ヒグマが裸の遺体土に埋める、マジ!?

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255名無しさん23
ガイシュツだけどここから引用
http://homepage1.nifty.com/~n_izumi/higuma/jiken.html#okadama

■ 石狩沼田幌新事件
この事件は日本の熊害史上2番目にあたる悲惨な事件であり、大正12年8月21日から22日にかけて起こったものである。
8月21日は沼田の恵比島部落で太子講祭りがあり、近くの村々から多くの見物者が集まっていた。
祭りが終わり、帰途についた幌新部落の若者8人が、恵比島から4Kmほど離れた幌新小学校付近の山道に差し掛かったところ、
道路脇のササヤブから突然クマが現れ、最後に1人で歩いていた少年に踊りかかった。
しかし着物と帯にツメを引っかけたために、少年はこれをさき捨てて難を逃れた。
この少年を見失ったクマは、先を歩いていた別の兄弟2人に追いつき、弟を一撃で撲殺、兄も重傷を負わされ【土中に埋めた。】
残る数人はそこから300mほど離れた持地乙松宅に逃げ込み、炉の火を強くしたり、屋根裏や押し入れの布団などに潜り込んだ。
クマはこの家の回りをうろついていたが、やがて玄関の引き戸を壊して家の中に侵入した。
死傷した兄弟の両親はスコップで立ち向かったが、父は一撃のもとに叩きのめされ重傷を負った。
クマはなおも家の中で暴れ回ったが、人影がないためか、いったん引き返そうとした。ところが、息子2人が襲われて気が動転した
母親がふらふらと玄関から出ていったため、クマはその母親をくわえて消え去った。
やがて助けを求める叫び声と念仏の声が聞こえてきたという。
その後、家の付近を探すと、生き埋めにされ瀕死の重傷を負った兄を発見し、収容した。
この惨事はすぐに部落に伝わったが、これだけではなかった。同じ恵比島に住む猟師の永江政蔵は単身で山に入り、クマを
しとめようとしたが、そのまま行方不明になった。24日にこの猟師はわずかな左足と、へし折られた村田銃という変わり果てた姿で
発見された。
また、同じ日討伐隊の最後尾にいた別の猟師が、中腹に潜んでいたこのクマに襲われ死亡、他の1人も重傷を負った。

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ここでも埋めてるけど、生き埋めにしてる。