春の叙勲、鐘ヶ江さんと竹西さんの喜びの声

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1名無しさん23
春の叙勲受章者が29日付で発表された。このうち作家の竹西寛子さん、雲仙・
普賢岳の大火砕流被害で陣頭指揮をとった長崎県島原市の元市長・鐘ヶ江管一さ
んの2人から喜びの声を聞いた。

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◆勲四等瑞宝章 鐘ヶ江 管一さん 70 元長崎県島原市長◆
「山が鎮まるまで」の願いを込めて伸ばしていたひげはない。
一九九一年六月三日、四十三人が犠牲になった雲仙・普賢岳の大火砕流。「警戒
区域設定の決断を迫られた時が最も苦しかった」と振り返る。
災害対策基本法による避難命令で補償はない。苦悩の末、人命を第一に考えた。
復興の陣頭指揮をとり、九二年十二月、三期十二年務めた市長を退いた。その
時、そり落としたひげは、二十五センチに伸びていた。
災害から十年。全国から寄せられた義援金や激励のお礼にと、各地を訪ねる講演
活動は約八百八十回。著書の印税は市に義援金として送り続けている。
「命がけで職責を全うし、被災しながらも復興に立ち上がった人たちを代表して
頂いたもの。命ある限り教訓を伝えたい」

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◆勲三等瑞宝章 竹西 寛子さん 72 (作家・評論家)◆
十六歳の時、広島で被爆し、生まれ育った家や友人を失った。
戦後、広島がテーマの小説をいくつか読んだ。何かが違う。「私の広島を書きた
い」と思い始めた。十年間の編集者生活を経て、一九六三年、広島での体験に基
づく処女作「儀式」を発表。その後、戦地に向かう将校が、乗船まで過ごした民
家の話をまとめた作品「兵隊宿」で、川端康成文学賞に選ばれた。
出版社で日本の古典文学の編集に携わった。本居宣長の評論を読み、「言葉は人
を表す」と痛感した。「日常の言葉遣いがその人の考え方や感じ方の土台にな
る。だからこそ小中学生の国語教育は大切」
先月、母校の早大から女性初の「芸術功労者」として表彰された。それに続く朗
報だが、「これまで書き続けてこられたのは周囲の支えがあってこそ」。
パソコン全盛時代でも、執筆は万年筆。「紙に字を書くのが生きがい」とほほ笑
んだ。