1 :
名無し:
ASIA版じゃねーの?
確かに載ってるな
「Channel 2 is a website that hosts many discussion groups」
4 :
寿限有:2001/05/06(日) 10:31
Channel 2か、カッコいいぞ。
もっと日本は英語に力をいれてほしい・・
6 :
寿限有:2001/05/06(日) 10:32
ひろゆきの事も載ってる
7 :
ほらほら:2001/05/06(日) 10:32
Hiroyuki Nishimura@` a 24-year-old computer consultant@`
8 :
名無しさん:2001/05/06(日) 10:32
がいしゅつ?
9 :
名無しさん:2001/05/06(日) 10:33
Hiroyuki Nishimura@` a 24-year-old computer consultant
プ
10 :
ななし:2001/05/06(日) 10:33
discussion groupsだったんだ。
ディスカッションしよう。
ところで、ディスカッションってナァ〜ニ?
11 :
じすいずぢすかっしょん:2001/05/06(日) 10:34
12 :
:2001/05/06(日) 10:35
13 :
名無しさん23:2001/05/06(日) 10:36
14 :
翻訳蒟蒻:2001/05/06(日) 10:36
社会はみ出し者
日本の禁制のクラス?被差別部落住民--社会の端で生活します。
BY ティムのLARIMERおよびTOKO SEKIGUCHI
印刷可能なバージョン
彼らは日本の不可触民です。少数は社会の端で生活する間に差別されて、グループ化します。
それらは被差別部落住民か、あるいは「村人々。」彼らは他の日本語のように見えて同じ言語を話すかもしれないし、同じ食糧を食べるかもしれないし、同じ衣服を着用しているかもしれません。しかし、偏見は常に接近しています。また、この目に見えないグループに関する任意の情報(また議論の恐れ)の欠如は、人々に嘘と噂を噴出させておいて、偏見を永続させるために貢献します:その被差別部落住民、物理的に例えば変形されます。
社会クラスが6世紀として遠くに後退するとともに、被差別部落住民は非公式に存在しました。しかし、それらはEdo期間としてさらに名高い、徳川の期間(1600-1867)に5層カースト制度の底に他の問題に切りかえられました。社会はみ出し者と考えられて、彼らは典型的に肉屋、製革業者および不用の付添いでした。19世紀後半に日本の明治変形は、外部の世界に国をまだ開きました、被差別部落住民、まだ存在する――それらが受ける差別を行うとして。
日本では、ほとんどの人々が喜んで被差別部落住民について話しません。主流メディアは、徹底的にグループの任意の議論を回避します、より多くである、標準。被差別部落住民であると思われた誰かに関する記事は、例えば、彼をドッグレースに参加することが好きな人と評するかもしれません。なぜ気難しさ?被差別部落住民、多くの人々を脅えさせます。
正当化されたか否か、ある被差別部落住民、それがテレビで、あるいはマガジンの中にあっても、ハラスメントに近い振る舞いと共に、それらに関する公の議論に応答することに対する評判を持っています。「私がテレビ番組上の被差別部落住民について話した時」、1人のリポーター(この人は予言できるように、彼の名前が使用されるのを望まない)は言う、「ステーションは私の家の電話番号を望む人々から、呼び出し、日および夜で氾濫した。」
しかしながら、1つの場所があります。そこでは、被差別部落住民に関する話は惰性で走っており、自由です。その場所はインターネットです。ここに、もちろん、それらが匿名かもしれないので、人々は反動について心配しません。チャンネル2は被差別部落住民上の1つを含む多くのディスカッション・グループ(食物レシピから春画まで及ぶトピックを備えた)を主催するウェブサイトです。サイトにポストされたメッセージは、「私に娯楽産業中の被差別部落住民の名前を伝える」ことを含んでいます。また、「Burakuは私を怖がらせることができない。」そこで、さらにほぼ長い議論でした。 政治的なヘビーウエイト野中広務の 被差別部落住民は結びます。
15 :
廢嘘の名無しさん:2001/05/06(日) 10:37
16 :
か:2001/05/06(日) 10:37
17 :
12:2001/05/06(日) 10:37
18 :
寿限有:2001/05/06(日) 10:38
