天皇一族は毎年いくら税金使い込んでんだ?

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276名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 01:20 ID:CTBHXHvQ
>>275
もう100倍ぐらい出しても、全然文句ないよな
277名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 01:24 ID:S8oYEO1G
うるさいこと言ってるやつに限ってろくに税金払ってないやつじゃないのか。
良くないとは思うが人頭税にしたらいいとすら思う。
278名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 01:24 ID:IAUScGgo
自分につっこむのもなんだが、
>朝銀に1兆円公的資金投入
1兆円だったら2500年分だ!
皇紀に近いとは・・
279名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 01:35 ID:olEreGC0
天皇家は江戸城跡地と青山御所地の借地代をチャンと東京都へ払っている
のかな?新太郎知事は領収書をチェックしているか。税収不足だから
地代値上交渉を天チャンと早くしてくれよ。
280名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 01:38 ID:azQWKdNM
皇居が邪魔みたいな言い方がありますが、あれはあれでいいです。
公園つくったりビル街にしたりするのは変。それなら山手線沿線
まとめて再開発したらいい。
281>279 :01/12/04 01:41 ID:N2z8m44m
おまえひょっとして頭悪い人?
馬鹿?
282名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 02:52 ID:no8mhEK1
>>281
根拠の書かれてない煽りは>>279と同類のバカだと思いますが。
283名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 03:06 ID:P+kMdC+w
天皇とか窮屈でたいへんそうだ
頼まれてもいやって考える方が多いと思うけど
いっぺんしかない人生、金か不自由かどっちがいいかって感じ
284名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 03:14 ID:09fUxh1l
明日の象徴を目指そう!!
国事行為だけのカンタンな仕事です。

―― 募 集 ――

◇職 種 天 皇
◇時 間 9時〜17時(時間応相談)
◇給 与 30万円以上(晩餐会時は残業代支給)
◇待 遇 社保完、週休1日、誕生日会有、侍従・SP付
◇勤務地 千代田区千代田(出張有)
◇資 格 印鑑を上手に押せる方歓迎、食べ物の好き嫌い無し、経験者優遇、不要普免
       ※所持資格はすべて剥奪されます。
◇応 募 電話連絡の上履物持参

●問い合わせ先 : 宮内庁長官 千代田区千代田一番地
285名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 03:18 ID:O/3cVD8k
国家元首に借地代とか何とかを適用させようとするのが愚かでは?
そんな概念が生まれる以前から続いてるからねえ、我が国の皇統は。

で、結局思うのだが、もし日本で阿呆が権力もって天皇制廃止したら、
国民の有志が金を出すか、歴史の無い外国が招待すると思うが。
皇室の価値ってそういうところにあると思う。
286ERROR:クッキーをオンにしてちょ。:01/12/04 03:20 ID:UgJvhyDG
経験者優遇っていいね(w
287天皇ちゃま、ちゅき☆:01/12/04 04:50 ID:GXSwzIMM
各地で祝賀して、何万人もが皇居にわざわざ足を運んで記帳している。
その映像一つだけで、日本人の潜在的な一体性を諸外国は改めて
感じているはずだ。

歴史も伝統もあるのだが、それに+αとして国民1人1人に精神的な
統一性としての象徴を持てなかった中韓朝のほぞを噛んでいる姿が
目に浮かぶ。

日本人は政治形態は変わっても王家の血統を絶やさなかった
不思議な国民である。その象徴である天皇家を維持していく費用として
200億など安いものではないか!
288名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 05:22 ID:pzWN9dwm
皇室用財産とされているもの
皇居(約35万坪)、赤坂御所(約2万坪)、京都御所(約6万坪)をはじめ
葉山(約3万坪)、那須(約364万坪)、須崎(約12万坪)の各御用邸に
桂離宮、修学院離宮、正倉院、御料牧場、鴨場、陵墓などあわせて
土地約747万坪、建物約5.5万坪

皇室関係予算(1999年度)
 皇室費       69億2017万
 宮内庁費     119億6798万
 皇宮警察本部予算  91億9410万(警察庁関連)

