元寇の軍船、高麗産ポンコツ仕様の粗製濫造では無かったかも
1 :
ハバナブラウン(やわらか銀行):
2 :
しぃ(京都府):2012/10/11(木) 01:38:52.09 ID:GNjPh0kE0
元寇はファンタジー
3 :
黒(福岡県):2012/10/11(木) 01:38:58.74 ID:4o599MuU0
じゃあ武士が沈めたんか(´・ω・`)
そりゃ当時日本海を寄港なしで渡るってんだから相当しっかりした造りに決まってるだろ
5 :
スペインオオヤマネコ(東京都):2012/10/11(木) 01:40:17.27 ID:w97eBY8k0
そんなのに小船で勝てる日本水軍が最強って話か
日本海の荒波を越えるんだから当たり前ちゃ当たり前だ
7 :
しぃ(WiMAX):2012/10/11(木) 01:41:02.90 ID:piEScgpL0
だからさ、おまえらなんで闇雲に昔の人をバカにすんだろ?
昔の人が現代に生まれたらみんなアインシュタインクラスかもしれんのだぞ
8 :
ロシアンブルー(九州地方):2012/10/11(木) 01:41:29.37 ID:WYTJds2LO
元寇船の船底を二重底にして、何の効果を期待しての対策だったの?
舟の重心の安定とか推力を期待して?
まぁ、台風にやられたんだけれども
9 :
エキゾチックショートヘア(大阪府):2012/10/11(木) 01:43:27.91 ID:hKQ9Fnia0
調査を主導した琉球大の
10 :
白黒(西日本):2012/10/11(木) 01:47:10.58 ID:4v3EFo3y0
>>8 タンカーと同じで、来る時は海水入れて来て、帰りは戦利品を積んで二重底の海水を抜くんだよ!(`・ω・´)
12 :
オセロット(家):2012/10/11(木) 01:54:29.23 ID:Gxc+xb7t0
日本が大金出して引き揚げて、
中韓が返せと大騒ぎするんだろw
13 :
サバトラ(チベット自治区):2012/10/11(木) 01:56:07.03 ID:vGlra5Aa0
俺個人的な仮説としては、おそらく「ヴェネツィア製」だな、こりゃ。
そりゃ元の正規軍なんだからちゃんとした船に決まってるだろ
何ヶ月海で逃げたと思ってるんだ
15 :
オシキャット(愛知県):2012/10/11(木) 01:58:43.74 ID:7bY2nkt10
16 :
ジャガーネコ(東日本):2012/10/11(木) 02:02:17.99 ID:a7U25GEj0
バイキングゆずりの鎧張りだった可能性も
18 :
オシキャット(愛知県):2012/10/11(木) 02:11:34.81 ID:7bY2nkt10
19 :
アムールヤマネコ(東京都):2012/10/11(木) 02:15:19.61 ID:Lne/2vGu0
大陸は台風について無知だったとしても
数十年支配した朝鮮半島は日本列島と同じくらい台風食らってるんじゃなかったの
20 :
カラカル(家):2012/10/11(木) 02:16:14.42 ID:2FMZS5Nv0
上の階でタイコ叩いて下の階で奴隷が船漕ぐんだろ?
知ってるよそれくらい
生木で作っちゃったから水を吸って沈んじゃったんだって
作家の白石一郎さんがテレビで講義してた
>>19 無知っていうか、ただたんに上陸して拠点作れずに船の上に何ヶ月も居たら、常識的に考えて台風に遭うよねってだけの話だよアレ
23 :
ベンガル(やわらか銀行):2012/10/11(木) 02:25:12.60 ID:gVuJMwrG0
チョッパリのためにわざとオンボロにしたニダ 感謝するニダ
とか言ってなかったか?
