雅子様は皇太子様のチンポを

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●ハーバード大学と日本の皇室

 これは主にアメリカのメディアを中心として海外のメディアが指摘することであるが、何故ハーバード
大学まで卒業した才媛が、日本の皇室のように伝統的な、そして外からみると不可解な世界に入るのかと
いう疑問がある。
 この疑問の背景には、皇室自体を何か神秘的でミステリアスで合理的でないものとする、一種、エキゾ
ティズムの上に乗っかった思想があると思う。こうした議論をする人々にとって、ハーバード大学は、
自由、合理性、そして西洋的なものの象徴であり、一方日本の皇室は、不自由、非合理性、そして東洋的
なものの象徴なのである。
 さまざまな伝統やしきたり、そして独自の文化など、海外メディアにとって、日本の皇室というのは、
「わけのわからない日本」の象徴として格好の材料になっている感がある。その理由として、皇室や日本
についての知識の欠如が挙げられる。
 たとえば、アメリカのCBSが製作した世界の皇室や王室を取材する特別企画の「シックスティ・ミニ
ッツ」の中で、アメリカ人特派員が、皇太子ご夫妻がお住まいの赤坂御所ではなく、お堀の前で皇居のほ
うを指差しながら、「この多くの緑と塀に囲まれた敷地の中で、いったい雅子妃殿下は何をしているのか、
我々には少しも窺い知ることはできません。」という、事実誤認の記者リポートを行なっていた。
 加えて、これがまさにアメリカ的価値観であると思うのだが、事実がすべてクリスタルのようにクリア
ーでなければ、問題を感じるという「情報開示の国」アメリカと、一方、物事はすべてを明らかにすると
ころに本質があるわけではないとする「隠しの美学」を持つ国日本のカルチャーギャップがある。
 海外メディアの多くが、ハーバード大学まで出た女性が、どういう理由か、何の価値もない生活に自分
の身を置いているという発送で、今の雅子妃殿下を捉える。日本の皇室に対する、変な意味での神秘主義、
そして実態がわかっていないのに、自分たちの価値観でだけそれを捉えようとする態度が感じられる。
 実際、皇太子妃というのは、インテリジェンスと感受性を必要とする職掌であると考える私にしてみれ
ば、ハーバード大学を出たからこそ、皇室に嫁ぐというのももっともだという意見の一つぐらいあっても
いい気がするのだが・・・。


●「かごの中の鳥」は本当か?

 ニューズウィークが大々的に雅子妃殿下の特集を組んだときにも、「かごの中の鳥」という言葉が比喩
として使われていた。「かごの中の鳥」論は内外両方のメディアによってなされている議論で、雅子妃殿
下は自由に買い物をしたり、赤坂御所の外に出たりすることができない、それが可哀相であり、雅子様ご
自身も不自由に思っていらっしゃるに違いないというのである。
 このような報道は、私にはマスメディアの無責任さが感じられるところだ。故ダイアナ妃の場合は少し
違ったかもしれないが、たとえば、英国王室のメンバーが自由に外出したり、また99年6月に結婚した
エドワード王子やその妻ソフィーのようにそれぞれが職業を持つというのは、王室をある一定の距離を持
って見つめるという、成熟したマスコミと一般国民の存在を前提にしていると思う。果たして、日本のワ
イドショーなどのメディアを見ていると、そうしたいい意味での皇室への「距離感」が可能であるかどう
かは、はなはだ疑問である。
 ニューズウィークがとりあげた「沈黙するプリンセス」というテーマにしても、そうした状況を作り上
げたのは、宮内庁もさることながら、今のマスメディアにも責任があるのではないだろうか。
 たとえば、お二人が、ご結婚内定後、初めて開いた記者会見の中で、雅子さまが、わずか数十秒ながら
皇太子殿下よりも長くお話しになったというので、批判を受けたということがあった。こうしたことにも
っと寛容にならなくては、皇室のドアは、我々に向けてますます閉じられてしまうだろう。
 もう一つ疑問なのは、雅子妃殿下ご自身が、こうした状況にフラストレーションを感じておられるかの
ような論調である。大学時代以降に私が知っている妃殿下のご性格を考えると、マスコミが言うような不
自由さを妃殿下が感じておられるとは私には思えない。雅子様は皇室に入る際に、さまざまな制約がある
ことを十分理解して、ご結婚を承諾されたはずだし、「沈黙」といってももともと自ら積極的にお話しさ
れるご性格でもない。