秀吉死亡後、どうすれば豊臣家は滅亡せずに済んだの?
507 :
フライングニールキック(西日本):2013/12/05(木) 03:50:22.29 ID:iKh9eKj80
っていうか、なんで大阪城の堀埋める決定なんかしたの?
次また来るの確実じゃない
そういや江戸幕府できた頃もマニラを攻める計画を立ててたな。
>>507 大阪方は、講和には淀か秀頼を人質に出すぐらいしなきゃいけないと思ってたみたい。
でも「どっちも必要無いよ、その代わり…」って外堀だけ埋める案を持ち出されたらしい。
思えば、どさくさで内堀まで埋め始めた段階で、
命運尽きたと、秀頼は高野山にでも篭るべきだった。
>>1関ヶ原で西軍勝利しかなかった
現場での実質大将であった三成がもし秀頼旗印に関ヶ原へ参陣か、あるいは西軍の真の大将であった毛利輝元の本軍が、大阪城を出て関ヶ原へ直接参陣というのが実現していれば間違いなく西軍は勝利できた
秀頼旗印なら加藤清正など豊臣譜代大名は100%西軍につくし、さらに輝元が現場にいれば吉川や小早川が毛利譜代大名としてその御大である輝元を目の前に徳川方に付くのはありえなかったからな
結局は関ヶ原前の下準備次第で豊臣政権は安泰だった
いや、これだけの条件が整っていればそもそも戦いにすらなってないかもしれないな関ヶ原は 戦う前から勝負が決してるし家康側は戦をしなかっただろうからな
小早川の裏切りに自信があったからこその関ヶ原の戦いだったからな
それが証拠に家康は関ヶ原前に江戸から到着するまでかなりの時間をかけて戦力分析や根回ししまくりだった それが整ったからこその参陣だからな
現場的には全ては小早川秀秋の裏切りがトドメだったけど、秀頼旗印にとか毛利輝元本軍が関ヶ原着陣とかしていれば100%裏切りはなかったからな
毛利両川の一翼である小早川が毛利輝元御大を目の前にして裏切りは出来なかったからな
ちなみにもう一方の両川であった吉川広家も裏切って東軍に味方して軍を動かさなかったけど輝元本軍の関ヶ原参陣だったならこれもなかった
輝元がやる気になってたら家康も秀忠到着を待ってたろ。
決戦を急ぐ必要も無かったわけだし。
(最上が滅びたりするだろうけどw)
毛利が西軍に参戦する気配を出してたら関ヶ原自体起こってないと思うな。
513 :
グロリア(庭):2013/12/05(木) 11:41:51.68 ID:UMgwM1pk0
>>489 秀長の戦い方は非常にいやらしい
兵站を整え戦略的優位を確立してから、敵将を誘降してオセロのように戦局をひっくり返してしまう
近江商人のように堅実で付け入る隙がない
島津も長宗我部も、緒戦は勝ったのにふた月もたなかった
秀長が過労死しなければ家康の天下にはならなかったろう
>>513 ただ家康とゆかいな三河者(他国衆も感化されまくって実質三河者)にどこまで通用するかわからんなぁ
>>510 そもそもそれは講談の話だろ。
小早川は裏切っていないぞ、徳川方につこうとして、鳥居に追い払われて、仕方なくついてきて、
関ヶ原の段階では、陣取る時にはすでに旗色を明らかにして、毛利方(便宜上な)についた伊藤を追い払って陣取った。
当然、対小早川用に大谷に十分な兵を与え対策はしていたが、持ちこたえられなかったのは与えた戦力が寝返ったから。
「元忠さんに拒否されたから仕方なく…」は島津も使った言い逃れだけど
絶対死人に口無しの嘘だろw
520 :
ファイヤーバードスプラッシュ(東日本):2013/12/05(木) 12:47:38.56 ID:R4FVac0rO
結局関ヶ原の時の毛利の一族って一体何万動員してたんだ?輝元本隊は大坂城に居たんだよな。
大阪冬の陣で無条件降伏
522 :
逆落とし(catv?):2013/12/05(木) 17:40:47.95 ID:Kzprj8AV0
>>513 まあ、能力に関しては過大評価だという人もいて
はっきりしないところもあるが、仮にお飾り的だったとしても
秀吉の名代を何度も務められるだけで大したもんなんだよな>秀長
名目的に秀吉亡きあとの御輿になれる存在がいるってだけでも
家康は天下取りを企図しなかったんじゃないかと思う。
ただ、戦国時代を完全に終わらせて政情が安定するためには、
何か一発デカい内戦が必定の状況だった気もするから、
そこで豊臣政権が生きのびても、そのさらに先はどうだったか??
