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現役:
新学生会館見て来ました。
全室冷房完備。部室は大体6畳半。
カードキー持ってないと入れないというわけでもないみたい。
現役生が個人的に鍵を持つって感じで他大生もOBも入るのに
拒否される訳でもないみたい。社会人もOKっぽいぞ。
パソコンもあるしモスバーガーセブンイレブンも入ってる。
シャワー室もついてる。24時間使える。
今までの環境を考えると嘘みたい。
しかしその管理体制は今までに比べると厳しい。
カードキーをもらうには学生書のコピーを提出しなくてはならないし
玄関には警備員が配備してて学生課が地下一階すべて使ってる。
全室禁酒禁煙。
核○でなくてもこれはナぁって感じ。いくら小奇麗になっても汚く
て雑然とした一学が好きだったよ。広末やら奥島への抗議ビラに
サークルの勧誘から早稲田大学新聞に社会風刺ポスターもあれば
怪しげな薬物被験者募集にネタ系まで壁の至る所に貼られていたなぁ。
汚くしようとしてもすぐ掃除されて剥がされちゃうんだろうなあ。
ここ数日間、2ちゃんの掲示板書き込みを追いながら、
どうして僕が早稲田の地下サークル部室にこだわるんだろうと
自問自答してみた。
僕はここで、たくさんの宝物をもらった気がする。
新学生会館への移転を契機として、
こうして改めて思い返してみても不思議に感じるのだけれど、
いままで僕は、首尾一貫してなにかやたらと忙しかったように思う。
それも、よく遊びよく学ぶといった整然とした感じではなくて、
「よく遊びよく学ぶ」というカテゴリーから外れるようなところで
ひたすら忙しかったような、そんな気がしている。
(たとえば、歌を作るということにしても、どっちに入るのだろう?)
学生時代に得た知識の大半は、大教室の講義からではなく、
部室を訪れたいろんな人たちと接するなかからだった。
それは、サークルの現役部員であったり、
たまたま部室を共有する他サークルの人であったり、
会社がえりに立ち寄ってくれた卒業生や院生の人たちであったり、
はたまた、それらの人たちが連れてきてくれた他大の人たちであった。
僕は、きっと本当に幸運だったに違いないと、
地下にあるサークル部室を訪れるたびに、いま思い返している。
そんな、偶然の縁がとりもってくれた多くの人たちと一緒に、
ここでなければ決して知り合えなかったような人たちと一緒に、
どれほど貴重な時間を、いままで僕はもつことができたことだろう。
カルト的な趣味に溢れた会話から、社会一般についての青臭い議論まで、
どれほど多くの時間を、僕は部室で過ごしてこれたことだろう。
たぶん、僕がいま感じている寂しさ、
そしてなんとも言い様のない申し訳なさというのは、
早稲田大学がこれまで培ってきた、この独特の雰囲気、
地下にあるサークル部室が醸し出してきた雑多で暖かい空気から、
あまりに多くを僕がもらってこれたことにあるんだと思う。
そして、この雰囲気というのは、
引き継いでいくためには本当に多くの時間を必要とするのだけれど、
じつは壊すのはごくごく簡単なこと、
大学教育におけるIT化推進のため、また産学共同のために、
いわば「時代の流れなんだから」というもっともな大義名分のもと、
おそろしく快適で美しい新学生会館への移転をきっかけに、
簡単に消滅してしまう、じつに儚いものなんだと感じている。
だからこそ、本当にたくさんの恩恵を受けることができた
この地下のサークル部室を、僕はとても大切に思っているんだ。
もちろん、僕だって、日々のサークル活動をしているぶんには、
こんな思いを確認することなく、
自分の恵まれた状況をなにも疑うことなく、
部室でみんなとハカ話に花を咲かせてきたし、
改めて断るまでもなく、僕のサークルは政治系・運動系のものではない。
(名前を出すと、他の部員に迷惑がかかるからやめるけど。)
ただ、今回の新学生会館への移転をめぐる一連の出来事のなかで、
僕が高校生のころから、なんとなく早稲田大学に憧れていたこと、
そして僕が合格したときの、無口なオヤジの嬉しそうな顔やなんかを、
なんの脈絡もなく、ふと思い出しながら、
早稲田大学がもつ魅力というのは、
ITや企業化といった「時代の流れ」とはまったく別のところに
あったんじゃないだろうかと、しみじみ考えている。
本当に、本当に早稲田は、これからどこに向かおうとしてるんだろう。