「聖徳太子は架空の人物」 信じる若者たち

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1名無しさん@涙目です。(大阪府)

聖徳太子が説いた「和」の精神の尊さを考える「法隆寺フォーラム2011」(法隆寺、読売新聞社など主催)が
1日、大阪市のNHK大阪ホールで開かれた。

太子創建の法隆寺と読売新聞社が1400年御遠忌にあたる2021年まで行う
「聖徳太子1400年の祈り」キャンペーンの第1弾で約1200人が参加。

基調講演で同寺の大野玄妙管長は「太子が十七条憲法で提唱した『和を以て貴しとなす』は現代につながる精神」とし、
東日本大震災で多くの義援金やボランティアが集まったことを挙げ、「日本人はまだまだ捨てたものでない。
今こそ和の精神を再構築し、より良い形で未来に伝える時期」と呼びかけた。

ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111001-OYT1T00639.htm
2名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/10/01(土) 20:53:52.21 ID:kuBA+g1F0
これだから最近のゆとりは
3名無しさん@涙目です。(青森県):2011/10/01(土) 20:53:57.96 ID:+SLTxTtK0
聖徳太子知ってる?
4名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/01(土) 20:54:10.91 ID:R+3WGn8S0
おまえら、近所じゃ架空の人物扱いだろ?
5名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:54:12.29 ID:0bk9kfJ40
聖徳太子ぐらい知ってる
6名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/01(土) 20:54:19.89 ID:+v/n01fa0
かきくへば
7名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 20:54:20.32 ID:SfFfolKG0
三経義疏を読んだ。
8名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 20:54:32.56 ID:R/ngWdUo0
スペック産業
9名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 20:54:34.11 ID:UnLGWSn/O
↓キレて一言
10名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/01(土) 20:54:36.86 ID:qFYZ6U1X0
東方スレか
11名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:54:50.09 ID:H8U0Jf310
『日本書紀』には、聖徳太子という理想の聖人が登場するが、近年、聖徳太子の実在が疑われ始めている。
聖徳太子はフィクションなのか。
もしフィクションならば、なぜそのようなフィクションが作られなければならなかったのかを考えてみよう。
12名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 20:54:54.07 ID:ea6D0fCC0
厩戸皇子だろおっさんwww
13名無しさん@涙目です。(岐阜県):2011/10/01(土) 20:55:05.99 ID:koy6TWCA0
アホの妹子へ法隆寺ができました。ざま〜みろおみやげを持ってこい。 いいおみやげを持ってこい。
14名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:55:09.06 ID:5Kemnp+j0
ホモの超能力者じゃないの?
15名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 20:55:17.12 ID:3UKnU2mV0
なんで聖徳太子は天皇に即位しなかったの?
16名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/01(土) 20:55:20.62 ID:dE+3oVzw0
聖徳太子知ってる?
17名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:55:22.91 ID:23+rIIqJ0
最近は厩戸皇子のほうで教えてるみたいね。
18名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 20:55:39.15 ID:rM7jfh1o0
H2Oとは?←正答率70%
19名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:55:40.03 ID:H8U0Jf310
1. なぜ聖徳太子の実在は疑われるのか
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/shotoku_taishi.jpg

聖徳太子は、日本史上最も有名で、最も尊敬されている人物の一人であり、かつては1万円札の顔でもあった。
しかし、歴史家の中には、聖徳太子の実在を疑う人が少なくない。その急先鋒が、大山誠一である。

『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、

  用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
  601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
  現在の法隆寺のもととなる寺を建立した

という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が

  冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
  十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
  小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
  『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った

という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。
要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。
聖徳太子は、ヤマトタケルと同様に、『日本書紀』が捏造した、たんなる神話的存在に過ぎない。
なぜなら、聖徳太子の実在を保証する、信頼に足る史料が何もないからだと言うのだ。

聖徳太子に関する伝説は、荒唐無稽なものまで含めて、たくさんある。
だが、あらゆる伝説の基となった最古の史料は、法隆寺金堂の薬師像光背銘・釈迦像光背銘・
中宮寺天寿国繍帳の銘文などの法隆寺関連史料と『日本書紀』の二つに限られる。
通説では、薬師像は607年に、釈迦三尊像は623年に、天寿国繍帳は622年以降の7世紀前半に作られたとされている。
もしそれが正しいとするならば、720年に完成した『日本書紀』よりも古い、したがって最も信用できる史料ということになる。
果たしてそうだろうか。
20名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/10/01(土) 20:55:44.77 ID:uR24Z0Fp0
どっちでもよくね?
21名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 20:55:51.46 ID:4Gq/GtkC0
聖徳太子じゃないなら中国の皇帝には誰が手紙を送ったの?
22名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:55:52.05 ID:Q/FBooMv0
          ゞ彡' 〜ミヽ 三〜ソ ノヾヽ
           /       ノノ  (  ゝ
          , ソヾミュ         ((       ソ
         l j マ@ヽ   =彡へミヽ  ((     /
         |/ ー- )‐-√`@ヽ、_,  ヘ  r‐、ノ 聖徳太子くらい知ってる!
         j`ヽ- ノ   {!  ̄` ヽ=-''^ Y  /
         !   /ゝ   \__  ノ    '' ,6 ノ 当たり前じゃないかそんな事!!
   フウフウ-' |   ゚  l!  ̄ l   ・⌒  ;  !  j
-───'^  /|   ,r-=ミヽ、 |        r‐'\
       ノ \   ⌒ `ヽ        /ノ   ヽ
      く    \ ⌒ヽ   プルプル  ノ.:    `ー
23名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:56:08.35 ID:H8U0Jf310
具体的に言うと、薬師像光背銘と天寿国繍帳銘文には、「天皇」という称号が使われている。
天皇という称号を最初に使ったのは、唐の高宗で、674年のことである。
これが日本に伝わり、689年の飛鳥浄御原令において正式に採用され、天武天皇に対して最初の天皇号が捧げられた。
この時代を遡る、「天皇」の語を記した木簡も出土されていない。
万葉集でも、持統帝以前の歌には、天皇という時には、大王という称号が使われている。
『隋書倭国伝』が伝えているように、推古朝時代の天皇は、「大王」と呼ばれていたはずだ。
釈迦像光背銘には、「法皇」という称号が見られるが、これは、「天皇」と仏典で釈迦を表す「法王」との合成語と考えられるので、
釈迦像光背銘も天皇号の成立以降に書かれたとみなすことができる。

この他、これら三つの法隆寺関連史料には、「法興元」のような年号や推古天皇の和風諡号や「東宮」「仏師」など、
当時使われていないはずの言葉が使われているという点をも考慮に入れると、法隆寺関連史料は、『日本書紀』以降に成立したと推定できる。
実際、『日本書紀』は、これらの史料について、何も言及していない。

ゆえに、聖徳太子伝説の最古の史料は、『日本書紀』ということになる。
成立時期を詐称しているからといって、書かれていることがすべて間違いというわけではないが、やはり信憑性は大幅に落ちる。
そこで、以下、『日本書紀』を主要史料として、これまで聖徳太子の偉業とされてきた1から4までの業績が、
本当に聖徳太子のものであるのかどうかを、検討してみよう。
24名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 20:56:12.69 ID:TA/impxy0
ギャグ漫画日和で見た
25名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:56:29.38 ID:H8U0Jf310
2. 聖徳太子の業績は誰の業績か

2.1. 冠位十二階
まずは、冠位十二階であるが、実は、『日本書紀』にも、聖徳太子がこれを始めたとは書かれていない。
「始めて冠位を行ふ」と主語なしの文で書かれている。冠位十二階という制度は、
日本を訪れた隋の使者も言及していることから、当時存在したことは間違いない。
では、誰が制定したのだろうか。

私は、聖徳太子が制定者だとは思わない。
もし聖徳太子が、冠位十二階を制定したとするならば、なぜ、当時の最高権力者、蘇我馬子が官位を授与されなかったのかが説明できない。
しかし、もしも蘇我馬子が制定したとするならば、自分で自分に官位を与えることはナンセンスだから、馬子が対象外になったことが説明できる。

馬子が冠位十二階の制定者であったことは、その動機からも説明することができる。
厩戸皇子は、父が用明天皇で、母が欽明天皇の娘だったのに対して、馬子は、父が先祖不明の蘇我稲目で、母が当時すでに没落していた葛城氏の娘だった。
厩戸皇子の血統が高貴だったのに対して、馬子の方は、かなり格が低かった。
だから、馬子は相当な血統コンプレックスの持ち主だったと私は想定している。

コンプレックスとは、日本語で言えば、複合体である。
精神分析学では、憧れと反感の複合体をコンプレックスと呼ぶ。
馬子は、一方で高貴な血に憧れていたからこそ、娘を皇族に嫁がせ、天皇の外戚になろうとしたのであり、
他方で、血統のランクがものを言う社会に反感を持っていたからこそ、冠位十二階の制度により、有能な人材を出自とは無関係に抜擢しようとした。
これに対して、高貴な出自の厩戸皇子は、冠位十二階を制定する動機に欠けている。

冠位十二階は、高句麗や百済にあった類似の制度を模倣したもので、日本独自の制度ではない。
伝統的権威を持たない蘇我氏が、権力の頂点を極めることができたのは、彼らが渡来人とのかかわりが深く、
日本と大陸の先進文化の架け橋として大きな役割を果たしたからである。
冠位十二階制度の日本への導入も、仏教の導入とともに蘇我氏らしい功績である。
26名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 20:56:30.04 ID:FudVOjxl0
嘘だ!
聖徳太子の大好物のチーズ食ったもん
27名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/10/01(土) 20:56:31.95 ID:bVjKC2IN0
聖徳太子知らない?
http://www.youtube.com/watch?v=g5QCHVwxcNU
28名無しさん@涙目です。(関東地方):2011/10/01(土) 20:56:43.30 ID:5yS3glsNP
だいぶ前から実在に疑問符がついてるだろ
29名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 20:56:45.10 ID:PwjuLGq2P
東方スレ直球saku
30名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 20:56:45.24 ID:QQIqHhoe0
でもこういう人が日本治めてくれたら
どんなに世の中良くなるだろうね・・・
31名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/01(土) 20:56:50.64 ID:MdfUzDqw0
しかし架空の人物に馬屋で生まれたみたいな変なストーリーつけるかね
32名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:56:51.12 ID:Zs1Ozd0o0
馬鹿がコピペを張り始めるネタは必ず潰れる
これ豆
33名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/01(土) 20:56:55.79 ID:dE+3oVzw0
どっちでもいいな
34名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:57:15.27 ID:H8U0Jf310
2.2. 十七条憲法

次に十七条憲法であるが、これに関しては、『日本書紀』は「皇太子、親ら肇めて憲法十七条作りたまふ」と、聖徳太子の作であることを明言している。
だが、十七条憲法には、古くから偽作説がある。後の律令制度を先取りしたような規範が含まれていて、氏族制であった推古朝の時代にはふさわしくないからだ。
特に、第十二条に登場する、大化改新以降の官制である「国司」が、問題視されている。

しかし、私がそれ以上に問題にしたいのは、聖徳太子、即ち厩戸皇子は、あのような命令を有力豪族に対して
発することができるだけの権力を持っていたのかどうかという点である。
例えば、第十二条にある「国に二(ふたり)の君なし。民に両(ふたり)の主なし」は、
推古天皇に勝るとも劣らない権力者であった蘇我馬子に対する当てこすりと受け取られかねない。
実は中大兄王もこれと似たようなセリフを吐いている。
中大兄王が大化の改新でやったように、蘇我氏の有力者を武力で排除でもしなければ、
このような天皇親政の理念を口にできなかったのではないだろうか。

十七条憲法は、第三条において、天皇家とそれ以外の豪族との間には、絶対的な君臣関係があると主張している。
曰く、「詔を承りては必ず慎め。謹しまざれば自らに敗れなむ。」 厩戸皇子は、これから有力豪族の支持を得て、天皇になろうとしているところである。
それなのに、天皇になる前から、「自分が大王(天皇)になったら、お前たちに絶対的な服従を求める。命令に従わなければ、身を滅ぼすことになるぞ」と
有力豪族たちに脅しをかけることができただろうか。
そのようなことを言えば、天皇になれないどころか、命すら狙われかねない。
35名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/01(土) 20:57:37.27 ID:dE+3oVzw0
>>31
キリスト教をパクったんだろ
36名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 20:57:45.29 ID:BjW8eZ0x0
1・存在自体がフィクション
2・巷間に良く知られている名前がフィクション
3・巷間に良く知られているスペックがフィクション

とりあえず2と3はそれらしいが
37名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:57:58.99 ID:H8U0Jf310
こう言うと、読者の中には、聖徳太子は皇太子だから、天皇になることは確定していたし、
摂政の地位についていたのだから、馬子以上の権力を持っていたのではないかと反論する向きもあるかもしれない。
しかし、厩戸皇子は、摂政でもなければ皇太子でもなかった。『日本書紀』では、「よりて録摂政(まつりごとふさねつかさど)らしむ」というように、
「摂政」という言葉は動詞として使われており、地位を表す名詞としては使われていない。
最初に摂政の職に就いたのは、藤原良房で、858年のことであり、それ以前には、摂政などという官職はなかった。
また、立太子制度は、689年の飛鳥浄御原令において初めて採用された制度で、
「厩戸豊聡耳皇子を立てて皇太子とす」という『日本書紀』の記述は間違っている。
なぜ、『日本書紀』の編者が、立太子制度が神武以来存在したと偽ったかに関しては、後で説明しよう。

厩戸皇子は、当時多数いた次期天皇候補の一人に過ぎなかった。
そのような弱い立場にある厩戸皇子が十七条憲法を公表できたとは考えられない。
十七条憲法は、『日本書紀』が編集されていた当時、支配的だった律令国家の倫理を、
飛鳥時代に投射することにより捏造した偽作とみなすことができる。
38名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 20:58:15.26 ID:2wwuR5hw0
アフィは別にいいんだよ。儲けたきゃ勝手にやればいい。
ただな

N












○○しようと思う
ν速○○部
○○の魅力
○○にありがちな事
39名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 20:58:18.23 ID:nItu2B0D0
デブをバカにしてる
40名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 20:58:24.20 ID:0+CVGnLRO
聖徳太子は韓国人
41名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:58:40.95 ID:H8U0Jf310
2.3. 遣隋使の派遣

