と言ったんだけど、大丈夫?
867 :03/02/25 13:47 ID:0cn4s5Cg
>>866
その意図はわかってるつもりなんだがね・・・・
まあ、了解。 初回から敵として認識されているのであれば
語源とは別に、倭のポジションを表す資料になるしいいね
868朝まで名無しさん:03/02/25 13:47 ID:cyvLEDuD
ちょっと皆さんにお聞きしたいのだけど、
こんなこと話して何になるの?
869朝まで名無しさん:03/02/25 14:16 ID:SNHS182t
>>863
馬鹿という言葉は君のためにあるようだ。
馬鹿というより歴史知らなすぎでのデカイ態度に驚きだ。


旧唐書「倭国はいにしえの倭奴国なり」。
この記述には奴隷の「奴」がある。
870朝まで名無しさん:03/02/25 14:30 ID:mszLE/cq
>>863
>何故、敵として扱われているの?

敵とかではないのよ。
中華思想ってのは傲慢なの。
あまり相手にしないところの扱いはひどかったのがわかるだろう。
顔でニコニコしても腹の中では馬鹿にするような思想なんだから。
魏志倭人伝など、当時の日本人や他の倭人に見せるために書かれたものではない。

倭人がそう呼ばれていることに気付き、嫌な当て字だということに気付き初めて「和」を自ら名乗ったわけ。
その頃にはもちろん大倭になっていて、大和に急ぎしたわけだ。
871 :03/02/25 15:28 ID:0cn4s5Cg
>>863

倭奴国の 倭が卑語である根拠には 一ミリにもならんって
おまえの先入観を繰り返してるだけ。 頭悪すぎ

>>870

だ・・か・・ら、 
中華から 僻地が悪く言われる話はね わかってんの。
このスレにはね、 倭人が大陸にいた って妄想がいっぱい出てるの
鳥越って学者も言ってるの、
倭 に 僻地特有の 卑語の意味がこめられていれば、
少なくとも、倭が 漢族の領域に倭が古代いたことにはならない。

卑意がこめられてない場合は、
 魏志のころ 倭人の国として卑弥呼という卑語が当て字になる以前
 倭人の国が 呉越にあったという 妄想にも 理が通るってこと

だからこそ、 倭に卑意が込められてるって 証明が必要なわけだ。
俺は中立的に判断しようと思って、 倭が卑語ってソースは?
ってきいてるんだよ。

僻地は卑語が普通なんだよ・・・・・ って わかってるっちゅうに


872 :03/02/25 15:29 ID:0cn4s5Cg
上、 863じゃない 869な
873朝まで名無しさん:03/02/25 16:56 ID:MxU598xz
>>871
別に妄想じゃないだろう。
君があまり本を読まないだけだろう。
俺は倭人は日本国内にしかいなかったという奴に初めて会って驚いているよ。
漢書の地理誌に「楽浪の海中に倭人あり。分かれて百余国となる。歳時をもって献じまみゆ」も記述あり。
楽浪とは中国政府の朝鮮出先機関。
これが初めて倭(日本も含む)が登場する記述かな。
前漢当時は北方異民、旧満州方面にも倭国ありとされ、南朝鮮にも倭があったとされる。
日本限定の倭の話が出るのは後漢書の東夷伝だろう。

よく海人に関するシンポジウムで聞く話だが、倭人には刺青の文化があり、
中国で刺青文化を持つ民族は長江の南方面に住んでいた水人族。
この民族が各地に散って倭人と呼ばれるようになったという。

魏誌の韓の条に、韓の東西は海で、南は倭に接する。
新羅の条に「国、鉄を出す。韓・くわい・倭皆従ってこれを取る」。
高句麗には「倭山」という山があった(高句麗本紀に見られる)。

