家康、元就の長寿を支えた食生活の秘密 →麦飯と餅
【徳川家康(75歳)×麦飯・豆味噌】
■生涯 麦飯が主食
「長命こそ勝ち残りの源である」。常々、こう語っていた徳川家康の健康と長寿を支えていたのは、麦飯と豆味噌であった。天下を完全に掌握し、
江戸幕府260余年の基礎を築けたのも、食生活に気を配り、晩年まで健康であったからにほかならない。三河の地方豪族、松平氏の嫡子として
生まれた家康は、幼い頃から麦飯を主食にして育ち、生涯、その習慣を変えることはなかった。
岡崎城にいた頃、家臣が気を利かせ、椀の底に白米飯を盛り、その上に麦飯をかぶせて出すと、家康は「汝らは、わしの心を察していない。
戦国の世でわしが先頭に立って倹約すれば、戦費の節約になり下々の者をいたわることにもなるのだ」と激怒したエピソードが残るなど、
質素倹約の精神からも麦飯を好んでいたという。
「麦にはビタミンB1やカルシウムなどが豊富に含まれます。さらに、家康の麦飯は麦と胚芽の残った半搗き米を混ぜたものなので数多く噛まなければならなかった。
この咀嚼が脳や胃腸の働きを活性化させて、活力の源になったのです」(食文化史研究家、永山久夫さん)。
【毛利元就(75歳)×餅】
■父の早世を教訓に養生した
「三本の矢の教え」で知られる毛利元就は、安芸国(広島県西部)の国人領主から、一代で中国地方のほぼ全域を支配下に置いた名将。
戦国最高の知将とうたわれた元就が、常に持ち歩き手放さなかったのが餅である。
「餅は白米飯に比べて腹持ちがよく、米の成分が凝縮されているため、戦国時代を代表する滋養強壮食だった。長い合戦でもスタミナ切れ
の心配をせずに済む理想的な兵糧でもありました」(永山さん)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK24034_U2A920C1000000/