続いて、遣隋使の派遣を考察しよう。
607年に、日本が小野妹子を隋に派遣し、翌年、隋が裴世清を日本に派遣したことは、『隋書』『日本書紀』双方に記載されているので、史実である。
問題は、この隋との外交の主導者が、聖徳太子、即ち厩戸皇子であったかどうかである。
実は、『隋書』も『日本書紀』も、聖徳太子ないし厩戸皇子には、まったく何も言及していない。
『日本書紀』は、冠位十二階の時と同様に、「大礼小野臣妹子を大唐に遣す」といった主語なしの文で、記述している。

遣隋使派遣における厩戸皇子の役割を論じる前に、もう一つの謎、即ち、当時の日本の天皇は、推古天皇という女帝であったにもかかわらず、
隋側は、男王と記録している問題を取り上げよう。『隋書倭国伝』には、第一回遣隋使派遣に関して、次のような記述がある。

  開皇二十(600)年、倭王、姓は阿毎(あめ)、字は多利思比孤(たりしひこ)、阿輩鶏彌(おおきみ)と号す、使を遣して闕(みや)に詣る。
  上、所司に其の風俗を訪わしむ。使者言う「倭王は天を以って兄と為し、日を以って弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴き、
  跏趺(あぐら)して座し、日出ずれば便ち理務(つとめ)を停め、云う、我弟に委ねん」と。高祖曰く「これ太いに義理無し」と。
  是に於て訓して之を改めしむ。王の妻、彌(きみ)と号す。後宮に女六、七百人有り。太子は名を和歌彌多弗利(わかみたほり)と為す。

[石原 道博:新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉]

日本の天皇には姓がない。
また、当時はまだ立太子制度がなかった。
しかし、隋は、中国式のスタンダードに当てはめようとしている。
『隋書倭国伝』は、日本の天皇の固有名を「アメ・タリシヒコ」と認知したわけだが、
当時の日本人にとって、天皇の実名を口にすることはタブーだったから、
日本の使者が口にしたであろう「アメノタラシヒコ」は、絶対に天皇の実名ではない。
それは天皇を意味する普通名詞、あるいはせいぜい、見本などによく書かれる「山田太郎」のような、
天皇のデフォルトの名前である。だから、この天皇が誰であるかはわからないが、
「山田太郎」と同様に、少なくとも男であることはわかる。妻がいるのだから、明らかに男だ。
42名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:58:46.11 ID:cL3JvW5P0
聖徳太子が何を言ったか?和の精神ですよ
43名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:58:47.43 ID:I30/nswU0
>>31
たぶんキリスト誕生のエピソードのパクリな
丁度唐でキリスト教が流行していた時代で、聖書が遣唐使で来ていた可能性も高い
44名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 20:58:50.19 ID:FudVOjxl0
日本人だし
45名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 20:58:51.58 ID:QQIqHhoe0
コピペ厨NG突っ込んだらスッキリしたw
46名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 20:58:56.27 ID:3UKnU2mV0
>>35
パクったと言うか
キリスト教の説話の伝播はしてたんだろうな
47名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:59:00.34 ID:H8U0Jf310
「和歌彌多弗利」の方は、隋も普通名詞であることを認識している。
「わかみたほり」は、後に音韻変化により、「わかんどほり」となる。
この言葉の意味は、古語辞典を引けばわかるように、「皇族」である。
隋は、たんなる皇子を皇太子と誤解したわけだ [多利思北孤と利歌彌多弗利] 。
なお、どうこじつけても、「和歌彌多弗利」は、厩戸皇子や山背大兄王に結びつかない。

この、謎の男の天皇が誰であるかは、後で考えることにして、日本の使者と隋の皇帝・文帝との対話の解釈に入ろう。
日本の風俗を問われた日本の使者が「わが国の王は、天を兄とし、日を弟としている。
天は、まだ明けない時、出かけて政務を行い、あぐらをかいて座り、日が出ればやめて、弟に政務をゆだねる」と答えたので、
皇帝は、「これはまったく理屈に合わない」と言って、教えてこれを改めさせたと書かれている。

日本側がばかげた風俗を紹介したので、皇帝が「ばかなことを言うな」と怒って、愚かな風俗を是正するように教育したのだろうか。
そうではない。隋の皇帝は、中華思想の持ち主だから、辺境の野蛮人がばかげた習慣を持っていると聞けば、
文化的優越を感じて満足することはあっても、怒ることはないし、ましてやその是正を指導するなどということはない。
そもそも、もし、日本の使者が意味不明のことを言ったとしたなら、隋はそれを記録にとどめないはずだ。
614年の遣隋使のように、注目に値しないと判断されれば、『隋書』には書かれない。

現代人は、隠喩に鈍感になっているが、ここで、古代のディスクールにおいては、メタファーが重要な役割を果たしていることを思い出さなければならない。
中国の皇帝は、自分を天子、即ち「天の子」と認識し、日本の天皇は、自分を太陽神であるアマテラスの子孫と認識している。
だから、日本の使者が言う「天」とは中国のことで、「日」とは日本のことと解釈できる。
48名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:59:09.38 ID:Zs1Ozd0o0
>>31
皇族は穢れを嫌って子供は結構粗末な建物を別に造って産む
そのあと畳をひっぺがして土の上で暫く生活したりする
49名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:59:24.81 ID:H8U0Jf310
すると、日本の使者のメッセージは、「わが国の王は、中国と日本の関係を兄と弟の関係と考えている。
日の出の勢いの新しい文明国、日本が登場するまでは、中国は東アジアの盟主として、あぐらをかいで安閑としていられた。
しかし、今や、中国は、国際政治の主導権を日本にゆだねる時が来た」ということになる。
これを聞いた、隋の皇帝は、「ばかなことを言うな」と怒り、かつ軽蔑し、
「隋と倭の関係は、兄弟ではなくて君臣の関係だ」と訂正を迫ったのではないだろうか。

『日本書紀』は、この1回目の遣隋使に触れていない。それはなぜだろうか。
『日本書紀』は、『旧唐書東夷伝』に書かれている631年の遣唐使にも触れていない。
『旧唐書東夷伝』によれば、この時、唐の使者が王子と礼を争ったとある。
このような外交的失敗は、記載しないというのが『日本書紀』の編集方針のようだ。

1回目は、失敗に終わったが、「タラシヒコ」と称する謎の男は、隋との対等外交をあきらめなかった。
こうして、607年に、2回目の遣隋使が派遣される。
隋の二代目皇帝・煬帝は、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という、
前回にもまして対等な関係を要求する国書を見て、不快感を示すが、日本に使者を派遣することにした。
2回目は成功した。『日本書紀』も、隋の使者・裴世清の日本訪問について詳しく述べている。

『日本書紀』によれば、隋の国書は、「大門の前の机の上に」置かれただけである。
だから、裴世清は、奥の内裏にいる天皇に直接会っていないと主張する人もいるが、
『隋書倭国伝』には、裴世清が倭王(天皇)と会話を交わしたことがはっきり書かれているので、
「大門(みかど)」は「大きな門」ではなくて、「天皇」と理解しなければならない。
さらに、この時、裴世清が倭王と思って言葉を交わした相手は、
『隋書倭国伝』によれば「タラシヒコ」であるから、女性である推古天皇ではない。
では、この倭王と称する謎の男は誰なのか。
50名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 20:59:45.29 ID:DSeazauz0
歴史=昔の人が書いた小説のようなもの説
51名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 20:59:54.71 ID:H8U0Jf310
候補は二人しかいない。
蘇我馬子か聖徳太子かのどちらかである。
『日本書紀』は、参列者に関しても詳しく述べているが、「皇子・諸王・諸臣」が参列しているのに、
「臣」より上の「大臣」(蘇我馬子)も「皇子」より上の「皇太子」(聖徳太子)もいないということになっている。
しかし、隋使謁見の儀のような重要なセレモニーに、この二人がともに姿を見せないということは考えられない。

いったい、遣隋使の責任者は、どちらなのか。私は、馬子だと思う。2年後に新羅使が来日した時も、
『日本書紀』の記事には、推古天皇と蘇我馬子大臣は登場するが、聖徳太子は登場しない。
やはり、外交の主導権を握っていたのは、厩戸皇子ではなくて、馬子だったのだ。
『日本書紀』に登場する「大門(みかど)」が馬子であることは、馬子の屋敷が「御門(みかど)」とよばれていたことからも裏付けられる。

ところで、なぜ馬子は、隋に対しては自分が大王だと詐称し、新羅に対しては推古天皇が大王であることを隠さなかったのか。
それは、中国では、女性が天子となることが論外だったのに対して、新羅では、善徳や真徳といった女王が擁立されたことからもわかるように、
女王に対する抵抗感は少なかったからだ。後に、唐の太宗は、新羅の善徳女王にたいして、女性を王にすると、周辺諸国から軽蔑されると警告している。
日本を隋と対等な文明国として認めてもらおうとした馬子は、隋に対しては、女性が天皇であることを隠そうとしたのだ。

超大国・隋と対等な立場で国交を結ぼうとすることは、一見無謀な試みのように見える。
しかし、馬子は、598年に隋が高句麗遠征に失敗し、そのため、北東アジアにおける
軍事的パートナーを見つけなければならなくなったというタイミングを見計らって、強気の外交に出た。
そして、それは成功した。
52名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 20:59:56.32 ID:JMPw/VY30
地底人でしょ。
53名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:00:39.77 ID:H8U0Jf310
2.4. 文化的事業

聖徳太子は優れた政治家であるだけでなく、優れた文化人でもあるということになっている。
特に、『勝鬘経』、『法華経』、『維摩経』の注釈書である『三経義疏』は、聖徳太子の高度な仏教理解を示すものだと言われてきた。
だが、『三経義疏』は、聖徳太子が著したとは言いがたい。
『勝鬘経義疏』は、敦煌出土の『勝鬘義疏本義』と7割同文で、日本製ではなくて中国製と考えられている。
『法華義疏』は、『東院資財帳』が示唆しているように、8世紀に行信が捏造したものである。
『維摩経義疏』に関しては、『日本書紀』に言及がない上、内容的にも、聖徳太子よりも後代の杜正倫『百行章』からの引用があるなど、問題が多い。

聖徳太子は、馬子とともに、国史の編纂を行ったと言われるが、その成果である
『天皇記』も『国記』も残存していないので、その真偽を確かめる術はない。
ただ、『日本書紀』によると、乙巳の変の時、『天皇記』も『国記』も蘇我蝦夷の邸宅内にあったとされているので、
仮に、馬子と厩戸皇子の共同編纂だとしても、主として馬子が編集していたのであろうと推測される。
54名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:00:50.92 ID:H8U0Jf310
2.5. 結論

以上の考察から導くことができる結論は、聖徳太子の偉大な功績の一部はフィクションであり、一部は蘇我馬子の功績であるということである。
では、『日本書紀』の編者は、なぜ、馬子の業績を馬子の業績と明記しなかったのか。
なぜ、厩戸皇子を聖徳太子として聖人化しなければならなかったのか。
この問いに答えるためには、誰が何のために『日本書紀』を書いたのかを考えなければならない。
55名無しさん@涙目です。(宮城県):2011/10/01(土) 21:01:00.50 ID:feNPMccH0
ぷるぷる
56名無しさん@涙目です。(山梨県):2011/10/01(土) 21:01:06.39 ID:8Ks/qRDz0
これはありえないわけじゃないだろ
57名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/01(土) 21:01:30.63 ID:HvRWjqfk0
まあ幻想入りしちゃったし
58名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:01:38.51 ID:b54I4g0Q0
飛鳥文化アタックとかするんでしょ?
59名無しさん@涙目です。(宮崎県):2011/10/01(土) 21:01:48.43 ID:b4r/lIs90
>>3
そんな無礼な質問があるか!!
60名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:01:48.97 ID:I30/nswU0
7世紀あたりの朝廷の権威付けに、創作された完璧超人が聖徳太子
61名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:01:54.13 ID:TvOH1J0a0
でも593年に摂政になったんでしょ?
62名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:01:58.46 ID:H8U0Jf310
3. なぜ聖徳太子は作り上げられたのか

『日本書紀』の編者は、舎人親王であるということになっている。
しかし、本当の編集責任者は、藤原不比等だという説が有力である。
『日本書紀』では不比等の父である鎌足の功績がことさらに粉飾されていること、
最初は「フヒト」に「不比等」ではなくて、史書編集とのつながりを示す「史」という字が当てられていたこと、
『日本書紀』が編集されていた頃、不比等が、その名のごとく、他に並ぶものがないほどに
権力の絶頂にあったことを考えると、不比等が、『日本書紀』の内容に口をはさまなかったと考えることは非現実的である。

では、藤原不比等は、なぜ『日本書紀』の編集責任者であることを名乗らなかったのだろうか。
実は、これは極めて藤原氏らしいやり方なのである。
藤原一族というのは、現代の日本の政界で言えば、経世会のような、自らは権力の表舞台に立つことなく、
傀儡を背後で操るキングメーカー型の政治家集団である。
鎌足も不比等も、生前は最高位の太政大臣になっていない。
しかし、それ以上に、不比等には、『日本書紀』の編集責任者であることを表立って名乗ることができない事情がある。

『日本書紀』によれば、馬子の孫・入鹿は、人望を集めていた聖徳太子の子・山背大兄王の一族を殺害した。
そのため入鹿は、父蝦夷とともに、乙巳の変において、中大兄皇子と鎌足たちから、正義の報復を受けて、殺された。
私たちは、この勧善懲悪のストーリーをそのまま受け入れてよいだろうか。

『日本書紀』をもっと詳しく読もう。そこには、山背大兄王を直接襲撃したのは巨勢徳太だと明記されている。
もしも乙巳の変が、聖徳太子の子孫を絶滅させたことに対する正義の報復ならば、
入鹿とともに、巨勢徳太も乙巳の変で処罰されてもおかしくないはずだ。
ところが、この巨勢徳太は、大化の改新で、処罰されるどころか、左大臣にまで昇進している。
これは一体どういうことなのか。
63名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:02:01.23 ID:kvbGCvI90
無礼じゃないか!
64名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:02:38.21 ID:H8U0Jf310
『日本書紀』と同時代の史料『藤氏家伝』によると、入鹿は、「諸皇子」とともに謀って山背大兄王を殺害したとあるが、この諸皇子とは誰のことなのか。
一人は、入鹿が、山背大兄王に代えて、天皇にしたいと考えていた古人大兄皇子であろうが、「諸皇子」は複数形であるから、少なくとも、もう一人必要である。
巨勢徳太が、軽皇子の側近であることを考えるならば、軽皇子も一味であったはずだ。

