恐怖の「人権三法」〜政・官の狙いは報道規制だ
(城山三郎〜時代の風3・10)
法律というものが、こんなにいい加減に、そして、不純なというか、
私的動機でつくられていいものなのか―。
いま、私は憤りを通り越し、あきれて物も言えぬ心境である。
他でもない。「人権三法」の美名で、成案が急がれている個人情報保護法案、
青少年有害社会環境対策基本法案、人権擁護法案の3基本法案のことである。
そういえば、戦前から戦中にかけて多くの犠牲者を出し、軍部専制の暗黒時代を
つくることになった「治安維持法」もまた美名であった。
「人権擁護」といい、「治安維持」といい、実体を知らされない国民にとっては、
ごくもっともな法律に思えるが、その実体が自由主義や民主主義を根幹からゆるがす
極めつけの悪法であり、いったん施行されてしまえば、とり返しのつかぬ恐ろしい
ことになる恐怖の法律である。
まず、個人情報保護についての法制化がいかに粗製濫造かの証拠をあげよう。
当初作ったのは、個人情報を持っている行政を律する法律であった。
ところが、漏洩公務員を罰する規定はなかった。その点について、政府側は
「公務員には守秘義務があり、それで十分」と釈明している。このことを置き去りにして、
民間の活動に大きくタガをはめようとするのが、今回の法案だ。
実は、この背景には、主要閣僚2人のスキャンダルが雑誌であばかれ、前内閣が
退陣に追いこまれるという出来事があった。
そこで権力者が官僚なり官房に働きかけ、官は官で権力者に媚びて、書き手で
ある国民を罰するという風に、方向転換。
つまり、それら権力者は、国民国家のことなど考えず、私心だけで働き、法律さえ
も私物化しようというわけで、政・官ともにここまで堕落したのかと、唖然とし、慄然とする。
悪名高い個人情報保護法案によれば、A氏のことを書こうとする場合、まずA氏の
了解を得、A氏のことを知るB氏やC氏から取材するのに当たっても、先にA氏の了解を
とらねばならず、さらに雑誌などに発表する前に、原稿をA氏に「検閲」してもらって、
了解をとらねばならない。
このため、悪人について、その悪い点を書くことはできず、もし二重三重の「検閲」を
パスしなければ、主務大臣が出版社や書き手である国民に、改善を勧告・命令する
ことができ、応じない場合は6月以下の懲役または30万円以下の罰金が科せられる
―という自由主義社会のどこにもない悪法であり、悪人が善人面して大いばりできる
社会になり、ファシズムや全体主義が猛威をふるった戦前、いや戦前以上にひどい
暗黒社会へ一直線に突き落とされ、とり返しのつかぬことになる。