チャンネル2のような場所をあなたが規制しようものなら、
それはファシズムです。
私は人々に問題について議論する場所を提供してるだけなのですです。
19 :
名無し:2001/05/06(日) 10:38
http://www.time.com/time/asia/news/daily/0%2C9754%2C104138%2C00.html …けれど、burakumin について勝手気ままに語り尽くせる場所がインターネットなのだ。
ここでは、匿名になれるが故に反撃を恐れる必要もない。Channel2は、食べ物からエロネタまで
数多くの話題を提供するサイトだが、burakumin に関する議論も行われている。ここに書き込まれる
ものの中には「芸能界にいるburakuminの名前を教えて」「Burakuなんか恐くない」などの発言があるし、
政界の大物、野中氏が burakumin の血縁であることも延々と話題になっていた。
24歳のコンピューター・コンサルタント、Hiroyuki Nishimura が Channel2の主催者であり、
彼は、Channel2には1日1500万のアクセスがあり、全ての投稿を監視するのは不可能だと語る。
「インターネットでは、日本の法律で規制されるものはほとんどないんだ。例えば、援助交際を
目的として女子高生が自分の携帯の番号を書き込んでも違法じゃない。実際は僕たちがそれを
削除するけどね。けれど、実のところ、不快で倫理に反する不道徳な書き込みを常に見張っている
には人手が足りないということがある」
「それに」と彼は付け加える。「僕は検閲という考え方は好きじゃない。Channel2のような
場所で話される内容を規制しようとするなら、それはファシズムじゃないか。僕はみんなに
議論できる場所を提供しているだけなんだ]
部落民について議論することは良きことではある。人権団体によれば300万人にのぼると言われる
集団に対する因習的な差別を知り、あまつさえ質問を投げかけたりできる場所は日本には他にない
のだから。けれども不幸なことに、ここでの議論の大部分は単に差別を煽る発言に過ぎないのだ。
問題は、インターネット革命が、被差別民にとって役にたつものなのか、それとも彼等を傷つけて
しまうのかということだ。Channel2の Nishimura は楽観的だ。「議論の中には、体験した差別に
ついて語るものもあれば、差別をした側からのものもある。これは匿名掲示板にしかできないこと
じゃないか。2つの対立する声が語り合うことのできる唯一の場所なんだよ」
(訳はあめざー2から転載)
20 :
名無しさん:2001/05/06(日) 10:38
今時部落民差別があるのか? 虐げられて生きているのか?
大学時代に部落出身だという知り合いがいたが、普通だったぞ。
21 :
ななし:2001/05/06(日) 10:46
>>20 ほとんどの場合差別されてはいない。
差別されていることにして援助とか受けてる一部の人間がいる。
そいつらは政界や教育界に圧力をかけていて、関西の人の多くが学校で
ウソを教えられる。
22 :
nanasi:2001/05/06(日) 10:47
23 :
名無しさん23:2001/05/06(日) 10:48
関東ではそんなもんだか関西方面ではいまも『部落』という差別が
厳然と存在するんじゃないか?
それは関西人が全般的にレイシストだからでぷ。
24 :
nanasi:2001/05/06(日) 10:49
ミスった。
>>20 あるとすれば差別というか、特権階級的な存在に対する妬みのような
感情はある。
25 :
ななし:2001/05/06(日) 10:52
アメリカが2ちゃんねるに目をつけ始めた証拠だ。
26 :
寿限有:2001/05/06(日) 10:53
アメリカにも監視されているのかァ
27 :
名無しさん23:2001/05/06(日) 10:53
Amikai翻訳(前半)
http://www.excite.co.jp/world/url/body/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.time.com%2Ftime%2Fasia%2Fnews%2Fdaily%2F0%252C9754%252C104138%252C00.html&submit=%83E%83F%83u%83y%81%5B%83W%96%7C%96%F3&wb_lp=ENJA&wb_dis=2&wb_co=excitejapan 社会はみ出し者
日本の禁制のクラス?被差別部落住民--社会の端で生活します。
