>>776 >>774 >>765 >>760 >>744 関東大水害(かんとうだいすいがい)とは、
戦前に関東地方を襲った水害。
1910年(明治43年)8月11日に発生した水害と、
1917年(大正6年)9月30日に発生した高潮水害
(被害地域では大正六年の大津波の名で伝えられている)を指すことが多い。
このうち、1917年9月30日、「大正六年の大津波」は、
沼津付近に上陸した台風は、
関東地方から仙台方面へ移動する中で、各地に集中豪雨をもたらした。
東京湾接近時には、折しも満潮の時刻と重なり、
深川や品川で高潮が大津波がごとき勢いで、
住宅地に押し寄せ500人以上が溺死した。
また、横浜港でも3,100隻以上の船舶や艀が風浪により転覆、
多数の沖仲仕や水上生活者が犠牲となった。
同港が日本の経済活動の要所であった時代だけに、
日本全体の経済活動も大きな打撃を被ることとなった。
死者・行方不明者数1324人、 全壊・流出家屋約36500戸、
床上・床下浸水約30万3000戸。1910年の大水害とは異なり、
沿岸部での高波による被害が目立った水害となった。
千葉県浦安町は全町が水没した。
江戸時代を通じ、幾多の水害をくぐり抜けてきた行徳塩田も、
当水害で塩田の堤防が完全に破壊され、
東京湾で行われてきた数百年の製塩業の歴史は事実上幕を閉じた。