【歓喜】2001ノーベル平和賞に日本人2人!!

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 私はかつて『「松代大本営」の真実』(講談社現代新書、九四年)という本を書いた
ことがある。その長い取材過程でも聞き書きの不確実性を日々実感した。三年ほど前、
韓国の国営放送局ディレクター氏が私をインタヴューしたおり、「松代大本営の建設
現場で韓国人は戦争が終わってからも日本人に銃殺された、と証言してほしい」と執
拗に迫られたことがある。私は証言できる立場にはないし、しかも何より「戦争が終
わってからも銃殺された」のは事実ではない、そんなことがもし万一あったら国際的
な大スキャンダル(あるいは大スクープ)だ、と私は説明した。しかし韓国人ディレ
クター氏は、「韓国人がここで虐げられたことは事実なのだから、その象徴としてぜ
ひ戦後の銃殺のことに触れてほしい」と繰り返し、ついに、どこから見つけだしてき
たのか地元の研究者に「そのこと」を番組のなかで“証言”させていた。
 聞き書きに基づく著作群は、とりわけ半世紀前の大戦をめぐって爆発的に世に出さ
れた。その集大成ともいうべきは、家永三郎『太平洋戦争』(岩波書店、六八年)と
『戦争責任』(岩波書店、八五年)である。

《ここには一つだけきわめて具体的な記録を例証として引用しておこう。それは強制
連行の実施に当たった吉田清治が自ら筆をとって著作した『私の戦争犯罪 朝鮮人強
制連行』に見える告白である。》(家永『戦争責任』)

 残念ながら、吉田清治氏の著作はご本人が創作であることを、のちに認めざるをえ
ない代物だった。ここで敢えて指摘しておいたほうがいいと思うのだが、家永氏の手
になる著作は、そのほとんどすべてが引用によって成り立っているのである。独自調
査はカケラほどにも見当たらない。