BY ティムのLARIMERおよびTOKO SEKIGUCHI
彼らは日本の不可触民です。少数は社会の端で生活する間に差別されて、グループ化します。
それらは被差別部落住民か、あるいは「村人々。」彼らは他の日本語のように見えて同じ言語を話すかもしれないし、同じ食糧を食べるかもしれないし、同じ衣服を着用しているかもしれません。しかし、偏見は常に接近しています。また、この目に見えないグループに関する任意の情報(また議論の恐れ)の欠如は、人々に嘘と噂を噴出させておいて、偏見を永続させるために貢献します:その被差別部落住民、物理的に例えば変形されます。
社会クラスが6世紀として遠くに後退するとともに、被差別部落住民は非公式に存在しました。しかし、それらはEdo期間としてさらに名高い、徳川の期間(1600-1867)に5層カースト制度の底に他の問題に切りかえられました。社会はみ出し者と考えられて、彼らは典型的に肉屋、製革業者および不用の付添いでした。19世紀後半に日本の明治変形は、外部の世界に国をまだ開きました、被差別部落住民、まだ存在する――それらが受ける差別を行うとして。
日本では、ほとんどの人々が喜んで被差別部落住民について話しません。主流メディアは、徹底的にグループの任意の議論を回避します、より多くである、標準。被差別部落住民であると思われた誰かに関する記事は、例えば、彼をドッグレースに参加することが好きな人と評するかもしれません。なぜ気難しさ?被差別部落住民、多くの人々を脅えさせます。
正当化されたか否か、ある被差別部落住民、それがテレビで、あるいはマガジンの中にあっても、ハラスメントに近い振る舞いと共に、それらに関する公の議論に応答することに対する評判を持っています。「私がテレビ番組上の被差別部落住民について話した時」、1人のリポーター(この人は予言できるように、彼の名前が使用されるのを望まない)は言う、「ステーションは私のホームの電話番号を望む人々から、呼び出し、日および夜で氾濫した。」
しかしながら、1つの場所があります。そこでは、被差別部落住民に関する話は惰性で走っており、自由です。その場所はインターネットです。ここに、もちろん、それらが匿名かもしれないので、人々は反動について心配しません。チャンネル2は被差別部落住民上の1つを含む多くのディスカッション・グループ(食物レシピから春画まで及ぶトピックを備えた)を主催するウェブサイトです。サイトにポストされたメッセージは、「私に娯楽産業中の被差別部落住民の名前を伝える」ことを含んでいます。また、「Burakuは私を怖がらせることができない。」そこで、さらにほぼ長い議論でした。 政治的なヘビーウエイト野中広務の 被差別部落住民は結びます。
Says Shigeshi田端(この人は無所属派を実行する)、差別に対する、および人権についての研究のためのネットワークと呼ばれるオン・ライン監視グループ:「理由人々はこの情報を望みます、人々を差別することです。インターネット上で言われていることの監視はもちろん困難です--そして、論争の的になっています。田端は、被差別部落住民任務通達に関するチャンネル2ウェブマスターとコンタクトしました、彼は扇動的なために信じます。「私は、彼がその問題に気づいていると信じます」と田端が言います。「しかし、それは1999年にありました。また、被差別部落住民名はまだ記入されます。人々が彼らのコメントを無名で記入することができるので、それらは責任がありません。掲示板のモニターは永遠の追いつ追われつの追跡です。」
28 :
名無し:2001/05/06(日) 10:54
部落民問題がただ単に「差別されてる人がいる」という認識なら
それはとんでもない間違い。
29 :
名無しさん23:2001/05/06(日) 10:54
(後半)
1960年代に「そして70s、被差別部落住民が居住すると知られていたアドレスおよび近隣をリストしたパンフレットは公表されました。姓はさらに印刷されました。これらのパンフレットは従業員を雇う場合に被差別部落住民を除去するために日本の優良株のビジネスのうちのいくつかを含む会社によって使用されました、そして潜在的な夫の背景を調査する家族によって、また彼らの子供のためにめとる。1975年には、日本がそれらの出版物を禁止しました、しかし、リストは今あります、チャンネル2掲示板上で
