940 :
3連続でいきまーす:
「青少年社会環境対策基本法に対する反対意見への反論」
が、ちと長くて分かりにくいので要点を整理してみました。
(1)表現の自由(報道の自由を含む)を侵害するから憲法違反である。
現状でも、様々な規制は入っている。(例として最高裁判決、その他数点)
また、米国でも同様である。
青少年を有害情報から守るという極めて公共性の高い、かつ明確で緊急性のある案件に
おいては、表現の自由がある程度は制限されるのは当然である。
(2)メディアの有害情報の影響を受けて青少年が犯罪を起こすという因果関係が立証された例は、
これまで一つもない。
科学的に疑問の余地が無いまでに立証された例はまだない。が、ある種の青少年にとっては
極めて強い因果関係があると思われる。その根拠としては、人間の行動には無意識が及ぼす
影響が意外に大きいことが判明している。抑制機構がまだ強固に構築されていない青少年や
鋭い感受性を持っている青少年にとっては有害情報は危険な刺激である。また、青少年に
限らず、人間の責任能力自体が従来考えられてきた程あるかは疑わしい。マルチメディアの
発展にそなえ、今の内から歯止めを検討するべきである。
また法律的には、因果関係が科学的厳密さで証明されなくても、社会的な合意があれば、規制
できるという説が支配的である。最高裁判決の補足意見としてそのような記述がある。
(3)テレビやビデオゲームの影響を受けて犯罪に走る青少年がいるかもしれないが、
それは極めてわずかな数に過ぎないから、これをもって全体を規制するのは過剰である。
現実に犯罪に走る青少年を問題にしているのだから、比率が小さいのは当然で、大きければ大変
である。大切なのは、犯罪が偶発的なものか必然性があるのかを考える事である。
有害環境からの影響、相関関係が極めて高いのならば、比率は小さくても原因のコントロールを
考えるべきである。(以下、有害情報との関連が深そうなものを二つ、例としてあげている。)
941 :
2発目:02/03/10 10:37 ID:tXwLxAfy
(4)有害環境の定義があいまいである。
この種の反対論には十分な反論は難しい。代替案も出さずにあいまいだからと批判するのは
反対をするためのあら探しに過ぎない。仮に妥当な定義に変更をしても、反対が賛成に
変わることはないだろう。
米国において、この「あいまいさ」が問題になったことがある。しかし青少年(略 には
あてはまらない。米国では行政が規制を行うものであったために、範囲の確定が重要だった。
しかし青少年(略 は事業者に自主規制を促すものである。有害環境の定義は、まず
関係者の自主的な判断に任せ、実効があがらなかった場合に指導するものだからである。
(5)善悪を内閣総理大臣と都道府県の知事だけが判断するのは好ましくない。
二人だけで善悪の判断をしようというものではない。これは責任者の規定を表現しているに
過ぎない。行政府による経済的な規制は原則として行わない方が良い場合が多い。が、
公害規制や交通規制は行政の責務である。
本法案の趣旨は、自主規制にある。自主規制が効果を上げていれば、助言、指導、勧告などは
一切発動されないのだ。また、発動する場合でも、関係者と広く協議をする前提となっている。
規制といっても、勧告に従わない事を公表するだけであり、官による規制と呼ぶのはおこがましい。
過度な勧告が行われた場合、従わない事を公表されても、国民の判断により、社会的な制裁には
つながらないだろう。社会の良識に沿った勧告の時のみ、制裁の実効があるのである。
(6)メディアの規制は法律で行うべきものではなく、自主規制が望ましい。
この批判は的外れである。この法案は自主規制を促すものであり、同じ趣旨であるので
心配はいらない。民放連は既に番組基準を設定しているので、必要ないと言っているが、
この法律は民放連のためだけのものではない。
しかし、現実問題として現在の自主規制が実効をあげているだろうか。
本法案では、助言、指導、勧告を行っても改善されない場合のみ、公表される事になっているが
個人的にはそれで実効があがるのか不安である。が、業界自主規制で改善が進むのであれば
それに越したことはない。関係者の一層の努力を望む。
942 :
終了。長くてスマソ:02/03/10 10:37 ID:tXwLxAfy
(7)良い作品まで有害と見なされてしまう危険性が大きい。
この意見は二つの基準を混同している。「良作〜駄作」と「安全な作品〜危険な作品」
という二つの基準である。従って、規制対象と作品の価値とは無関係である。(この辺意訳)
「良い作品」であっても、過激な暴力などが多ければ、青少年には見せない方が良いのだ。
「バトルロワイヤル」という作品は「R〜18」に指定するべきだった。
この作品で言わんとしているような高尚な内容は平均的な16歳程度の青少年が理解できる
範囲を超えている。大脳の成熟度を科学的に測定してみると、20歳直前で成熟する事が分かる。
つまり、成熟が完成していない高校以下の生徒に見せても、「百害あって一利なし」なのだ。
終わりに
言論・表現の自由は絶対的な物ではない。公共の利益の為に制限されることがあるのは必然である。
本法案の趣旨は、あくまでも青少年を保護するための自主規制を促す事にある。
青少年を有害環境から保護するためには、表現の自由がある程度まで制限されてもやむを得ない
のである。
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* これは要点を分かりやすくするために原文を抜粋、あるいは意訳したものです。
* 出来る限り原文の意を忠実に再現しているつもりですが、保証できるものではありません。
* 気になる点については、その都度原文を参照して下さいです。