また、後漢書の鮮卑の条に「くわい人の国の一つに倭人国あり」との記。

さらに山海経という書物には、「倭は燕に属す」という記述も。


874朝まで名無しさん:03/02/25 17:02 ID:PoisoEnZ
どーかな。所詮、それってチャンやチョンのバカ文章だろ。
大体、いまも竹島なんかも朝鮮人のものでつとかいってるアホの低脳の
動物かなんかわからん奴らの記述だろ。
数百年して、朝鮮人が竹島は朝鮮領って書いてあるとかいってるのと
大してかわらん。
875朝まで名無しさん:03/02/25 18:18 ID:nkZ23i9E
>>873
>前漢当時は北方異民、旧満州方面にも倭国ありとされ

>この民族が各地に散って倭人と呼ばれるようになったという。

>また、後漢書の鮮卑の条に「くわい人の国の一つに倭人国あり」との記。

以上、ソースをだしてくれ。
勘違いしてるようだが、半島南部に倭人がいたことを否定してるやつは誰もいない。

876通りすがり・・・なつかしかー:03/02/25 18:26 ID:oGWHamnv
う・う・う・私は悲しい。日本人=半島人・中国人なのだ。
歴史的にも。科学的にも(DNA・ミトコンドリアDNA)。

これ、アカデミックな常識だよ。2200年前頃から、日本に来たらしい。
大体、日本の字って漢字だろうがー。

本当の日本人ってのは、科学的には、アイヌの人。沖縄の人なんだな。
山口県地方の名門、大内家などは、朝鮮貴族の末裔と称していたのだよ。

★もしかして、アイヌの人や沖縄の人なら、少しはガマンするが。
古事記・日本書紀(正史)を読んでも、簡単に判るから、読んでみなさい。
877 :03/02/25 18:34 ID:0cn4s5Cg
>>873

このスレの874が、ナメタ口をききまして、
すいません。(笑)

ようやく、キチンとして意見が出てきてうれしいですね。
873さんは、過去スレを読んでないでしょう。 
僕が妄想と言ったのは訂正します。ただこのスレの中では
倭人が 大陸にいたというのは妄想扱いなのです。
僕も、妄想というスタンスで検証しています

昨晩から、倭という字に 先天的な卑意がこめられてるか否かを
論じてますが、倭という字は、呉、越 燕 周 隋 楚 などのように
一字で表されているため、漢においても相当ふるくから当てられた文字
だと思われます。 倭 にこのスレで常識化されている
「卑意がこめられて字である」とするなら、倭は中華にとって、
越境の蛮族扱いと思いますが、 倭の語彙そのものに
卑意がなければ、 倭は漢において 東の隣国に位置する代表的な民族という
いちづけが、相当の古来からあったと思われ、
列島という辺境の地理より、おっしゃるとおり相当の内陸に倭人のエリアが
あったという説に真実身が帯びるだろうと思われます。
878朝まで名無しさん:03/02/25 18:40 ID:C8AFRrmi
>>875
いちいちソースだせか。
おめーみたいな低能は一生ソース出せと言いまくっていろ!!
いいかげんウザイよ。
馬鹿が多くなったな。
インターネットで検索できなくちゃ、わからんかい?
検索したって出ないほうが多いに決まっている。トーシロの書きこみだらけだからな。
インターネットなんかやめれば、学校行きなおせよ。
ガキはよ。
879 :03/02/25 18:46 ID:0cn4s5Cg
>>876
2200年前あたりなら、このスレに随分前から登場している、
西からの秦の侵攻により、長江下流の呉や越 の稲作農耕民族が
民族大移動で日本列島に渡り弥生人となり水稲をはじめた
という説に説得力がますなー 当然百済も同じ祖なんだが
880朝まで名無しさん:03/02/25 18:50 ID:xiYCS/m4
>>878
オマエの書いていることが根拠無しみたいだからだよ。
例えば、「後漢書の鮮卑の条」については、オマエの書いていることは書かれてない。
どうせ、口移し、又聞きの類だろ? 自分で調べたことはないだろ?
無理だとは思うがw、ソースを出せ。
881 :03/02/25 18:57 ID:0cn4s5Cg
>>880
おいおい、 878と873 はどう見ても別人だろ
ムキにならずにね。 それにしても、初登場のらしき人に
ソースだせは 無礼。 検証したいからソースを教えて欲しい
といいましょう。
882朝まで名無しさん:03/02/25 19:52 ID:vPRybir/
>>878ってコピぺか。
883朝まで名無しさん:03/02/25 22:46 ID:NC5jKd3f
あたまくなんな、糞やろう。
おめーみたいに無職じゃないんだ。
とうの昔に学んだことや講演会で聞いた話。後は後漢書の解説本を読んだことがある。
だいたい、君がもし、倭人が日本にしかいないとか他で公言してみろ、馬鹿にされるだけ。
ほんとにウザイやろうだ。
消えろタコやろう。
884朝まで名無しさん:03/02/25 23:13 ID:iz47zzal
なんか頭悪い奴がねばっているな。
2ちゃんらしいいがなwwwww
>>880
調べるってあんた、後漢書とか読めるのか?

