三職推任問題で織田信長は将軍、関白、太政大臣のどれを選ぼうとしたのか
織田信長像:永徳の肖像画、秀吉が地味に書き直させる?
桃山時代の天才絵師・狩野永徳(1543〜90)が描いた肖像画「織田信長像」(京都・大徳寺蔵)が、当初は左右色違いの小袖を身につけた華やかな姿だったことが分かった。
派手好みの信長らしい肖像画が地味に描き直されたのは、豊臣秀吉の横やりだったのではとの見方もある。
一周忌や七回忌の法要は豊臣秀吉が施主を務めたが、三回忌のころは合戦中だったため、信長の側室「お鍋の方」が施主だった可能性が高い。
「お鍋の方と永徳の協議でいったん完成したが、実質的な施主である秀吉がクレームを付けたのではないか。
男のやっかみで地味に抑えさせたのか、それとも、派手すぎると風格に欠けると考えたか。理由はさまざまに想像できる」と話している。【野宮珠里】
毎日新聞 2011年6月7日 11時17分(最終更新 6月7日 13時32分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110607k0000e040024000c.html (参考 関白>太政大臣とは一概に言えない)
摂政にして右大臣の藤原基経。左大臣源融より下位。
摂政にして内大臣の藤原頼通。太政大臣藤原道長の下位。
関白にして左大臣の藤原頼通。太政大臣藤原公季の下位。
関白にして左大臣の藤原基実。太政大臣藤原伊通の下位。
摂政にして左大臣の藤原良経。太政大臣藤原頼実の下位
関白にして左大臣の近衛房嗣。太政大臣一条兼良の下位。
関白一条教房。太政大臣二条持通の下位。
関白一条教房。太政大臣近衛房嗣の下位。
関白二条持通。左大臣足利義満の下位。
関白にして左大臣の鷹司兼輔。太政大臣近衛尚通の下位。
関白鷹司忠冬。左大臣一条房通の下位。
2 :
名無しさん@涙目です。(新潟県):2011/06/07(火) 21:26:36.74 ID:BwNYVvXS0
魔王
3 :
名無しさん@涙目です。(沖縄県):2011/06/07(火) 21:26:41.33 ID:qRPsSXMD0
天皇
5 :
名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/06/07(火) 21:28:52.22 ID:+yt93DUZ0
また、なんでも秀吉が悪いかよ。
腐りきってるなw
7 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 21:30:11.38 ID:m5q/mLDY0
やっぱ幕府築きたかったんじゃね
天主
前田慶次が最高だぎゃ
ガスパッチョ王
11 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 21:40:09.34 ID:t54rHSJK0
秀吉は主家である織田の権威を超えようと必死だったから、有り得るな
日本国王
13 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/07(火) 21:43:34.09 ID:WGEUma4cO
主が無知
14 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/07(火) 21:46:25.57 ID:XdfhLXp+0
将軍は形骸化で意味がない。事実足利義昭を追放。関白は位が低い。
征夷大将軍だろ
16 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 21:48:31.50 ID:OKhSXdO80
へうげものだと日本国王だったな
>>16 義満以来の国王になんの?って公家に言われたんだけど、そうじゃねぇよ天主だよって言ってた。
18 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/07(火) 21:51:49.79 ID:XdfhLXp+0
この頃の貴族も岩倉具視たち幕末の貴族も やってることに変わりはねえな
没落とはいえ よくも生きながらえたもんだ。
19 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 21:51:55.80 ID:86cfb+Pl0
太政大臣ってのになればいいんじゃね?