うち、皇室費内訳
 内廷費  3億2400万
 皇族費  3億0653万
 宮廷費 62億8964万

 (1)内廷費
     内廷費は天皇、皇后、皇太子、同妃、紀宮の日常の生活費やその他内廷の諸費にあてられるもので、
     国庫から支出されたものはお手元金になるものとし、宮内庁の経理に属する公金ではない。
     また所得税は課せられない。剰余金は内廷会計基金として株券や債権などに投資されたりしている。

     内訳
     (1980年の参議院内閣委員会で宮内庁が公表したもの。ただし、宮内庁公表はパーセンテージのみ。
     金額は1980年度予算の内廷費(2億500万)で算出)

      天皇家が私的に雇用関係を結んでいる内廷職員25人分の人件費
      (宮中祭祀に携わる掌典職、生物学研究所職員、臨時雇いの養蚕所の雇員や美容師など)
                       34%(約7000万)
      物件費
       服装、身の回り品など      18%(約3700万)
       食事、会食など         13%(約2700万)
       各種団体などへの奨励金、交際費 10%(約2000万)
       研究、教育関係          7%(約1400万)
       宮中祭祀             7%(約1400万)
       医療費などもろもろの経費    11%(約2300万)

 (2)皇族費
     皇族費も所得税はかからず、お手元金である。
     皇族としての品位保持の資に充てるため年額として毎年支出するもの。

 (3)宮廷費
     宮内庁の管理する公金で、天皇、皇族の公的活動や皇室用財産の維持、管理に充てる。

      儀典関係費・・・宮中の儀式、行事、各地への行幸啓のため
      宮殿管理費・・・宮殿の補修、冷暖房など
      皇室用財産修繕費・・・各地の皇室用財産の維持、修復など
      皇居等施設整備費・・・皇居、東御苑、各殿邸
      文化財管理費・・・雅楽の保存、正倉院関係などの修補等
      車馬管理費・・・自動車、馬車費用

     など
289名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 05:44 ID:SQVXd+lQ
287>
血筋は随分変わったと思うよ。南北朝時など、一時、三人も天皇がいたことがある。
そう考えると、単に皇家という「家」が残ったにすぎない。
天皇家の系図は残るだろうが、歴史の表舞台から消えた時代は随分あったので信頼に欠ける。
幕末に倒幕派が尊王を唱えたのは、徳川幕府という一つの権威に対する駒としたにすぎない。
その証拠に意のままにならなかった孝明帝の暗殺企て、その子を擁立し、意のままに操った。
権力は薩長土肥閥から軍閥に移行するが、皇室はあくまでも利用される存在でしかなかったはず。
戦後、皇室は象徴(シンボル)とされたが、これは国民の精神的な支柱とされたわけではない。あくまでも「お飾り」でしかない。
精神的支柱になされている方々もおられるが、多くの国民は二度と、天皇陛下の赤子(せきし)とされ、戦場に送り出されることは御免こうむりたいとおもっているはずである。
290天皇ちゃま、ちゅき☆:01/12/04 06:40 ID:GXSwzIMM
>289
・血筋うんぬん
これは全く別の話だ。あくまでも、正史でものを述べている。
文意でこれぐらい気づけヴォケ。

・三人の天皇、駒、軍閥?の利用
その時々の政権が自己の正当性を裏付けるための拠り所として
天皇の権威を必要とした。あなたの言っていることは間違ってないよ。
良くできました◎。
よって、天皇制は維持すべきなんでしょ? 違うの?

・戦場云々
これも意味不明。陛下の赤子としてでもなんでも、戦争なんかごめん
被りたいと国民の大多数は思っているはず。(←まねしてみた)
国家の外交的手段の一つとして戦争手段があるわけで、そのときの
政体が立憲君主であったから陛下の赤子なんじゃないの?