25 :
メインクーン(やわらか銀行):2012/10/11(木) 02:58:56.03 ID:QHp5CZls0
>>24 エベンキさんは関与してないですご苦労様です
27 :
シャム(やわらか銀行):2012/10/11(木) 03:05:10.68 ID:dBsZRlDY0
1回目は、攻撃側の規模が小さかったのにもかかわらず元の圧勝
ただ、威嚇が目的だったため、リーダー戦死と台風であっさり撤退
このとき九州に上陸して橋頭堡を築いていればおそらく日本滅亡
2回目は、日本がバッチリ準備、とにかく上陸阻止作戦を徹底した
元の軍は大部隊だったのにもかかわらず上陸できず時間を無駄にした
海上に留め置かれた元軍は補給もままならず疫病も発生し疲労困憊
結局台風の季節まで引き延ばされ神風吹いて終わり
28 :
ブリティッシュショートヘア(福岡県):2012/10/11(木) 03:06:57.73 ID:7Cfo2+Ty0
鯨返しだろ
29 :
キジトラ(dion軍):2012/10/11(木) 03:07:46.53 ID:8bmxU0qv0
>>19 朝鮮はあんまり台風こないじゃんか、毎年天気予報見て分かる感じ
引き上げた中には河で使う為の船が出てるのは事実
お偉方用と間に合わせで寄せ集めた船とごちゃごちゃ
30 :
ジャガーネコ(熊本県):2012/10/11(木) 03:09:29.14 ID:JiLLMx4y0
今は神風は関係ないってのが定説なんだよな
神風のおかげで撃退したという事にしておいた方が論功行賞でたくさん支払う必要が無くなる
じゃ日本軍が強かったてことか
神風ちゃうやん
実力ヤン
33 :
シャム(やわらか銀行):2012/10/11(木) 03:12:05.73 ID:dBsZRlDY0
どちらにしろ2回とも最後に台風が来たってだけで、勝敗は既に決まっていた
34 :
ブリティッシュショートヘア(福岡県):2012/10/11(木) 03:13:16.91 ID:7Cfo2+Ty0
つーか、二重だからすごいの??
35 :
ジャガーネコ(熊本県):2012/10/11(木) 03:16:44.01 ID:JiLLMx4y0
>>31 discovery channelの受け売りだから否定するならしてくれ
自分でも調べたけど
今でも教科書では神風のお陰で助かった的な記述なんだろうな
36 :
スナネコ(新疆ウイグル自治区):2012/10/11(木) 03:18:20.42 ID:f6ilV1hX0
九州の豪族3千人位で10万人以上の元軍を全滅させた
日本は勇武の国
37 :
アビシニアン(catv?):2012/10/11(木) 03:19:13.80 ID:72jWsbOH0
そら日本をつぶすためだから、丹精をこめて作ってるに決まってるだろ
で、なにが日本のためにわざともろくしたって? クソ公共放送局め
38 :
クロアシネコ(兵庫県):2012/10/11(木) 03:22:29.21 ID:S+3VRqGV0
>>8 新聞ソースだと、水漏れ対策らしい
底が抜けそうなんでもう1枚床を張ったということらしいよ
39 :
マレーヤマネコ(兵庫県):2012/10/11(木) 03:22:58.45 ID:jK20KrHH0
東からの援軍はなかったの? 卑弥呼はああ〜ん...
40 :
サーバル(大阪府):2012/10/11(木) 03:24:05.71 ID:1gpst4x90
本気出したけど負けたんか
神風は一回来たのかも微妙らしいな
中学の日本史適当に教えられてたのがよくわかるが今も神風で撃退したとか教えてんのかな?
42 :
ロシアンブルー(九州地方):2012/10/11(木) 03:29:26.80 ID:WYTJds2LO
>>38 安定とか推力とかじゃなくて、ただ単に水漏れ対策とは…
構造的欠陥に対する対策だったのか
あざーっす
43 :
ラガマフィン(神奈川県):2012/10/11(木) 03:31:23.43 ID:iTqC3mcN0
44 :
メインクーン(東京都):2012/10/11(木) 03:34:31.86 ID:CV1BoHXc0
いくら船が良くても乗っていたのは殆どあのチョンだから 対馬ではチョンらしく悪辣な略奪をやったが
戦闘モードになった日本人には歯が立たなかった
45 :
サーバル(福岡県):2012/10/11(木) 03:36:15.17 ID:z+O9qo7h0
46 :
ウンピョウ(千葉県):2012/10/11(木) 03:36:53.68 ID:N2dV/7a50
珍風
47 :
ジャガー(関西・北陸):2012/10/11(木) 03:38:33.50 ID:QIP8Ib8yO
>>27 日本滅亡とかwwww
実力で負けてんだよ
台風だからとか海だからって笑える言い訳はやめろよ
48 :
ロシアンブルー(九州地方):2012/10/11(木) 03:40:14.94 ID:WYTJds2LO
>>45 竹崎季長のアレは御賞に与る為のプロモーションだ、って誰かが言ってた
49 :
ぬこ(西日本):2012/10/11(木) 03:42:11.61 ID:dVNTJpY/0
南宋攻略に忙しかった元に日本侵攻を何度も進言したんだっけw
50 :
白黒(チベット自治区):2012/10/11(木) 03:49:17.22 ID:57WEGKzv0
<丶`∀´> 防水隔壁の起源は韓国ニダ!
