【憤激】山口の母子殺害犯に再び無期懲役!2

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57シャブ中は何人殺しても無罪・・・
>>989 >>992
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/fukagawa.htm

1984年(昭和59年)4月20日、大阪地裁は、橋田忠昭に対し、
「心神耗弱による法律上の減刑をした場合の最高刑、無期懲役」の判
決を言い渡した。

引用・参考文献・・・『白昼凶刃』(小学館/佐木隆三/2000)、『戦後欲望史
 転換の七、八〇年代篇』(講談社/赤塚行雄/1985)、『現代殺人事件史』(
河出書房新社/福田洋/1999)、『人格改造マニュアル』(太田出版/鶴見済/1
996)、『別冊歴史読本 日本猟奇事件白書』(新人物往来社/1988年7月号

1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分ごろ、東京都江東区森下2
丁目14番3号の喫茶店「ロアール」前路上において、川俣軍司(かわまたぐんじ
/当時29歳)は、ベビーバギーに長男の博明ちゃん(1歳)を乗せ、長女の統子
ちゃん(3歳)を連れた近所に住む主婦の長野るみ子(27歳)が通りかかるや、
持っていた刃渡り22センチの柳刃包丁で、長男の腹部などを突き刺し、るみ子の
後ろから背中を突き刺し、統子ちゃんの胸を突き刺して、母子3人を死亡させた。

そこから約10メートル前方の「三河屋酒店」前を通行中の二本松美代子(33歳
)の腹部などを突き刺し死亡させた。

そこから約15メートル前方の「森下診療所」前を通行中の米田愛子(仮名/当時
71歳)の腹部を突き刺し、加療4ヶ月の重傷を負わせた。

そこから約10メートル前方の「花菱化粧品店」から出てきた森川明子(仮名/当
時39歳)と、鉢合わせになり、明子は刺されると思い、とっさに右手で包丁を払
った。そのとき、明子は手首に加療2週間の怪我を負ってしまった。

午前11時40分ごろ、川俣は中華料理店「萬來」前を通行中の山辺咲子(仮名/
当時33歳)を人質に、「萬來」の奥6畳間に引きずり込んだ。「萬來」は開店前
で客はいなかった。川俣は6畳間にいた店の経営者夫婦と子供に対し、「てめえら
出て行け、出て行かないと殺すぞ」と怒鳴った。それで、この夫婦と子供は裏口か
ら逃げた。包丁で咲子の背中に加療1週間の怪我を負わせ、立て篭もった。