英では女王陛下のためにって戦ったんじゃねぇのか?
君主ってのは国民に選ばれたわけではないが、その君主を旗に
担ぐのは普通だろ?あれは国民戦争だったんだぞ。

奥さんのために出陣すっていうのか?おじいちゃん、おばあちゃんの
ためってのか?ここまで書いたらわかんだろ。

自分、もう少しちゃんと書けよ。論理めちゃくちゃ。真性厨房だな。
お前は、太平洋戦争的話題の影響が大きいな。明治以降の天皇制
というフィルターを通してしか歴史をみられない知ったか歴史DQNくんだよ。

ココをチョット読んでみそ
ttp://www06.u-page.so-net.ne.jp/fa2/redfield/0204.htm
291名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 06:46 ID:G7gKtRZR
明治以降の天皇制で十分だと思うが・・・。
英国のことがなんで日本と関係あるの?
魑魅は真性消防くんじゃないの?
あのさ、何言ってるか全然わからない。





292天皇ちゃま、ちゅき☆:01/12/04 06:56 ID:GXSwzIMM
>291
この日本語が理解できないのか・・・





あほ
293雅子チクロンB投与:01/12/04 07:00 ID:22pYQk2p
>明治以降の天皇制で十分だと思うが・・・。

明治以前の一般民衆がテンコロを拝んでいなかったことが
百姓共にも啓蒙されてきたようですな、バーカw
294        :01/12/04 07:04 ID:PRO8xraJ
>>293
江戸期の間違いだろ?
295         :01/12/04 07:05 ID:PRO8xraJ
それに 以前 というのは明治も含む。
296 :01/12/04 08:16 ID:sxoHBH6w
なぁ、文化財売れとか、大統領制にしろ、とか天皇を奴隷にとか
頭の悪い事言ってるのは同一人物だろ?
そうだと言ってくれ
297名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 12:29 ID:xSRk2+Ku
>293
あほ。
江戸以前でも民衆は天皇の存在くらい認識していたわ。
京の都におられる天子様といえば誰のことかくらいわかる。
明治以後の国家神道のように、天皇教として拝んでいなければ、
民衆が天皇を敬愛している証拠にはならないとでも言うのか?
298名無し:01/12/04 12:35 ID:NTGkILta
>>293
何で「お伊勢参り」が流行したか考えろ。
大体、江戸時代の寺子屋では読み書きやそろばんなどと同様に、国の興り
として古事記や日本書紀の神話が教えられていたんだぞ。
299名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 13:37 ID:y+HV2kHO
>>297
存在は知っていたが、崇拝の対象ではなかった。
神主の総元締めってイメージだな。
300名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 13:37 ID:y+HV2kHO
>>298
江戸時代は誰もが自由に旅ができたわけではなく、
なかでも農民は村を離れることが禁じられていた。
こういう人たちが村を離れるために有効なのが寺社詣だったのだ。
なかでも伊勢参り国の祖神である伊勢神宮に詣でるわけですから
大義名分としてはこれ以上のものはない。
詣でる目的も現世利益、つまり自分に幸福が訪れることを祈願してるだけで
皇室崇拝の意味はない。
では、なぜ伊勢神宮かというと、平安時代後期から鎌倉時代にかけて現れた
御師(おし:お参りの人たちのためにご祈祷をしたり、案内や宿泊の世話をする。
また年末には神宮のおふだや暦を配った)の活動と共に「伊勢講(いせこう)」
という伊勢参りの講社も各地に組織されるなどして、みるみる参宮が盛んになり、
庶民特に農民のお参りが増えたのだ。
この旅は、お伊勢参りだけでなく、奈良・京の都の観光、熊野参りもかねることの
できる一生に一度の遊楽の旅だったのだ。
さらにこの旅は幕府公認であったことも流行した要因に挙げられる。
301 :01/12/04 13:39 ID:eRsXkxNu
年間費用は4億円
302名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 13:48 ID:y+HV2kHO
ついでに>>298
江戸時代の庶民が寺子屋にどういう目的で通っていたか知ってる?
江戸時代でも読み書きができなければ人の上(商家なら番頭、船なら船頭)
に立てなかったのだよ。
江戸後期の平田国学にかぶれた一部の寺子屋ならあったかもしれんが、
ほとんどの寺子屋ではそんなことは教えていない。
どうしてもあるというならソース出してくれ。
303      :01/12/04 14:08 ID:xk3sps3a
>>297 >>298
敬愛はしてないんじゃない?江戸期は。
幕府が賊軍と成った後も江戸市民の支持は、圧倒的に徳川政権支持だったのは有名。
つまり、その程度の「権威」(実際幕軍の殆どは戦闘行為を辞めない)
明治の義務教育制度が施行されるときに如何に「何故天皇は偉いのか」を教えるの
かを腐心したらしいし。
司馬の「坂の上の雲」の中においては(小説なので真偽は分からないが)
学校で子供に「皆がお参りするお稲荷さんより、天皇は偉いのだ」と説明していた
とする部分がある。
同作家の表現を借りるなら「神主の元締め」程度の認識で、その主催する神道自体
仏教とゴッチャで(ここら辺は今の日本人も同じでリアル)独立した宗教として自
覚する者も一部知識人以外は無かったとか。
304 :01/12/04 14:21 ID:ixQpnWzc
ホワイトカラーが増えたからって事でいいんでないの?
305 :01/12/04 14:21 ID:uH4JILb5
>>297
江戸時代の庶民は「公方様」が天皇のことかと思ってたそうだぞ。