51 :
ロシアンブルー(チベット自治区):2012/10/11(木) 03:57:44.93 ID:gsZ0cj1g0
多分ヨーロッパから技術輸入したんだろ
52 :
シャルトリュー(家):2012/10/11(木) 03:57:51.68 ID:LAkvfkVAP
通信もない時代に船に兵隊だけ乗せて日本を攻略しようってのが無理な話
53 :
ラグドール(東京都):2012/10/11(木) 04:26:46.60 ID:WpPD8q7P0
54 :
ピューマ(庭):2012/10/11(木) 06:02:38.63 ID:JXwwuuPs0
つうかわざとポンコツ作ったとかなんの根拠もない話ですから。
自分とこの兵士わざと殺すわけないし。
55 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 06:31:47.00 ID:7wtIaIcA0
sage
56 :
ロシアンブルー(空):2012/10/11(木) 06:33:29.98 ID:J+ruyM/F0
>>27 橋頭堡を築いたところで兵站を維持することも出来ずに、日本勢に嬲り殺されて終ったんじゃないか?
57 :
ラグドール(関西・北陸):2012/10/11(木) 06:44:53.60 ID:EZUux0YzO
中国本土から来たのと高麗からのと2ルート在るからな。
中国本土からの船はちゃんと作ってたんだろうな。
58 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 06:46:02.32 ID:7wtIaIcA0
59 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 06:49:30.22 ID:7wtIaIcA0
>>57 東路軍も台風により損害を受けたが、江南軍に比べると損害は軽微であった[32][36]。
その理由を『高麗史』に登場する高麗人の言によると、高麗で造船された戦艦に比べて、
江南の船は大きな船は大きいものの、脆弱であったとしている[227]。
また、元朝の官吏・王ツもまた「唯だ勾麗(高麗)の船は堅く全きを得、遂に師を西還す[228] 。」
としており、高麗船が頑丈だったことがわかる。それを裏付けるように、高麗兵と東路軍水夫の戦死、
病死、溺死を除く生還者は七割を越えていた[32]。
詳しくはウィキ参照。
60 :
メインクーン(埼玉県):2012/10/11(木) 06:53:34.29 ID:mHW+EL440
61 :
ラグドール(関西・北陸):2012/10/11(木) 07:03:22.06 ID:EZUux0YzO
>>59 高麗史だからなあ。
ウリ達は立派に戦ったのにあいつらが足引っ張ったニダ!
って読むのが正しいんじゃない?
