教科書裁判の支援者たちには秘密にしてきた家永論文の一つに、「教育勅語成立の
思想史的考察」がある。これは戦前戦中ではなく、戦後になって堂々と学術同人誌に
書いたものである(引用に際し現代語表記に改めた)。
《明治天皇は多くの人材を有し給えるが故に、(中略、教育勅語は)立憲政治の道徳
を積極的に高揚している。(中略、勅語の内容は)すこぶる普遍性豊かにして、近代
的国家道徳を多分に盛った教訓となっていたのである。(中略)勅語の不党不偏の精
神の由って来る処は昭々として明らかと云わなければならぬ。(中略)天皇が如何に
進取の御精神に富ませ給うたかは御製によって明白にうかがうことができる。》
(『史学雑誌』第五十六巻第十二号、四六年十一月)
よく知られているように日本国憲法が公布されたのは同年十一月三日であり、その
公布に向けた議論の最盛期に家永三郎は何と明治憲法を称え、教育勅語を絶賛してい
たのである。天皇への臣民の忠誠こそが《国体ノ精華》であり《教育ノ淵源》なのだ
とする教育勅語が、失効したのは敗戦直後ではなく、一九四八年六月十九日に衆参両
院で失効確認決議がなされるまで時間がかかっている。より正確にいえば、四六年十月
からようやく公教育における教育勅語の奉読が禁止され始めており、まさにそのよう
な時期に家永は勅語を死守し再評価する必要性を叫んだのである。その精神は、五〇年
の天野貞祐・文部大臣による教育勅語擁護発言や八二年の中曽根康弘・総理による
勅語賛美と何ら変わるところはない。
タコツボに入りきった史学者の主流に迎合した家永氏の論文は、確かに反体制(笑)
であったかもしれない。国体護持を先頭に立って戦後も(戦前じゃないよ)賛美して
いた家永さんには、森首相の「国体」発言の感想をぜひお聞きしたいものである。
(『偽善系』第二章「さらば二十世紀の迷著たち」より)
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