政治がつくり、政治が潰した日本振興銀行が9月10日、解散した。金融整理管財人を務めた預金保険機構による管理も同日付で終了し、
商号を日本振興清算に変更。今後は清算会社としてペイオフ制度(払い戻し額の上限を元本1000万円とその利息とする措置)で保護され
なかった、預金元本1000万円を超える部分の弁済などに当る。
小泉純一郎政権下で竹中平蔵・金融担当相(61)が銀行免許を与えた日本振興銀行は、10年9月10日、国内初のペイオフを発動されて
経営が破綻した。ペイオフの発動は民主党政権の亀井静香・金融・郵政担当相の大きな置き土産といわれた。政権交代で政治の潮目が変わった。
小泉純一郎・首相から守旧派として切り捨てられた亀井は、小泉・竹中路線の申し子である木村=日本振興銀行を容赦しなかった。
「まるで不正のデパート」と捜査関係者を驚嘆させた中小企業振興ネットワークの加盟企業を手駒に、ワンマン体制を築き上げた木村を銀行
から排除することが目的だった。金融庁検査を忌避したとして木村を刑事告発。振興銀行にペイオフを発動して葬り去った。
http://biz-journal.jp/2012/09/post_716.html