【がんばろう東北】千葉は被災地
3月11日午後2時46分、マグニチュード(M)9.0の超巨大地震が、東北地方から関東にかけての太平洋海域で発生した。私がいた東京都文京区の東京大地震研究所でも、少しも収まらないゆれが長く続いた。
大津波警報が発令され、各地の験潮所の潮位データが時々刻々と気象庁へ入ってきたが、地震発生後約30分で通信網ダウンのため三陸地方の情報がぷつんと途切れ、何が起きているか把握できず不気味だった。
やがて、テレビなどを通して被災地の目を覆うような映像が飛び込んできた。防波堤、防潮堤をやすやすと乗り越える大津波。逃げ惑う人々。あまりの事態に呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。
全国の地震学、地質学などの研究者は、すぐにインターネットを介して「東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ」を組織。岩手県、宮城県、福島県への立ち入り自粛を申し合わせた。
最新データは収集したいが、水や食料、ガソリンなどの不足が深刻で、交通網も寸断されているため、被災者救援活動の阻害を避けなくてはならなかった。
そこで私たちは、仙台市東方海域の震央から300キロ以上離れた関東地方の千葉県から調査を開始した。その中で、私は特に気になっていることがあった。
2010年2月にチリで起きたM8.8の地震で、日本の太平洋岸にも津波が到達した。そのときに房総半島で最大の津波高1.5メートルを記録したのが、千葉県旭市の飯岡だった。
この場所では、1960年のチリ地震津波でも房総半島最大の津波高3.7メートルを記録している。東日本大震災でも同じことが起きているのではないだろうか。
予想は的中していた。飯岡の津波高は房総半島最大の7.6メートル。死者・行方不明者も15人に上り、半島最大の被災地となっていた。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/111222/dst11122207530004-p1.jpg http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111222/dst11122207530004-n1.htm