『上宮聖徳太子伝補闕記』は、蘇我蝦夷、入鹿、軽皇子、巨勢徳太、大伴馬甘連、中臣塩屋牧夫を主謀者として列挙している。
『上宮聖徳太子伝補闕記』は、平安時代前期に書かれた本だが、『日本書紀』や『四天王寺聖徳王伝』に疑問を持った匿名の著者が、
古書を調査して書いた本であり、無視できない。
このリストを見ると、蘇我氏以外は、大化の改新で権力の座についた人物であることがわかる。
即ち、大化の改新によって、軽皇子は孝徳天皇として即位し、大伴馬甘連は、巨勢徳太が左大臣になった時に右大臣となった。

中臣塩屋牧夫は、中臣(藤原)氏であること以外は何もわからないが、この男の正体は何か。
大化の改新で、軽皇子が天皇になることができたということは、軽皇子と中大兄皇子の双方と
親しくしていた媒介者がいたということである。
そのような人物は、中臣(藤原)鎌足以外考えられない。
だとするならば、中臣塩屋牧夫は、鎌足ということになる。
65名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/01(土) 21:03:28.65 ID:i5Ko3zrh0
聖徳太子は存在したけど、その実態は虚構で塗りつぶされて明らかにできない、ってのが現状だろう
17条憲法なんてその最たるもの
66名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:03:38.70 ID:H8U0Jf310
鎌足は、『六韜』を愛読したマキャベリストで、蘇我氏内部の争いを利用しながら、
蘇我氏を弱体化させ、蘇我氏に代わって権力を手にした。
即ち、入鹿を味方にして蘇我系の山背大兄王一族を殺害し、
蘇我倉山田石川麻呂を味方にして入鹿と蝦夷を殺害し、
蘇我日向に讒言させて、石川麻呂に謀叛の疑いをかけ、自殺に追い込み、
後にこの讒言が嘘であるとして日向を筑紫大宰師へと左遷する。
この鎌足の謀略により、蘇我氏は完全に没落する [梅原 猛:隠された十字架―法隆寺論, 第二部第二章]。

その中でも、クライマックスは蘇我入鹿の暗殺である。
石川麻呂は三韓貢進の日だと言って入鹿を内裏に誘き寄せ、石川麻呂が
上表文を読み上げている時に、中大兄皇子自らが、入鹿を切りつけた。
鎌足も弓矢を携えて、暗殺に参加した。『日本書紀』は、そう書いている。
しかし、これは、中大兄皇子と鎌足を英雄と印象付けるための脚色ではないだろうか。

もし本当に、当日、新羅、百済、高句麗の使者が来ていたならば、
彼らは目撃したこのショッキングな事件を本国に報告するはずだが、
三韓の歴史書はどれもこの事件を記録していない。
それならば、三韓の使者が来たというのは、入鹿を誘き寄せるための嘘で、
入鹿は、三韓の使者を装った刺客によって殺されたと考えることができる。
こう考えれば、従来、不可解とされてきた古人大兄皇子の目撃証言「韓人、鞍作臣(入鹿のこと)を殺しつ」を理解することができる。

『日本書紀』の執筆者は、政治的思惑を持たない官吏である。
編集責任者である不比等は、自分に都合の良いように、部分的に修正を加えただけに違いない。
部分的な捏造は不整合を生み出す。その不整合を解消するべく、整合的な歴史解釈を再構成する時、
不比等がどのような思惑で歴史を歪曲しようとしたかが見えてくる。
67名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/10/01(土) 21:03:52.75 ID:RiXWfx800
ちょっと引用のレベルを超えてるな
ID:H8U0Jf310
アウト
68名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 21:03:58.91 ID:imcpndtb0
君はエスキーッソ知ってるのか!
イエスキリスト知ってるのか!そう聞かれたら
どうするんだ君は!
69名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:04:01.65 ID:H8U0Jf310
不比等が目指したのは、大化の改新の正当化である。
中大兄皇子と鎌足の功績を美化するためには、二人によって排除された蘇我氏を悪玉にしなければならない。
蘇我氏を悪玉にするには、入鹿によって殺害された山背大兄王の兄弟や子供たちを、
したがってその祖である厩戸皇子を聖徳太子として善玉にしなければならない。
こうして、おなじみの勧善懲悪のストーリーが生まれた。

しかしながら、この説明は、なぜ『日本書紀』が、聖徳太子という人物を捏造し、
それを神のごとく崇めるのかという問いに対する答えとしては、不十分である。
聖徳太子信仰の萌芽は、712年に完成した『古事記』に登場する「上宮之厩戸豊聡耳命王」という言葉に見て取れる。
それゆえ、712年から『日本書紀』が成立する720年にかけて、不比等がどのような状況に置かれていたかを見なければならない。
70名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:04:06.85 ID:TvOH1J0a0
東日本ウザい
71名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:04:16.96 ID:IX7OSCuE0
豊聡耳神子
72名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:04:55.45 ID:VOGYwlF30
山岸涼子スレかと思ったら違った
73名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:04:55.56 ID:H8U0Jf310
鎌足は、得意の権謀術数により、晩年は天智天皇のもとに強大な権力を握る。
ただ、鎌足にとって、一つ計算外のことが起きる。壬申の乱である。
天武天皇の勝利により、天智側と結びついていた藤原家は一時没落の危機に晒されたのだ。
しかし、鎌足の子・不比等は、我が子(草壁皇子)を次の天皇にしたいと願う
鵜野讃良皇女(天智天皇の娘で天武天皇の后)に接近し、権力の中枢と結びつくことに成功した。
天武天皇の死の翌月、有力な天皇候補だった大津皇子が、冤罪により自殺させられている。
明らかに不比等の謀略である。ところが、草壁皇子は、天武天皇の喪が明ける前に、28歳の若さで死亡する。

そこで、鵜野讃良は、草壁皇子の遺児である軽皇子が成長するまでの時間を稼ぐために、自ら持統天皇として即位する。
4年後、藤原京に遷都しているが、これも死穢を嫌ってのことである。
不比等は、皇位継承を確実にするために、689年の飛鳥浄御原令において皇太子制度を作り、軽皇子を最初の皇太子にした。
『日本書紀』が、立太子制度が神武以来存在したように書いているのは、立太子制度を既成事実化するためである。
天武天皇の第一皇子で、持統朝で太政大臣を務めていた、つまり有力な天皇候補だった
高市皇子が死亡した(暗殺された?)翌年、持統天皇は皇位を孫の軽皇子に譲った。
これが文武天皇である。ところが、文武天皇は、25歳の若さで死んでしまった。
74名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:05:12.12 ID:CBBNUSht0
ドラえもんの続きスプレーで大変なことになってた
75名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:05:27.14 ID:xGTBOI8H0
ttp://29.media.tumblr.com/tumblr_lre41uaP4P1qz5ooao1_500.jpg

聖徳太子すら今の日本人には萌えキャラにされてしまう・・・
この国はどうなってしまうのか
76名無しさん@涙目です。(東海・関東):2011/10/01(土) 21:05:34.07 ID:HXCyI8GcO
本当ゆとりは駄目だなぁ‥
77名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/01(土) 21:05:51.58 ID:Ofp0I8Pe0
78名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 21:05:57.60 ID:7ewdZrr00
東方プロジェクトというゲームで女の子になってたよ
79名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:06:04.65 ID:H8U0Jf310
そこで、やむなく文武天皇の母が、文武天皇の遺児である首皇子が成長するまでの時間を稼ぐために、元明天皇として即位する。
3年後、平城京に遷都しているが、これも死穢を嫌ってのことである。
この時、不比等は、こう考えたはずだ。
自分の孫・首皇子は病弱で、先が不安だ。持統系皇族の外戚となって、権力を掌握しようとする自分の計画は、なぜこうもうまくいかないのか。
これは、きっと怨霊のたたりがなせる業に相違ないと。

不比等の父は鎌足で、持統の父は天智天皇(中大兄皇子)である。
鎌足と中大兄皇子は、蘇我一族を滅亡させた。
だから、「子孫断絶となった蘇我一族の怨霊は、鎌足と中大兄皇子の子孫を断絶させることにより、復讐をしている。
白村江の戦いや壬申の乱での敗北も草壁皇子や文武天皇の夭折も、すべて蘇我氏のたたりだ」と不比等は考えたに違いない。

怨霊の災いから逃れるには、遷都のような消極的な方法ではなくて、鎮魂という積極的な方法が必要である。
歴史書を執筆し、蘇我氏の功績を絶賛し、彼らの魂を慰めなければならない。
だが、そうすれば、蘇我氏を滅ぼした鎌足と中大兄皇子が悪玉になってしまう。
そこで、蘇我氏を悪玉と善玉に分割し、善玉の中に、蘇我氏全体を象徴する架空の人物を入れ、その人を神として崇め奉ろう。
そうすれば、一方で藤原氏の面子をたてながら、他方で蘇我氏の供養をすることができる。
不比等は、こう考えたわけだ。
80名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:06:37.92 ID:Jt1tQcmI0
聖徳太子のオジサンってジャーナリストなんでしょ?
最近のテレビで全く姿を見ないけど、今は何やってんの
81名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:07:07.37 ID:n2a6jql/0
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?
82名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/01(土) 21:07:07.46 ID:975VUXgh0
小野妹子がこんなに可愛いわけがない
83名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 21:07:12.78 ID:ZqC/EQdA0
どこぞのテレビの歴史検証番組とやらで聖徳太子はいなかった!なんてやってるの見たことあるわ
たぶん、それ見て、本気にしちゃったやつが増えたってことなんだろうな
あんな超どマイナーな仮説を信じられるんだから、テレビの影響力って本当デカいと思うわ
84名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:07:18.09 ID:8p6To6uh0
ちゅー
85名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/01(土) 21:07:24.15 ID:IEQQTabE0
>>72
もうあの漫画が史実で良いと俺は思うんだ
86名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:07:29.52 ID:O9eAdY3V0
天智天皇が渡来系の豪族うぜーって言ってクーデーター起こして歴史改竄したんだろ
87名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/01(土) 21:08:18.92 ID:nzRDnfe60
藤原不比等の創作人物
88名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:08:42.98 ID:H8U0Jf310
かくして、聖徳太子伝説が誕生する。
聖徳太子伝説が誕生したのは、文武天皇死没の5年後にあたる712年頃である。法隆寺が再建されるのもこの頃である。
梅原猛は、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮魂するための寺であると主張したが、この見解に対しては、
従来、なぜ山背大兄王や入鹿ではなくて、厩戸皇子が怨霊とされなければならないのかという批判が投げかけられてきた。
だが、もしも、聖徳太子を厩戸皇子という特定の個人ではなくて、蘇我一族全体を祭った神と考えるならば、そうした疑問は氷解する。

古くから日本には、子孫断絶となった政治的敗者は、たたりをなすと考える怨霊信仰がある。
その際、複数の被害者が、一つの神へと祭り上げられるという現象がしばしば起きる。
例えば、『古事記』や『日本書紀』は、大和三輪山のオオモノヌシと出雲のオオクニヌシを
同一神としているが、両者は本来、別々の神だったはずだ。
それが、邪馬台(やまと)の東征の被征服者という共通項によってくくられ、同一視されてしまった。

藤原氏の怨霊に対する恐怖心は、不比等の四人の子が相次いで死亡するという737年の劇的な出来事を境に、エスカレートしていく。
その頃になると、怨霊に対して、恥も外聞もなく自分たちの非を認め、高位高官を追贈するなど、怨霊鎮魂のサービスも過大になる。
だが、不比等の時代には、藤原氏はまだ面子にこだわっていたので、聖徳太子伝説が怨霊信仰の産物であることが非常にわかりにくくなっている。
89名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/01(土) 21:08:48.70 ID:5NiMKkpQ0
この調子で日本史から聖人とか名君とか次々消していくの?
90名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:08:52.50 ID:xUREEOLQ0
架空ってか複数の人物の仕事を一人の手柄にまとめて
ついでにキリスト教的要素ぶっ込んだ人物
91名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/01(土) 21:09:08.11 ID:Ofp0I8Pe0
92名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:09:13.75 ID:TvOH1J0a0
大化の改新も、実際にあったかどうか疑わしいってのは聞いたことあるな
93名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:09:23.36 ID:wYs1EKdm0
飛鳥文化の重みを知れー!
94名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:10:24.99 ID:kvbGCvI90
とにかく常識はずれならウケる
次は織田信長は架空の人物とかやってみれば
95名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:10:32.09 ID:TvOH1J0a0
>>90
なんで日本書紀にキリスト教が影響すんの?
96名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:10:38.51 ID:H8U0Jf310
『日本書紀』は、天皇の命を受けて、舎人親王が編集したことになっている。
しかし実際には、『日本書紀』は、中立的な立場から編集された歴史書ではなく、藤原氏の政治的思惑によって、歪曲されている。
不比等は、それをもカムフラージュするために、自分を『日本書紀』の編集者であることを公言しなかった。

私たちは、藤原氏による歴史の歪曲と怨霊信仰のからくりを理解し、聖徳太子の正体を正しく認識しなければならない。

特にこれまで極悪人扱いされてきた蘇我馬子を再評価するべきだ。
蘇我馬子は、野蛮だった日本を、国際的に通用する文明国にした有能な政治家だったのだから。


聖徳太子とは誰のことか
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/shotoku.html
97名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/10/01(土) 21:10:50.89 ID:5A3cFxa2O
普通に直筆の文書が残ってるべ
お東の本願寺が今は所蔵している

韓国系あれな宗教団体や色々な宗教団体勢力に存在を消すような工作されてるが
98名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:11:12.16 ID:6VlNNq2j0
聖徳太子がいねーわけねーじゃん!!!
何いってんのマジで?
99名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:11:48.76 ID:S2vzAvEt0
豊聡耳神子ちゃんの腋ぺろぺろしたい
100名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 21:11:59.18 ID:gudeeXS30
東方スレ
101名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:12:21.16 ID:3VIiZlUM0
諭吉一万円と太子一万円て大きさちがくない?
102名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/10/01(土) 21:13:11.90 ID:2UrNUdy40
厩戸皇子だっけ
103名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/10/01(土) 21:13:17.98 ID:f1gCOyNk0
聖徳太子スレ立ち過ぎだろ
いつの話題だよ
104名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:13:38.76 ID:5txFlzvd0
聖徳太子不在説はもう定説化してるよ
教科書でもあまり出てこない
105名無しさん@涙目です。(福島県):2011/10/01(土) 21:13:40.33 ID:7wpontjq0
「聖徳太子知ってる?」
「そんなものおらんわ!フゥーフゥーッ!」
106名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:13:52.67 ID:O9eAdY3V0
>>95
日本書紀が編纂された時代には中国に景教としてキリスト教は
伝わってたから歴史ファンタジーとしてありえるよねって話だろ。
107名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:14:07.55 ID:SfFfolKG0
仏教が伝来してそんなに立ってないのに、法華経、維摩経、勝鬘経の在家主義の経を選びとるのは凄い。
108名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:14:07.42 ID:zUyCdeOi0
「檀君は実在した」 信じる韓国人たち
109名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:14:28.20 ID:TvOH1J0a0
歴史上の英雄が神格化されるのは、どこの国、いつの時代でもあることで
それで聖徳太子がいなかったとするのは無理があるだろ、と思う
110名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:14:28.02 ID:ZmSMOV3m0
久々に神奈川兄貴に会いたい
111名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/10/01(土) 21:14:34.35 ID:5A3cFxa2O
太子も諭吉も近隣外国人に都合の悪い人物だったりする
112名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:14:47.65 ID:H8U0Jf310
『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、