征夷大将軍よりも上なんでしょ?格は
20 :
名無しさん@涙目です。(広島県):2011/06/07(火) 21:52:36.36 ID:hxmzfLnE0
そもそも、三職を言い出したのが主語無記載のせいで朝廷なのか信長なのか分からない
公家の価値観からすると、関白・太政大臣と征夷大将軍を同列にすることは考えがたいので、
根が田舎者の信長から言い出したのだと思うが
21 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/07(火) 21:53:25.26 ID:mjqmGUoZ0
秀吉マジで可愛いな
22 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 21:53:59.14 ID:86cfb+Pl0
でもやっぱり第六天魔王だよね?信長の官職で似合いそうなのは
シエが決めたんだろ
24 :
名無しさん@涙目です。(奈良県):2011/06/07(火) 21:54:31.09 ID:kg6sxH2C0
全部じゃねーの
「三職推任」じゃなくて、「三職兼任」の誤字だったんだよ
25 :
名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/06/07(火) 21:54:34.60 ID:C2KZOgjM0
狩野ATOK
26 :
名無しさん@涙目です。(東海):2011/06/07(火) 21:55:17.86 ID:OvgwLdiOO
信ちゃんはずっと覇王を目指してたじゃん たがら覇王だよ
27 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 21:55:39.65 ID:2DHql9z40
単純に、好きな官職あげるよ、って言われたから
怒って「いらん」ってことになったんだと思ってる
28 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 21:56:27.52 ID:86cfb+Pl0
でも実は関白とか将軍とかの位良くわかんないんだけど
超電磁砲で例えると
ジャッジメントとアンチスキルはどっちが格上かみたいな話だよね?
29 :
名無しさん@涙目です。(岡山県):2011/06/07(火) 21:57:13.00 ID:0ISvxjgs0
武家だから将軍以外は欲しくないだろう しかも信長公自身じゃなく、信忠公にあげたに違いない
信長公自身はフリーの身分でいたいぐらいだろう
官位はもういらん(実際に右大臣辞職)、代わりに息子達引き立てて欲しいっていってなかったっけ。けっこうな子煩悩な面があったし信長。
娘達は外との政略結婚にほとんど使わず、身内同然の選んで嫁がせたり。
31 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/07(火) 21:57:47.39 ID:nFx9isPY0
第六天魔王ってかっこいいよね
32 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/07(火) 21:58:57.40 ID:XdfhLXp+0
平家の家系図を詐称したりして
33 :
名無しさん@涙目です。(広島県):2011/06/07(火) 21:59:59.10 ID:hxmzfLnE0
>>31 手紙に一度書いたらしい、とフロイスが書き残しているだけ
しかも当時の書状の様式からすると考えがたい記述
34 :
名無しさん@涙目です。(京都府):2011/06/07(火) 22:00:11.24 ID:EGKVn0Sd0
先祖のことについて調べていたら、
有力大名の家臣の家臣の末っ子の家来という由緒正しい家柄だと判明した
第六天魔王とか中二病にも程があるだろ
久保帯人先生か信長くらいしか言えない
36 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/07(火) 22:01:08.74 ID:XdfhLXp+0
大六天魔王って言うとどうしても孔雀王の信長が思い浮かぶ。
信長は既成の権威は否定したけれど、自分の役に立つものはスルーしていたらしい。
>>14 歴オタ以外知られていないけど、義昭は京都から追放されただけで本能寺の変当時も一応現職の征夷大将軍だった。
第六天魔王って、日本の神様に仏教が隆盛するとまずいから何とかして、と頼まれという妙な神話のバージョンがあるんだよなw
史実として信長が名乗ったのは謎とはいえ、世俗の権力に手を出す一向宗と滅茶苦茶に戦ったことと考えるとなんとも微妙な。
これって、色々研究されてるみたいだけど、何がどう重要なの?
素人的にはどれも高官だから何でもいい気がする。
41 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:06:03.21 ID:pmfrlN2n0
自称平氏だし太政大臣じゃないの
42 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:06:22.70 ID:NmpyL3Yk0
・摂政、関白
天皇の代理人、執事セバスチャン、管領、大老みたいな物。
制度上の位は無いが太政大臣よりも力は上。
格も平安中期以降、太政大臣を超える。
内覧(天皇に奉る文書や、天皇が裁可する文書など一切を先に見ること)の特権がある場合が多い。
・太政大臣
律令制上の人臣最高の位、ただ、任所は特に無い名誉職的な感じ。
摂関よりも制度では上だが清華の太政大臣よりも摂家の納言の方が
上座。摂関でもこれになるには少々長生きしなければならない。
・征夷大将軍
朝廷では4位相当のかなり低い官。何故武士棟梁がこれになりたがるのかと言うと、
遠征軍の指揮官=幕府を開くことが出来ると解釈した為(名目上は遠征軍の軍営)
位自体が低いので鎌倉将軍は右大将、大納言など3位相当官、足利は納言−左大臣+源氏長者(末期は除く)
徳川は襲名後、内大臣、歳を取る度に太政大臣まで上がる等、公卿相当官を兼任することによって
朝臣とのバランスを取ったと思う。実質日本を統治する者としてはそれなりの官位も必要だったって事。
その他の武家では老中が4位侍従、大老が4位中将等、驚くほど官位は低い。
43 :
名無しさん@涙目です。(山形県):2011/06/07(火) 22:07:48.01 ID:/CaI6yEJ0
天台座主沙門として信玄が比叡山焼き討ちをディスってきたから
「俺、第六天魔王だから天罰みたいなもんだよ」ってジョークで受け流したみたいなもんだろ?