62 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 07:22:50.82 ID:7wtIaIcA0
>>61 元朝の官吏の王ツも高麗船が頑丈だったことを認めてるよ。
63 :
ジャガーネコ(WiMAX):2012/10/11(木) 07:30:23.34 ID:VhFqag/Z0
古代の朝鮮半島で活躍した古代朝鮮族はこのへんで滅んだのかもな。
で、弱体化したところをエベンキ族にやられたと。国土も文化も歴史も乗っ取られた。この辺で古代の朝鮮とそれ以降現代にいたる朝鮮に歴史の断絶が発生した、と。
そんな風に考えないと,すでに文明化していた古代朝鮮族が未開部族のエベンキ族にやられるのが不可解だ。
そもそもエベンキ族が朝鮮半島に出現するのはこのとき蒙古にくっついてきたのかもしれん。なにもないときに理由もなく未開の部族の大集団がアジア大陸を大移動してくるとは思えないからな。
なにかしら歴史に記録されているような大事件がないといけない。蒙古の元帝国の成立がそれかな。
蒙古とエベンキ族の関係はいまちょっとわからないが、同族なのか,上下支配関係があったのか、詳しいことはわからん。
64 :
ヒョウ(埼玉県):2012/10/11(木) 07:37:28.40 ID:dB7YQKqO0
頑丈過ぎて重くて沈んだ。。とかじゃないのか。。
65 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 07:43:06.02 ID:7wtIaIcA0
高麗船が頑丈だったのは技術的な面というより良い木材を多く用いていたから
だと思う。
技術的な面で江南船を上回っていたとは思えないし。
>>58 それってさ、高麗史にしか書かれてないことだからさ。
高麗史なんて一番信用度が低い資料を根拠に語られても困るわ。
もっとも
>>27の言う、いわゆる威力偵察説も
現在有力になっている説ではあるが、疑問は多い。
モンゴル軍の水軍での戦いのセオリーや前例がないため何とも言えないとこがある。
とはいえ、このときの元軍の規模は数万程度だっため
実際小規模であり、威力偵察的な意味合いが強いというのは説得力がある説ではある。
まぁ、はっきしてることは一進一退的な戦いをしながらも、
決定的敗戦もないまま、モンゴル軍は何故だか突然撤退した。
それが真相。
何故だか分からないから昔から議論されてるわけだわな。
神風説もそのひとつ。
しかし、君の言うとおり神風は文禄の役では全く関係ない。
普通に考えれば、予想外の日本軍の強さに撤退したってとこだろうな。
モンゴルも最初から深入りするつもりは無かったんだろう、恐らく。
よって次の弘安の役では10万以上の大軍で襲来するわけだわな。
食い物に困ったんじゃないw
68 :
ノルウェージャンフォレストキャット (神奈川県):2012/10/11(木) 08:13:50.83 ID:9rXAZy670
モンゴルって海外攻めまくっているけど、海越えで攻めたのって、
ひょっとしてこの時くらい?
69 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 08:30:25.01 ID:7wtIaIcA0
>>66 >予想外の日本軍の強さに撤退したってとこだろうな。
『高麗史』のままではないか。
ちなみに君が弘安の役で10万以上というのも『高麗史』が根拠になっている。
その他の元側の資料に江南軍の兵力の記載は無いからな。
少なくとも「何故だか撤退した」というより、上陸したものの思うように
戦況が好転せず、この先の戦況に不安を覚えた元軍は撤退したという『高麗史』
の方が遥かに信頼できる。
70 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 08:31:45.94 ID:7wtIaIcA0
『高麗史』がなければ、元寇はほとんど理解できない。
ちなみに『元史』にも「矢がつき、官軍は整わず撤退した」と元軍が苦戦していたことが
書いている。
苦戦して撤退したという『高麗史』の記述と合致している。
また、『高麗史』には『元史』では触れられていない元軍の副司令官の右副元帥・劉復亨が
負傷したことが記されているなど、より具体的に戦況を伝えている。
それに文禄じゃなくて「文永」な。
71 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 08:36:38.56 ID:7wtIaIcA0
訂正
右副元帥・劉復亨→左副元帥・劉復亨
72 :
ヨーロッパオオヤマネコ(山口県):2012/10/11(木) 08:48:34.39 ID:TxwVsgj00
こうやって残ってるってのが凄いね
海の表面は波あったり酷いけど海の中って、安定した世界なんだね
>>69 別におまえの説否定してるつもりないが。
総合的に資料参考にしながらも疑った見方すべきと書いてるだけだがな。
意味通じないか?