それじゃあ、今までのあんたの根拠を示せ。論拠を示せ。ソース示せ。
これから書くあんたの論理は、ソースをださなきゃ認めないよ。
頭がいいみたいだから、大丈夫かな?
文字でボロ露呈していたが。
w)
885朝まで名無しさん:03/02/25 23:18 ID:locZb6rQ
>>883
じゃあ日本以外のどこに、日本語話している土地があると言うのですか?
886朝まで名無しさん:03/02/25 23:23 ID:r99uVLNb
言語圏の話?
言ってることがわかねーよ。サル。
887朝まで名無しさん:03/02/25 23:29 ID:EENOZIVA
>>879
確かに呉越地方の民族が弥生人となって倭にやってきた。
という説は最近歴史学会の主流(ムーブメント)となりつつあるが、
問題点がないわけでもない。
それは従来の縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド
という定説。
呉越の民族は古モンゴロイドであり、ここをどう論破するのか?
888朝まで名無しさん:03/02/25 23:34 ID:WQQQKkFm
多分、国民の9割は日本人はモンゴルからやってきたと思ってるよ。
ブータンから来たとは考えてないだろうけど。
889朝まで名無しさん:03/02/25 23:37 ID:locZb6rQ
>>886
普通民族の分類には、言語は大きなファクターとして取り扱われるが?
(次には宗教であろうがな)

で S+O+V 構文を持つ民族が中国のどこにいるの?
890朝まで名無しさん:03/02/25 23:38 ID:locZb6rQ
>>886
漢文を読むのに、レ点を使わないと読めない民族が中国のどこ
に住んでいるとゆうのか?
891朝まで名無しさん:03/02/25 23:39 ID:r99uVLNb
職業はファクターだろう。
一番重要。
海人に目がいかなくちゃ潜りだ。w)
892あくまで外野・観客:03/02/25 23:40 ID:JPbuQRrw
>>888
元寇は追い返したし、モンゴルの騎馬民族が(匈奴とか)
海を越えてやってきたとは思えません。
そんな説9割も思ってないのでは?
マンモスハンターまでさかのぼる話ですか?
893朝まで名無しさん:03/02/25 23:42 ID:54PCemQh
>>890
ほんとにあきれる。
それは後から開発したんだろう。
はじめは漢語圏だったの。
なんか馬鹿っぽい。
894朝まで名無しさん:03/02/25 23:44 ID:54PCemQh
なんか、あきれてモノがいえん。胃炎だ。
小卒の相手は君たちにまかせた。
寝る。
895あくまで外野・観客:03/02/26 00:06 ID:90osr8BG
ここの人たちの話って専門的過ぎてついていけません

ちなみに倭は日本列島に住む民族の事だと思います。
紀元前辺りは台湾や朝鮮南部や沖縄地域の民族の総称
だったのが、魏志倭人伝が書かれる頃には倭人は日本列島
限定の民族だと当時の漢人は既に認識していたのではないの?