ニュー速ではなぜか武田スレ以外は伸びない法則
45 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/07(火) 22:08:56.94 ID:9z4f+ECtO
官位官職の話を持ち出されると、かつて上総守(笑)を自称してた恥ずかしい黒歴史が
フラッシュバックして布団に顔うずめてバタバタしちゃうからあえてノータッチだった
謙信「僕は毘沙門天ちゃん!」
信玄「僕は不動明王ちゃん!」
信長「じゃあ、俺は第六天魔王だもんねー」
こんな感じなんだろ?
47 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:09:51.02 ID:NmpyL3Yk0
>>44 戦国時代板でも武田関連は勢いがいいね。
信者とアンチがハッキリと分かれやすいこと、信長派と信玄派の対立など、盛り上がり要素が多いからか。
西上作戦中に死ななかったらどうなったか?というテーマは飽きずに論じられるし。
48 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:09:52.67 ID:hLmVtP7t0
オレも、止まぬ己の野心を恨んでおる
>>42 豊臣秀吉は、征夷大将軍を
・選ばなかった
・選べなかった
どっちなの?
50 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/07(火) 22:10:27.13 ID:XdfhLXp+0
高家筆頭 吉良
51 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:10:49.73 ID:2htDCroB0
信長は平氏名乗ってたんだっけ
>>49 多分、選ばなかった。
源氏しか征夷大将軍になれない、というのは江戸時代に徳川が独占してからの俗説。
坂上田村麻呂はじめ、他姓(で、豊臣が貰ったのより家の格は低い)の征夷大将軍何人もいたし。
53 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/07(火) 22:13:49.76 ID:92eNFdE40
何を選んでたのか見当もつかないな
54 :
◆99D.I.T.C. (東京都):2011/06/07(火) 22:14:18.84 ID:NmpyL3Yk0
>>49 まず、源氏でなければ将軍になれない、というのは俗説。
(鎌倉時代に宮将軍などをみれば明らか)
仮に、武家が将軍になる場合は棟梁である清和源氏の家系でないといけない、としても秀吉だったら可能。
藤原朝臣(近衛家の養子)になってるぐらいだし、清和源氏の家系に入ることも目的のためにはためらわないと思う。
足利義昭に断られたという説があるけど、義昭にこだわらなくても、清和源氏の大名はたくさんいた。
55 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/07(火) 22:14:36.57 ID:9z4f+ECtO
>>40 信長の用いた「天下」って言葉がどういう概念かってのが知りたいからってのが第一。
大は日本の皇帝になろうとしてたってのから、小は精々近畿一円+αあたりで人生の目標達成しちゃったって説からイロイロ
>>49 関白就任当時、征夷大将軍の位にまだ足利義昭がいたからじゃないか?