それと、おまえみたいに、自説に都合のいいとこだけ資料持ちだして、
都合の悪いとこは無視する奴が一番信用できんわ。
元側資料でも日本側資料でも日本兵は10万と記載してるだろ。
そして高麗史にも日本は大軍と記載されてる。
なのに、そこだけ勝手に脳内資料持ちだして数千とか決めつけてるし。
小学生かよ。
74 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 08:56:15.44 ID:7wtIaIcA0
>>73 >元側資料でも日本側資料でも日本兵は10万と記載してるだろ
君は66で「次の弘安の役では10万以上の大軍で襲来するわけだわな」と言っている。
明らかに日本軍のことではなく、元軍のことを言っている。
で、元軍が10万以上という根拠は『高麗史』しかない。
よって、「高麗史なんて一番信用度が低い資料を根拠に語られても困るわ。 」
と高麗史の資料的価値を根拠もなく否定している君が『高麗史』が根拠になっている
元軍は10万という数字を出したことを皮肉っているだけだが。
>>74 元史に10万の軍(勢)と書いてあるわ。
帰還できた兵士の記述のとこでな。
どこまで恥の上塗りする気だ、おまえは。
76 :
ヨーロッパオオヤマネコ(山口県):2012/10/11(木) 09:04:46.72 ID:TxwVsgj00
壇ノ浦の底も、調べてほしいな。
源平合戦の痕跡がみつかるかもしれない。
でもあっこアメリカ軍の爆弾だらけなんだよな。
文永は威力偵察説って何なの?
七年後の本作戦のための威力偵察?
78 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 09:15:03.31 ID:7wtIaIcA0
>>75 『元史』日本伝には10万の衆とはあるが、江南軍と東路軍の総数のことかは書いていない。
だからこそ俺が69で「その他の元側の資料に江南軍の兵力の記載は無いからな。 」と「江南軍」と言った。
そこで、登場するのが高麗史だ。
『高麗史』に「范文虎亦以戦艦三千五百艘、蛮軍十餘萬来」とあり、10万とは江南軍のことであることが
わかる。高麗史の記述を基に元軍は14万という数字が表れてきた。
どちらにせよ、高麗史を抜きにしては通説の「14万」という数字はわからない。
79 :
ヒョウ(大阪府):2012/10/11(木) 09:21:09.61 ID:7wtIaIcA0
ちなみに戦艦数も元軍の出航日も『高麗史』が根拠になっている。
>>77 モングル軍(騎馬軍)の基本戦術。
まず少数の先鋒軍が敵地に赴き、敵地を荒らしまわる。
敵軍で弱ければそのまま進軍する。
強ければ偽装撤退して
モングルの本軍が居るとこまで敵軍を引っ張りだして一挙に叩く。
それを渡海した上陸作戦でも使ったという考えだが、
何とも言えんとこがある。
ぶっちゃけ神風云々が一番信頼度怪しいよな
>>80 それとやってること全然違うでしょう。
偽装撤退して日本側が海上に出たのを叩くとかの目的があったなんて
元史・高麗史見てもそんな意図は書かれてないし。
>>83 モンゴル軍はまず先鋒軍を派遣する癖がある
その軍は相手が強ければすぐ撤退する癖がある
それは未知の土地であるため地勢を知る偵察の意義もある
という考えから生まれた推論だよ。
そうただの推論。
でも、それなりの説得力があるから、現在良く唱えられてる。
もちろん君の指摘するような反論や、渡海してまでそんなことやるのかという反論もある。
まぁ決定力には欠ける考えだとは思うよ。
>>84 それは現代の軍事用語である「威力偵察」とはかなり異なるから
別の用語で表したほうがいいのでは?
ちなみにその癖というのは元軍ではどういう戦いで見られますか?
モンゴル軍じゃなくて漢化した元軍ですよ。
>>85 まぁ、そーいう類は軍事板や日本史板にたくさんいるから
好きなだけ議論してきたらいいんじゃね?
