1 :
名無しさん@涙目です。(catv?):
ドイツ南部バイエルン州の街から先月、ヒトラーの側近だったナチス幹部の墓が撤去された。墓を「聖地」とみなす
極右集団のネオナチが巡礼先として頻繁に訪れるようになっていたためだ。撤去後、関係者に脅迫の手紙が多数届き、
極右側が街中で集会を企画するなど不穏な動きを見せたものの、地元側は一歩も引かず対抗する。静かな街は取り戻せるのか。(宮下日出男)
幹部はルドルフ・ヘス元副総統(1894〜1987年)。ヒトラーの秘書などを歴任し、ヒトラーの第2後継者にも指名された。
ナチス・ドイツの戦犯を追及したニュルンベルク裁判で終身刑を言い渡され、獄中自殺するまでベルリンの刑務所に収容された。
現地報道などによると、ヘスの墓があったのはチェコ国境近く、バイエルン州ブンジーデルの墓地。墓は7月20日に撤去された。
撤去をめぐっては、墓地を管理する教会側が賃貸契約延長の時期に合わせ、ヘスの親族に今年10月5日で解約することを伝えた。
親族は反対したが、教会側は街が極右の巡礼地になることを望んでいないと説得し、親族も同意した。
撤去作業はまだ日が昇らないうちの1時間ほどで、ひっそりと行われた。葬儀業者が訪れ、墓を掘り起こして遺骨を取り出し、
墓石をトラックで運び去った。遺骨は灰にされ、海にまかれたという。
ヘスがこの墓地に埋葬されていたのは、両親の墓があり、ヘスが同じ墓に入ることを遺言としたからだった。当時、
教会側にためらいはあったが、故人の遺志を優先させた判断だった。これ以降、ヘスの墓とブンジーデルはネオナチの「巡礼先」となった。
毎年、8月17日のヘスの命日に合わせて追悼集会やデモ行進が行われ、英BBC(ネット版)が伝えたドイツ人識者の話では、
その数は2000年代初めには数千人規模に膨れあがった。05年に憲法裁判所がこうした行為を禁じたものの効果は限定的で、
規模を小さくするなどして続いていたという。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/110821/erp11082118000003-p1.jpg http://sankei.jp.msn.com/world/news/110821/erp11082118000003-n1.htm
2 :
名無しさん@涙目です。(熊本県):2011/08/21(日) 22:41:28.00 ID:BjO8ioz70
ヘスヘタレすぎ
貴重なBf110が
4 :
名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/08/21(日) 22:42:15.75 ID:d3cFSOlEO
今日はアドルフ・アイスマンが逮捕された日なんですよ(暗黒微笑)
アドルフ・アイヒマン(迫真)
屁ス
ドイツって集会の自由がないのかよ
ヘスは許してやれよ
9 :
名無しさん@涙目です。(長屋):2011/08/21(日) 22:47:38.63 ID:zLuQyl7D0
ルドルフ・ヘスは二人いる
10 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/08/21(日) 22:48:35.59 ID:zm/QoREi0
ヘスってネオナチ嫌ってたじゃん
11 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/08/21(日) 22:51:05.85 ID:jjKzrIY40
刑務所の中でめっちゃ長生きしたよな
墓は海にうかれたとはいえ長生きできたんだから良いだろう
操縦経験ありとはいえ決死の覚悟で飛行して
国賓…とはいかんでも
それなりの待遇で対応されると思いきや
あっさり逮捕されてどう思ったんだろ
13 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/21(日) 22:55:59.10 ID:XcrVnq1B0
ヘスの渡英した理由が、英軍に通じてる英の知人に対ソ連戦で協力要請するためだっけ?
ソ連こそ真の敵だから争ってる場合じゃないってことらしいが。
ヒムラーの末期のショボさは伝説