57 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/07(火) 22:21:05.68 ID:tmINAQtO0
武家って血統が重要だから武家でもない卑賤の出である秀吉は、流石に征夷大将軍は無理だろ
徳川や前田・毛利などが半独立友好国みたいな扱いで、実質的に国を統べてなかったからって説もある。
>>55 なるほど、「信長がどれを希望したか」はあまり重要じゃなく、「どれか希望したのか」が重要なわけね。
本能寺の背景にもつながってくるな。
あなる大将軍
61 :
名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/06/07(火) 22:27:04.07 ID:xaawdWc/0
征夷大将軍は別に武家限定じゃない
あと関白になるには五摂家からじゃないとダメだから秀吉みたいに養子にならなきゃ無理
太政大臣は名誉職みたいなもんだからあまり意味ない
62 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:27:18.36 ID:2htDCroB0
秀吉も関白に慣れた程の権勢あったから将軍になろうと思えばなれたと思うけど
秀吉はなんか武家の棟梁って感じしないんだよなあ・・
武士はただ単に出世の手段としてやってただけだろきっと
63 :
名無しさん@涙目です。(岡山県):2011/06/07(火) 22:33:22.03 ID:0ISvxjgs0
どっちみちどんな地位も実力があってこその話
信長公のような実力があればこその三職
64 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/07(火) 22:36:39.33 ID:92eNFdE40
秀吉はどうして征夷大将軍じゃないの?とか、信長は
何を考えてたの?ってのは、当時と、江戸時代の強力な
幕府を経た現在では、征夷大将軍のイメージがかなり
違うような気がする
65 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/07(火) 22:39:22.42 ID:tmINAQtO0
昔司馬遼太郎の太閤記読んだけど、それだと秀吉ってもともと武家でもなく信長に拾われただけだから
どんなに手柄たてても同僚から見下されてきた。だから秀吉は自分の出生を隠そうとせずむしろおおっぴろにして陽気に振舞って
同僚からの反感や妬みを買わないようにしてたとか。そんな秀吉だから武家の棟梁なんかかりにやっても侮られるだろうし、だから武家よりも上位である朝廷・公家の保護者としての地位を維持することによって全国の武家を支配したって読んだがちがったか。
なんかそんなかんじだったとおもう
66 :
名無しさん@涙目です。(広島県):2011/06/07(火) 22:41:39.89 ID:hxmzfLnE0
>>64 確かに
家康も頼朝に習おうと努力していた様だが、現代人の考える鎌倉幕府像と
当時の像とでは違うだろうし
司馬遼太郎の秀吉推しは異常
でも、無謀な朝鮮出兵を推し進めた悪の親玉みたいに描く奴よりよほど好感持てるけど
>>52 >>54 >>56 とんとん
なんか難しいな…
秀吉が公家(天皇)を倒して、自分が頂点に立つって
考えは無かったのかな…
天皇を倒すと、自分の格を認めてくれる人がいなくなるから、
って理由なのかね…?
69 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/07(火) 22:46:10.43 ID:9z4f+ECtO
>>59 既存秩序の破壊者で魔王でヒャッハーなイメージの信長が唱える「天下」の概念と、
朝廷幕府寺社諸々の既存秩序である「公」の概念がどう折り合うのかってことだからね
信長自身が事あるごとにに使ってる「天下」ってフレーズの解釈ひとつで全然信長像が違ってくるのも面白い
70 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/07(火) 22:48:30.06 ID:2htDCroB0
でもさ鎌倉室町と幕府が続いた以上武家にとって有効な支配手段ではあった訳だろ実際家康もしてるし
なのに信長秀吉は何故ってのはやはり興味湧くね
71 :
名無しさん@涙目です。(長屋):2011/06/07(火) 22:49:32.94 ID:NznZozsj0
72 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 22:50:29.75 ID:2DHql9z40
徳川家康が征夷大将軍になろう、というアイデアも
天海とか以心の具申で初めて出てきたもんじゃないのかな。
73 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/07(火) 22:57:24.59 ID:92eNFdE40
信長の時代だと、gdgdな室町幕府をみて育っただろうし、
その前の鎌倉幕府だって、最初の三代こそ源氏だけど、
あとは適当だからな
さらにその前の平家だと、朝廷内で権勢得てただけだし
武家政権として、どういうのが良いのかなぁって感じの
時代だったと思う
秀吉の答えが関白で、家康のは征夷大将軍で幕府だったけど、
それが信長だとどうなってたんだろ?
やっぱ伸びないねw
>>71 中納言と権中納言で同じ従三位なら地位的には一緒じゃね?
公家と武家ってのが一番の原因だと思う
77 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 23:05:51.59 ID:o4Rw42RK0
>>71 一条三位は中納言、水戸光圀は権中納言
(同列)
麿は帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!
79 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 23:09:04.71 ID:t54rHSJK0
武田信玄絡みで1000いくが、こういう官職についてのシステム論は、マニアの領域だな
80 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 23:10:33.33 ID:2DHql9z40
織田信長も羽柴秀吉も徳川家康も
とっくに昔の人になっているもんなあ
82 :
名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/06/07(火) 23:12:54.91 ID:xaawdWc/0
どの役職を選ぶのか、よりどんな政治体制を築くのか、方が重要なんだけど
この辺は全く想像が付かないからどうしようもない
83 :
名無しさん@涙目です。(広西チワン族自治区):2011/06/07(火) 23:13:01.25 ID:ZChjn5AHO
84 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 23:13:59.68 ID:C1sa1qvD0
信長がなりたかったのは少子化担当大臣らしいぜ
85 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/07(火) 23:15:15.74 ID:tmINAQtO0
>>68 すごいな
例えるのならいまの日本政府も皇室もすべて倒してまったく新しい統治機構をつくるってことか?
