朝日新聞「“がんばれニッポン”はひどく不快。ナイーブに自国選手を応援するのは、にわか愛国者」

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1 スペインオオヤマネコ(東京都)

ロンドン五輪TV観戦記――「応援放送」の不快さとうっとうしい話題
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2012080800008.html?iref=webronza
ここがヘンだよ! 五輪のテレビ中継
http://webronza.asahi.com/culture/2012080800005.html?ref=left


 オリンピックのTV中継でいつもウンザリさせられるのは、異様にハイテンションな「応援放送」である。
開催中のロンドン五輪でも、メダル候補の日本人選手の出る種目では、アナウンサー、解説者、芸人らの“がんばれニッポン”系の暑苦しい喋りや叫びが、ひどく不快だ。

 応援放送がなにより迷惑なのは、各国のアスリートらのパフォーマンスを、<それ自体として>楽しめなくなるからだ。

まあ私は、とくに日本人選手や日本の競技チームを応援しているわけではなく、
<遺伝的に飛びぬけて優れた“怪物”たち>の繰りひろげる競技を、
国境を越えたスリリングな見世物/スペクタクルとして観戦したいだけなので、そう思うのかもしれないが――。

 だからといって私は、自国の選手やチームを応援することが、偏狭なナショナリズムだなどと言うつもりは、さらさらない。
国家であれ、もっと小さなコミュニティであれ、それに所属している人間が、その共同体を代表する選手を応援しサポートすることは、ごくフツーのことだ(ただし程度問題だが)。
しかしむろん、それをしないことだって、まったくアリだし、あとは趣味の問題だろう。

 まあ五輪の環境自体が脱政治化し、巨大ビジネス化した現在でも、自国の選手を熱狂的に応援するというナイーブな姿勢は、「にわか愛国者」ともいうべき観客のあいだでは常態化しているが。