Hiroyuki西村(24歳のコンピュータコンサルタント)はチャンネル2ウェブマスターです。サイト(それは1999年5月に開始した)が1日当たり約1500万のヒットを得る、と彼は言います。Hiroyukiはサイト上の資料に関してディフェンスで、彼が記入されるすべてのメッセージを監視することが不可能であると言います。「今ちょうど、インターネット上のほとんどのものは日本の法則によって規制されません」と彼が言います。「例えば、女子高生が「enjo kosai」(十代の売春)にはオン・ライン彼らの携帯電話番号をポストすることは不法ではありません。私たちは活動的にこれらを削除します。他のものがなかったならば、私たちは活動的に攻撃あるいは不道徳で不道徳な任?ア通達を捜しているためには人材を持っていません。」その上、彼は、検閲についての概念で不快であると言います。「何がチャンネル2のように場所に言われているかあなたが規制すれば、それはファシズムです。私は、人々に問題について議論する場所をちょうど供給します。」
一方では、被差別部落住民に関する議論はよいものです。日本のどこにも、ステレオタイプに直面するか権利グループが数と言うという1グループの人々に関する疑問を尋ねることを認められた人々である、300万も。他方では、不運にも、議論の多くはまさに嫌悪憂き身をやつすことです。
日本の政府はグループに対する差別をなくすために法則を可決し、被差別部落住民近隣を改善し、かつ彼らの子供の教育を改善する、特別のプログラムをセット・アップしました。しかしながら、偏見は固執します。「私のまわりで、日に対して日、それは誰に見えません、私を差別する。」Hiroshi関東(京都の被差別部落住民)は言います。「しかし、ある日、その後、私の娘は小学校の出身で、他の何人かの子供の親が彼女が被差別部落住民なので彼女と遊ばないように彼らに命じたと言いました。」
質問は、今、インターネット革命が助けになるだろうか、グループを傷つけるだろうかどうかです。チャンネル2西村は楽観的です。「議論のうちの1つは縫うように進みます、差別人々に関する調査だった、経験を積んだ、あるいは反対サイドから、それらは課しました。」彼は言います。「あなたは、それを他のいかなる場所にもしかし匿名の掲示板上ですることができません。それは通信する反対する2つの音声のためのただ一つの場所です。」
30 :
名無し:2001/05/06(日) 10:57
なぜ今、野中広務の話題を出してきたのか興味がある。
TimeとTimeASIAは区別せよ!
32 :
ほらよ そにょ1:2001/05/06(日) 10:58
社会はみ出し者
日本の禁制のクラス?被差別部落住民--社会の端で生活します。
BY ティムのLARIMERおよびTOKO SEKIGUCHI
印刷可能なバージョン
彼らは日本の不可触民です。少数は社会の端で生活する間に差別されて、グループ化します。
それらは被差別部落住民か、あるいは「村人々。」彼らは他の日本語のように見えて同じ言語を話すかもしれないし、同じ食糧を食べるかもしれないし、同じ衣服を着用しているかもしれません。しかし、偏見は常に接近しています。また、この目に見えないグループに関する任意の情報(また議論の恐れ)の欠如は、人々に嘘と噂を噴出させておいて、偏見を永続させるために貢献します:その被差別部落住民、物理的に例えば変形されます。
社会クラスが6世紀として遠くに後退するとともに、被差別部落住民は非公式に存在しました。しかし、それらはEdo期間としてさらに名高い、徳川の期間(1600-1867)に5層カースト制度の底に他の問題に切りかえられました。社会はみ出し者と考えられて、彼らは典型的に肉屋、製革業者および不用の付添いでした。19世紀後半に日本の明治変形は、外部の世界に国をまだ開きました、被差別部落住民、まだ存在する――それらが受ける差別を行うとして。
日本では、ほとんどの人々が喜んで被差別部落住民について話しません。主流メディアは、徹底的にグループの任意の議論を回避します、より多くである、標準。被差別部落住民であると思われた誰かに関する記事は、例えば、彼をドッグレースに参加することが好きな人と評するかもしれません。なぜ気難しさ?被差別部落住民、多くの人々を脅えさせます。
正当化されたか否か、ある被差別部落住民、それがテレビで、あるいはマガジンの中にあっても、ハラスメントに近い振る舞いと共に、それらに関する公の議論に応答することに対する評判を持っています。「私がテレビ番組上の被差別部落住民について話した時」、1人のリポーター(この人は予言できるように、彼の名前が使用されるのを望まない)は言う、「ステーションは私の家の電話番号を望む人々から、呼び出し、日および夜で氾濫した。」
33 :