革命以上の大革命だね。下手すりゃ未来永劫大悪党として歴史に記録されるだろ
日本人の発想をはるかに超越してますねあなたは。スケールがでかすぎる
86 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/07(火) 23:17:04.10 ID:8wIksrsz0
そういや現憲法でも一応摂政関白って置けるんだよね
何の実権もないけど
87 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/07(火) 23:18:24.25 ID:2DHql9z40
当時の日本支配層は、武家以外には皇室を中心とする朝廷・公家、仏教徒の連中だったのかな。
そいつらの調整だけでも大変だろうなあ
89 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/07(火) 23:22:19.15 ID:9z4f+ECtO
秀吉は結果的に関白になったけど、後の大陸出兵構想見てもご丁寧に朝廷や豊臣一門の待遇をつらつら書いておいて、
あえて秀吉自身を何者でもない存在にしてるのが面白い。
昨夜BSで戦国自衛隊やってたけどあまりの出来でワロタ
せっかくの戦車と迫撃砲なんだから観測兵でも置いて反斜面陣地から敵の本陣攻撃すればいいと思うんだけど、
戦国時代には時代劇で見るような本陣なんてなかったって言うのはホント?
>>81 農民上がりの秀吉に大名や旧織田家臣が不満なく従うとは考え難い
豊臣の性を賜ったり、関白に就任してることを考えると天皇を利用して他の大名や家臣に自分の地位を認めさせて抑えこんでたんじゃないか?
そもそも秀吉自体がそういう権威に情景を持ってたみたいだな
自分を「実は天皇の子供だ」とか言うくらいだし
94 :
名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/06/08(水) 02:08:47.04 ID:EA9hFese0
>>85 世界史みるとよその国はしょっちゅう王朝が入れ替わってるのに日本はなぜ、って割と思うだろ
95 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 02:10:19.06 ID:RpW7CjuI0
太政大臣だろ
96 :
名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区):2011/06/08(水) 02:18:54.99 ID:ad9cDi2YO
俺信長だけど天皇狙ってた
97 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 02:31:39.42 ID:6FU98xVP0
征夷大将軍って正一位なの?
98 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/08(水) 02:38:28.23 ID:22hLmAj70
基本決まって無いよ征夷大将軍はあくまで役職
99 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/08(水) 03:05:51.67 ID:CT2EtvOr0
東西南北中央不敗
100 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 08:45:12.58 ID:JZyZXcL70
>>90 かわいそうなこと言うなw 演出だろ 本気でやったら合戦にならねえw
後世の戦略、戦術のノウハウと通信機器がある時点でもう圧勝だよ。
102 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/08(水) 09:17:58.80 ID:i7wlINNi0
100
zipの麻呂は偉いんだな
104 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 09:28:19.98 ID:JZyZXcL70
武家の官位がやけに高かった豊臣時代は面白い
織田信雄と徳川家康が内大臣まで貰っている
105 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/08(水) 10:14:49.97 ID:i7wlINNi0
徳川将軍家は足利将軍家より、平均して官位高いよな
正二位か従一位だし
権力という意味では、足利義満が頂点だと思うが
106 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 11:51:28.99 ID:1xcZ3+Vn0
>>105 それも武家の官位を高めてくれた秀吉のおかげ
107 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 11:56:59.62 ID:6FU98xVP0
将軍より、関東管領のがかっこいい
108 :
名無しさん@涙目です。(関東):2011/06/08(水) 12:13:59.56 ID:Si7p+a46O
>>90 101
現代武装の小隊七人くらいで
素人の千人以上を制圧できると言うもんなぁ。
109 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/08(水) 14:51:02.24 ID:/EPbNx7L0
武家同士の関係上だと官位はどの程度影響力あったんだろ
基本無しなのかな
本願寺との戦争で天皇に借りを作っちゃったのが辛かったね
天皇や公家を無視して独自の国家を作りたかったんだと思うよ
この人も朝廷利権に負けた人だと思っている
家康の凄さってのは武家同様、朝廷を法の下に規制したことだと思っている
秀吉は朝廷の利権の中にどっぷりと浸かって圧力かけ続けた個人の力だから限界がある
112 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 15:11:26.50 ID:6FU98xVP0
もし秀頼が素直に大阪から転封してたら、豊臣家は残ってたのかな
日本統一したら日本なんか捨てて中国で皇帝になってた
