近世の「騎馬鉄砲隊(胸甲騎兵)」は実際の戦場で本当に有効だったの?…真田幸村の8連式馬上筒、返還
1 :
アムールヤマネコ(東京都):
真田幸村ゆかりの火縄銃 大阪に“里帰り”
大坂夏の陣(1615年)で豊臣方として奮戦した信州上田の武将真田幸村が、茶臼山の徳川軍を襲った際、目前の家康を狙撃する寸前、
馬上から落としたと伝わる8連発の最新火縄銃「馬上宿許筒(しゅくしゃづつ)」がこのほど大阪市内で公開された。敗軍の将ゆえに現存する幸村
ゆかりの品は極めて少ないことから貴重な歴史的遺物に注目が集まっている。
公開したのは「堺鉄砲研究会」を主宰し、テレビのお宝鑑定番組の鑑定人としても知られる研究家澤田平さん(同市東成区)。澤田さんは当該の
銃が和歌山・紀州藩の記録書「南紀徳川史」に図解入りで「神祖(家康)を狙撃し奉りしもの」と記されていることから、長年にわたって銃の所在を調査。
その中で紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留したGHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて
米国に持ち帰られていたことが分かった。
堺の鉄砲鍛冶(かじ)・芝辻が手掛けた作品で、発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて
5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。澤田さんは2年前、米国の銃器研究家ロバート・キンブロー氏の著書を頼りに、元GHQだった
所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け
“里帰り”の運びとなった。
帰国した銃は今年の7〜9月に幸村の故郷、長野県上田市にある真田氏歴史館の特別展で初公開。銃にとっての故郷大阪では、澤田さんが
講師を務める大阪府高齢者大学校のカリキュラム「戦国武将から生き方を学ぶ」の中で披露された。受講生は「歴史に『もし』はないが、この銃が
家康に向けて火を噴いていたら戦況が大きく変わっていたかもしれない」という解説に興味深く耳を傾け歴史ロマンに思いをはせていた。
澤田さんは「『歴史的遺物から史実を知る』をテーマに掲げて幸村公の人物象に迫りたい」と意気込みを語り、さらに研究意欲を燃やしている。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/20121231018.html http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/images/IP121229TAN000196000.jpg
家康「天ぷらくいてぇ〜」
3 :
ペルシャ(東京都):2013/01/02(水) 22:44:47.21 ID:KteN59r2P
というか日本の騎馬鉄砲隊は妄想だろ
ゲームの中だけの話
4 :
アメリカンボブテイル(関東・甲信越):2013/01/02(水) 22:47:34.30 ID:w/yQ5uEbO
銃持ってる人と隣の黄色い人が妙に平べったく見えるのだが…
5 :
アメリカンワイヤーヘア(福岡県):2013/01/02(水) 22:50:46.19 ID:BttaDsm80
射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて
5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。
マジかよ
お前が言いたいのは装甲騎兵じゃなくドラグーン(竜騎兵)だ
まぁ最後の方は名前だけの兵科になったけど
7 :
ベンガル(神奈川県):2013/01/02(水) 22:54:19.79 ID:OmMxu4/M0
弓騎兵は昔からあるんだから
じゃあ弓に代えて鉄砲使うかってなるのは当然の理だろ
8 :
クロアシネコ(catv?):2013/01/02(水) 22:54:26.35 ID:xo1Waahn0
むしろ鉄砲よりもサーベル突撃が見直された感がある
でもナポレオンが数千の胸甲騎兵用意してたんだから役に立ったんだろ
9 :
アメリカンショートヘア(dion軍):2013/01/02(水) 22:55:16.95 ID:4ZFf7JGm0 BE:3212798459-PLT(12006)
それより、山が多い日本じゃ弓騎兵は有効じゃないのかね
馬の問題もあるのかもしれんが
10 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/02(水) 22:55:36.73 ID:Yn4DfBfs0
>5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ
これにライフリングして7.7mm装填可能にしたアリサカ銃があれば
太平洋戦争も幾分楽だったんじゃね?