523 :
垂直落下式DDT(大阪府):2013/12/05(木) 17:40:48.40 ID:z54w99m30
人望のある秀長
524 :
ジャンピングDDT(千葉県):2013/12/05(木) 18:54:32.77 ID:MllwOWE/0
関が原だの大阪の陣だの言っているけど要は豊臣家の血筋が残れば良いんでしょ?
>>1 だったら豊臣派の武将や浪人を大量に用意するまでもない
今川氏真を見習って蹴鞠や追従など御伽衆としての能力を秀頼本人に身につけさせるだけでいい
戦国時代ではマイナーな大名だったのに支配者の御伽衆として仕えて明治時代まで家名を残した名家もたくさんある
てか秀頼が本当に秀吉の血を引いているのならそういうの絶対得意だと思うんだけどね・・・。
525 :
シャイニングウィザード(関東・甲信越):2013/12/05(木) 19:01:15.16 ID:pAoYcKw30
徳川家のように豊臣家としての軍団を持つべきだった
徳川が7万〜8万人の軍団を養っていたんだから豊臣も豊臣家軍団を10万人くらい養っておくべきだったと思う
誰が指揮するかは置いといてね
島津のとこ逃げたんじゃなかったっけ
>>522 秀長を出さなかった九戸の乱は小勢に苦戦、小牧は敗戦だから、能力はあったと思うよ(どちらも大将は秀次w)
兵站と調略で戦う前に勝つタイプだから、戦国無双とかだと見栄えがしないけど
達筆で複式簿記を理解していたことと言い、大名貸しで暴利をむさぼっていたことと言い、もとは商人だったんじゃないかな
太閤記に出てくる針の行商は、秀長のエピソードだったんじゃないかと思う
528 :
イス攻撃(愛知県):2013/12/05(木) 19:23:02.13 ID:w2gYSBx40
秀吉が死ぬときに「敵は徳川、豊臣政権の全力で徳川家を滅ぼせ」って遺言しておけば豊臣家は生き残ったな。
秀頼が関が原に参戦してれば
530 :
32文ロケット砲(岩手県):2013/12/05(木) 19:28:25.65 ID:S15MFoHU0
駒姫を殺さなかったら良かったんじゃね?
そうすれば、家康が上杉に喧嘩を売ることもなくて、逆に上杉軍と三成軍で家康軍を挟み撃ちにできたかもしれん。
531 :
32文ロケット砲(岩手県):2013/12/05(木) 19:34:26.84 ID:S15MFoHU0
利休生存、秀次生存、駒姫生存、前田利家生存
ここらへんが鍵だろうな
最終的に行いが悪かったところが全部帰ってきた感じ
徳川を朝鮮に送らなかった時点で負け。
子飼いの大名は疲弊して徳川は温存
家康を消耗させときゃよかったのに
533 :
マシンガンチョップ(チベット自治区):2013/12/05(木) 20:01:14.62 ID:X6wpMNMI0
>>525 親衛隊ね。ナチスなんか陸軍と同等の数いたんだろ。徳川じゃ旗本か。信長も無しで殺されちゃったしね
534 :
目潰し(空):2013/12/05(木) 20:03:19.39 ID:q9zEJyKP0
石松丸秀勝が夭折せずに生きてたら秀吉が死ぬ頃に18歳くらいで
豊臣秀次も後継者候補ではなく一門として生き残るから状況が全然変わるのな
秀頼も当主弟として補佐側に回るし
535 :
トラースキック(西日本):2013/12/05(木) 22:40:56.45 ID:tOE9uDhp0
豊臣家に恩義があるのに敵に寝返るとか決死の覚悟だったんだろうな
536 :
TEKKAMAKI(埼玉県):2013/12/05(木) 23:27:29.95 ID:NN7u7vrh0
ねねの親族の木下家(豊臣姓)は残ってるよ。
537 :
アトミックドロップ(東京都):2013/12/05(木) 23:28:01.43 ID:HSa89XBu0
検地と刀狩のあと、武士全員に選挙権を与えて、国会をつくればよかったのに
538 :
ランサルセ(中国地方):2013/12/05(木) 23:30:02.02 ID:AMkXL3Fo0
初代秀勝が生存してたら秀吉死没時に28