114 :
名無しさん@涙目です。(広西チワン族自治区):2011/06/08(水) 15:21:53.55 ID:oQAIpoW8O
>>112 従った福島やなんかのとりつぶし見ると無理そう。
運がよくてとりつぶし後、大名格高家として三千石位で再登用だな
115 :
名無しさん@涙目です。(東京都):2011/06/08(水) 15:33:39.25 ID:KgVb0cS10
116 :
名無しさん@涙目です。(和歌山県):2011/06/08(水) 15:40:51.55 ID:7dtr8OAA0
天皇を選ぼうとしたんだろ
117 :
名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/06/08(水) 16:43:16.60 ID:ry6RiiyH0
正親町の隠居と上皇化と三島暦へ変更の為に、信長が言い出した可能性は
高いな。
あと暦の変更でき安土城を正親町帝に見せることができれば、別になんでも
いいのだろう。
本人は隠居してるから、行政や仕組みには関心を示すが公家や武家官職自体
には興味ないと考えられるからな。
信忠に任せてるので信忠にやらせようとしてるしな。
あとどーしても正親町帝に、安土城を見学させたかったってはある。
ただ単に見せたいから官職に就くという事は十分に考えられる。
そもそも馬揃えもそうだが、武威を示そうとかは全く考えてない。
天文気象に関心があるのでどうにか引っ張りだそうとしてる。
大政奉還させようとして結局明智に殺されたんじゃないかな
119 :
名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/06/08(水) 16:53:17.10 ID:ry6RiiyH0
最終的に三島暦とグレゴリオ暦の研究と、その調査や研究での新暦を考えていたん
だと思うよ。なので官職でそれができればって云うこと。
軍勢動員と検地と暦は、天文気象は一番にして最重要だから。
明智のは、佐久間が高野山で伝染病にかかって更に死んじゃったから。
信栄が武田取次ぎなので武田征伐すればすんだ話だ。単純な問題。
120 :
名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/06/08(水) 16:58:32.08 ID:ry6RiiyH0
折檻状に書いてあるじゃん。攻めろって。
本願寺取次ぎで本願寺と講和したのだから、次は武田家取次ぎ
だから武田を攻めるべきって事。それなのに秦のオウセン習って
高野山まんまいっちゃってしんだもんだから、明智が四国取次ぎの
兼もあってキレタ。
それだけ。織田軍の軍政は織田斉藤家以外は佐久間がやってるん
だから明智としては佐久間が死んだら大変な状態だ。そりゃ切れるよ。
121 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 17:00:42.61 ID:6FU98xVP0
ID:ry6RiiyH0
きめぇ日本語使うな
死ね
自殺しろ今すぐ
122 :
名無しさん@涙目です。(不明なsoftbank):2011/06/08(水) 17:03:59.89 ID:ry6RiiyH0
>>121 いや戦略家だから。。。><
死ぬわけないだろ。。。馬鹿
123 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/08(水) 18:58:51.51 ID:/rVT7Ya80
信長自身は辞してそれぞれを息子に就かせたんじゃねーかな
秀吉と違って肉親は豊富に居るんだし信忠、信雄、信孝あたりに
振って自分は摂政と…平清盛的にやりたかったとか
124 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/08(水) 19:04:09.88 ID:/rVT7Ya80
准后を意図していた可能性も有る
125 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 19:05:41.79 ID:i/YkbFMV0
森蘭丸の皇后だろ
126 :
名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/06/08(水) 19:09:42.62 ID:sMnrojRF0
秀次が摂政だったら殺生摂政だったのか
義昭が存命だったのに将軍職ほしがるとは到底思えん
太政大臣と関白の兼任かな
128 :
名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/06/08(水) 19:13:20.83 ID:l7Y8sOTw0
ヽ:r‐'、 __
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でも関白って摂家にしかなれんのだろ、秀吉だって近衛に通じて摂家の仲間入りしてからだし
多分、関白っていう選択肢は除外していいと思う
130 :
名無しさん@涙目です。(三重県):2011/06/08(水) 20:19:34.68 ID:xTNyRdv90
私が気になるのは
岐阜を定めたことと、そこで天下布武を唱えたこと。
周王朝の起こりの故事まんまの引用だから
少なくとも岐阜城を本拠にしていたときは
はったり半分本気半分で天皇に代わる新王朝を建てるつもりだったのだと思う
131 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 20:32:25.47 ID:vtQJ5pBj0
足利義昭さんはその後どうして生きてたの
132 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/08(水) 21:14:45.76 ID:/rVT7Ya80
>>131 毛利家や豊臣秀吉の庇護を受けて生き延びた
最期は秀吉の御伽衆の一人となって生涯を終える
まあまあ良い人生だったかもね
134 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 21:33:23.32 ID:vtQJ5pBj0
>>132 江戸時代まで生き延びておれば、先の将軍ということで現将軍と同格の待遇を貰えた