11 :
スミロドン(中部地方):2013/01/02(水) 22:55:39.20 ID:BXd8Eywc0
騎兵なんか大陸でしか役にたたんだろ
12 :
ボルネオヤマネコ(ドイツ):2013/01/02(水) 22:55:53.03 ID:UU4uaaNr0
>>6 胸甲騎兵もピストル持ってる
ピストル連射してから抜刀して突撃
ナポレオンの戦術
13 :
ベンガル(神奈川県):2013/01/02(水) 22:57:59.42 ID:OmMxu4/M0
>>9 もともとの日本の戦って弓騎兵(武士)同士の戦いじゃないの
足軽主流になってくるのは鎌倉後期あたりからって聞いたことあるが
14 :
ペルシャ(東京都):2013/01/02(水) 22:58:20.72 ID:KteN59r2P
>>6 ドラグーンは鉄砲を持った騎乗歩兵。
戦う時は下馬して徒歩になる。
馬上のまま銃を撃つのは正しくは胸甲騎兵か火縄銃騎兵。
15 :
ギコ(東日本):2013/01/02(水) 23:01:55.91 ID:aau3JyVI0
使えないって事は無かったろうけど伊達の鉄砲騎馬は
騎馬の機動力で移動接近して下馬
発砲後騎馬で帰陣のワンポイントでしか使い所がなかったと聞いたな
16 :
カラカル(神奈川県):2013/01/02(水) 23:06:43.61 ID:hCS32vFc0
>>12 だから最後の方は名前だけになったと言ってるだろうが
少なくとも騎馬鉄砲と胸甲騎兵は違うわな。
>>14 徒歩が多い時があっただけで
中期は乗馬でも撃ってるプロイセン辺りになると兵科の垣根曖昧なってしまうけど
後年にやっと装甲騎兵が復興するだけだから、伊達時代ならドラグーンだよ
19 :
ソマリ(東京都):2013/01/02(水) 23:13:00.70 ID:EABIZnnD0
馬上から撃つと反動で落馬しそうなんだけど、そんな心配は無いの?
鉄砲もって馬に乗ったやつが突撃したら怖いだろ
>>1 >紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留した
>GHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて米国に持ち帰られていた
>元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。
>「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け
こういうのって好き勝手持って帰ってたのな
刀剣とかも個人で持ってそうだわ
信長の野望やってみろよ
めっちゃ強いぞ
23 :
ペルシャ(東京都):2013/01/02(水) 23:21:41.12 ID:KteN59r2P
24 :
アジアゴールデンキャット(茸):2013/01/02(水) 23:25:14.90 ID:ND2sNI5t0
25 :
ヒョウ(千葉県):2013/01/02(水) 23:27:36.75 ID:67JgcVcK0
そんなものより雇い足軽になっていくさ場のドサクサに紛れて村娘をレイプしたいでゲスなぁ
武士の誇り?知るかボケ!
>>9 日本においてはそもそも騎兵という兵科自体が夢物語
27 :
カラカル(神奈川県):2013/01/02(水) 23:34:49.90 ID:hCS32vFc0
>>26 なぜ?馬が小さいとか戯れ言言わないよね!
28 :
ジョフロイネコ(愛知県):2013/01/02(水) 23:43:54.95 ID:Kbji82ut0
戦国時代の馬なんてポニーサイズしかないだろ
馬に乗って戦うどころか兵が馬を担いで移動するレベルだわ
29 :
ベンガルヤマネコ(東京都):2013/01/02(水) 23:45:13.48 ID:r9NXh9vf0
この時代の人間は人生に対してどんな考え方をしていたのかすごい気になる。
未だにポニーサイズだから騎兵は居なかったとかいう珍説を信じてる奴いるのかよw
騎兵はいた、騎兵を集中運用した騎馬隊はいなかった。
31 :
カラカル(神奈川県):2013/01/02(水) 23:49:46.05 ID:hCS32vFc0
32 :
ぬこ(東日本):2013/01/03(木) 00:08:32.71 ID:aau3JyVI0
>>30 蒙古の騎馬隊とかと比べるなんて事は出来ないけど
何かの文献で見て乗り崩しとか他の騎馬戦術もあったらしいしある程度の運用は出来てたんじゃない
33 :
サバトラ(愛知県):2013/01/03(木) 00:10:35.78 ID:B0CdGjv20
そもそも、日本の騎馬武者と欧州の騎兵って同列に語れるのか?
