http://mainichi.jp/life/today/news/20120103mog00m100006000c.html 「何とか就職できたよ」−−昨年秋の高校の同窓会。近況報告でとっさにうそが出た。
同級生は働き盛りの会社員や公務員。仕事の苦労も楽しそうに語り合っていた。
横浜市で1人暮らしの31歳のダイスケさん(仮名)は今、生活保護を受けている。
派遣切りに遭い、仕事が見つからないままもう2年がたった。
埼玉県の私立高を99年に卒業。家計が苦しく進学できなかった。フリーターになり、
ファミレスで週5日のアルバイト、うち2日はコンビニと掛け持ちした。多い日は1日
14時間働いた。それでも月収約13万円。
8年目、長時間労働がたたって体を壊し、アルバイト生活をやめた。だが、正社員の
面接を受けても不採用が続く。履歴書の資格欄はいつも「なし」。運転免許すら持っていない。
専門学校に行く学費を稼ごうと、派遣労働者になった。製造業派遣が解禁された頃。
フリーペーパーの求人に「月収30万円!」「入社祝い金もあり」と景気のいい文字が躍っていた。
初めての派遣先は自動車組み立て工場。1週間で後悔した。諸経費と寮費を引かれて
手取りはわずか月10万円。学費などたまらない。自分が何の部品を組み立てているかも
分からず、やりがいを持ちようがなかった。
働く仲間は40〜50代の元正社員。「バブルの頃はよかった」「パチンコ行くから残業
代わって」と、だらしなく映った。「俺が正社員だったらまじめに働いていたぞ」。生まれた
時代を呪った。
リーマン・ショック翌年の09年秋、派遣先を解雇された。年始に寮を追い出され、
とうとう生活保護を申請した。月13万円を受け取る。
ハローワークで職を探す毎日。履歴書の写真代や面接の交通費が響き、月に3、
4日は3食を抜く。面接までたどり着ける会社は多くて月に5社。「また『ご縁がなかった』
という言葉を聞かされるのかと思うと緊張して眠れない。心はとっくに折れた」。唯一の
楽しみは子どもの頃から買い続ける「少年ジャンプ」。1週間、繰り返し読む。