・・・かもしれないのに
135 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 21:38:37.86 ID:3U9AJB9h0
織田信雄の転落人生もなかなか
136 :
名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/06/08(水) 21:39:46.57 ID:yUmb3Iy20
義昭さんは、地位で言えば一応准三宮にまではなっている
朝鮮出兵でも九州へまでは行っていて晩年まで武将としてはありつづけた
でも死後、葬式代の捻出に困るほど金がなかったそうな
し、信玄は?
信玄の話題はないの?
138 :
名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/06/08(水) 21:52:24.69 ID:IvXglpoL0
信玄なんか後の将軍に脱糞させるくらいしか見せ場がないじゃん?
139 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 21:54:16.74 ID:3U9AJB9h0
信長はたぶん、全国武力統一して日本一新するまでは将軍にも関白にもなるつもりはなかったんじゃないのかな
じゃないと、旧体制力の地方大名どもが勝手に屈服してきて生き残ることになる。
将軍家の権威の下屈服してきた敵を討つんじゃ正当性がなくなるし
こういう地方豪族みなつぶしにして日本全国を私色に染めるのが信長の目指した天下不部でしょ
140 :
名無しさん@涙目です。(京都府):2011/06/08(水) 21:56:58.07 ID:b6Yzr8xE0
愛よ
今川氏真の転落人生は大名として生きるより良かったんじゃないかと思う
142 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/08(水) 21:59:17.52 ID:D/rV4gTZ0
>>24 最終的には全部おれのものと考えていたとしても、いっぺんにゲットは無理。
真っ先になるのはどれかを選ばなければならない。
全部ゲットは90歳の誕生日のお祝いにとっておく。
143 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 21:59:21.88 ID:3U9AJB9h0
無能なやつが権力に固執して混乱と醜態さらすよりも、自分の身にあった身分で悠々自適の人生を送るのがいい
144 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/08(水) 22:02:21.41 ID:D/rV4gTZ0
>>143 本能寺直前の信長はそんな「身の丈に合った生活」は望みようがない。
家督はすでに譲っているのに、三職推任の話が出てくるぐらいなんだから。
145 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 22:05:37.37 ID:3U9AJB9h0
だから毛利も長そか部も上杉も北条も九州や東北の田舎どもを根こそぎつぶさない限り
将軍にも関白にもならないつもりだったとおもうよ
146 :
名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/06/08(水) 22:13:03.40 ID:smBP27E+0
世界皇帝に決まってんだろ
147 :
名無しさん@涙目です。(北海道):2011/06/08(水) 22:13:40.26 ID:D/rV4gTZ0
>>133 御伽衆は雑談の相手役程度の軽い職名に思えるかもしれないが、
実際は「相談役」相当だ。
組織外から迎える有識者の待遇としてはかなり良い方だぞ。
信長は明国を攻める為、ガレオン船を手に入れようと
ポルトガル、スペインに臣従するため
日本をキリスト教に改宗させようとした
日本に京都教皇を設立する予定だったのだ
その計画を知った光秀が天皇家、仏教徒の支援を受けて信長を殺した
これが本能寺である
そして全てを知る光秀は秀吉の手により抹殺され、
天皇家や仏教徒を保護する約束を取り付けた秀吉が
日本の支配者として旧勢力から祭り上げられたのであった・・・
勿論全部嘘です
>>144 大御所と将軍みたいな関係だよな。
後北条とか、浅井とかやってる方法だよね
150 :
名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/06/08(水) 22:17:59.07 ID:U4YsxK960
第六天魔王といってるわりに
安土城のふきぬけに仏舎利塔を安置してんだよな
よくわからん
151 :
名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/06/08(水) 22:18:15.93 ID:A/bEzrUl0
カダフィやケ小平のように役職なんて必要じゃなかったろうよ
152 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/08(水) 22:24:31.25 ID:vtQJ5pBj0
信長が天下人になったら、安土から何処へ本拠を移したろうか
153 :
名無しさん@涙目です。(栃木県):2011/06/08(水) 23:04:56.04 ID:yYv9ApRz0
やっぱり大坂でしょう
154 :
名無しさん@涙目です。(中部地方):2011/06/08(水) 23:32:32.63 ID:SbeG+FvZ0
でけえ城建ててるし移さないだろ
155 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/09(木) 04:38:34.97 ID:1WrQDres0
(1)関白織田信長
(2)征夷大将軍織田信長
(3)第六天魔王織田信長
(3)が最強だよな
156 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/09(木) 07:34:08.33 ID:SlLYSI5p0
それはそうと信長に正室はいたの?
