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42 マヌルネコ(関東・甲信越)
日本はなぜあんなにも早く戦後復興を果たし、経済大国の列に並ぶことができたの?

日本はなぜあんなにも早く戦後復興を果たし、経済大国の列に並ぶことができたの?
これらの問いにはエコノミストだけでなく歴史家も取り組んでいる。

専門家らの間では日本の戦後復興が迅速に行なわれた背景には、日本の会社員、労働者の勤勉さ、
日本の高級官僚の権限の大きさ、米国からの潤沢な財政支援の3つの要因があるとされている。
最初の2つの要因には誰も疑問を呈さないだろうが、3番目に関しては米国は確かに
アジア圏に共産主義が拡大しないためのバリアとして日本を使うために援助したが、
それでも自国経済と互角で張り合うライバルを育てようとは思わなかったはずだという疑問がでてくる。

では日本は第1級の産業と科学を打ち立てるための資金をどこから捻出したのだろうか?
歴史家の中には水兵、イムリオ・イソカワの話がこれに関連するという声がある。

話はロシアの巡洋艦「アメチスト」が1904年南シナ海のダナング沖合いで日本の水雷艇125を沈没させたところから始まる。
水雷艇の乗組員は全員海の藻屑となったと思われていたが、2年後の1906年初頭、フランスの砲艦「クルーレ」は
北アンナン島の沿岸でいかだに乗った一人の水兵を発見した。
水兵はぼろぼろの服装で憔悴しきった様子で、自分は水雷艇125の乗組員の生き残りで名をイムリオ・イソカワといい、
1年半にわたってたったひとりでパラセル諸島のある島で暮らしていると語った。
http://japanese.ruvr.ru/2013_01_31/103102190/