倭は大陸とは関係ないと思います、大陸の民族ならもっと蔑視した
漢字が当てられると思います、虫偏がついたり・・・・
896朝まで名無しさん:03/02/26 00:08 ID:UQYN4NDt
>>889
満州族。清朝を打ち立てた民族。
この民族が使っていた満州語(今でもあるが)は、S+O+Vだろ。
ほかにも蒙古族の使っている蒙古語とか。
純粋中国ではないかもしれんが、モンゴル語、朝鮮語、ビルマ語
、チベット語とかもな。
897朝まで名無しさん:03/02/26 00:23 ID:LSxHwqeZ
たわけめ。
言語だけでは「倭人」をくくれないよ。
898朝まで名無しさん:03/02/26 00:24 ID:vi0Zm66c
>>896
丁寧な回答ありがとう。

そっか、中国語が変わっているのね。
やっぱイテキ仲間か?
899朝まで名無しさん:03/02/26 00:27 ID:LSxHwqeZ
たわけめ。
おなにーでもしていろ。
900朝まで名無しさん:03/02/26 00:27 ID:vi0Zm66c
>>897
でもね、言語を見てみると現代日本語には膨大な英単語がまぎれて
いる。
つまり単語自身は極めて伝搬性が高いのだ。

しかし、私は愛している貴方を、なんて風には変わない、それこそ
少なくとも1400年以上変化していない。
901朝まで名無しさん:03/02/26 00:28 ID:+V16XwGx
S+O+Vだから、日本と関係があるとは言えないってことでしょ。要は。
902朝まで名無しさん:03/02/26 00:29 ID:vi0Zm66c
>>899
なぜ、イテキ仲間がいやなの。
そんなに中国人に憧れているのですか?
903朝まで名無しさん:03/02/26 00:30 ID:l00eouhG
>>895
魏志の時代より前に、後漢の時代に既に倭人は日本列島近辺というのは、
確定的だったはず。
だってそう書いてあるw
904朝まで名無しさん:03/02/26 00:32 ID:l00eouhG
後漢書なんてものは日本人にはとても読めないモノだと思ってるバカが1匹紛れ込んでるな。
905朝まで名無しさん:03/02/26 00:33 ID:vi0Zm66c
>>901
イテキ仲間が同じルーツだと言うつもりはないけど、中華民族とは
違うってのは可能性高いのじゃない?

もしくは、意外と縄文人の割合が多く残ったかだが...
後者は、可能性が低いと思っている。

採取生活者のなかに、徐々に農耕民族が混じるとは思えない。
906あくまで外野・観客:03/02/26 00:51 ID:90osr8BG
>>903
確か三国志では曹操の息子か孫の時には卑弥呼が
使者を送ってきたんだっけ?
なら倭は日本かな。
907朝まで名無しさん:03/02/26 01:28 ID:OQbq/sZv
日本語を使わないと日本人じゃないということ?
日本人が外国に移り住んで、現地語を話すようになったら、
もう日本人じゃないということかな?w
それ以前に、"倭人"という言葉は、国民名としてだけ使われてきたのか?
>>889
908朝まで名無しさん:03/02/26 01:32 ID:OQbq/sZv
あと、昨日の知的馬鹿>0cn4s5Cg

"倭"という字は、少なくとも後天的に卑意をもったのは間違いないよ。w
仮に、もともと"倭"という字には卑意はない、として、それがなんなの?w
少なくとも後天的に卑意がもったから使われなくなったんだよ。
それから、「倭という字に卑意がなければ、呉・越の時代に、
内陸に倭人のエリアがあったという話に真実味が帯びる。」???
単純だね。 呉・越の時代から"倭"という字が使われていたのか?それに、呉・越の時代から中華思想ってあったのか、はじめて"倭"という字をあてた民族は中華思想の持ち主だったのか。
そこらへんクリアしないと、まったく真実味なんて帯びないよ。w
909朝まで名無しさん:03/02/26 01:33 ID:yoiT/0mP
>>907
私は、民族はDNAより文化基盤を中心に考える。