濃姫というのは本当に結婚したの?いつまで生きてたのよ
157 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/09(木) 07:37:29.79 ID:3vis7Fzyi
>>109 内大臣の家康が右大臣の秀頼を京都に呼びつけるぐらいだからな
多少の影響はあっても武家は権威より権力重視だろうな
158 :
名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/06/09(木) 07:49:25.17 ID:njFRCB7J0
>>157 家康 秀頼 秀忠
1603年 右大臣 内大臣 大納言
1605年 辞職 右大臣 内大臣
こんな具合に、家康>秀頼>秀忠の序列で昇進していたのである。
家康秀頼の会見時は、両者概ね同格だか先任順で家康が上座だったかも知れない。
が、同席した従一位の北政所が三者の最高位だった
159 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/09(木) 08:11:15.60 ID:3vis7Fzyi
そうなのか。勘違いしてた。
ありがとう。
>>57 重要なのは血統じゃなく家柄。日本は血縁社会じゃなく、偽系血縁社会、すなわち地縁社会であると言われてる。
つまり農民出でも、武家の養子にはいればおけ。
武家の出でも勘当されるとダメ。
せやせや
>>157 家康は、将軍就任時に右大臣に任官してるから、前右大臣。
うろだが、官位は家康が従一位、秀頼が正二位だったような。
ああ
せやな
165 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/09(木) 15:25:23.76 ID:3vis7Fzyi
血統より家柄てのは面白いな
皇室はさすがに血統が重要だろうけど
166 :
名無しさん@涙目です。(catv?):2011/06/09(木) 15:58:28.25 ID:H2xT1EX00
>>150 あれは信玄が天台座主を名乗ってきたので、「じゃあ俺は第六天魔王な」と
返したくらいの話。桶狭間前後には熱田神宮に戦勝祈願やお礼の寄進をして
いる。延暦寺や本願寺は大名と同じように信長を攻撃したら、戦っただけ。
末期は総見寺作ったりおかしな面もあったが、それまでの神仏寺社との対し
方は他の戦国大名でも似たようなもの。
<魔王>が現代に一人歩きして、「妖刀伝」「孔雀王」「風使い」なんかで
本物の魔王にさせられてしまってるけど。
167 :
名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/06/09(木) 18:49:32.23 ID:dCxhDtyS0
総見寺か・・・ご神体の石って残ってるのかな?
168 :
名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/06/09(木) 20:25:01.97 ID:Y/aQ5kB+0
信長は誰の下にもつかない
自らを神に祭り上げ、ほかの勢力を黙らせる
神を抑えるのは神しかいない
家康がのちに実行した
170 :
名無しさん@涙目です。(関西・北陸):2011/06/09(木) 20:32:23.45 ID:HiHSlS45O
もらえるものは全部息子にくれてやって、信長自身は
既存の地位なんかじゃおさまんねぇ自分に酔ってそう
171 :
名無しさん@涙目です。(宮崎県):2011/06/09(木) 20:35:08.68 ID:UOOideGi0
King of Japanじゃなかった?
征夷大将軍だろ(適当
2年以内に信忠にでも譲られるが
右大臣と一緒だろ・・・
ほんとこの議論ってあんま意味ないよね