柔道金メダリスト松本薫「東京の高校に入ったけどどうしても東京に馴染めなかった。東京人が怖かった」

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1 ターキッシュバン(新疆ウイグル自治区)

高校のときには2年のときにインターハイ(2004年)の57s級で優勝しています。
ただ、実は私はここで一度、挫折のような経験をしているんです。

高校は生まれ育った実家を離れて東京の強豪校に入ったのですが、どうしても東京の生活に慣れることが
できず、このインターハイのあと地元の金沢に転校したんです。いろいろ迷惑や心配をかけましたが、
このことがあったので、3年で帝京大学を進学先に選ぶのにはかなりの覚悟が必要でした。一時は地元の
短大に入って栄養士の資格を取ろうかな、と考えたりもしたんです。
でも、やっぱり私は柔道が好きだったんですね。それで、もう一度東京に行くなら日本一の環境に身を置いて、
日本一の景色を見ながら練習しなくては意味がないと考えたんです。
それには、学生日本一だった帝京大学しか私の中にはなかった。高校時代の失敗を振り返り、
今度こそは東京で頑張りたいと心に誓い、強い気持ちで上京を決めました。

帝京大学は緑豊かなひろびろとしたキャンパスで、私にとってぴったりの環境でした。練習もとても
厳しかったのですが、仲間に恵まれ、本当に充実した生活を過ごすことができたんです。試合でも2年の
終わりごろから国内外で少しずつ結果が出始め、4年(2009年)の夏にはとうとう世界選手権
(ロッテルダム)に初出場できました。無我夢中で練習に打ち込み、一つひとつ目の前の目標を達成して
いくうち、いつの間にか世界レベルに到達していたんです。

最近ではやっと気持ちに余裕も出てきました。以前の私は周りが見えず、一つのことにのめりこんでしまう
ところがあったんです。とくに社会人1年目(2010年)の世界選手権(東京)で初優勝したあとは、
「勝たなきゃいけない」という気持ちが強くなり過ぎて、自分を追い込んでしまい、しばらく苦しい
時間を過ごしました。でも、そうしたときに周りの方たちに「よく頑張ってるよ」、「少しは休みなよ」と
声をかけてもらったりしてとても勇気づけられたんです。
まつもと・かおり◎女子柔道選手。ロンドン五輪女子57s級日本代表。1987年9月11日、石川県金沢市出身。
フォーリーフジャパン所属。兼六中学校→藤村女子高校→金沢学院東高校→帝京大学卒業。
http://supoiki.jp/special.asp?idx=100046