北海道平取町で1979年7月、一家4人が射殺された「平取事件」で殺人罪などに問われ、
93年12月に最高裁で死刑が確定した元はく製加工業、太田勝憲死刑囚(55)が8日、
札幌市東区の札幌拘置支所(山田勲支所長)の浴場で、ひげそり用のカミソリで首などを切り、自殺した。
太田死刑囚の独居房からは家族あての遺書が見つかった。
同支所を管轄する法務省札幌矯正管区によると、太田死刑囚は同日午前9時半ごろ、1人用の浴場で入浴中、
看守から渡されたひげそり用のカミソリから長さ4センチの刃を外し、右の首筋と左手首を切った。
ドアの窓ガラスから監視していた看守が浴槽内でぐったりしている太田死刑囚に気づき、
同支所医務課の医師も加わって救命措置を行ったが、出血多量で30分後に死亡が確認された。
右首の傷は長さ4〜5センチで、けい静脈に達していたという。
太田死刑囚はこの日、午前7時半に起床。点呼後、同8時から朝食を取り、
同9時28分から15分間の予定で入浴した。入浴は週2〜3回、いつもこの時間帯だったという。
また、遺書は3通あり、いずれも家族にあてていた。7日付で、それぞれ便せん5〜6枚に丁寧な字で
「ご迷惑をおかけしました」などと書かれていた。家族との接見はほとんどなかったが、手紙のやりとりはあったという。
記者会見した同矯正管区保安課の中原孝文課長は、太田死刑囚の普段の健康や精神状態について
「問題はなく、この日の朝食後から入浴までの自由時間も普段と変わらなかった」と説明。
死刑執行の予定については「通知はなかった」と述べた。
さらに、中原課長は「誠に遺憾だが、監視体制には問題はなかった」とし、
「死刑囚の心情把握とカミソリなど器具の管理の再点検を行い、再発防止を期したい」と語った。
法務省矯正局保安課によると、死刑確定囚が拘置所内で自殺した例は61年以降の記録で4件目。
75年に東京拘置所と福岡拘置支所で、77年に東京拘置所で起きている。
確定判決によると、太田死刑囚は79年7月18日夜、平取町のはく製業者、
城戸峯雄さん(当時51歳)方で、キツネの皮代の支払いが遅れていることをなじられ、
城戸さんに貸すために持参したライフル銃で城戸さんと妻(同37歳)、長女(同22歳)、
二男(同2歳)を撃って殺害した。
http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/991108/dom/22290000_maidomm144.html [毎日新聞11月8日] ( 1999-11-08-21:04 )