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586 フランケンシュタイナー(WiMAX)
>>1
仁義礼智は虚飾

徳の上なるものは、徳であろうと努めない。だからこそ、真の徳となる。
徳の下なるものは、徳であろうと努める。だからこそ、徳でなくなる。

徳の上なるものは、徳であろうと作為せず、徳の名を得ようともしない。
徳の下なるものは、徳であろうと作為したうえ、徳の名を得ようとする。

仁の上なるものは、仁であろうと作為するが、仁の名を得ようとはしない。
義の上なるものともなれば、義であろうと作為したうえ、義の名を得ようとする。
礼の上なるものに至っては、みずから礼であろうと作為するだけでは事足りず、ひとにまで礼を強制する。

したがって、以下のようにいえるだろう。「道」にのっとろうとする「徳」が現われるのは、
無為自然の道が失われた後であり、「仁」が現われるのは、徳が失われた後であり、
「義」が現われるのは、仁が失われた後であり、そして「礼」が現われるのは、義さえも失われてしまった後である。

そもそもこの礼たるや、人の本性が忘却されてはじめて生ずるのであって、乱のはしりにほかならない。
「智」に至っては、道からみればうわべの飾りであって、愚のはじまりにほかならないのだ。
志操堅固な人間は、本性を守って虚飾を捨てる。つまり、仁義礼智を顧みず、ただ「道」にのっとるのみである。

(『老子』奥平卓〔訳〕)

>義の上なるものともなれば、義であろうと作為したうえ、義の名を得ようとする。
>礼の上なるものに至っては、みずから礼であろうと作為するだけでは事足りず、ひとにまで礼を強制する

>そもそもこの礼たるや、人の本性が忘却されてはじめて生ずるのであって、乱のはしりにほかならない。

この人はまさにこれ
イルカ厨も同様、いや〜大陸の人達はいいこと言うなあ〜、※古代に限る