天皇崇拝なんて明治になってから人工的に作られたものだよ。伝統なんか無い。
306 :01/12/04 14:26 ID:Wx0s90UF
江戸時代の庶民(俺の先祖も含めて)なぞ、現代では犬・猫レベルだろ
307名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 14:29 ID:gUxvnSBS
江戸はともかく、他は情報統制されてたかもねぇ。
308名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 15:05 ID:I3TU1/bD
荒歳流民救恤図とかの、流民の存在は?
江戸には、常時5万人程度の流民・無宿人が居たそうだけど。

>江戸時代は誰もが自由に旅ができたわけではなく、
>なかでも農民は村を離れることが禁じられていた。
これはちょっとアップデートする必要がありそう。

http://www.google.com/search?q=cache:wcTyI1e8wKk:www.sogi.co.jp/sogikou/sogikou4.htm+%97%AC%96%AF%81%40%91%92%8BV&hl=ja
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/synozaki/books/edososho.htm
309ジンジャーでした。:01/12/04 15:53 ID:sshrz/5y
天皇批判している奴はあまり考えていない。
右翼にひどい目にあわさせた経験の持ち主

お前のことだ 新宿1丁目のハンバーガ屋さん
ナプキンぐらいつけてくれ ミートソースこぼれたらいかん
夕日さえ。
310名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 15:59 ID:xUeWKjAr
 なんか劣等感持ってる連中だろ。
血とかにね。
311名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 16:45 ID:y+HV2kHO
>>308
なぜここで流民が出てくるのかナゾなんだが。
無宿人と農民を一緒にしてどうする。
キミのアタマの中ではホームレス=サラリーマンとなっているのか?
で、頑張って検索したURLだけど、残念ながらクソの役にも立ってないな。



>>309
どうでもいいけど「右翼にひどい目にあわせた」のなら強者だな(ププ
312名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 17:05 ID:I3TU1/bD
>>311
>江戸時代は誰もが自由に旅ができたわけではなく、
>なかでも農民は村を離れることが禁じられていた。

これに対して、荒歳流民救恤図なんかの実例を出して
「違いますよ、農民も移動できたんですよ」と言ってるんだけど。
また、キミの知識は論拠の裏付けがないから
私は「墓・人骨」という物的証拠に基づいた論拠も出した。

>よく江戸時代に寺檀制度が確立し、庶民の墓が生まれたと言われるが、
>最近の発掘調査の結果、江戸という都市には檀家ともなり得ない、
>つまり家族を保持しない流民が多数存在し、彼らの死後は投げ込みのように
>扱われたことも判明している。(西木浩一「墓」、『方法 教養の日本史』所収)
Googleキャッシュのリンクから。

江戸時代、江戸に「お上りさん」のような脱農者が全く居ないのだとしたら
家族無しや無縁者(の骨)は、いったいどこから湧いて出たのだろうね?
おまえさんによると、移動できないんでしょ? 人口の90%以上を占める農民は。

これらについて釈明してから「役に立ってない」と言いなさい。
313名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 18:23 ID:y+HV2kHO
>>312
だから農民=無宿人なのか?
貨幣経済の浸透と度重なる飢饉と苛酷な年貢の取立てで階級分化を起こした
農村では、兆散が増えたということは学校で習ってるはずだが?
農民(漁民、商人)が生活立ち行かなくなって無宿人や流民になってんだろ。
それが江戸に行きゃなんとか食えるからみんな上京してんだろ。
今で言うところのサラリーマンがリストラされてホームレスになったようなもの。
つまり住所不定・無職だ。
そういう階層が大勢いたからといって農民が自由に移動できたという展開は痛すぎ。

ボクちゃんの手元に日本史の教科書があればこういう記述があるはずだ。

1750年:農民の強訴・徒党・兆散が禁止される
また寛政の改革を始め、農民の離村を禁じる法律も幕府が数回出しているんだが?
314名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 18:30 ID:sB+7PtJg
>>313
数回って、法令を何度も出さないといけないぐらい
離村した農民が居たんですか?