34 :
オリエンタル(やわらか銀行):2013/01/03(木) 00:15:43.66 ID:5i9ence+0
35 :
白(やわらか銀行):2013/01/03(木) 00:20:10.82 ID:udKYXju30
烈風伝の鈴木重秀の騎馬鉄砲隊で突撃
36 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/03(木) 01:04:32.34 ID:qdFzy/F2P
37 :
ベンガル(東日本):2013/01/03(木) 01:10:06.81 ID:JZrScOiZ0
>元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財
>だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け
泥棒のくせに金取るのか
>戦国時代の馬なんてポニーサイズしかないだろ
どこからこの間違った知識がまるで一般常識のように広まったんだろうな
39 :
ジャガランディ(チベット自治区):2013/01/03(木) 01:15:04.38 ID:/s8rsTN90
そりゃ有効よ。騎兵を決戦兵力に使う奴は、ある程度集めておいて
敵さんの側面に出す。敵さんの前を横切ったり、迂回する速力が騎兵の強み
正面には主力の歩兵、横から騎兵ってやつね
40 :
ベンガル(東日本):2013/01/03(木) 01:18:17.21 ID:JZrScOiZ0
41 :
ジャガランディ(チベット自治区):2013/01/03(木) 01:20:20.18 ID:/s8rsTN90
ナリタブラリアンってポニー居たけど、ありゃ立派な馬だったな
サラブレッドみたいな体格はないけど、あれでタフなら充分だわ
弓騎兵のが強そう
43 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/03(木) 01:23:04.64 ID:qdFzy/F2P
44 :
アジアゴールデンキャット(関西・東海):2013/01/03(木) 01:25:53.88 ID:+jVIeDvWO
うちから50mくらいのとこに信繁の休憩所跡がある。
近くの神社じゃ毎年正月に六文銭の軍旗を公開してるわ。
近世の騎兵の主な役割は敗走した敵を再集結させないために、サーベルでメッタ斬りにするためのもんだから
味方の歩兵がピンチになったら?見捨てて騎馬の機動力で最速で逃げるのさ
46 :
ジャガランディ(チベット自治区):2013/01/03(木) 01:28:00.46 ID:/s8rsTN90
>>42 あれは反則だもん。
機械化狙撃兵師団みたいなもん、大砲以外に勝つ手段がない
普通、鞍上で弓(武器)を使えるのは、武家・貴族の家で育った戦士くらい
それが一族・部族こぞって万単位とか、どうやっても止まらんよ
>>44 いいな。俺のトコとか武将がショボクて何も無い。熊本は清正だし鹿児島は島津藩だし佐賀も鍋島藩で勇猛なのになーw
>>9 山から射るし麓からも射る、平地でも射るし盆地でも射る
流鏑馬という武術訓練しまくってたからな。
馬上で射撃をすることを考えるのは、武士として普通のこと
昔だからと舐めてかかってはいけない。
戦国自衛隊がいい例
50 :
ヤマネコ(東日本):2013/01/03(木) 01:31:57.94 ID:JQhbRfbEO
武器と食料の運搬に有効、有力だったんだろ、馬を多数保有してることは。古来戦さなんてものは補給で決まるから。別に馬が馬蹄で相手兵士を踏み潰すわけではない。
小山田隊がハンドグレネードを投擲してくる
悪夢の戦場、岩殿城
52 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/03(木) 02:08:07.68 ID:qdFzy/F2P
>>49 確かに騎馬で長弓を使ってたという特殊性を考えると
のちの騎馬武者が馬上で射撃をするという考えに帰結するのは当然かもな
53 :
ヨーロッパヤマネコ(関東・甲信越):2013/01/03(木) 02:10:46.16 ID:gHFEinFMO
こういう機動力のある兵科は奇襲遊撃用途には適してるが、あくまで支援用だね
主戦力は結局、数の集まる歩兵
54 :
ぬこ(東日本):2013/01/03(木) 02:30:15.90 ID:4R0z7Ta+0
>>52 そう考える流れは解らんでもないけど実際やっちゃうのは厨二の伊達さん位でしょ
弓ならまだ有効だろうけど馬上で火縄銃じゃまず当らんだろうし連発無理だし
55 :
ボルネオヤマネコ(神奈川県):2013/01/03(木) 04:33:44.93 ID:vxlFicww0
>>54 1600年代辺りから西洋でも馬上から鉄砲を撃つのは出てきてるから
誰しもが考える事だよ
結局はクリミア戦争のころには槍突撃の軽騎兵に戻っているわけで
馬の改良につきるのか。
58 :
イエネコ(東京都):2013/01/03(木) 11:52:32.77 ID:R2bP0mkl0
おまえら時代感覚がおかしくない?