実際その立場を取る民族学者は多いはずだよ。
910あくまで外野・観客:03/02/26 01:37 ID:90osr8BG
なんかずれてます
初心者でもそう感じます
分かりにくいです。
>>907の事ですけど・・・・
911朝まで名無しさん:03/02/26 01:43 ID:HSn8DLbR
読み返してみるとID:0cn4s5Cgってのは正真正銘のバカだな
まあ自分でI am Jap.とか言ってるようなもんだ。
まあ一度アメリカ南部に行ってI am Jap.と連呼してみればいいさ。
Japの語形には蔑視の意味は含まれてないとか言って偉そうに講釈たれな。
多分答えはこうだ
南部米人「こいつ自分のことJapとか言ってるゼ、ブハハハハ。」
南部米人「そうさ、オマエはJapに決まってるだろ。このJapの糞ヤロウ!HAHAHAHAHAHAHA.」
そこですかさずID:0cn4s5Cgはアルカイックスマイルで「ニヤニヤ、Japはジパング黄金の国の略なんですよ。ニヤニヤ」
「失せろ、キチ○イ、Jap!!!」「ドコッ」で終ーーー了

912朝まで名無しさん:03/02/26 01:49 ID:yoiT/0mP
>>911
まあ、その通りだろうね。
913朝まで名無しさん:03/02/26 01:51 ID:+V16XwGx
ワラタ
914朝まで名無しさん:03/02/26 02:00 ID:OQbq/sZv
>>910
うーん、わかりやすく言うと、
ブラジルの日系の町に住む日系ブラジル人は、日本人じゃないよけど、
かつて大陸にあったかもしれない倭系の町(国)の倭系大陸人は、やはり倭人なのでは。
ということ。倭人って国民名じゃないから。

それに、昔のことだから、大陸にいても、同じ倭系の民族同士で結婚を繰り返して、
かなり長い間、倭系の文化を受け継いでいった
ということもあるんじゃないかと。
915朝まで名無しさん:03/02/26 02:00 ID:HSn8DLbR
>>912
多分、起源探究から話を逸らそうとしてたとしか考えられん。
勉強しているような所も見受けられるので。
あまり良い内容の文面ではない事を書いたので、少しこのスレからは
離れる事にするよ。忙しくなってきた事もあるので。結構色々な説が
でてきて面白かったよ。
やはり天皇家は日本で一番興味を持たれている家系だということは
今後も変わらないと思うし、それだけでも重要なことだと思う。

次、来れるときは恐らくdat落ちしてるだろうから、
文句書いても見れないのであしからず。>ID:0cn4s5Cg
916あくまで外野・観客:03/02/26 02:02 ID:90osr8BG
>>911
どうも南部米人を例に出しても意味が無いと思う。
それは」JAPだけの話。
917(××):03/02/26 02:02 ID:1Cqu8bs0
「倭」については、古代中国「言語学」という観点での解釈が進んでいます。
現代中国語でも「和」は「わ」とは読みません。「he」とか「huo」ですね。
ちなみに「卑弥呼」も「ひみこ」ではなく「ヒムカ」というような読みだったといわれています。
そうすると、「日向」との関係などなかなか興味深い問題も浮上してくるわけです。
918朝まで名無しさん:03/02/26 02:04 ID:yoiT/0mP
>>914
まとまった文化を持って集団としてその地域の主導権が握れればね。
でも、もし弥生人の成立がそのプロセスを辿っていたなら、そして
弥生人のルーツが中華民族なら文法は S+V+O構文 が中心に
なるはずだよ。
919(××):03/02/26 02:08 ID:1Cqu8bs0
南洋ポリネシア系言語ってどうなんだろう?
大陸から朝鮮半島経由の日本人っていう話しか出ないけど。
S+V+Oなのかな?
920あくまで外野・観客:03/02/26 02:15 ID:90osr8BG
>>914
私は倭が大陸起源という話は信じられません。

倭は日本列島だけじゃないの?大陸の影響は
後からだと思います。しかし大陸南部の移民が
後から文化的影響を与えたとしても倭は倭のままだと
思います、支配されたとか倭が滅んだとは思いません。