ほらよ そにょ2:2001/05/06(日) 10:59
しかしながら、1つの場所があります。そこでは、被差別部落住民に関する話は惰性で走っており、自由です。その場所はインターネットです。ここに、もちろん、それらが匿名かもしれないので、人々は反動について心配しません。チャンネル2は被差別部落住民上の1つを含む多くのディスカッション・グループ(食物レシピから春画まで及ぶトピックを備えた)を主催するウェブサイトです。サイトにポストされたメッセージは、「私に娯楽産業中の被差別部落住民の名前を伝える」ことを含んでいます。また、「Burakuは私を怖がらせることができない。」そこで、さらにほぼ長い議論でした。 政治的なヘビーウエイト野中広務の 被差別部落住民は結びます。
Says Shigeshi田端(この人は無所属派を実行する)、差別に対する、および人権についての研究のためのネットワークと呼ばれるオン・ライン監視グループ:「理由人々はこの情報を望みます、人々を差別することです。インターネット上で言われていることの監視はもちろん困難です--そして、論争の的になっています。田端は、被差別部落住民任務通達に関するチャンネル2ウェブマスターとコンタクトしました、彼は扇動的なために信じます。「私は、彼がその問題に気づいていると信じます」と田端が言います。「しかし、それは1999年にありました。また、被差別部落住民名はまだ記入されます。人々が彼らのコメントを無名で記入することができるので、それらは責任がありません。掲示板のモニターは永遠の追いつ追われつの追跡です。」
1960年代に「そして70s、被差別部落住民が居住すると知られていたアドレスおよび近隣をリストしたパンフレットは公表されました。姓はさらに印刷されました。これらのパンフレットは従業員を雇う場合に被差別部落住民を除去するために日本の優良株のビジネスのうちのいくつかを含む会社によって使用されました、そして潜在的な夫の背景を調査する家族によって、また彼らの子供のためにめとる。1975年には、日本がそれらの出版物を禁止しました、しかし、リストは今あります、チャンネル2掲示板上で
Hiroyuki西村(24歳のコンピュータコンサルタント)はチャンネル2ウェブマスターです。サイト(それは1999年5月に発射した)が1日当たり約1500万のヒットを得る、と彼は言います。Hiroyukiはサイト上の資料に関してディフェンスで、彼が記入されるすべてのメッセージを監視することが不可能であると言います。「今ちょうど、インターネット上のほとんどのものは日本の法則によって規制されません」と彼が言います。「例えば、女子高生が「enjo kosai」(十代の売春)にはオン・ライン彼らの携帯電話番号を記入することは不法ではありません。私たちは活動的にこれらを削除します。他のものがなかったならば、私たちは活動的に攻撃あるいは不道徳で不道徳な任?ア通達を捜しているためには人材を持っていません。」その上、彼は、検閲についての概念で不快であると言います。「何がチャンネル2のように場所に言われているかあなたが規制すれば、それはファシズムです。私は、人々に問題について議論する場所をちょうど供給します。」
一方では、被差別部落住民に関する議論はよいものです。日本のどこにも、ステレオタイプに直面するか権利グループが数と言うという1グループの人々に関する疑問を尋ねることを認められた人々である、300万も。他方では、不運にも、議論の多くはまさに嫌悪憂き身をやつすことです。
日本の政府はグループに対する差別をなくすために法則を可決し、被差別部落住民近隣を改善し、かつ彼らの子供の教育を改善する、特別のプログラムをセット・アップしました。しかしながら、偏見は固執します。「私のまわりで、日に対して日、それは誰に見えません、私を差別する。」Hiroshi関東(京都の被差別部落住民)は言います。「しかし、ある日、その後、私の娘は小学校の出身で、他の何人かの子供の親が彼女が被差別部落住民なので彼女と遊ばないように彼らに命じたと言いました。」
質問は、今、インターネット革命が助けになるだろうか、グループを傷つけるだろうかどうかです。チャンネル2西村は楽観的です。「議論のうちの1つは縫うように進みます、差別人々に関する調査だった、経験を積んだ、あるいは反対側から、それらは課しました。」彼は言います。「あなたは、それを他のいかなる場所にもしかし匿名の掲示板上ですることができません。それは通信する反対する2つの音声のためのただ一つの場所です。」
burakuminとはなんぞや?
