■「つくる会」サヨク朝日の朝生で完全勝利!■

このエントリーをはてなブックマークに追加
329ごめんなさい、長い
>>300
墓比べは15年ぐらい前の教科書でもあった(俺がそれで習った記憶がある)から
それを嘲笑すると今までの教科書も嘲笑することになりかねないから注意しましょう。

あと、大学で考古学を選考していたのでちょいと一言。
「墓(墳墓など)」はある段階までの文化の研究としてはかなり有効なんですよ。
労働力の集約といった社会体制の編成の継起となりますし、
文明の発展段階で墳墓にパワーを注入するケースはかなり多い。
しかも、継続的に使用され、改築・改良が施される集落や宮殿とは違い、
数年単位でパックされ、そのまま保存される墓は盗掘・破壊などがあったとしても年代考察には非常に有効な資料となります。
そういった意味で古代を考える上で墳墓と言うものを引き合いに出して、
他の文明と比較検討するのはまっとうな研究なんですよ。
ま、勝った負けたの話しに集約させてると判断するのは人の勝手ですけどね。

ちなみに仁徳天皇陵は、丘陵を完全に山から切り離してそれを土台にして墳丘を形成しています。
ちなみに土を盛り上げる作業はただ土を載せればいいというわけではなく、粘性の高い土と低い土を数10cm単位で互層状に重ねるんですね。
土木技術としてもたいしたものです。
で、上杉氏は大きさ比べ返しとして兵馬傭の面積と述べていましたが、それは墳丘ではなく、「墓域」という考え方になります。そういう意味では仁徳陵も墳丘面積の数倍の墓域を有していましたから完全に的外れです。

古代日本が一番優れていたかというとそうではないというのはわかりますよね?
単なる古代墳墓の主なものを並べてみたという話なんですから。
その中では伝仁徳天皇陵は面積が一番大きい。「たいしたもんや」ぐらいのものです。
そこに対して目くじらを立ててくるのは個人的にはヒスにしか見えないですね。