これって1615年だろ?大坂夏の陣だから。
大体このころ(1620年代だが)のポーランド有翼重装槍騎兵(フサリア)、ポーランド軽騎兵(リプカ・タタール人)、スウェーデン銃騎兵(外国人傭兵)の戦い
(スウェーデン・ポーランド戦争=グスタフ・アドルフ対スタニスワフ・コニェツポルスキの戦い)
youtube.com/watch?v=LNl0poj5z90
なお、ポーランド有翼重装槍騎兵はこのときも含めて戦術的には2世紀の間無敗だったという世界記録を持つ
59 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/03(木) 12:02:51.49 ID:qdFzy/F2P
フサリアってどういう戦い方をしたの?
中世の騎士のチャージと何が違うの?
60 :
イエネコ(東京都):2013/01/03(木) 12:22:14.76 ID:R2bP0mkl0
戻ってきましたよ。
中世の騎士のチャージは騎士同士の一対一。
フサリアの場合は敵陣に長槍で正面突撃。
広く散開した隊形からゆっくり走り出し徐々に速度を高め、敵陣到達時にギッシリと密集して高速で突撃。
(勿論、敵の銃騎兵や槍騎兵ともそれぞれ一対一で当たることもあった。)
基本は敵陣突破の集団槍突撃で、中世騎士が長く憧れながらパイク兵の存在により不可能だった戦い方が実現されたもの。
(フサリアはその装備と戦術により敵がパイク兵だろうと銃兵だろうと砲兵だろうとお構いなしに突撃できた。)
61 :
イエネコ(東京都):2013/01/03(木) 12:27:50.78 ID:R2bP0mkl0
また中世の騎士は本人と馬が装備する甲冑が不必要に重装備で、
混戦になって相手の歩兵に囲まれると確実に殺られるため、徒歩の従者がつくのが基本。
だから何百メートルも走るようなことはしない。
ほぼ必ず徒歩の従者と一緒に敵に向かっていき、相手の騎士と向き合って、
互いに何メートルか離れたところから一対一で思いっきり突撃し合って、槍試合の形式。
また馬も農耕馬をベースにした大型馬を用いていたのでこれも混戦では動きがとれず脚も遅いので危ない。
62 :
三毛(福岡県):2013/01/03(木) 12:30:29.14 ID:5AkALmh+0
火縄銃って戦国時代の終盤にはここまで進化してたのか
63 :
イエネコ(東京都):2013/01/03(木) 12:35:52.25 ID:R2bP0mkl0
いっぽう、フサリアは重装備だが抜くところは抜いた甲冑で、
甲冑のない部分の刀除けには厚いベルベット生地の服を纏った
そして単独で敵陣内での混戦でも、万が一馬を失った場合の白兵戦でも戦えるうえ、
騎士は長槍のほかに長剣、騎馬刀(サーベル)、小刀、
小銃(ないし弓矢)、ブズディガン(特殊なメイス)を一度にゴッソリ携行していた。
馬は乗用馬として理想とされる中型馬のアラブ馬で、これは長距離を高速で走れるうえ小回りも効き、スタミナもある。
(アラブ馬でも大型の個体であれば見栄えの良い堂々とした体高を持っていた)
64 :
セルカークレックス(長野県):2013/01/03(木) 12:36:18.03 ID:TEbp1JP90
>>30 スウェーデン騎兵とか体長120cmでもギャロップで突撃してたのにな
65 :
サイベリアン(関東・甲信越):2013/01/03(木) 12:36:38.73 ID:gHFEinFMO
>>62 薬莢のない時代にセミオート射撃を実現という変態銃だな
まあ実用では暴発の危険があったと思われるがw
66 :
イエネコ(東京都):2013/01/03(木) 13:14:45.08 ID:R2bP0mkl0
>>64 タタール人軽騎兵も甲冑を着て体高の低いポニーでギャロップ突撃できる。
茶臼山?
真田の兄貴の方と間違えて無いか?
68 :
ボルネオヤマネコ(神奈川県):2013/01/03(木) 16:56:17.98 ID:vxlFicww0
69 :
ヒマラヤン(東京都):2013/01/03(木) 19:22:23.53 ID:qdFzy/F2P
>>60 ここまで詳しく説明してくれるなんてwありがとう
フサリアって見た目がやたら格好いいね
70 :
ロシアンブルー(長野県):2013/01/03(木) 19:25:31.55 ID:Ro5BnQ6V0
画像ちっさ