俺は関心がない。
実際は神風のせいで勝ったのではなく、陸戦でかなり勝ってる。
>>87 そうですか。威力偵察説が有力だ、説得力がある、と盛んにおっしゃる割に
まったく説得力がなくて残念でした。軍事オンチの間で人気がある説、という感じに落ち着きそうですね。
90 :
ジャガー(関西・北陸):2012/10/11(木) 10:41:40.90 ID:QIP8Ib8yO
陸でも海でも実力でフルボッコにされただけか
91 :
ヤマネコ(静岡県):2012/10/11(木) 11:03:01.49 ID:JoaoOjqE0
相手がフランクなのにID:zh6cWcD/0は何でこんなテンパって頭沸いてんだ。
>>1 元寇で日本人100万人が虐殺されたんだよね(´・ω・`)
>>91 モングルさんはフランクなように見えて結構無茶書いてるよ。
それなりの説得力とかまったくないしw
>>5 源平合戦で平氏が使っていたような大船もあっただろうが、
それを使って艦隊で戦うより小舟で切り込みしたほうが有効と
判断してたんじゃないのか。
95 :
ヒョウ(北海道):2012/10/11(木) 11:57:46.55 ID:ldPUNV+V0
二重底ってバラストの代わりにチョンを搭載しただけだろ
96 :
黒(SB-iPhone):2012/10/11(木) 12:22:26.06 ID:E5LalIVSi
単に武士が強かっただけ。
海外に攻めてたら元を虐殺して奴隷に
五年で世界制服してた。
98 :
エジプシャン・マウ(愛知県):2012/10/11(木) 12:32:25.27 ID:3WVttiLV0
カタログスペックはともかく結局沈んでるよね。
99 :
エジプシャン・マウ(愛知県):2012/10/11(木) 12:34:53.30 ID:3WVttiLV0
>23
>滑落事故はあとを絶たないため現在では一人での入山は拒否されている
なんだと、、、、
神風伝説も手抜き工事って俗説も、日本の武士団が実力で大モンゴル帝国の
侵攻を跳ね除けたって事実を認めたくないブサヨの妄想だと俺は思ってる。
●勘違い元寇
・運良く元寇があった日に台風がきた!
→間違いです。
元軍船がきてからも武将たちが戦い続け、船と浜で一進一退。
そうして上陸を阻止していた所、一ヶ月近く経った頃にやっと台風が来ました。
・元寇の二回とも台風が来た!
→間違いです。来たのは二回目だけです。
一回目の元寇で日本はボロ負けし街を燃やされました。
しかし元軍の目的は「軍事力の誇示」だったので、そのまま引き上げていきました。
まとめ
・神風は元寇の二回目のみ。
・武将が何十日も持ちこたえてくれたので、そのうち台風が命中した。
・つまり神風=運 というのは半分間違い。
103 :
ヨーロッパヤマネコ(空):2012/10/11(木) 12:46:21.56 ID:WNv33pT70
元寇って、台風が来なくても排除できたんじゃないかと思うのだけど、どうよ?
それより、白村江の戦いの方が日本としてはヤヴァかったんじゃない??
>>56 橋頭堡も築けてない。だから夜襲を恐れて船にわざわざ戻ったワケで。
>>101 文永の役の際の元軍の様子(元側の資料『高麗史』より)
金方慶(朝鮮人司令官)「兵法に『千里の県軍、その鋒当たるべからず』とあり、本国よりも遠く離れ敵地に入った軍は、
却って志気が上がり戦闘能力が高まるものである。我が軍は少なしといえども既に敵地に入っている。我が軍は自ずから戦うことになるが、
これは秦穆公の孟明の『焚船』や漢の韓信の『背水の陣』の故事に沿うものである。再度戦わせて頂きたい」
忽敦(モンゴル人総司令官) 「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』とあって、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、
多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。疲弊した兵士を用い、日増しに増えるであろう敵軍と相対させるのは、
完璧な策とは言えない。撤退すべきである」
元軍の認識では、日本軍は「大敵」で元軍を「小敵」に準えて、このまま戦い続ければ捕虜になると判断して撤退したことがわかる。
「軍事力の誇示」など水城など軍事拠点を落とさないと意味がない。
結局、元軍は日本軍とこれ以上戦う自信も無く撤退していった。それだけ。
>>102 解りやすいけど緊張感ねぇなw
でも最後まで見てしまう可笑しさwww
>>36 3000人って言っても、そいつら一人当たり10人くらいの足軽雇ってるんだろ?
