こういう記事を読んだ。
烏賀陽弘道氏と葛田徳之氏のツイートのまとめ -
http://togetter.com/li/200637 これを読んでつくづく思うのだが、やはり人はTwitterをするべきではない。
なぜかというと、ちっとも生産的でないからだ。デール・カーネギーの『人を動かす』の中に、「議論に勝つ唯一の方
法として議論を避ける」というのが記されているが、これをぼくも座右の銘としている。
ところで、このTogetterの中で吉田豪氏がこう呟いている。
小宮山雄飛さんのTwitter本でボクはTwitterの面白さについて「その人が面白いのかどうか、いい人なのかどうか、
センスがあるのかどうか、いろんなことがダダ漏れになるところ。こんなに恐ろしいツールを、みんな無邪気に使い
すぎ!」とアンケートに答えたんですが、そういうことです!
http://twitter.com/#!/WORLDJAPAN/status/124956449712521216 このつぶやきについて、ぼくはTwitterが「その人が面白いのかどうか、いい人なのかどうか、センスがあるのかど
うか、いろんなことがダダ漏れになる」というところはまさにその通りと思うのだが、しかしだからこそ「面白い」とは
全然思えない。なぜかと言うと、Twitterが「ダダ漏れ」にさせるそれらのものは、社会が円滑に営まれていくために
は本来余計なものであり、だからこそ人間は、これまで生きてきた中で、そういうものをダダ漏れさせない文化や
風習を育んできたのだ。それは、本来隠されていて然るべきものなのである。
だから、それを「ダダ漏れ」にさせては良くないのである。そして、それを面白がるのも良くない。
それはまるで、「宮崎駿のアニメで事件の発端として誰かが本来してはいけないことをする」ような意味で良くない。
それはまるで『風の谷のナウシカ』で巨神兵を蘇らせるようなものであり、『天空の城ラピュタ』でラピュタを復活さ
せるようなものであり、『もののけ姫』でシシ神を殺そうとするようなことであり、『千と千尋の神隠し』で両親が神々
の食べ物を食べてしまうようなことなのである。
それを面白いと思ってはいけないと思うのだが、どうだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318779491#seemore