35 :
しゃもじcatv039-142.lan-do.ne.jp:2001/05/06(日) 11:07
ていうか、何日も前に出てたじゃん。
36 :
名無し:2001/05/06(日) 11:09
出てたか?
話題になってなかったな。
37 :
名無し:2001/05/06(日) 11:10
>>34 >burakuminとはなんぞや?
自民党のぬらりひょん、野中の出身地。
38 :
あ:2001/05/06(日) 11:11
部落民のことが外国に知られるようになるのはいいことだ。
39 :
:2001/05/06(日) 11:12
かなりがいしゅつです。ロビーで。
40 :
g:2001/05/06(日) 11:12
ここでは話題になりません。
ニュース速報@2ch掲示板は韓国用に改造されてます。
41 :
名無しさん:2001/05/06(日) 11:21
例の投票のリファー調べてて無視できなかったんでしょう。
この文からは+のイメージは感じないですねヽ(´▽`)/
よっぽど、あのアホ記者は悔しかったんでしょうか(´ヮ`)
でも、アホTIMEの事だから反日感情剥き出しの
キチガイ文期待してたのに・・
42 :
ななし:2001/05/06(日) 11:24
ニュース速報でも思い切りがいしゅつネタ
確か誰かが直接ひろゆきにインタビュー受けたのかを聞いてみたら、ちゃんと返答してたね
さんざん話させといて自分が書く記事に都合のいいとこしか誌面に載せないとかこぼしてたよ
43 :
はは:2001/05/06(日) 11:27
「ビレッジピープル」には(ワラタ
44 :
ななし:2001/05/06(日) 11:27
二週間以上前のねただから投票は関係ないよ(記事自体は4月のはじめ、インタビューはもっと前)
なんだ、翻訳あったのか。
必死こいて訳して損したな。
46 :
名無し:2001/05/06(日) 12:40
TIMEって影響力絶大なんだっけ?
47 :
CC名無したん:2001/05/06(日) 12:42
デューク・東郷
本名 東郷安二郎 昭和十二年 大阪府生野郡生野村に生まれる
父(逓信省の役人)・母・兄2人・姉1人・妹1人
本籍 鹿児島県鹿児島郡三島村
昭和十八年 生野村立生野国民学校入学
近所・同級生に朝鮮人が多くいて、彼らが日本人からひどい差別を受けているのを
見ながら育つ
昭和二十年 戦局苛烈により本籍地の鹿児島県鹿児島郡に疎開 疎遠だった叔父・
叔母・従兄弟に露骨に邪険にされる
同 大阪空襲により父・母・姉(生活難のため船場に奉公に出ていた)を失う
また、兄二人が外地で戦死 以後、しばらく鹿児島に残るが親戚と折が会わず妹と
共に出奔 大阪に戻る 戦災孤児として大阪梅田の闇市で食うや食わずの生活を
する
昭和二十二年 大阪市の施策により施設に入る 同時に天王寺区立松屋町小学校
に通うようになる
昭和二十四年 天王寺区立天王寺中学校入学 野球部に入部 ピッチャーとして
活躍 学業の方も優秀
昭和二十七年 大阪府立北野高校入学(見ず知らずのどこかの実業家が学費の
援助してくれる) 野球を続け甲子園及びプロを目指すが肩を壊し、野球その
ものを断念する
昭和三十年 東大法学部に入学 二年生の時、学費を援助してくれた実業家が
ヤクザに会社・財産を奪われた挙げ句、刺され横死する また、妹が結核により
病死する 慶応の柘植久慶と知り合う 東大を退学し一緒にフランス傭兵部隊に
入隊する その後の行動は不明 後にスナイパーとして一部に名を知られるように
なる
48 :
:2001/05/06(日) 12:44
TIMEに影響力なんかあるか!
ここはニュース「速報」板なので
古い話題でスレ立てんなあほ
50 :
:2001/05/06(日) 12:57
51 :
POP 'N' CRAZY:2001/05/06(日) 13:08
POP 'N' CRAZY CHANNEL 2 !!
52 :
名無し:2001/05/06(日) 14:38
>>40 俺が知ってるだけで、この板にも2つはスレ立ってたよ。
過去ログ見てみれ。
53 :
名無しさん:
アンケート終わったの?
両方消えていたけど