なんかイメージと違いますね。
315名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 18:39 ID:sB+7PtJg
>>312
知りたいんですけど、お伊勢参りだけが移動できる口実だとしたら
目的地の伊勢で死んだ人も多いと思うんです。

そういう資料はあるんでしょうか?
316名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:36 ID:IhwTdBbV
農業だけでは食っていけなくて農民が街に出稼ぎに出るってのは歴史の授業とかで
やってたと思たけどな。図書室にあった歴史漫画にもその辺り描かれてたように思う。
で、農村部が寂れてはおさむらいさん達には都合が悪いわけで取り締まりの強化を
してたと。なんだか今の不法滞在外国人労働者みたいな扱いだったのかねぇ?

ところで天子様のお話はどこへ行ったんですやろ?
317名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 22:43 ID:fvbbdOEk
>>316
出稼ぎではなくて兆散なのだよ。
つまり故郷に戻ることはほとんどない。
さらに農民だけではなく武士階級も移動のは厳しい制限が
課せられていたぞ。
例えば、江戸に留学する場合、藩からの許可が出ないと不可能だったし
滞在期間もあらかじめ決められていて、それを破ると脱藩扱いになった。

>>316
>>308他の厨房な意見に流されてすっかり過去の話題となったな。
しかし、室町時代から江戸時代にかけては、皇室が崇拝されていた
ことはない。豊臣氏が政権を担当していた時期以外には。
318名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:20 ID:PnjkbkCW
>>317
でも移動することはしたんでしょ? 経済的な理由で。
別に、お伊勢参り「しか」移動がなかったわけじゃない。
>>308を厨と言ってるけど、例外を作っちゃったんですね?

結論は、「お伊勢参り」という大義名分が無くても
経済的理由で、農民は移動(兆散?)した。

だから、>>300で言ってるような
「お伊勢参りは、移動の大義名分のみ」というのは
「成り立たない」と、読み取ったんだけど。
319名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:31 ID:nxnszgrO
>>318
しかし「兆散」しちゃうと「流浪」となるから「移動」とは
言えないんじゃないかな。もっとも「移動」自体が人生の目的かもしれんけど。
農民が合法的(兆散は違法なので)に長距離の移動するには「お伊勢参り」
ぐらいしかないと思う。

スレの趣旨からずれちゃうんで移動の話はもう止めたいのですが、
ただ>>298の江戸期の「お伊勢参り」=天皇崇拝ではないことは確か。
320 :01/12/04 23:34 ID:5hzu08k/
天皇家は一生で1人としかSEXできないの?
おかわいそうに(と、こんな時こそ敬語を使ってみる)
321名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:36 ID:PnjkbkCW
>>319
確かにズレまくりだねー。
でも謎が増えたんで、これだけいいかな?

お伊勢参りを名目に移動しても、
江戸に入れるのは、伊勢 << 江戸 <<以北の人間だけだと
思うんだけど。江戸に流入してたのは、東北人だけ?
322名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:42 ID:nxnszgrO
>>321
兆散とお伊勢参りは別だよ。
お伊勢参りとみせかけて兆散した例もあるだろうけど。
西日本でも伊勢を通り越すってこともあるだろうねぇ(藁

>>321
筆おろし担当の女官がいるという噂はある。
まぁ、庶民みたいに街でナンパや出会い系サイトに登録は無理だろうな。(藁
あっ文仁クンは学習院でナンパしてGetしたのかも。
323 :01/12/04 23:48 ID:5hzu08k/
>筆おろし担当の女官
コーフンするぜハァハァ
324名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/04 23:51 ID:IhwTdBbV
>>323
田嶋みたいなのが出てきたら拷問ですな。
325 
>>319
崇拝ではなく敬愛されてたんじゃないのか?