◆ 李登輝氏 訪日支援 外務省へ徹底抗議 4 ◆

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130NHK「その時歴史が動いた」のHPより
 明治24年5月11日、琵琶湖湖畔で、当時日本に外遊していたロシア皇太子・ニコライに、滋賀県巡査が突如斬りかかる殺人未遂事件が発生した。
東洋の新興国・日本が、大国ロシアを相手に起こした不祥事は日本を混乱させ、日本政府の対応に世界が注目した。
 伊藤博文をはじめ政府高官は、ロシアの報復を恐れ、犯人の津田三蔵を「死刑」にしようと動き出した。
しかし当時の刑法にのっとると、殺人未遂では最高刑は「無期徒刑」だった。
伊藤博文らは、ロシアに攻められ国が滅びては元も子もない、と裁判官らに圧力をかけて、死刑に持ち込もうとする。
今の最高裁にあたる大審院の院長・児島惟謙(これかた)は、この政府の圧力に対抗。
児島は司法の独立を訴え、政府の懐柔を受けた裁判官を涙ながらに説得した。
判決に至る水面下の動きを丹念に追い、事なかれ主義で原則を曲げようとする政府に抗して、司法 の独立を貫こうとした裁判官の活躍によって、
日本が近代国家として世界に認められるようになる第一歩となった瞬間を描く。

(・・・・昔はすごい人がいた・・・・・)