『通訳付の公判/鮮人同士の殺人事件(小倉市)』 福岡日日 1924/7/10 〔1/3〕 北九州・福岡 【犯罪】
『殺人鮮人は精神喪失者/呉博士の鑑定と昨日の公判』 九州日報 1923/2/21 〔〕 東京・東京 【犯罪】
>>468-470 裁判、即有罪ってわけじゃなかったのか。 自衛の為のハンドガンがライセ
ンシーを持った善良な民間人に溢れててた80年前も日本は安全な法治国家。
中国は今現在 横領で即死刑なのにね。 自衛用途銃審査登録などに合格出
来なかった不逞外国人DQNが時折悔し紛れに「 刃物や棒、手製爆弾など」
で暴れてただけ。
日本は戦前も戦後もそんなに変わってないみたいだよ。 さらに言うと今よ
り議会制民主主義がまともに機能していた。 寺内陸相と浜田議員の丁丁発
止のやりとりの腹切り問答なんか 今の寝ぼけた国会に比べると民主主義に
対する緊張感がまるで 違ったりします。 戦前の日本はアジアでは民主主
義とか自由主義に関してかなり 先を行っていたと思います。 ですから中
国革命の父、孫文などアジアの知識人が日本に亡命してたりするんです。
こういう事実を知ると戦前は暗黒時代、戦後は自由な時代になった という
のは全く嘘だと思うよ。
『美人の鮮女殺しは姦通料の一円から/便所の中で犯人内縁の夫逮捕/惨殺して海に投ず(門司市)』 福岡日日 1926/9/8 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【社会】
『妻の姦通に/鮮人が嫉妬の一撃/似島火薬庫の椿事(似島陸軍火薬庫工事場)』 芸備日日 1922/6/2 〔〕 広島・広島 【社会】
『鮮人同種の/姦通さわぎ/薪で頭を割る』 呉公論 1925/3/1 〔〕 広島・広島 【犯罪】