109 :
シャルトリュー(チベット自治区):2012/10/11(木) 12:52:30.80 ID:lhr/b3TGP
てつはうは金属片が飛び散るように作られており、殺傷力はあった。
停泊していた場所は地形の影響で台風関係無しに海流が激しく、転覆の危険がある。
ってつい最近NHKの番組で言ってたな。
>>108 足軽が出てくるのはもうちょっと後。郎党を中心とした徒歩武者と軍役に従事する領民。
まあ、上陸してたった1日で副司令官の劉復亨が負傷するほど
苦戦を強いられていた元軍が、これ以上粘っても武士は増え続けるし
元軍は援軍が望めないし、忽敦の判断は正しかった。
ただし、危険な夜間撤退を行い、海の藻屑になったのは焦りすぎた感は
否めない。
113 :
ラ・パーマ(九州地方):2012/10/11(木) 13:29:14.88 ID:X4d+K/f2O
神風は博多の人間をいつもいつまでも護ってくれる
まぁ、正確にはほぼ九州の武者と一族郎党だけで一進一退。
元側は日本の主力は鎌倉などにいることは把握してたから、
そこで一進一退になればいずれ本州からも武者が増援されて確実に
撃退される。ゆえに撤退した、というのは確かに正しい判断だな。
日本側も一応、中国の商人や朝鮮半島からも情報を得て、
元側の動きをかなり正確に把握はしていたようだし。
116 :
シャム(やわらか銀行):2012/10/11(木) 15:05:21.20 ID:dBsZRlDY0
つまり一回目は、散々殴られたほうが
「今日はこのくらいで勘弁してやる」って捨て台詞吐いたようなもの
117 :
白黒(西日本):2012/10/11(木) 15:36:28.18 ID:4v3EFo3y0
>>114 元軍の斥候が、大阪辺りまで来たらしいけど、連中はどうなったの?
118 :
ヒョウ(長屋):2012/10/11(木) 15:39:02.14 ID:myW5sd5E0
かーみーかーぜーの−じゅつー!
>>100旧日本軍にはブサヨがたくさんいたんだな
だから負けたのか
120 :
マンチカン(チベット自治区):2012/10/11(木) 17:18:21.05 ID:XW9QpuCC0
>神風は「神の国」神話のための明治時代の捏造
ん?
じゃ、↓
いにしへの 蒙古の時と あべこべに ちっとも吹かぬ 伊勢のかみかぜ (江戸狂歌)
↑も捏造なのか?
水車を作れない国がまともな船を作れるのかね
122 :
アメリカンカール(富山県):2012/10/11(木) 17:52:42.89 ID:HWarN6QV0
>>99 これってゲリラみたいに道無き道を行って入山したら警察に通報されたりすんの?
123 :
ベンガル(やわらか銀行):2012/10/11(木) 19:01:24.57 ID:gVuJMwrG0
>>122 手続き踏んで入山しても道なき道だよ
あと、崖のお堂は危ないので立ち入り禁止で近くまでしか行けない
無理矢理登ろうとして落ちて死んだ人もいる
124 :
コラット(千葉県):2012/10/11(木) 19:09:22.54 ID:LMapbVT80
>>53 これしかも上の画像の左の3人は後世に書き加えられたもんだってんだからまた酷い。
てつはうとか超兵器扱いで出てくるけど、あれってスタングレネードっぽい扱いで逃げるときに投げて逃げるものだったらしいね。
125 :
ジャガー(大阪府):2012/10/11(木) 19:12:05.04 ID:4b1s47Ln0
まず元軍って大して強くないしね(´・ω・`)
ぶっちゃけ兵士の数が多かっただけやで?(´・ω・`)
圧倒的軍勢じゃないとアイヌ土人や琉球土人にすら負けるぐらいのタコ(´・ω・`)
126 :
チーター(愛媛県):2012/10/11(木) 19:15:53.03 ID:oUqT5Cvs0
台風云々言うけど、毎年来てるもんを対策立てずにやって来るマヌケがてんで無能なだけだよね
アイヌに勝ってるし、琉球にも負けてないよ。
128 :
ボルネオヤマネコ(福岡県):2012/10/11(木) 19:25:31.62 ID:NVSAAYQK0
一艘だけ見てこういう結論を出すのは馬鹿のやる事。
中には将校用の高級軍艦もあったかもしれないし。
>>126 台風っていうかまさか地元の武士団の抵抗で
まともに上陸後の拠点すら作れないという状況だったので、
船にとどまるしかなかった。
予定では数日で大宰府まで抜いて拠点にするつもりだったんだろう。
131 :
トラ(やわらか銀行):
>>53 鎌倉武士団カラフルでかっこいいな
まんま戦隊ものみたいだw
なんで教科書に出てくるのは上の写真なんだろ
下の絵巻の方が何百倍もしびれるのに