関が原遅刻の秀忠じゃ太刀打ちできないな
九州征伐と小牧を生き残れてたらの話だけど
やっぱ中国遠征時に同行できるくらいの年齢の子がいないと厳しいと思うわ
539 :
ナガタロックII(関東・甲信越):2013/12/05(木) 23:36:04.99 ID:5IdrYvgGO
淀殿率いる石田三成とかの近江衆と寧々率いる尾張軍の争いに目を付けた家康が、
加藤清正、福島正則、浅野、黒田、蜂須賀とかもってたからねえ。
滅亡は必然だった。
寧々に秀吉の子供が出来てればね。
セックスじゃないかな
>>535 関が原の時は徳川家康こそ豊臣の天下の守護者にふさわしいと福島も加藤も浅野も考えて居たんだよ。
国家安寧って書いとけば良かった
543 :
ムーンサルトプレス(東京都):2013/12/06(金) 00:59:53.95 ID:UMh2ie050
>>520 当時の動員可能兵力は、「石高×300人」で概算できる。
小早川や吉川を入れても毛利一族は200万石程度だから、動員力は6万人前後。
しかし、そのうち主なのが
毛利本家120万石→3万6千人(大阪城守備と関が原に兵力を分散)
小早川秀秋35万石→1万1千人(高台院の甥。押し付けられた養子で血筋は毛利一族ではない。関が原で有名な「裏切り」を起こす)
吉川広家15万石→4500人(関が原で毛利本体を邪魔する形で動かず)
だから、毛利は西軍にとってはただの日和見のヘタレで、なんの役にも立たなかった。
544 :
ファルコンアロー(やわらか銀行):2013/12/06(金) 01:28:53.88 ID:iY0K2CcJ0
>>408 三成と仲の良い佐竹義宣が何とかしてくれるから案外助かったかもしれない
545 :
ファルコンアロー(やわらか銀行):2013/12/06(金) 01:32:04.14 ID:iY0K2CcJ0
信長の野望・覇王伝武将ファイルより
石田三成評
・小賢しい吏僚
・狸親父とあだなされる徳川家康が好きだという人はいるだろうが、その敵手の石田三成を好きな人はほとんどいない。
・寺小姓時代、将来の主君・秀吉にアメリカン、ブレンド、エスプレッソの如く3度も茶を出してきた小賢しさ。
・何となくひね媚びていて如何にも器の小さい小細工大好き野郎。
・虎の衣を借る狐。
・人望は全くない。
・心から支持する者は1人も居ない。
三成の総評
「限りなく正しく、限りなく下らない。全くつまらぬ男もいたものである。」
石田三成のページ (覇王伝武将ファイル)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4716686.jpg
秀吉は百姓出身なのに、秀吉が天下取ったら第二の秀吉が出現できないように
百姓を抑えこんだから、こういう狭い了見の人物に有力者が味方しないとおもわれ
547 :
アイアンフィンガーフロムヘル(やわらか銀行):2013/12/06(金) 03:08:21.26 ID:1Qn+OUmq0
秀次を(乱行は追い落としのための創作という前提のもとで)取り敢えずの当主として存続
結城秀康をもう少し有効活用する
忘れないでくれ
泉佐野市樫井で戦死した
侍大将ばんだんえもん、を
秀吉は家を飛び出して風来坊してたときに石川五右衛門と知り合って親しくなったのに
その五右衛門が死刑になるときに秀吉は出世してたわけで何で恩赦を与えなかったん?
550 :
キャプチュード(東京都):2013/12/06(金) 12:12:49.73 ID:+rwpsyu80
俺が外人だけど、秀頼って薩摩に逃げて、最後は八丈島でかなりな高齢まで生き延びたん
じゃなかったっけ?
551 :
トラースキック(福岡県):2013/12/06(金) 12:16:43.44 ID:WnubyIr50
大義であった!
やっぱり淀がアホだったってことか
判断力の無さは父親譲り
まさかの秀吉復活
何か、誰が見てもおかしいレベルで武田やら働かない方の真田が持ち上げられているのは光栄のせいもあるのかw
ま〜た石田三成叩きか