【悲報】正月早々、蛆チョン系新聞が日本神話を解説。古代の中国や朝鮮の優越性を強調・・・
「天孫降臨」考古学から分析すると…神話に秘められた意外な真実
産経新聞 1月3日(木)20時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130103-00000540-san-cul 高天原(たかまがはら)の神々が地上世界に降り立った「天孫降臨(てんそんこうりん)」。初代・神武天皇
が九州・高千穂宮から大和へ遷った「神武東遷(とうせん)」。今も日本人の心に根ざした神話だ。なぜこうした
説話が生まれたのか。考古学からアプローチしてみると、その裏側に秘められた意外な事実が見えてきた。
神武東遷ではなく「西遷」だった? 天孫降臨は、日向を取り込もうとしたヤマト王権の巧妙な政略?
地中に埋もれた歴史の“証言者”が語りかけてくるものとは−。(中略)
ヤマトを中心とした政権は、3世紀半ばごろ、畿内を中心に九州〜東海・関東一帯の勢力が連合して確立
されたとされる。
それ以前の弥生時代は北部九州が中心で、権力掌握に欠かせない鉄資源や鏡など中国や朝鮮半島の
最先端の技術や文物は北部九州の勢力が独占し、畿内を圧倒していた。畿内は当時、後進国だった。
しかし、弥生時代末の2世紀ごろになると、畿内や吉備など瀬戸内沿岸の勢力が、鉄の輸入ルートを北部
九州から奪おうと連合。2世紀末ごろ、この連合勢力が北部九州と衝突して勝利し、畿内を中心とする邪馬
台国連合となり、ヤマト政権へ発展していったという。(以下略)