  用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
  601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
  現在の法隆寺のもととなる寺を建立した

という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が

  冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
  十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
  小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
  『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った

という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。
要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。
113名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:14:53.33 ID:ORskHZ7x0
法隆寺の存在がある時点で聖徳太子がいないってことは成立しないんだよね
出雲政権が存在しない方が不自然な出雲大社のようにな
114名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:15:44.10 ID:IRpKn0O70
デラウェア!
115名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:16:01.41 ID:LlmWsAH90
>>97
さすがに自筆ってのはねぇやな
116名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 21:16:15.63 ID:RsLSLqq90
実際の見た目は冴えないちっさいおっさんなんだろうな、きっと
117名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:16:38.22 ID:xUREEOLQ0
>>95
仏教の中にも組み込まれたりしてるし
当時中国等から似たような話でも聞いてぱくったんだろ
厩で生まれたり、同時に複数の人と会話できたり
118名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:17:45.67 ID:Jzt6KvN90
ゆとりでもそこまでアホじゃないだろw
119名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/01(土) 21:17:50.64 ID:Ofp0I8Pe0
120名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:18:09.91 ID:TvOH1J0a0
>>106
「絶対にあり得ない」とも言い切れないが、影響が無かったと考える方が妥当だろ
たまたま日本で生まれたキリスト教的思想が影響したと考える方がまだマトモ
121名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:18:10.25 ID:XEQZfe820
架空なら法隆寺建設させたのは誰って事になるの?
122名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:19:04.10 ID:H8U0Jf310
123名無しさん@涙目です。(岐阜県):2011/10/01(土) 21:19:06.20 ID:TwNb+x1h0
>>117
たまたまなんじゃね?
124名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:19:34.78 ID:Gpob7vVS0
聖徳太子事件でブチ切れた人
http://ja.wikipedia.org/wiki/四宮正貴
この経歴であんな風に馬鹿にされたら切れるのも分からんでもない
125名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:19:41.92 ID:O9eAdY3V0
>>113
3年ぐらい前に法隆寺に行ったときは、境内にある展示室での説明書きでも
聖徳太子の業績を行った人はいたけど聖徳太子自身の実在は怪しいよねって
現代風の解釈が取り入れられてたぞ。
126名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:20:14.37 ID:D9H1PlFu0
知ってまシュ
127名無しさん@涙目です。(長崎県):2011/10/01(土) 21:20:18.93 ID:vKiq8Wji0
聖徳太子の方がセイントおにいさんって感じするだろ
128名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:20:41.93 ID:3UKnU2mV0
オーパーツ、聖徳太子の地球儀について
129名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:21:17.86 ID:IRpKn0O70
おこんナッツ
130名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:25:03.77 ID:ORskHZ7x0
>>125
太子がいなかったことになると得するのって天皇家なんだよな
まあ深くは書けないけど
131名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:25:22.13 ID:4pyp/b9W0
用明天皇の第一皇子としての厩戸皇子はいたよ。
132名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:26:13.10 ID:r13yOBRe0
>>128
流れに沿って回った方がオススメ
133名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:26:56.73 ID:j7o/cVko0
ローマ帝国も建国したのは誰なのかっていまだに
よく分かって無いんだよな。
134名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:27:57.01 ID:ORskHZ7x0
>>133
ロムルスじゃないの
135名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:28:02.05 ID:6N17Bfaa0
筒が無き夜
136名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 21:28:03.26 ID:wMRqIy1TO
夢殿はタイムマシン
ソースはムー
137名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 21:28:22.18 ID:MdxjrUxE0
>>133 アウグスティスが緩やかに帝政の下地を作って帝政にしたって塩婆が言ってた
138名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:29:14.01 ID:j7o/cVko0
>>134
一応そうなってるけどロムルスの実在した
資料や史跡みたいなものが無い。
139名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 21:30:47.01 ID:1YJuZnVTO
架空の偉人を日本国の最高額面である壱万円札になぜ採用したのか
140名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:30:49.88 ID:37cpy35m0
>>138
それローマ帝国じゃなくてローマ市じゃん
141名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:31:26.91 ID:tI2UQ0aT0
聖徳太子知ってる?
142名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:31:51.46 ID:u5DCkS5q0
小野妹子をバカにするな
143名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 21:31:54.35 ID:B57WN4dU0
最近は学会でも、聖徳太子はいなかったとか、
複数の人物のチーム名とかって説がはやってるらしいな。

何がどうなって、聖徳太子はいなかったってなってるんだ?
144名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 21:32:35.35 ID:yWP7pJ440
法隆寺の場所とか歴史上の建物ってイメージで気にしたことなかったが、
この前たまたま地図で見たら意外と近いことに気付いて驚いた
145名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:32:47.60 ID:3UKnU2mV0
>>139
そこには、フリーメーソンの存在があったのです
信じるか信じないかはあなた次第
146名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/10/01(土) 21:33:45.46 ID:hTJ9hoLy0
>>143
そもそも中国史・朝鮮史のパクリが入ってる日本書紀の創作・捏造部分に該当
147名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:34:14.99 ID:Au3ZA4zo0
いた方が面白いじゃん
148名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:34:33.50 ID:H8U0Jf310
『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、

  用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
  601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
  現在の法隆寺のもととなる寺を建立した

という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が

  冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
  十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
  小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
  『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った

という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。
要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。

聖徳太子の偉大な功績の一部はフィクションであり、一部は蘇我馬子の功績であるということである。
149名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:34:57.23 ID:ulCeXIXH0
聖徳太子は居たけど、語り継がれてる逸話は作り事だろ。
150名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:35:14.52 ID:e9MSlQxR0
今更いなかったといわれても困るな
151名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:35:22.08 ID:S0TIMsJv0
たしか17人と当時に喋れたんだっけ?
152名無しさん@涙目です。(滋賀県):2011/10/01(土) 21:35:42.50 ID:/NUHCcWv0
小野妹子は隋に行ったのは確かなんだろ?
誰が送ったの?
153名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:36:37.53 ID:j7o/cVko0
推古天皇ですら存在が危ぶまれてるからな。
日本書紀では女王が即位してた時代なのに
随書では男王と記されてる。

つまり天皇以上に強力な権力者がいたということ。
時代背景から見る限りそれは蘇我氏以外にはありえない。
154名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 21:37:20.17 ID:cYNka25/O
>>143
記紀の記述が一切信じらんなくなってるってことだろ
最近は高校でも蘇我氏善政説とか紹介してるらしいし
155名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:37:31.12 ID:IRpKn0O70
藤原不比等の壮大な釣りだとすれば凄いな
156名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:37:36.69 ID:H8U0Jf310
>>152
蘇我馬子
157名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:39:27.72 ID:zdoTIvfu0
長々と読んでみたが・・個人的な推測の話だった・・・

逆に聖徳太子はいたと確信できたわw
158名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:39:41.80 ID:e9MSlQxR0
もしかして蘇我馬子が大王だったの
159名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 21:39:44.72 ID:oieCGDniO
太子君はシャーマンだよ!
160名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 21:40:19.39 ID:lN8Ik2vVO
モグタンがおねーさんと一緒に会ってる見たことあるので
いるはず
161名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 21:40:58.41 ID:9M99WoE50
さすがにいただろ
モデルとなった人物は
162名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 21:41:14.39 ID:1YJuZnVTO
聖徳太子が架空だときいたのはタモリがでてる番組だった。蛆テレビだったかな。蛆テレビまさか…
163名無しさん@涙目です。(滋賀県):2011/10/01(土) 21:42:32.07 ID:/NUHCcWv0
>>156
聖徳太子が実在が疑われるなら蘇我馬子だっていなかったかもよ
164名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:42:52.76 ID:TvOH1J0a0
>>154
一切信じられないなら、資料として役に立たないはずで
何を根拠に歴史を推測してるの?
165名無しさん@涙目です。(禿):2011/10/01(土) 21:42:55.40 ID:aruk897ni
人格破綻はキミだよ!!!!
166名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 21:43:15.14 ID:M1w9EvRH0
厩戸皇子というのがいたのは確実なんだろ
そいつが聖徳太子の逸話のように大活躍したのかは不明というだけで
167名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:43:58.30 ID:xrRwqtyb0
上宮聖徳法王帝説
168名無しさん@涙目です。(青森県):2011/10/01(土) 21:44:11.16 ID:MQSEhj+i0
まあ、聖徳太子の功績が夏空だったとしてだ、
じゃあ、何で厩戸皇子は聖徳太子と祀り上げられるような伝説になったのかって話だな。

当時の政権の中心人物だったんだし、
各種の制度設計に関わって無いわけが無いだろうに。
169名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 21:44:12.81 ID:Vpt5lnmZP
聖徳太子をいなかったことにしたい人間がどういう思想を持っているのかわかるな
170名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:44:48.61 ID:XEQZfe820
歴史学者って普段なにしてるかいまいちわからんよな
古代史の解釈がコロコロ変わる理由って何だ?新しい文献が沢山出てきてるわけじゃないだろ?
171名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:44:54.01 ID:j7o/cVko0
>>163
蘇我馬子の邸宅は記紀の記述どおりの場所で
見つかってる。
172名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/01(土) 21:45:07.55 ID:IaIuEX7a0
聖徳太子が実在しないと主張してる学者はみんなゆとりってことか
歴史学者のほとんどがゆとりだな
173名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 21:45:17.81 ID:oieCGDniO
でも賢い人がいたって事は確かだよね
174名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 21:46:02.45 ID:H8U0Jf310
『日本書紀』の執筆者は、政治的思惑を持たない官吏である。
編集責任者である不比等は、自分に都合の良いように、部分的に修正を加えただけに違いない。
部分的な捏造は不整合を生み出す。その不整合を解消するべく、整合的な歴史解釈を再構成する時、
不比等がどのような思惑で歴史を歪曲しようとしたかが見えてくる。
175名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 21:46:20.98 ID:j7o/cVko0
>>170
昔から実在が疑われたけど、おおっぴらに言えない
時代だったんだよ、昔は。
176名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:46:53.69 ID:TvOH1J0a0
>>171
それなら、斑鳩宮もあるし
聖徳太子もいたんじゃないの?
177名無しさん@涙目です。(山形県):2011/10/01(土) 21:47:22.43 ID:NKWgjlGa0
ネタバレ

小野妹子は男
178名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 21:47:42.28 ID:D+Oeg6dU0
聖徳大使
聖書を日本に持ち込んだ外国の大使
蘇我馬子も同じようなもんだな
なんでこうも耶蘇染みた名前付けるかなぁ
179名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:48:25.49 ID:/IffW7WQ0
足利尊氏だとおもってた絵も今じゃちがうんだし
聖徳太子がいなくても驚きもしない
180名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/01(土) 21:48:42.87 ID:t3LFfETX0
1192を1185にしたり聖徳太子をなかったことにしたりするのもなんだかなあ
181名無しさん@涙目です。(滋賀県):2011/10/01(土) 21:49:32.08 ID:/NUHCcWv0
>>179
あれは敗走中だし最初から怪しいって言われてた
182名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:49:33.80 ID:32deSArb0
あの絵の両端は何だよ
183名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:49:38.08 ID:SfFfolKG0
>>180
鎌倉幕府の幕府の定義の違いのような気がする。
184名無しさん@涙目です。(関西・東海):2011/10/01(土) 21:49:40.32 ID:H/lbbbukO
17人と今でいう会議する
17人と同時に喋った