私は文化的に縄文時代から現在に至るまで他国の文化が
流入しようと日本人は縄文時代が柱だと考えてます。
9210cn4s5Cg:03/02/26 03:23 ID:RjkT/+JK
みなさん今晩は。
倭 の卑語論争で戦った5cgです。
誰が誰に何言ってるのか、さっぱり判らなくなってきたね。

倭という字には先天的卑意がなさそうであり、一字文字であるので、
紀元前の時代に、倭は大陸側にあったという鳥越説は筋が取ってきてるね。

前にも書いたが、
『論衡』(後漢代1C頃)
成王之時,越常獻雉,倭人貢暢。幽、?衰微,戎狄攻周,平王東走,以避其難。至漢,四夷朝貢。
2000年も前の書に、さらに一千年前に登場する民族として、


       狄(北敵)

 戎(西敵)  周(黄河上流)  倭
   
            越(南)

と千年前から存在する民族と思われているのが、面白い。
普遍的な東の民だったのだろう。
922朝まで名無しさん:03/02/26 03:31 ID:SG3s8OpF
馬鹿が来た(w

>倭という字には先天的卑意がなさそう
って思っているのは君くらいだよ。
君がした反論は反論になってなかったからね(w
923あくまで外野・観客:03/02/26 03:35 ID:90osr8BG
>>921
倭は大陸側にあったなんて話マジ?
九州が大陸と陸続きの時に中国大陸から人が流れてきた
という話や弥生人が大陸南部からの移民でその民族が
縄文人の文化に多大な影響を与えたという辺りまでは
私が知る限るの知識です。
倭という民族が大陸に在り漢人が大陸内で接触してたというのは
信じられない話です、倭は日本限定だと思います!
924日本国 :03/02/26 03:36 ID:FH4SkW35
天皇制については、古事記から始めると良いかな 富士古文書宮下文献も良いと思うぞ
よおく勉強してくれ 二千年以上も天皇制がつづいている国は世界広といえど日本だけだ
植民地化されてないのも日本だけだ 神が居られる国 神国日本 ジパング黄金の国
神風が吹き荒れ露国の侵攻三度防いだ日露戦争 神風特攻隊 明治維新の鮮やかさなり
マッカーサー元帥も涙した明治天皇   歴史は尊い
9250cn4s5Cg:03/02/26 03:43 ID:RjkT/+JK
>>908 >>911

大爆笑  
お前ら一晩たっても 俺のこと話題にしてるの?
しかも、俺がいなくなったら、負け惜しみか?
911 は特に面白い。
俺は、お前らバカにしまくった事なんてすっかり忘れてたよ。

結局、倭に 卑意なんて見つけられなかったんだから 俺はすっきりしたよ。
お前らの思い込みの激しさは殆ど 病気だな。
あれだけ聞いてやったのに根拠なんてだせなかっただろ。

魏 に 委が 使われてると指摘されたら
鬼さえ頭をさげるって意味で卑語じゃないんです・・・大爆笑。
9260cn4s5Cg:03/02/26 03:49 ID:RjkT/+JK
>>923
大陸にあったかどうかは、921の図ではわからないんだな
列島という位置をそのころ認識していたとも思えないが、
こいつら(1cの漢人)、倭が 東のどこにあると思って 登場させたんだろう?
って感じだな
927朝まで名無しさん:03/02/26 03:51 ID:rckcahxr
おいおい。1日中くどくどと連続カキコ、
書き荒らしておいて、よくそんなことが言えるな。
928朝まで名無しさん:03/02/26 04:05 ID:Ts8L/1TV
>>923
あくまで外野・観客さん。過去レスもみたけど、ズレてるのは君。
9290cn4s5Cg:03/02/26 04:12 ID:RjkT/+JK
>>927
俺がおまえらを馬鹿にしてた時間は、15時くらいが最後だろ それでこの話終了。
その後は極めて紳士的なんだがね、5cg だけ俺な
9300cn4s5Cg:03/02/26 04:26 ID:RjkT/+JK
まあ 人を馬鹿呼ばわりすると こんな後まで言い訳スレが続くんだな、反省。
それより
>>887  面白い話が出てるじゃないか、
「縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド
という定説。
呉越の民族は古モンゴロイドであり、ここをどう論破するのか?」

