【産経新聞】全国戦没者追悼式における村山首相からの”おかしな流れ”

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1名無しさん@涙目です。(dion軍)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/plc11081702390002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/plc11081702390002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/plc11081702390002-n3.htm

おまけ
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http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1914271.jpg

 ≪細川氏が変え村山氏が縛った≫
 加えて、「反戦平和」という左派平和運動のスローガンに由縁する「不戦の決意」なる一節を
初めて挿入したのも村山首相である。この“自虐史観”をさらにエスカレートさせた「村山談話」
とも相俟(あいま)って、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗と続く、その後の首相の式辞に大きな
縛りをかけることになったのは既知の通りである。
 そんな中でも、小泉純一郎首相は平成13年に、(橋本首相の例外的参拝を除けば)
中曽根康弘首相以来16年ぶりに靖国神社に参拝しただけに、戦没者に対し「敬意と感謝の
誠を捧(ささ)げたい」との熱い思いの一節を加えるなど、多少は式辞を改善させていくかにみえた。
しかし、「不戦の誓い」の言葉は残り、首相の口癖である「心ならずも命を落とされた」という、
言わずもがなの表現が付記されたように、改善は必ずしも十分なものではなかった。
 安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各首相の式辞もこの路線をほぼ踏襲した。総じて、「アジア諸国の
人々に対して多大の損害」を与えたことを「深く反省」し、「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持」
するという点が特に印象づけられている。村山首相の式辞がもたらした桎梏(しっこく)がいかに
強かったか、である。菅首相もこれにどっぷりと漬かったままだった。
 ここまで縷述(るじゅつ)してくれば、結論は自(おの)ずと明らかであろう。何よりも「全国戦没者追悼式」
という名称が示す原点に立ち返り、首相の式辞はあくまで自国民である戦没者とその遺族に向けられねば
ならない。仮に我が国の対外的戦争責任などに触れる必要が出てきた場合でも、それは別の機会にやれば
済むことだ。追悼式での一方的な謝罪や反省がかえって戦没者を傷つけることになるという真実に遅まき
ながら気づいてほしい。(おおはら やすお)
2名無しさん@涙目です。(沖縄県):2011/08/17(水) 18:52:56.00 ID:01PW6uWg0
医師の谷です。犬に犬確か縫い縫い 縫いぬ犬犬犬犬か
下縫いに縫いすます朗々と遠のきし風から風か四季の音
示せ掃きて清め見るとも黴を美化理屈を作り黴を美化し
ても 担う男の子の出る日 頬の笑み三重頬は三重 変だよ
力なら勝ち止め示しとんだ不作神の子のみよ草の波 力か
きつめリズムリズムリズム山ノ湯抜かぬ 盗れば威張れと
敵 累々いるいるるいるい寄るさ 女 最期凄いさカトレア
わが又気怠さや酒飲みし仲なかなかな哀しみのみの今朝や
去るだけ雪の来てカチカチビタミン三度火の消え呼ぶよぶ
よぶよぶよぶよブヨの子 高いか夫婦 レタスも夜も酒相談
と叫ぶと黒熊突けば烏や寝付けば臭くナズナトマトナスの
顔楽々この子のこのこの睦む来い来い来いよ住まゐ歌うよ
歌う歌うよ歌うゐますよ行こ行こ行こ睦むのこのこのこの
このくらくら丘の砂 トマトなずな臭くバケツねやすらか
バケツ真黒く飛ぶ今朝とんだ嘘今朝も夜も廃れ 夫婦買い方
この世ぶよぶよぶよぶよぶよぶよ駅の火 ビタミン三度
ちかちか 敵の消ゆ 気怠さや酒飲みし仲なかなかな哀しみ
のみの今朝や去るだけ多摩川あれとか最期凄いさ難を猿よい
るいる累々いるいる 来て盗れば威張れと抜かぬ 湯飲まや
むずりむずりむずり目つきから勝ち皆の咲く神の子の味覚さ
普段としめしめと力なら勝ちと壇へ笑みは微笑み三重のほほ
昼出の子の媼にもてし華美を美化理屈を作り華美を美化もと
る見目良き敵は攻めし遠退きし風から風か四季の音とうろう
ろすます犬に犬確か縫い縫い縫い縫いぬ犬犬犬か下縫いに縫い
すでに楽しい
3名無しさん@涙目です。(catv?)
要約してくれ