三軒茶屋加害者の父のとんでもない発言

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132んだんだ
 この手の、電車の中でのトラブル、ホームでの喧嘩のあげく人を殺すに至る事件
は、すでに耳新しくない。しかし、この事件のように、郊外のベッドタウンと都心を
結ぶ郊外電車という空間で起きる事件についてはある種の共通性を感じる。それは、
乗客の無関心と誰もが無名の犯罪者になる可能性があるということだ。

 首都圏の郊外と都心を結ぶ電車では、乗客のマナーの悪さが最近目立ち始めてい
る。『平然と車内で化粧する脳』(沢口俊之著、2000年)という本が話題になったよ
うに、特に人目を気にしない行為も目立ってきた。新宿と小田原を結ぶ、同じ郊外電
車の小田急線では、座席に物が食べ散らかされていることがあるし、田園調布などの
高級住宅地を抱える東急東横線でも、マナーが悪い乗客が増加しているようだ。

 郊外に住んでいる人が、特別にマナーの悪い人、マナーに無関心な人ばかりだとは
考えにくい。では、郊外にはどういう人が住んでいるのか。私は10年ほど前、首都圏
に住む人の年齢層を調べたことがある。市区町村レベルまで細かく見ていくと、ドー
ナツ状に郊外に団塊世代が住んでいることがはっきりと分かった。郊外に持ち家一戸
建てを買った層がほとんどであろうことを考えれば、現在もこの状況はあまり変わっ
ていないだろう。

 団塊世代といえば、集団就職。あるいは、「神田川」の4畳半生活。そして、不倫
ドラマ「金妻」が描いた郊外生活である。つまり、郊外とは自分が生まれ育った土地
を離れて都市に出てきた団塊世代の街だということだ。もちろん、それより上の層も
下の層もいるけれど、中心の世代が団塊世代だということだ。

 そのジュニア世代は現在20代。つまり、昔ながらの隣近所付き合いなどの地域社会
をまったく知らずに育った世代だ。少なくとも、親の世代は高校生、大学生になるま
では、道を歩けば知り合いに出会うような地域社会で暮らしていたから、大人になっ
て新興住宅街に住んでも、人付き合いの基本は知ってはいるはずだ。これは、「世間
体が悪い」「世間さま」と古くから言われてきた、お互いに監視しあうような地域社
会のあり方を感覚的に分かっているということだ。けれども、それがまったくないと
ころで育つ子どもは、どうやって「世間」というものを感覚的に身に付ければいいの
だろう。

 ひとつの社会が成り立つためには、同じ規範をもって生活していかなくてはならな
い。都市は多くの人が入れ替わるので、普遍的なルールが必要だ。村や町ではその地
域に住む人が、その地域なりの規範を暗黙のうちに持って暮らしている。現在の、都
市近郊には、そのどちらもない状態なのではないだろうか。

 この連載でも再三述べているように、都市へ都市へと人口が集中して人が移動し続
けた時期は終わりつつある。現在よりも人付き合いが濃密な新しい地域社会を作る時
代を向かえようとしているのだ。平然と社内で化粧したり、すね毛を剃る(聞いた話
だが)女の子や、車内での口論を誰も止めないで当事者の死を招いてしまうような事
態は、現在がピークだと思いたい。