沖縄戦:「命令とはいえ…」 元日本兵、「始末」を後悔
「全部始末せよ」。上官の命令は絶対だった。沖縄戦末期、米軍の激しい攻撃で追い込まれた旧日本軍の陣地。
陸軍の通信兵だった片山省(しょう)さん(90)=兵庫県洲本市=は負傷兵が休む小屋に手投げ弾を投げ込んだ
。米軍の捕虜となれば秘密が保てないと、信じて取った行動だった。20万人の犠牲を出した沖縄戦の組織的戦闘
が終わった23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。「命令とはいえ、えらいことをした」。卒寿を迎えた今も、片
山さんには68年前の出来事が心に重くのしかかる。
「4月になれば『米軍が上陸したな』。6月と聞くと『沖縄戦の終結やな』。そりゃ、毎年そう思います」。沖
縄から遠く離れた淡路島。片山さんは6年前に妻に先立たれ、独りで暮らす。
1944年1月、徴兵で満州の陸軍部隊に入り、訓練を受けた。9月、送られた先は沖縄。上官は「お前たちは
玉砕要員だ」と言った。
翌年4月、米軍が沖縄本島に上陸。雨のように降り注ぐ砲弾の中、連絡文を手に部隊間を走った。「毎日何十人
と死んでいった。ああ、今日は命があったと。生きた心地がせんかった」
6月中旬、本島南部に追い込まれた部隊に総攻撃の指示が下った。「通信兵のお前らは全てを始末して撤退」。
それが上官の命令だった。
「俺は歩けない。涼しい所に連れて行ってくれ」。壕(ごう)に残った同じ隊の兵に頼まれた。太ももを撃たれ
ていた。壕を出て約50メートル引きずり、道端で手投げ弾を手渡した。
壕の中の無線機や暗号機は全て破壊した。近くには負傷兵を収容した小屋があった。「生きてるのか、亡くなっ
てるのか、何人いたかも分からない。とにかく爆破せねばと」。手投げ弾を投げ入れた。「爆発音は聞いていませ
ん。米軍がドンドン撃ってくるから。砲弾の嵐でした」
糸満市の摩文仁(まぶに)の集落に着くと、敗走兵が集まっていた。米軍が迫る。断崖で数日過ごし、考えた。
自決か、戦うか、投降か。「司令官が自決したという話もあり、戦闘はもう終わったと感じた。捕虜になるのは恥
だが、今さら死ねんと思った」。崖を降り、投降した。 (つづく)
http://mainichi.jp/select/news/20130622k0000e040176000c.html