私は二度、市長選に出馬しようかと考えたことがある。
一回目はハワイ州ホノルルスであった。
1988年、私はホノルル市の名誉市長の称号をいただいていた。
ある日、ホノルルの税関を通る時、職員が私を別室へ連れていき、身体検査をした。
名誉市長のIDカードを見せたが、職員はそのカードを指で挟んで捨てた。
「名誉市長」は上下両院の議決で、全議員が起立賛成して任命されたものだ。
世界にたった一人の大変名誉なポストにもかかわらず、この職員は大変横暴な処置をした。
私は早速、当時の市長と面会、このことを話すと市長は顔色を失い、
税関のトップに電話をして「今から謝りに来い」と興奮して抗議した。
市長は「スギ、これで収めてくれ。もう一度私にチャンスをくれ」と言う。
「ダメだ。あの職員の態度は日本人に対して差別とも感じたし、私以外にもこんな扱いをしていると思われる。
そこで私は決心した。この次のホノルル市長選に出る」。
市長は涙目になり、「それだけはやめてくれ」と手を合わせた。その後、
米国務省からわび状が届いたため、市長選出馬はあきらめた。
二度目は大阪市、当時の西尾正也市長に「この次は私が出る」と言ったら、私のパーティーに西尾さんが出席して
「市長選に出るのだけは辞めて欲しい」と、祈りとも思えるようなあいさつをした。
西尾さんは別格良い人だった。今、大阪を”めちゃくちゃ”にしようとしている人が現れた。
私の心はグラグラしている。
ソース:中日新聞(東京新聞)10/29夕刊 D版
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