1対17で喋った

ぐらいになったんだろう
ってか17人だったっけ
185名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/01(土) 21:49:47.59 ID:jNS5V6jn0
中学の頃テストで「聖徳太子」と解答したら×だった。
「厩戸皇子」と教えたはずだと言われた。
186名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 21:50:25.60 ID:SfFfolKG0
>>185
そういう頭の硬い教師いるよなw
187名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 21:50:40.52 ID:Rv5EGdDR0
鎖国してたってのは誤りなんだろ?
188名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 21:51:19.47 ID:cYNka25/O
>>164
どの位資料的価値を見いだすかは学者によって違うから
そういう学者もいる、って話で定説はまだ記紀に準拠してる
189名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:51:46.83 ID:q8xUu3vz0
山田長政が架空の人物だっての同じだな
左翼史観的に許せない日本史人物リストみたいなのがあるんだよ
190名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 21:51:56.20 ID:oieCGDniO
歴史学者って食ってけるの?
191名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:52:24.05 ID:TvOH1J0a0
>>187
いや1639年から日本が鎖国体制にあったのは間違いないよ?
鎖国令みたいなものが無かっただけで
192名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 21:53:18.63 ID:nTrkIm7q0
>>157
こういう奴が1番アホ
193名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 21:53:38.68 ID:w/k0C6qN0
東方は東方板でやれカスども
194名無しさん@涙目です。(関西・東海):2011/10/01(土) 21:53:41.93 ID:H/lbbbukO
当時の中二患者の妄想設定資料が今の教科書にのっちゃったりしないのかな
195名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 21:54:14.04 ID:XEQZfe820
鎌倉幕府の成立年号の変更とか歴史学者ってなんか胡散臭いよな
196名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 21:54:53.60 ID:oieCGDniO
でも聖徳太子いなかった説は保守の人も結構言ってる人いるんでしょ?
197名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/10/01(土) 21:56:02.81 ID:/aiD+0Ze0
>>189
東郷平八郎も架空かよ・・・
198名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 21:58:23.96 ID:TvOH1J0a0
歴史は近隣諸国や、近代史を見ても解るように「政治」に左右されるからな
変な学者が出てきて偽史運動をやっても何も不思議じゃない
199名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 21:58:38.24 ID:31V1Pqgq0
十七条憲法と『三経義疏』は後世の偽作だしな
ただ山背大兄王の父親は実在はしただろ
200名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 22:00:33.64 ID:M1w9EvRH0
>>191
それを鎖国と呼ぶか海禁政策と呼ぶかどうかの問題だったような
201名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 22:01:35.98 ID:sShEhSqG0
眞田幸村が実在しないのと同レベルの話だろ?
202名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 22:01:42.14 ID:oieCGDniO
でもいたって事にしておいた方がロマンがある
203名無しさん@涙目です。(徳島県):2011/10/01(土) 22:03:13.17 ID:ObKRCL2q0
居なかったことにしたくてサヨとマスゴミが必死なのな
204名無しさん@涙目です。(福岡県):2011/10/01(土) 22:03:44.75 ID:Y/d1WL6M0
>>3
聖徳太子の一万円札は歴史の教科書で見た世代が居る事に驚いた。
俺らは既に歴史の一ページ。
205名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 22:04:03.86 ID:OHUs7lSpO
チョンが言ってんでしょ
206名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 22:05:07.40 ID:w/k0C6qN0
記紀を鵜呑みにしてる人の方がこわい
207名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:05:55.07 ID:zdoTIvfu0
>>192
大山誠一ご本人様お疲れw
208名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 22:06:32.64 ID:No8Y/wg70
厩戸皇子はいた可能性が高い
ただし聖徳太子のエピソードは一人の人間のものではない
さらにフィクションも加わっているのだろう
209名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 22:07:05.98 ID:4pyp/b9W0
厩戸皇子がスーパーマンである理由は、政権の主宰者が蘇我氏だから。
蘇我氏が天皇をも上回る権勢を持つことは都合が悪い。だから同時代に生きた
厩戸の功績にされてしまう。
210名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/01(土) 22:07:19.13 ID:ox2V7gn00
僕たちの教科書はWikipediaだ!みたいなやつらがかわいそう
211名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 22:08:30.05 ID:6N17Bfaa0
だめだだめだだめだ鎌足〜〜
212名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 22:08:46.42 ID:RaV74R470
良くある有名人の個性的な逸話ひとつで、なんで存在を否定しようとするのか
アスペか何かか
213名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 22:08:53.35 ID:7vmqSHZM0
デラウェア!
214名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:09:01.62 ID:TvOH1J0a0
>>206
鵜呑みも何も、全て解読できてないのに
215名無しさん@涙目です。(関西・東海):2011/10/01(土) 22:11:04.27 ID:H/lbbbukO
空飛べる設定
216名無しさん@涙目です。(青森県):2011/10/01(土) 22:15:52.30 ID:MQSEhj+i0
>>170
政治力。
自分の意見をいかに押し通すかってだけ。
権力持ってる奴が代わるたびに流れも代わる。
217名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/01(土) 22:16:49.74 ID:aF1pfXga0
本売るために、業績が嘘が多い=「聖徳太子居なかった」
って刷るのはわかるけど
歴史教科書で今まで少なくとも100年も

「聖徳太子」といってきた人物を(当時には存在しなかった名前で読んでる歴史上の人物なんて他にもいくらでもおるのに)
「厩戸皇子」と

字面も馬小屋とか良い漢字ではないし、常用漢字ではない名前を教えて
しかも明らかにキリスト教の逸話のパクリを連想させる名前にし、
日本の偉人をマイナスイメージを埋めこませるなんて
あきらかに左翼史観でやってるだろ


218名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:17:14.94 ID:1szd++Mf0
ここ数年TV各局で歴史バラエティが急に増えた時期があって
どれも「今まで教えられた歴史は間違っていた」というような内容だったけど
あれも歴史の無い国による日本史破壊洗脳工作だったのかな・・・と最近になって思う。
219名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 22:18:01.04 ID:oieCGDniO
誰か明日香村行ってきて
220名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 22:18:18.97 ID:M1w9EvRH0
この程度で左翼史観とかさすがにどうかと思うが…
221名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:19:07.37 ID:3UKnU2mV0
>>218
物語史観→脱物語史観な傾向があるね
222名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:20:18.54 ID:kvbGCvI90
>>218
それは単にその方が視聴者の興味を引けるからだと思う
223名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:20:31.66 ID:H0V/bXdK0
>>220むしろ天皇を殺した蘇我馬子とつるんでた聖徳太子は極悪人の一味だよなw
224名無しさん@涙目です。(関東地方):2011/10/01(土) 22:20:34.56 ID:5yS3glsNP
ウヨサヨ言うことで歴史を語ってるつもりの大得意だからたまらん
225名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:20:48.86 ID:H0V/bXdK0
>>220むしろ天皇を殺した蘇我馬子とつるんでた聖徳太子は極悪人の一味だよなw
226名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:21:26.56 ID:TvOH1J0a0
なんで二回書いたん?
227名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:21:32.94 ID:H0V/bXdK0
ミスった
228名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 22:21:50.54 ID:4pyp/b9W0
>>221
たとえインチキであっても、その物語を作る意図があるわけだ。
そこを掘り下げず全部否定するのは学問では無いな。
229名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:24:18.40 ID:H0V/bXdK0
>>218どんだけ妄想が激しいんだよ
学問なんて新しい研究成果や学説が次々と出てきて当たり前だろ
230名無しさん@涙目です。(庭):2011/10/01(土) 22:25:41.41 ID:L/QhdMqi0
幕府は存在した当時、幕府と言われていなかったという話と聖徳太子という名前は生きてきた当時は使われなかったと言う話は
昔から常識だったと思うけど。1400年前の人を架空の人物と言い出しても確認できるのかな。
時代が伝説と史実の入り混じっている時代なわけで、存在しなかったと胸を張っていえる人は何なんだろうな
231名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:28:03.43 ID:3UKnU2mV0
>>228
こないだも逆説的歴史バラエティあったけど
ナポレオンの権力的情報操作を扱った後
現代中国の情報操作にまんまと乗せられてて笑ったわ
てっしーが最後に補足してたから良かったけどねw
232名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 22:28:27.03 ID:31V1Pqgq0
聖徳太子は実在しなかったということが何故左翼史観になるのかが分からん
正しい歴史を知りたいと思うのにはウヨサヨ関係ないんじゃないか
233名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 22:28:56.82 ID:6N17Bfaa0
日いづる処じゃ都合悪いってか
234名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:29:19.35 ID:TvOH1J0a0
法隆寺に聖徳太子の絵とか像が無かったっけ?あれで年代測定したらよくね?
235名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 22:29:34.60 ID:j7o/cVko0
仁徳天皇の墓をいまだに信じてるのが右翼史観
236名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 22:30:38.84 ID:xAS3p2ZB0
フジテレビでこの人の聖徳太子存在否定説の番組やってなかったっけ?
237名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:32:13.17 ID:H0V/bXdK0
>>235天皇陵って、かつて宮内省の見直し論があったんだぜ。
しかも 戦時中 にねwww
今の宮内庁は少し頭を柔らかくしろよな
238名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:32:33.49 ID:+iIYxbUH0
単に厩戸皇子に変わってきてるだけじゃないの
239名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 22:36:19.89 ID:oieCGDniO
古墳といえば大都会にある古墳も結構面白いよね〜
また行きたいな
240名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 22:36:57.85 ID:nQ+laJQP0
イエスは居たけど、イエスキリストは居なかったとか

そんな感じw
241名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:42:23.89 ID:H0V/bXdK0
天皇陵の中に入ってみたいとは誰もが思うけれど
常識的に考えて1000年近く放置されていた古墳に盗掘者がいないわけないわな
あまり過大な期待はしないほうがいいね(学問的にはそれでも得られるものは多いけど)
242名無しさん@涙目です。(WiMAX):2011/10/01(土) 22:43:41.13 ID:I1RLgBBw0
おこんナッツ
243名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 22:44:04.49 ID:mTwFW1zh0
>>230
そういうのは大抵、海外の史料と比べたり、一次史料と二次史料の違いを探したり
とにかく網羅的に史料集めて比べたりするとだいたい分かるんじゃないか
244名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 22:45:47.15 ID:3UKnU2mV0
>>243
最終的には筋が通っているか、説得力があるかが大事らしい
245名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:46:36.87 ID:TvOH1J0a0
>>241
外国ならともかく、日本人は祟りを恐れて墓には手を付けないような気がするが
246名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/01(土) 22:46:56.58 ID:j7o/cVko0
>>241
あまり大したものが埋葬されてないしね。
銅鏡とか鉄剣とかばかりで宝石とか金銀財宝が入ってるわけでもない。

当時の日本って中国なんかに比べりゃはるかに貧困国だったから。
247名無しさん@涙目です。(四国地方):2011/10/01(土) 22:50:33.57 ID:oieCGDniO
>>246
中国も墓荒らされるの恐れてあんまり豪華な物埋葬するの控えたりしてない?
248名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 22:51:19.38 ID:H0V/bXdK0
最近の高校では、慶安の御触書を教えなくなった…
わけではなく、なぜ慶安の御触書が幕法だと誤認されてしまったのかを教えるようになった。
結局覚えることが余計に増えてしまったという…。
鎌倉幕府の成立年代も各説の趣旨を理解しろと言われるので、1185だけ覚えてもしょうがない。
249名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 22:53:00.42 ID:svS61wOtO
お前等教科書に「聖徳太子はいたよ」って書いてあったら信じるの?
お前等「科学的根拠があります」って偉そうな人が言ったら信じるの?
なぁ、神様は信じるの?
250名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:53:38.24 ID:TvOH1J0a0
>>248
頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年で、1185年ってのは何なの?
251名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:54:34.05 ID:TvOH1J0a0
>>249
子供だったら信じるね
252名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/01(土) 22:55:55.71 ID:cYNka25/O
>>250
東山道・東海道の地頭任命権を与えられた
253名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/01(土) 22:57:38.47 ID:TvOH1J0a0
>>252
ああそうか、守護と地頭が1185年だったな thx.
254名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/01(土) 22:59:17.39 ID:vBiTdp8j0
犬買ったらいるかちゃんって名前つけるか
255名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 23:02:08.02 ID:voF5UwqG0
厩戸の皇子の業績は実は蘇我馬子の業績だったという
主張なんだろ
まぁどっちでもいいか
256名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 23:02:32.01 ID:ypkbBiTo0
南河内の寺社数 古墳数 
神々しさこそが繁栄と存在の証しなのだ

河内長野    高向玄理
観心寺     楠木正成
太子町
叡福寺     聖徳太子 蘇我氏 物部氏
科長神社    小野妹子 
          敏達天皇、 用明天皇、推古天皇、孝徳天皇
藤井寺     土師氏 菅原道真の祖先にあたる豪族
堺        仁徳天皇稜 行基 千利休
羽曳野     河内源氏
河南町     西行
257名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/01(土) 23:03:45.43 ID:47gVwO6Q0
蘇我氏性善説が有力になってきているのに
吉良上野介性善説が地元以外でまったく広まらないのはなぜだろう
258名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 23:03:56.07 ID:EceD8Ock0
歴史で証明されてるものなんか
その人が伝えようとしたことの1%も残らないだろ
今考えてることも絶対歴史書物にはのこらないしな
所詮歴史は歴史
259名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 23:06:10.26 ID:EceD8Ock0
龍馬なんて俺が考えてることは俺だけがしってればそれでいい
っつって墓の中までもってっちゃったわけで
あとは残されたものがその人の言動で推測していくしかない
260名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/10/01(土) 23:06:56.11 ID:+4kob3xV0
歴史上の人物とか事物の「善悪」を決めようとする態度が既にキチガイ史観だわ
261名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 23:09:35.07 ID:kDB4z79h0
お札の聖徳太子=龍馬説は面白かった
あれはトンデモ史学界隈では有名な説なの?
262名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 23:10:06.41 ID:H0V/bXdK0
>>257吉良って一度も領地に足を踏み入れてない上
ただでさえ苦しい上杉から貰った金を浪費しまくってたんだが…
263名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/01(土) 23:11:28.53 ID:vBiTdp8j0
>>261
それ初めて知ったw
そういうオカルトに近いトンデモ説っておもしろいよねw
264名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 23:11:34.12 ID:1oNavDTY0
じゃあガキ2人を従えたあいつは誰なんだよと
265名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/01(土) 23:14:22.78 ID:7VecHl8HP
山岸凉子の漫画は怖かった
266名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/01(土) 23:26:39.52 ID:aF1pfXga0
>>232
いや聖徳太子という人物はいたんだよ
だけどお前さんのように居なかった言葉が出る時点でおかしい
あくまで新聞の見出しのように大げさに言ってる言葉をひとり歩きして
「小沢有罪」→実は秘書らが有罪のように
「聖徳太子居なかった」→聖徳太子の行ったとされる逸話の幾つかは聖徳太子のものでなかった
だけなのにでは学校教育では、よくわかんないけど「厩戸皇子」としましょうはおかしいすぎる

別に聖徳太子1つだけじゃないよ
他にも20年前は教えていたに
任那日本府もあったのに今は教えてないんだぜ?(現代のフランスとモナコの関係に近いと思うが日本と任那日本府の有った国とは)
なんらかの意図があるのは明白
任那日本府は戦後20年以上ぐらい、左翼史観やら戦前全否定史観でそんなものがなかったという流行があったが
現在は有ったというのが定説だが教科書からなくなってるんだろ?


