【無駄な穴】松代大本営建設時の事故で死亡 父親ら犠牲者冥福祈る
09月30日(日)
第2次世界大戦末期、長野市松代町の松代大本営地下壕(ごう)建設の発破事故で亡くなった朝鮮人労働者の息子、新井七郎さん(74)=埼玉県草加市=が29日、
象山地下壕を訪れ、朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑前で父親をはじめ犠牲者の冥福を祈った。新井さんも当時松代で過ごし、訪れるのは67年ぶり。
地下壕を巡り「心の中で泣いた」と話した。
新井さんによると、父親は現在の韓国・済州島出身のパク・ムンギョン(日本名・新井文景)さん。90年ほど前に来日し、宮城県塩釜市で地下鉄工事をした後、
松代に移った。象山地下壕で掘削に従事していたとみられる。1945(昭和20)年2月に43歳で亡くなったという。
新井さんは7人きょうだいの6人目として東京で生まれた。6歳のころ両親や姉、弟と松代に来たという。「飯場」で過ごした記憶がある。姉から聞いた話から
清野地区周辺とみられる。地下壕(ごう)に入り、つるはしを使い作業する人を見た記憶もあるという。父親は、発破が仕掛けられたのを知らずに奥で
作業していた人たちを呼びに行き、戻る際に爆発に巻き込まれたと聞いている。その後、東京都や茨城県などを転々とした。
「(地下壕には)死ぬ前に一度来たかった」と新井さん。埼玉県の団体が主催する歴史探訪ツアーで今回訪れる機会を得た。
この日、松代大本営ガイドクラブ代表の原山茂夫さん(83)=長野市上駒沢=の案内で地下壕を歩いた。掘った跡が残る岩肌、削岩機ロッドが
突き刺さったままの天井などを見た後、新井さんは「おやじも苦労したんだ。朝、昼、晩と働いていた」と話し、政府関係機関などを移転する計画だったことを
踏まえ「一般市民が死ななければいけなかったと思うと…」と複雑な思いも口にした。
松代大本営の掘削は44年11月に開始。労働者の主力は、強制連行や自主渡航の数千人の朝鮮人とされるが、工事犠牲者の数や実態はほとんど分かっていない。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120930/KT120929SJI090011000.php