えー 俺は 呉越が弥生人かと思ってたよ。 呉越ってのが古モンゴロイドって
かなり確実なのかなー 
931あくまで外野・観客:03/02/26 04:28 ID:90osr8BG
全然荒れてなかった。
電波でもなかった。
ROMだけど興味深く読ませてもらいました。

>>925で指摘された魏の意味は確かにとって付けの仮説にしか見えない
倭は当時の漢人から見ればまず上位ではなく、対等でもない、なら
蔑称かというとそうでもなさそう、そういう未知の民族が東に居るぞ
というのが倭の始まり?もうちょい知るにつれ朝貢に来てるし使者は
みすぼらしいから(過酷な航海の果てに痩せて衣服が汚れた?)
以後変な漢字で呼ぼうにも倭という漢字を使った以上はそのまま
普通の倭人という呼び名を使ったと思う、最初につけた漢字の意味と
後の意味は違ってくると思う、だから蔑視する場合は「倭奴」とか
言ったのでは?
「倭」という漢字そのものには特に卑意は無かったと思います。
虫や獣偏が無いし。

932朝まで名無しさん:03/02/26 04:44 ID:dwuEVxuy
で、仮にもともと「倭」という漢字に卑意がなかったとして、
だからなんなの?
他国に卑や邪や奴を使う異国を蔑む文化をもつ漢が
倭の字を使っていたのだがら
1世紀にはすでに「倭」の字に卑意が入っていたことになるが。

ちなみに漢より前に倭の字を使った国はないと思うけど。
933あくまで外野・観客:03/02/26 05:03 ID:90osr8BG
>>932
>>で、仮にもともと「倭」という漢字に卑意がなかったとして、
>>だからなんなの?
それは卑意がなかったという事。
だから何なんでしょうね。
>>1世紀にはすでに「倭」の字に卑意が入っていたことになるが。
漢字だけの意味で言っても埒が明かないのかもしれません
ただ当時の中国人は自国が一番の文化国だと自認してるから
他国は当然後進国と認識してるでしょう。
だからと言って、「倭」の意味が卑語だとは思いません。




934朝まで名無しさん:03/02/26 05:34 ID:V+40XeeB
>>933
中華思想を理解していないみたいだな。

倭は嫌な言葉だと認識したから、「和」を名乗った。
これは通説。
ソース出せと言うなよな。1+1=2のソースを出せと言うのと同じだからな。

結局、日本側には落ち度はなくても中国は見下していたということ。
あんたなんか、会社で「良い社員」とおだてられて有頂天になるタイプかもね。
で、会社に行ったらクビになるタイプ。実は「あいつはダメ」と陰で言われていたタイプ。

ソース屋だったりして。
中華思想だな、僕ちゃん。
935朝まで名無しさん:03/02/26 06:06 ID:1mPUyyVH
中華は醤油だろう。
というボケはおいておいて。
そろそろ、倭から放れよう。倭馬鹿相手にいつまでやっているの。

神武は朝鮮からやってきたのか?からはじめよう。
タカマガハラは大陸の地だろうとの考えが、大きくなっているので。
第一、神武とかいう農耕民族の首長はいたのか?
そのあたりから知りたい。
936漏れは:03/02/26 07:49 ID:jb0pYMpN
0cn4s5Cg の意見まだまだ聞きたいなー。
一応、論理的だし実証的だよ。
937朝まで名無しさん
>>936
あきれたよ。
自作自演も甚だしい。単なる狂人だよ。
実証性なんか微塵もないカキコうざったい。
よく臆面もなく書けると思う。
大学行けなかった奴が狂ったカキコを続けているにすぎない。
病気の人は大学病院に行ったほうがいいよ。
はじめて大学関係へ行けるジャン。www)