教科書から日本の過去の偉業?が消して行ってるのはおかしすぎ
267名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/10/01(土) 23:28:40.12 ID:GUveqla70
それよりアホは何故無駄な改行が多いのか知りたい
268名無しさん@涙目です。(栃木県):2011/10/01(土) 23:29:13.54 ID:4nV3NsDP0
>>266
いたって最先端の学者か何か?
269名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/01(土) 23:32:08.45 ID:lzuDOqys0
左翼史観だの小沢だの、病状が深刻化しているようだね
270名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 23:32:22.07 ID:ZJI6e7vg0
>>236
ほら、愛国戦士はデモしてこい
271名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 23:34:52.03 ID:H0V/bXdK0
もし武家政権が現れなかったら、律令格式の範囲内で改革が行われたのだろうか。
関白の藤氏独占は定着せず、議政官の中から関白を推薦する制度が作られ、
関白を選出する議政官が次第に民主化された結果、議院内閣制的な関白制度へ変貌。
八省や諸寮司は時代に適応しながら増減を繰り返し、刑部省から裁判機能を吸収した弾正台が太政官から独立して三権分立を実現。
…っていうふうにならないかなあ。
とりあえず天皇が早くから権力を捨ててれば欧米のような革命は起きないと思う。

272名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/01(土) 23:35:11.79 ID:u1pabaiq0
>>266
任那政府は山川だと端っこの細かい字んとこに乗ってたけど
日本府じゃなくて、独立したものとして他の3国と同列になってた
273名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/01(土) 23:36:16.41 ID:dIJoPrG70
蘇我氏の偉業の付け替えって説は
まぁ理解できるけど
何でわざわざ摂政の手柄にしたんだろう
推古天皇の手柄にしたり
執筆者の血縁者の手柄にしたりすりゃいーじゃん

なので、この厩戸が本当にやった業績も多分に混じってると思うよ
274名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 23:36:27.88 ID:ZJI6e7vg0
>>266
ところで「任那日本府」ってどんなものだと思ってるの?
どんなふうに教えたいの?
まずそこから聞かせてくれ
275名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/01(土) 23:37:00.73 ID:w5Ocmq9N0
当時聖徳太子と呼ばれていなくて、事跡に虚偽が混じってる可能性があるだけだろ
よく知らないけど、いろんな人間が当てはまるんじゃないの
276名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 23:38:17.35 ID:Wxrzr1MM0
どっちが正解なんてわかるわけがないのに
文禄や評論だけ調べて粋がってるバカがいてワロタ
277名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 23:45:36.81 ID:6AuZNxir0
生前は聖徳太子とは呼ばれていなかったのは事実。
聖徳太子は死後の贈り名。
278名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 23:46:41.16 ID:H0V/bXdK0
普通に朝鮮南部の加羅(任那)に影響力を持っていた、くらいは書いてあるし。
だいたいは大伴金村の失脚に絡めて触れるだろ。
>>266は何が言いたいのか分からないな。
任那日本府という「機関」があったかどうかはいまだ議論が絶えないし。
279名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 23:47:34.31 ID:gJQWf/RwO
隋の使者が聖徳太子見たんだろ
280名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/01(土) 23:49:29.04 ID:vtXUffYi0
>>266
聖徳太子ってそもそも人物名じゃなくて通称というか
とりあえず君はわかってなさそう
281名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/01(土) 23:50:37.53 ID:5a45DU9R0
>>264
今は「聖徳太子であると伝えられている人の肖像画」に
なっているんだってさ
282名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/01(土) 23:52:02.41 ID:H0V/bXdK0
裴世清が中国で裴清と書かれてる理由についてスルーされちゃうと分からなくなるよね。
こういうことはちゃんと教えて欲しい。

どうでもいいが、長篠合戦図屏風に書かれている謎の黄色い球体の正体を最近知ったわ。
子供の頃、ミスったから塗りつぶしてごまかしたのかwと思ってた。
283名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/01(土) 23:53:58.37 ID:Z8Bsxztr0
聖徳太子不実在論にはちゃんと根拠が示されていて、それが教科書にも反映されている
普通の人は学者の意見や学術的な研究結果は尊重するのだけど
ネトウヨは自分の愛国史観に反するものは自動的にチョン左翼扱いだからな

フジテレビのデモでもそうだけど事実を確認する能力が病的にない。障害を疑うレベル
284名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 23:55:24.06 ID:ZJI6e7vg0
ネトウヨはまじめに学会の動向追う様な真似はするわけないからw
285名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 23:57:20.80 ID:6N17Bfaa0
アジア侵略だって自衛のための戦争って意見もあるし
教科書が正しいなら、中国と挑戦と日本の教科書の食い違いなんてなくなるはずだから
政治が絡んでると見るべきだろうな
便乗のための主張する歴史はいらない
286名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/01(土) 23:57:58.66 ID:ZJI6e7vg0
>主張する歴史はいらない
つくる会系のことかw
287名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/01(土) 23:58:22.48 ID:6N17Bfaa0
便乗のためにだよwww
288名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/01(土) 23:58:44.52 ID:NMZ/TIijO
見ましたね
289名無しさん@涙目です。(広島県):2011/10/01(土) 23:58:49.81 ID:KzFoKLZc0
なんでもうネトウヨ論になってんだよ
290名無しさん@涙目です。(北陸地方):2011/10/01(土) 23:58:56.21 ID:vb3lS6Ri0
じゃあ妹子ちゃんに「日出づる処の天子〜」って書かれた手紙を持たせたのは誰なんだ
291名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/01(土) 23:59:51.66 ID:xUVB3JCU0
調子麻呂が好きです^^
292名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/02(日) 00:00:31.36 ID:Yswij7AzO
>>290
もしかしたら妹子が、架空の人物のせいにしたとか
293名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 00:00:41.30 ID:0t7SuGPu0
>>284
チャンネル桜の動画で「日本の教科書がおかしい」っていう特集があったんだが
自称教科書研究家のおばさんが「アテルイ?誰ですかそれ?知りません」って言ってて
スタジオの人が「この人が知らないんですから…」って言って納得していたのを覚えてる。

「山田少年」はまあ分かるがアテルイを知らない教科書研究家とはいったい…。
294名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/02(日) 00:01:23.73 ID:lqF+x6cw0
>>72
あ、違うんだ
がっかり(´・ω・`)
295名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/02(日) 00:02:58.31 ID:MATOIKLl0
                         }     ノ /⌒ヽ}
                      _,,ノ -‐  ''"´ /    ノ′
      __             ,.  ´          /⌒ヽ
      {(⌒       /     . . : . . :   /´ ̄)
     `\         /  . . : . . : . . :  <⌒
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  _,,.  -─‐…ァ'´    ‐-、      \ \  ヽ  \_,)
    . . : . . : /  //    \      ヽ } ,.斗─rく
>─-  . . : ./  / ′ |    \ ト、  ∨ /.;.;.;r'⌒', ト{ヽ
´ ̄`≫  ‐ァi|   ′ |  lト、 \ )ノ }   | l|;.;.;. |イ | | .〉 }
   ⌒ ̄/ 八 |   乂 从| 、\ ノハ丿l|;.;.;. |木ロ}  /   }i
   (_,ノイ :|ト乂 l| |  卜、 \`ー ,x会xト、;.;.乂_/   ∧_,ノノ
       |  |  `i| ト、  ト、 \( ァ冬り ノノ≧=-{   イ <´          |
       |  |   八l| \{ `⌒ヽ  ¨´ /イ |  }  |i`く⌒ヽ   、    |  
       |! 八   从 ,斗ィ冬         ノノソ/´ ̄`Y`ヽ    \ ,.斗─ ′
      八 l|\   `ーァ`”  '   ノ / ,イ/. : . : . :|   |     У. . : . . :
          )ハ |`ト┬<込、   l´ ̄! ,ハ //〈r‐-、 : /  ;   ──‐|: . . : . . :
         ノノ乂 |ト=升リ≧=|  |:升////7  У   ′     乂 . : . . :
               ),ハノ  ///,|  |//////,′  |   /      / ,仁≧=ァi
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296名無しさん@涙目です。(関東地方):2011/10/02(日) 00:03:10.58 ID:KTx4meUgP
そもそもスレタイがアポロ陰謀論と同列扱いって
297名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/10/02(日) 00:04:38.30 ID:H2pn0Ho20
これ架空の人物とする意味があるんだよな。
なんか左翼が関係してるとか小耳に挟んだ覚えがある。
298名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 00:07:55.46 ID:0KaZ4Bvm0
>>180
>>195
>>248
>>250
>>252
実は、学者の間でも幕府の成立はいつなのか、多くの説が対立しており、今日でもまだ決着がついてはいないのだ。
ある日、あるとき、頼朝がおごそかに鎌倉幕府の成立宣言を読み上げたことなど一度もなく、
そもそも当時、「鎌倉幕府」ということばが存在しなかったからである。

A説 1192年 頼朝、征夷大将軍となる
B説 1190年 頼朝、右近衛大将となる
C説 1184年 公文所・問注所の設置
D説 1180年 南関東に軍事政権が成立
E説 1185年 頼朝、日本国総追捕使となる(いわゆる「守護・地頭」の設置)
F説 1183年 十月宣旨の獲得

わたくしは以上のうちA・B・C各説はいずれも現在、ほとんど問題にならない、と考えている。
のこるD・E・F説は、それぞれに鎌倉殿を首長とする軍事政権成立の各段階をとらえているが、
ここでは一応、なかでもその成立をもっとも早くおくD説に従っておく。
たとえ地域的にはまだ南関東一帯にしかすぎなくとも、このときすでに
鎌倉殿をいただく軍事政権としての特徴は出そろっている、と考えるからである。
むろん、それはE・F両説があやまりだ、ということを意味しない。
その根拠となった事実は、どれもたしかに重要な目じるしであり、
幕府は1180年末にひとまず「成立」したとしても、内乱のなかで成長をとげ、
1183年十月宣旨をへて、1185年11月末にいたってようやく「確立」した、というのが正しいだろう。
(石井進 『日本の歴史』中公文庫)
299名無しさん@涙目です。(新潟・東北):2011/10/02(日) 00:07:59.88 ID:XICkllVKO
>>281
あの絵って本当は子供の方のどちらかが聖徳太子なんだって聞いたけど本当?
300名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 00:09:06.94 ID:wNWT233+0
日出づる国の天子 は結構面白いよね
301名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 00:10:42.50 ID:q6fS16WP0
東方スレでいいんだよな・・・?
302名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 00:10:53.31 ID:Uh2vxGV40
あの時代の肖像画だとか、伝聞だとか、日本書紀とかも含めて
他の時代の歴史観と比べるのは無理なくらい、いい加減で、コロコロ変わるものなんだよ
聖徳太子なんていない所か蘇我入鹿と同一人物説まで今はあるのよ
303名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 00:12:11.20 ID:4+GwkGIX0
「俺が学校で教えられたことと違う!」って懐古厨が騒いでる側面がかなりあるな
あとは愛国者系か
304名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 00:14:38.89 ID:JGgIAUm30
そんな無礼な話しあるか!!
305名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 00:15:35.71 ID:EbndQiUF0
新説もまたいつか時代とともに否定されるのだろうな
306名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/02(日) 00:17:20.58 ID:j3V1YKX80
現代までの歴史教育で言われていた逸話の数々は違っても、
聖徳太子とこれまで100年も教育してきた人物はいたってことは現代の教科書でも認めているんでしょう?
当時存在しない名前で教えてきた人物は他にもいくらでも居る中で
聖徳太子だけ厩戸皇子と改名したのは変だな〜
しかも常用漢字ではないないしw
子供に対する嫌がらせかw
307名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 00:17:41.09 ID:4+GwkGIX0
>>293
しかしアテルイ知らんってのは「教科書研究家」以上に
日本人としてどうよってレベルだな
308名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 00:18:50.38 ID:4+GwkGIX0
309名無しさん@涙目です。(栃木県):2011/10/02(日) 00:20:11.70 ID:IGpOcNn60
>>306
早く上の質問に答えてやれよ
310名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 00:20:18.99 ID:4+GwkGIX0
>>306
すまん、途中で書き込んじゃった

>当時存在しない名前で教えてきた人物は他にもいくらでも居る中で
そうだな、淡海三船が追贈した天皇全部書きなおすか
311名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/02(日) 00:20:29.19 ID:URXQwb0w0
戦国板が趣味にカテゴライズされるなら古代いたも趣味枠でいいんじゃないの?
312名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 00:21:19.17 ID:wjmQdUw70
>>307 今の東北人って、アテルイを裏切って大和朝廷に密告した人の子孫でしょ?
313名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 00:21:38.93 ID:cUGi1KOR0
今度は聖徳太子は百済きた人物っていう噂でも流すか
314名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 00:22:04.24 ID:oa+08hIY0
聖徳太子はタイムトラベラーなんだろ?
315名無しさん@涙目です。(愛媛県):2011/10/02(日) 00:22:35.52 ID:URXQwb0w0
いいえ超能力者です
316ぽぎゃあん ◆V4OsTfriYM (神奈川県):2011/10/02(日) 00:24:30.32 ID:gg9rS3I10 BE:1663553164-2BP(0)

そうそう
日本人って大陸から来た騎馬民族なんだよな
317名無しさん@涙目です。(栃木県):2011/10/02(日) 00:25:14.45 ID:ZIimrCCl0
だれかが過去を変えたから、BTTFの写真みたいに存在が消えかかってる状態が今なんでしょ?
318名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 00:26:26.78 ID:Tc8keVtH0
>>316
馬鹿発見
319名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/02(日) 00:29:09.22 ID:GOnP2Hxd0
聖徳太子が韓国人だと判明したからって、
いなかったことにしようとする日本人ww
320名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 00:30:10.06 ID:NF8ee2GJ0
聖徳太子って地球儀持ってた奴だろ
321名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 00:32:02.69 ID:EbndQiUF0
そうだよ
妙に襟が豪華な出で立ちで、片手で地球儀をぐわっしってしてる人
322名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 00:37:25.07 ID:V1vIOuQ90
世界最古の建築屋、金剛組
578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工のうちの1人である金剛重光により創業
(沿革)
http://www.kongogumi.co.jp/enkaku.html
聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。
このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。
重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。

これは嘘なの?

323名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 00:52:19.07 ID:Lh3ITLIE0
もう全部架空です
324名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 01:05:07.08 ID:JY9X/48P0
>>322
聖徳太子に百済から工匠を呼ぶ力とかコネなんてあったのかな
百済からきた渡来人が呼んだってのが自然じゃないの?
その当時日本に仏教を広めようとしてた蘇我氏が呼んだってのが
一番しっくりくるような気がする
325名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 01:08:39.84 ID:V1vIOuQ90
>>324
命令書、公開してくれれば、誰が招請したかはっきりするのにね
326名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/02(日) 01:16:10.45 ID:EKylCnlM0
>>324
摂政だし、それぐらいのことは出来るだろ
しかも白村江の戦い以前には、日本列島と朝鮮半島との間に国境は無かったわけだし
327名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/02(日) 02:04:23.65 ID:KuZD9ZYl0
神子ちゃん可愛い
328名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 02:30:52.18 ID:waqJz2/j0
刀自古郎女って美人だったの?
329名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/02(日) 03:26:05.89 ID:jiuQh2IR0
聖徳太子今の教科書にのってないよ
330名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 03:27:47.63 ID:d5hdjcUh0
載ってるだろ
331名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/02(日) 03:40:39.80 ID:jiuQh2IR0
>>330
何年も前から載って無いわ、ググれば?
332名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 03:42:33.23 ID:d5hdjcUh0
何年も前からって何年前から?

