さっきのNHKBSのやつ、今速攻でテキストにしてみますた。
読みにくいかも知らんけど、どうぞ。
――まずお兄さんとしての立場から。今の薫さんとゆきこさんはどんな感じですか?
きわめて安定している状態にある。まだ子供が戻っていないけれど、状態としては安定している。
もちろんまだ口にできないこともあるとは思うが、安定している。本人は、まぁ、心配はしていない
ということはないだろうが、心配はしていても動揺はしていないという状態。
とにかく毎日、何かに没頭したいということ。
――24年の中で、薫さんもなかなか心を開かない面もあるかとは思いますが
10月15日に帰国されてから、透さんはお兄さんとして大変不安をお持ちだったそうで
まず私が調査団がとってきたビデオ、彼の顔を見たときに、24年の長さを感じたわけです。
というのは、表情の変化とか、体つきとかまぁ、自分を年をとってるんですが、彼も24年分年を
とっているわけで。
「会うのが怖い」という表現をしたんですけれども、やはり、ほんとでしたら、24年前の彼のままだったら、
私も感激だったと思います。
ホテルに行っても、北朝鮮政府を代弁するような言葉が口に出ますので、それらのことを、変だぞと、
記者の皆さんに申し上げたわけです。
東京の2日間は、もう、固い意志というか、ちょっとこれを解きほぐすのは難しいかな、と。
あきらめ気分もありましたけれど。でも、金日成バッチをつけてはいるんですけれど、私らが
金正日とか、金日成とか言ってもそれに対する反応は無かった。
その点は私らでも慰めになりました。
――ある音楽が一つきっかけという風に私たちはお伺いしたんですけども。
イーグルスの(なんちゃらかんちゃら←失念スマソ…で、BGMにそのなんちゃらかんちゃらが流れる)
この曲と、もう一曲。南部の曲(??)
それが印象に残っている。心の支えになったと。そう、彼はそう言ってましたので。南部系の曲は
どうなんだとも言ったけれど、やはり彼はイーグルスが好きだと。
――その曲にまつわる思い出話とか。
先ほど北朝鮮の代弁ということを言って、アメリカのことをあまりよく言わなかったんですが、
アメリカのことをよく言わない割にはアメリカの曲を聴く。その辺、ちょっと気が楽になりました。
――その後薫さんの大親友の方の説得。10月の23日24日に転機。透さんの手記を読ませて
いただきましたけれど、薫さんの中に何か変化があったということを書いてらっしゃった。
私がちょうど、温泉に行った時、二人だけになったときに、北朝鮮の情勢がちょっと変わってきて
いるんじゃないかということを彼にしたんだけれど、核開発が問題になってきて、拉致問題というのは
端に追いやられる可能性がある。そうするとお前たちの立場っていうのも変わってきている。
北朝鮮に戻ってしまったら、これまでと同等の扱いは受けない、と、半分脅しみたいな話も
二人きりでしました。彼は日本に来てから、彼の知らない北朝鮮というのも、相当頭の中に入ったと。
――そのときの薫さんの心境の変化は。
たぶん国交正常化を推進するために、っていう考えが変わっていった。
――それと、透さん自身主張が変わっていることなんですけれど、5人は一歩も日本から出さない、
家族とは日本で会うべきだ、と、透さんご自身も主張を変えられた。これは?
5人で帰ってくるときには、内閣府のほうから、今回子供は来ないけれど良いか?という話がありました。
それはなぜかというと、今回は、親たちだけだけども、その次来るときには子供たちをつれてくる
用意がある。そういう状況で受け入れるかどうか。でも、とにかくお願いしますということにした。
最初は本人たちも固い意志があって、戻る日にちとか相談していたけれど、やはりさっきも言ったように
北の情勢も変化してきた。あとは、連れ去られた人間が戻ってきて、何故また戻らなければならないのか。
あと、母親が最初は会えて喜んでいたんだけれども、だんだん戻る日が近づいて、カウントダウンをする
ようになってしまった。そして、一日一日やつれていくというか、そんな状態になって。
で、もうこれは戻すべきじゃないと。それで政府のほうにも、この方針で行ってくださいということで。
――旅行先で、薫さん自身が「次は親孝行で両親を連れてきたい」とおっしゃった。
透さんは、薫さんが自分の言葉で語ったといいました。これはものすごく大きい?
そう思います。やはり、柏崎以外の、皆さんの歓迎のことも大きかったんでしょう。地元ではない、
妙高高原町というところの皆さんの歓迎振りも、ものすごいものがあったんですね。それで、彼も
このままじゃ絶対帰れないぞということで。自分で皆さんに話をする場をセットしていただいて、
「ありがとうございます」とは、言うとは思っていましたけれど、あそこまで踏み込んで言うとは
私たちも思っていなかった。
――今、薫さんの心はどこまで開かれたと?
まだ、立場上、彼は特別なところで特別なことをやってましたので、また、子供もまだ人質状態になって
いるので、言えないことがあると。その点、それから子供にかかる心配、そういうことを除けば、完全に
日本人に戻って、ま戻ってという言い方は変ですけど、昔の状態に、考え方になっていると思います。
あとは、バッチをいつはずすかという時間の問題だと思います。
――お兄さんとしては、ご本人の口から永住帰国という言葉を聞きたいことと思うんですけれど。
まぁ、私その永住帰国という言葉があまり好きではない。ま「一時」に対して「永住帰国」ということを
言うんでしょうけど、彼は子供たちが来て相談すればいい。私としては彼が強制的に日本に住めとか、
そんなことを言える立場ではないので。家族と相談して、それで、日本で嫌だったら、オーストラリアでも
ハワイでもどこでも行けば?ということを言ってます。ただ北朝鮮には、もう戻れないよと。
本人ももう戻れないといってます。
――本人も?
本人も戻らないんじゃなくて、戻れないといってます。帰ったら何が起こるかわからない。その辺は
彼はもう考えているのではないかな、と。
〜大体こんな感じ。