教科書買ってくれば?
333名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 03:49:53.56 ID:d5hdjcUh0
載ってないよ派が出て以来の教科書にも載ってるから


載ってないよ派は間違い
334名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 03:58:05.33 ID:IjZ51knD0
学生の時教養の講義で教授が言ってた
複数人の業績を全部まとめて一人の業績ということにしてそれを聖徳太子とか言ってるだけ、という説を紹介してたな

ほとんどの皇族に関する情報が外国の史書(主に隋の歴史資料)に記載されているのに
超人的活動をしていたはずの聖徳太子に該当するような人物の記述が全く無いってのがね
335名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 04:02:45.12 ID:d5hdjcUh0
バカの代わりにググってやったw
聖徳太子が出てこないのは高校日本史Aだけだなw


最初に言い出した聖徳太子出てこないよ派は、
高校日本史Aの位置付けが良く理解出来なかったのかなw


歴史の偉人が消えてる→あの聖徳太子さえも!→これは反日の陰謀だ!
(但し、載ってない教科書一冊ぐらいしか確認してない筈w)



まぁ、載ってないよ派は、産経あたりがこの言説の出所なんじゃねw
誰も、調べたやつは居なかったんだなw
336名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/02(日) 04:03:23.40 ID:B8Ff6X7a0
じゃあ憲法は、一体誰が作ったんだ
337名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 04:05:10.93 ID:d5hdjcUh0
>>334
そういうのもID:H8U0Jf310が言ってるような元が出所なんだよ

それすら知らない御前が云々するような段階じゃないw
338名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 04:07:45.56 ID:d5hdjcUh0
「聖徳太子は今の教科書に載ってない!(キリッ」信じる若者たちw
339名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 04:09:37.07 ID:gHHCElxKO
>>334でも聖徳太子の寺とか…
お札にもなったし
340名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 04:13:21.04 ID:eax2KToZ0
厩戸皇子
341名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 04:15:21.26 ID:gHHCElxKO
>>31あれはキリストをパクったんじゃないか?
342名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 04:17:19.98 ID:IjZ51knD0
>>337
史学会の理事もやったことのある日本史の大御所の先生だったけどな

大体大学教授が学会で相手にされてないような学説を講義で紹介するわけねーだろ、馬鹿か君は?
343名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 04:17:39.54 ID:9OkdkWbc0
実在なら子孫が残っているはずだけど
聖徳さんなんて苗字聞いたことないぞ。架空だろ。
344名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 04:17:57.27 ID:d5hdjcUh0
で知ったかのID:jiuQh2IR0は何時土下座する訳?w
345名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 04:19:25.87 ID:d5hdjcUh0
>>342
それを御前が知らないんだろ馬鹿か御前はw
346名無しさん@涙目です。(徳島県):2011/10/02(日) 04:42:24.82 ID:ogdZF4Id0
>>334
隋の資料に「ほとんどの」皇族のことなんて
載ってねえよ。
そもそも、推古が女帝であることすら載ってねえ。

日本武尊の時代じゃないし、日本の史的資料を見れば
実在したことなんて疑えるわけがない。
347名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 04:43:37.63 ID:4+GwkGIX0
つか厩戸非実在説なんて誰が唱えてるんだ?
問題は功績だろ
348名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 05:07:51.12 ID:etkPNs5S0
東方で出てたけど、名前が未だに覚えられない
349名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/10/02(日) 05:11:17.23 ID:9TzoL2HWO
聖徳太子実在しないんだったら
実家の町の名前変えなきゃいけなくなるから実在するだろ
350名無しさん@涙目です。(西日本):2011/10/02(日) 05:29:55.99 ID:2RLHKZCa0
後世に偉人としてかなり糊塗されたのは本当なんだろう
存在そのものをも疑う人も、「若者」ではなく、既存の学者にいるようだが
351名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/02(日) 05:31:26.76 ID:DHTR9MSi0
青いジャージ着て飛鳥文化アタックとかする人だろ?
352名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 06:05:32.63 ID:ZFYWNsKR0
豊聡耳神子だろ
マミゾウさんに全てを持って行かれた悲劇の6ボス
353名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 06:23:33.46 ID:waqJz2/j0
称徳天皇の死因って歴史学者の定説では何なの?
354名無しさん@涙目です。(三重県):2011/10/02(日) 06:35:49.35 ID:X2eYAI8q0
でも実在した証拠も無いんだよな
厳密に言うと痕跡があるだけで
355名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 06:40:36.56 ID:dArCc7zn0
日本書紀=奈良時代初期の朝廷と皇統にとって
都合のいいように編纂された歴史書
356名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 06:42:32.05 ID:2MK9JJWT0
西洋や大陸の偉人伝の焼き直しだろうな
物語的な君主論や統治論という方が納得できる
357名無しさん@涙目です。(秋田県):2011/10/02(日) 06:44:05.63 ID:QDgeH0fl0
>>3
一昨日来たぜ聖徳太子。





それ持ってコンビニの子をからかいに行って来た。
358名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/10/02(日) 06:44:16.66 ID:X4bq5IEd0
和をもってと尊しとなす・・
日本人の民度って
このころには完成されてたってことだよね
359名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 06:46:20.66 ID:Dsn2sulM0
孫悟空を弟子にした人だべ
360名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区):2011/10/02(日) 06:46:59.98 ID:Dic+sSktO
今の教科書もう聖徳太子は実在しないって書いてるし
361名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 06:51:08.63 ID:WoQth4jb0
蘇我入鹿/蝦夷は実は逆賊なんかじゃなくて
中大兄皇子と中臣鎌足こそが単なる逆賊反逆者で
たまたまクーデター成功しただけって可能性はないの?
362名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区):2011/10/02(日) 06:56:13.15 ID:0QzlPUNmO
初めて聖徳太子の肖像画を見た時は、何かを感じた。
363名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 07:01:26.15 ID:59GktXWe0
権力者が「神の子」にしたてあげて世の中動かしてたんじゃない?
364名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 07:04:25.13 ID:u9SN/2HWP
>>341
イエス・キリストだって実在した証拠はないよ
365名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:05:20.10 ID:6SXzyNrx0
蘇我氏で運営された政治結社と考えればすべて合点がいく
聖徳太子の偉業は個人じゃなく元々は団体運営の一部分
厩戸皇子が自殺に追い込まれその子孫が絶やされ
さらに蘇我氏が滅亡という結果によりその業績をすべて個人に託し崇め奉られ神と化した
366名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/02(日) 07:08:51.75 ID:ts64P1Iw0
俺の姉ちゃんは聖徳太子の事を、
「部下に妹子や馬子なんて名前を付けさせた変態坊主。」
だと思ってる、うっかり腐女子。
367名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:11:57.06 ID:6SXzyNrx0
>>361
あのままだと天皇家は蘇我氏に乗っ取られてたよ
中大兄皇子はそれを防いだ
そんで手を貸した中臣家(藤原家)は同じ轍を踏まないよう忠臣として政治のみを乗っ取り
天皇を神聖化した象徴に仕立て上げたと俺は読んでる
なぜ何度もチャンスがあったのに藤原家が天皇にならなかったかの理由はここにある気がする
368名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:12:34.69 ID:WoQth4jb0
>>365
つまり蘇我氏の政治的な業績を、
聖徳太子と言うキャラクターに全て負わせることによって
蘇我入鹿、蝦夷らが後世において評価されないようにしたって感じか
369名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 07:13:26.86 ID:V1vIOuQ90
>>365
欧米の美術品工房みたいなものか
370名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 07:14:49.59 ID:L4ahPxQy0
>>4
評価する
371名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 07:14:50.72 ID:u9SN/2HWP
近代でも国家の近代化は剛腕独裁者によって成し遂げられることは多いから
古代の改革が全て聖徳太子の偉業であってそんなに無理はないとは思う

トルコを近代化したケマル・アタチュルク
ロシアのエカテリーナ2世
イラン帝国のレザー・シャー・・
372名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 07:15:06.45 ID:xqEMzutY0
じゃあ小野妹子は誰の遣いで隋までいったんだよ
373名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/10/02(日) 07:16:06.13 ID:9uG4HbUN0
日本史のつまらなさは異常
374名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/10/02(日) 07:16:07.84 ID:Cac7TCqO0
ゆとり女生主が「女かと思ってた」って言ってた
375名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:16:18.31 ID:WoQth4jb0
>>367
つまり、大化の改新以前は天皇家はまだそれほど
神聖化、絶対化された血統ではなかった感じか
となると、その頃は天皇家と蘇我氏はどっちが格上だったんだろ
376名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:17:43.07 ID:WoQth4jb0
>>372
蘇我の入鹿、蝦夷が遣わせたとしてもそんなおかしくないんじゃない?
377名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:19:49.35 ID:6SXzyNrx0
>>368
あいつら帰化人だし中華の歴史知り尽くしてるから禅譲狙っていてもなんら不思議ではない
蘇我王(皇帝?)が出来てたら日本の歴史もだいぶ変わってたと思うよ
378名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:22:29.42 ID:WoQth4jb0
>>376
間違った蘇我馬子、蝦夷だ
入鹿はまだ生まれてねーw
379名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 07:22:44.41 ID:vm7QW3sZ0
「聖徳太子」は「蘇我入鹿」という名前にさせられて葬り去られたんだよ

・・・というトンデモ説を唱えてみる
380名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 07:23:20.90 ID:xqEMzutY0
>>376
日出処天子←こいつは誰なんだよ
381名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 07:25:08.41 ID:2MK9JJWT0
>>371
それを記述するにあたって十分なだけの概念の発見や理解が伴っていなかったことは考慮しなきゃいけないな
証拠を求められようにも立証する術がないから、必然的に物語的な記述にならざるを得ない
382名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:26:05.97 ID:WoQth4jb0
>>380
それが蘇我馬子でも別に不自然ではないような
383名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/02(日) 07:26:15.74 ID:+bOesUiX0
柿食へば

くそがきどもが

夢のあと
384名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/02(日) 07:27:45.37 ID:ZSOc3E180
聖徳太子
随に渡り、後にチンギスハーンとなる
385名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:27:57.81 ID:6SXzyNrx0
>>375
精力的には蘇我氏
山背大兄王一族皆殺しだぜ
386名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/02(日) 07:28:58.15 ID:iF62Y6rD0
>>19
思い出がおっぱいだろjk
387名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 07:30:34.77 ID:xqEMzutY0
>>382
一政治家の分際で天子きどりなのかよ
388名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:32:51.33 ID:6SXzyNrx0
>>373
本当は世界史ひとつで歴史の勉強しなくちゃいけないんだけど
この島国は世界と繋がってる時代があまりにも少なすぎるからやむを得ない
389名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:33:53.58 ID:WoQth4jb0
>>387
というより蘇我馬子が一臣下どころか天子だった可能性もあるんじゃない
日本書紀が蘇我氏を不自然に貶められてると考えれば
390名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 07:36:28.15 ID:kp3RgzUoO
蘇我邸にあった古文書は火事で燃え尽きてしまったのさ。。
391名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/02(日) 07:37:31.24 ID:SaJEVzY00
売名の研究者がキャンペーンやってるだけの気がする。
なんとかとは思わない、なんとかとは思わないってw
392名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:37:38.92 ID:6SXzyNrx0
>>375
奈良時代に熟成し平安時代に確立したって感じがする
天皇自ら戦場で殺し合いしてた時代は古代戦国時代だね
393名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 07:37:48.29 ID:V1vIOuQ90
こんなこと書いてる人もいるな
<日本の政治指導者と渡来人>
山口県は旧国名では周防・長門といいますが、その領主であり、室町時代から戦国時代にかけて中国地方・北九州の覇者となった大内氏は、
百済の聖明王の子である琳聖太子が聖徳太子に文化を伝えるため渡来し、そのまま周防国大内村を与えられて土着したのが始まりとされます。
琳聖太子が上陸したのが周防国多々良浜であることから、製鉄集団との関係が暗示されますが、土着した彼は多くの工人や氏族を呼び寄せたことでしょう。
そのため、山口県には多くの渡来人が住み着いたと考えられます。
394名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 07:38:03.32 ID:Tg6DImvfP
聖徳太子はペルシャ人だった
弁慶は黒人だった
伊達政宗はスペイン人だった

今はこうなっている
395名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 07:42:34.21 ID:6SXzyNrx0
>>389
天子はないけど蘇我物部戦争の勝者となった時点ではこの国の最高権力者だっただろうね
足利三代義満や太閤秀吉みたいな感じで
天皇ポジションは狙えた
396名無しさん@涙目です。(静岡県):2011/10/02(日) 07:42:38.96 ID:mKrKk6/f0
日本書紀に対するツッコミや疑いは
日本人の天皇万世一系信仰を揺るがす危険があるので
まともな純日本人ならやめましょう
チョンなら仕方ないが
397名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 07:45:50.42 ID:V1vIOuQ90
>>396
>まともな純日本人なら
って何?
金剛組の金剛重光だって渡来して1400年以上経ってる
398名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 07:46:07.69 ID:mbw/kim60
>>396
じゃあスサノオが高天原でウンコ撒きまくったのも
本当のことだな
399名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/02(日) 07:50:37.81 ID:bszhsJUJ0
>138
神武天皇みたいなもんか
400名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 07:52:46.76 ID:ZG4A+d650
むしろ教科書のほうを信用していない
教科書なんてコロコロ変わる程度の代物
401名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/10/02(日) 07:55:05.28 ID:S1+unuYK0
>>48
子供を産むのが穢れであるなら、子供を産む女も穢れであるわけで、

そこまで穢れを嫌う皇族が女を天皇にするとは思えない。
402名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 07:56:02.04 ID:ZG4A+d650
蘇我が送った根拠なんてないじゃん
否定する余り、想像を織り交ぜたら元も子もない
403名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/10/02(日) 07:56:27.19 ID:U4c4X2sZ0
古代の強大な天皇に順次疑惑が掛けられていくのかもしれん

次は聖武天皇か
404名無しさん@涙目です。(関東地方):2011/10/02(日) 07:57:24.14 ID:7DlHicW+0
コピペが論理破綻し過ぎててムカつく
405名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 07:58:08.69 ID:S9Vg7rVg0
曽我氏と一緒に物部氏を討伐したけど、四天王寺は物部の祖山、生駒山を守っている
406名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/10/02(日) 08:01:18.41 ID:S1+unuYK0
>>404
どっか破綻してる?俺はそれほどちゃんと呼んだわけではないが、特に変だとは思わなかった。

実際、聖徳太子が一人で全部やったというのは無理があるし。
なにより、蘇我の蝦夷って名前。
朝敵だろ。
407名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 08:02:13.77 ID:ZG4A+d650
>>342
大学の教授はむしろ講義で自説をたれながすぞ
そして教授が喜びそうな内容のレポートを提出すれば喜ばれる
408名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 08:05:54.05 ID:u9SN/2HWP
>>401
女帝は未婚か寡婦
どっちにしろ帝となったからには妊娠出産は禁忌となる
409名無しさん@涙目です。(徳島県):2011/10/02(日) 08:06:56.65 ID:ogdZF4Id0
>>389
蘇我氏が別に朝廷を開いてたってのは
日本書紀の記述からも推察できる。
太子の死後だけどな。
朝廷ってのは天子の政治諮問議会だけど
大和天皇家より蘇我天皇家の方の朝廷に
出席する臣の方が多かったらしい。
410名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/10/02(日) 08:07:05.40 ID:Cac7TCqO0
>>407
法学部だったけど、教授の学説と違う論調の学説レポートとか怖くて書けねえよw
卒論は無論、教授の学説そのまま。w
411名無しさん@涙目です。(関東地方):2011/10/02(日) 08:07:11.31 ID:7DlHicW+0
あれ、蘇我氏も帰化人だったの?
412名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/10/02(日) 08:08:49.62 ID:Cac7TCqO0
チョンがどうのとか言ってるけど、日本人の結構な割合は朝鮮半島経由だろ。

俺は蒙古斑があったからそっち系みたいだけど、どっちにしろシナ経由だな。
413名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/02(日) 08:10:43.78 ID:Nt3aRTFy0
当たり前じゃないかそんな事!
414名無しさん@涙目です。(石川県):2011/10/02(日) 08:11:34.10 ID:V1vIOuQ90
>>406
>なにより、蘇我の蝦夷って名前。
>朝敵だろ。
ウィキペディアでは、
古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」
(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない)と歌われたこと、
蘇我蝦夷のように古代の日本人の名に使われたことから、
「えみし」には強くて勇敢という語感があり、悪い意味はなかったようである。
そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、
本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測がある。
415名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/02(日) 08:14:50.16 ID:7R0GxCty0
いまは教科書では厩戸皇子=聖徳太子ではないのん?
416名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 08:17:50.15 ID:2MK9JJWT0
>>414
要するに早撃ちマックみたいなものか
417名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 08:21:24.38 ID:u9SN/2HWP
>>416
欧米人が日本映画見て「サムライは野蛮、でも強い」というようなものでは
418名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 08:22:22.32 ID:fh4swsis0
全部知ってた。
419名無しさん@涙目です。(catv?):2011/10/02(日) 08:26:07.45 ID:3inz9uRW0
いやでも大学の研究員の人も蘇我蝦夷の蝦夷はあとから歴史書に書かれる時つけられた蔑称っていってたぞ入鹿もな
420名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 08:28:53.89 ID:QXH88b4m0
アカかチョンのネガキャンだろ
421名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 08:31:54.01 ID:0s/c0kb50
研究結果を不利だとチョン連呼だからな
ネトウヨってそんな所までチョンそっくり。韓国に移住すればいいのにw
422名無しさん@涙目です。(茸):2011/10/02(日) 08:34:10.77 ID:T8jURIYi0
>>412
ハンガリー人にも蒙古斑出るから、人類皆兄弟
423名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 08:40:08.53 ID:7NxD58dMO
いないってことにしないと太子が仏教と神道の戦争に打ち勝った事実をうやむやに出来ない右翼の足掻きなんだろうか
四宮と田原はもう一回この事について何かやってほしい
424名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 08:41:04.11 ID:tHXSnR760
普通に諡の聖徳太子って呼べば良いのにな
歴代天皇だって生前に昭和天皇とか裕仁様とか呼ばれてたわけじゃないんだし
425名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 08:45:57.65 ID:6Rblfw1g0
実際文献だけだと実在したか分からないよね
桃太郎やかぐや姫だって実在したかもしれないし
426名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 08:48:00.84 ID:waqJz2/j0
>>419
歴史学者にも国文学者にも左派的な考えの研究者はいる。授業や自分のゼミではもちろん自説のオンパレード。
427名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 08:48:18.82 ID:lbb+JPsH0
斑鳩宮の焼け跡は見つかったから
実在して斑鳩宮を作るほど権力を持ってたのは間違いない
428名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/02(日) 08:50:33.92 ID:Mkzm/oeC0
 ちなみに聖徳太子は「和を以て貴しと為す」とは言いませんでした。
「以和為貴」と言ったのです。当時の中国語で。もちろん、
本場の中国人が聞いたら、大嗤いするような下手くそなヤマトなまりの
中国語だったんだろうけど。それでも、舌足らずなりに彼は一生懸命中国人の真似してたのです。
「以和為貴」を「ワヲモッテトウトシトナス」と読むようになったのは、聖徳太子
からずっと後の、平安時代になってからです。
429名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 08:57:57.76 ID:wjmQdUw70
お前ら、文系の学者に踊らされてるだけだぞ

文系の教授だって、学会で成果を出さなきゃいけないから
特に日本史みたいなニッチな分野だと
それこそ「昔の人の気持ちを考えました」みたいなネタしかないんだよ

何ら新しい材料はなくても、それを使って無理矢理斬新な学説を提案しないといけないから
どんどん奇形になっていく

結局のところ、
津田の古代史全否定→梅原の「伝承の中にも真実はある」って
各時代の流行の延長として
今また津田的な主張が流行ってるだけ

ぶっちゃけ津田の本読めば終わりなんだよw
まぁ日本史学者も食わなきゃいけないから、大変だなって話
430名無しさん@涙目です。(芋):2011/10/02(日) 09:04:38.46 ID:jRLNoUBd0
>>429
日本史学者なんて飢え死にすればいいだろ
431名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 09:06:55.30 ID:tHXSnR760
フロンティアのない分野なんだな
432名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/10/02(日) 09:11:57.68 ID:1lsBSBFGO
聖徳太子 絵伝 でググればどんな超人か分かるはず
433名無しさん@涙目です。(長屋):2011/10/02(日) 09:22:25.64 ID:OI1xceUb0
天武と天智の話のほうが衝撃的だったわ
ずっと「天智系」「天武系」と、天皇の出自を分けて書かれていたのが謎だったんだけど
主流派でも王朝交代と認定されてるんだろうか
434名無しさん@涙目です。(岡山県):2011/10/02(日) 09:28:09.07 ID:qIBZoTAo0
知ってる?
435名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/02(日) 09:28:29.35 ID:WLK34OIi0
厩戸王=聖徳太子じゃないんかい?
436名無しさん@涙目です。(群馬県):2011/10/02(日) 10:36:25.29 ID:MATOIKLl0
437名無しさん@涙目です。(京都府):2011/10/02(日) 10:37:52.59 ID:OvZjYc9C0
ちらほら詳しい奴が知識を小出しにして語ってるのもいいけど
やっぱり某国あたりと戦っている人たちが無理矢理な被害妄想をぶちまけて、詳しい連中にボコボコにされてるのが面白いな
見てるぶんには
438名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 11:40:57.62 ID:SLbKWnFd0
>>433
欧州風に考えるなら何回も王朝交代してるよね
439名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 11:47:16.83 ID:SLbKWnFd0
スレざっと見たけど蘇我氏が天子だった!とか聖徳太子の業績はねつ造!とか
正気とも思えないような書き込みがいっぱいでくらくらするな・・・
かつての九州王朝説にしろ王朝交代説にしろ大した証拠もないのに妄想に妄想を重ねたような
仮説がまかり通るようなこの世界にはめまいがするわ
440名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/10/02(日) 12:32:19.11 ID:YDIaUo3F0
厩戸の皇子というのがそもそもキリストのパクり設定だから
実在を疑われてもしょうがねえよな…
441名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:18:11.76 ID:sIEqCRt00
四宮正貴激怒!
442名無しさん@涙目です。(北海道):2011/10/02(日) 13:24:40.26 ID:/vgKSgVy0
厩戸だって後づけの伝説に合わせた名なんだろ
もう山背大兄王の父っぽい人でいいよ
443名無しさん@涙目です。(庭):2011/10/02(日) 13:30:32.43 ID:atGk9K0t0
>>441
聖書できたんいつ?カトリックが編纂したんだろ?
444名無しさん@涙目です。(庭):2011/10/02(日) 13:31:30.17 ID:atGk9K0t0
>>440
あーあんかはあんたね。
445名無しさん@涙目です。(山陽):2011/10/02(日) 13:36:21.67 ID:Eijb7bvqO
>>440
問題は聖徳太子のエピソード集がいつできたのかってとこだね
446名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:39:07.36 ID:Wr+jqO+T0
西郷隆盛の像も遺族に「わしんらの西郷ドンはこんなんじゃねえでごわす!」とか言われてる。ほんの100年前くらいのことなのに
そもそもその遺族が「こんなんじゃねえ!」て言ったのもほんとかどうか…
日本の歴史は客観史が乏しいから困る
447名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/10/02(日) 13:45:00.77 ID:XCuIIH7d0
鯨統一郎先生の小説で読んだわ。
448名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:49:11.97 ID:am5VUl2W0
生きてる間と死んだ後の名前

死んだ後改名した名前が有名になるとかマジ歴史嫌いだわ
449名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/10/02(日) 13:51:06.35 ID:3bRMA64Y0
十七条憲法も『三経義疏』も後世の偽作なのは明白なのだから、その実在性が疑われても仕方ないよね
『記紀』が嘘だらけなのも問題だよなあ
450名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:51:16.69 ID:am5VUl2W0
>>428
最近思うんだ
昔の人が書いたものより、訳したり解説する奴の力の方が凄いんじゃないかって
451名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 13:52:11.48 ID:am5VUl2W0
>>435
生前、死後と名前変える必要性ある?
452名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/10/02(日) 14:10:09.76 ID:8UXr9D0R0
東方スレかと思ったら普通に機能してるな
453名無しさん@涙目です。(新潟・東北):2011/10/02(日) 14:37:37.78 ID:mtZ717X6O
天智と鎌足が死んどきゃよかったんだよ
454名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 14:38:49.88 ID:0IS3uMfs0
もう聖徳太子のゴリ押しには飽きたから
全然進歩がない
455名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 15:13:39.53 ID:0KaZ4Bvm0
蘇我馬子は過小評価
456名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 16:29:04.32 ID:khmlxIJv0
>>439
小野妹子の派遣先が「唐」と明記されてるのとか、日出るところの「天子」に「后」がいると明記されてるのとか、
証拠を根底から無視した万世一系やら八紘一宇やらの妄想を盲信してるやつのほうがどうかしてる
457名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/02(日) 16:31:17.37 ID:EKylCnlM0
何と戦ってるんだ?東日本
458名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/02(日) 17:02:10.95 ID:I/U6lGiC0
聖徳太子は居ますよ・・・

こんな感じで鹿見たいなの
. yy
. ▽
459名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 17:03:35.55 ID:xdkT9r+v0
保守を自称する俺だけど聖徳太子は無理があると思う
460名無しさん@涙目です。(空):2011/10/02(日) 17:05:34.95 ID:phfrXSlg0
>>451
徳を称えてそう呼ばれるようになったんだろ。
必要性があるかと言われれば無い。
ただ、みんながそう呼ぶようになっただけ。
461名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/10/02(日) 17:06:52.00 ID:EKylCnlM0
>>451
諡知らないの?
462名無しさん@涙目です。(iPhone):2011/10/02(日) 17:30:31.42 ID:DOJPnvyfi
>>204
くだらない事言ってないで仕事しろおっさん
463名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 18:39:55.28 ID:0KaZ4Bvm0
聖徳太子はいなかったってフレーズだけで内容があまり知られてないよね。
厩戸って皇族はいたけどそいつは大したことはしてないってこと。
464名無しさん@涙目です。(福井県):2011/10/02(日) 18:53:07.25 ID:+EfwJ3s90
現時点の俺の予感では蘇我氏の末裔は伊賀や甲賀や熊野あたりで江戸幕府まで生き残った気がする
この時代は朝鮮三国時代と中華と日本の歴史を合わせないとうまく組みほどけない
詳しくは調べてないけど符合する要素からなんかヤバいものを発見する予感がする
465名無しさん@涙目です。(東日本):2011/10/02(日) 19:01:31.54 ID:0KaZ4Bvm0
>>153
蘇我馬子が天皇より権力があって有能で功績があったことは事実。
それが許せない人がいるんだろうな。
466名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/10/02(日) 19:10:41.53 ID:owV+X5l/0
平等院の宝物に、おそらく聖徳太子直筆の
書状があるんだけど、この前はX線撮影だ
けして、結局実際には見られなかったんだ
よな
あれ、開いてたらこんな論争は…
467名無しさん@涙目です。(アラバマ州):2011/10/02(日) 19:44:45.68 ID:uURbdAa/0
>>463 リーダーとなる傑出した人物(聖徳太子)がいなくて、凡人の合議制だけであれだけの仕事をするのは無理だよ

「仏教を受け入れる」だけで何十年も戦争してた時代だぜ
「もう朝鮮の取り次ぎは要りませんから。うちらこれから随と直接取引させて頂きますわ。」とか、
「大財閥の息子だろうが、これから朝廷内では指定の制服を着用!」とか
凡人が集まって会議したって決められねーよ

会議メンバーの中に、朝鮮利権持ってる奴とかいるんだから
現代ですら、北朝鮮の出先教育機関への補助金でこれだけ揉めてんだぜ


結局、津田も大山も「天才」を理解出来ないんだと思う

津田は早稲田卒の中学教員だし、大山も東大と入ってもしょせんは文系
彼らには天才を理解することなんて無理なんだよ

ゴミの大山は置いておくとしてw
戦前、堂々と自説を主張した津田の行動は賞賛すべきものではあるけど、
それが純粋に学問的な動機だったかといえばそうじゃないでしょ

学会では最下層に位置する早稲田卒教員という立場から、「世の中滅びねーかな。ぶっ壊せねーかな」
みたいな破壊衝動があったと思う
逆にそう言うものが無いと、あそこまで捨て身の主張は無理だよな
468名無しさん@涙目です。(東京都):2011/10/02(日) 20:00:50.35 ID:7cvYMsFZ0
皇族で”崇”や”徳”が付くのは訳アリな人物だと
469名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/10/02(日) 20:44:55.90 ID:+AGKCxGs0
崇徳天皇のことか
470名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/10/02(日) 20:52:05.87 ID:S1+unuYK0
>>467
天才というものを知らないのはむしろお前の方だろ。

天才といえども人の子なので、裁判所とか警察とか暴力団とかからぼこぼこにされまくりなんだぞ。

かつて天才がいたとしても、みんながついてこないと何一つなしえない。

471名無しさん@涙目です。(アラバマ州)
>>470 そりゃ漫画やアニメに出てくる単なるガリ勉だろw